第39話 勇者様、温風を送る
一方その頃、メティスの大盾の一行は日の出とともに、魔界へと足を踏み入れていた。
四人は目的地へ向かって、魔界の渓谷を上流へと歩く。入り組んだ川には透明度の高い水が流れ、時折川面を泳ぐ魚たちの影が水面を揺らす。野鳥のさえずりが水音と共に心地よく響き、岸辺の岩や木々には涼しい風がそよぐ。魔界と言っても人間の世界と地続きの世界には、何も変わらない風景が広がっていた。
「ねぇ~。本当に、古代遺跡なんてこの先にあるの~?」
ルーナは草木に覆われた歩きにくい木々の中を、不満たらたらで話しながら進む。
「運が悪ければ…、残念ながら今回は無駄足になるかもしれませんね。」
「フクロウの皆さんの分析でも、ここは幾つかの候補地の一つに過ぎませんから。」
陸奥は涼やかな顔で、ルーナの不満を受け流す。今回の仕事に半信半疑のルーナは続ける。
「でも、六竜同士が戦った話なんてねぇ~、エルフの伝承でも聞いたことないのよね。」
「だから、未開の魔界の地なのではないですか?」
「あそっか、そう言えばハーペリアもそんな話だったわね、ナハハ。」
「…ハーペリアと言えばさぁ~、前回は酷い目にあったわよ、ねーヒナちゃん。」
「「「……。」」」
ルーナの問い掛けにヒナは黙って頷く。そして、ルーナの意地悪に二人は返す言葉がなかった。
「…、もし古代遺跡までたどり着き、水のラピスラズリを手に入れられたなら、それは火竜討伐の切り札になるだろうな。」
少しの沈黙の後、ブラッドは希望を口にした。その希望は、ほんの数日前なら大盾の誰も信じなかったかもしれない。しかしその数日の間に、六色ワンドとハーペリアを見つけた事実がその実現を期待させる。ブラッドの希望にヒナは黙って頷いた。
それから、続けてブラッドは最悪を想定して覚悟を話す。
「これはリーダー命令として聞いて欲しい。もし、この先で六竜と遭遇することになったら、その時は、迷わず逃げろ。逃げる時間は俺が稼ぐ。」
「「「……。」」」 ブラッドの命令に、三人は沈黙をもって応えた。
太古の六竜の内、人類がその姿を今も確認しているものは、半分にも及ばない。その中でも火竜は、東の帝国の更に東の活火山を住処とし、過去の歴史の中で幾度も人類に牙を剥いてきた。多大なる被害を与えてきた火竜の討伐は、魔王討伐に匹敵する人類の悲願である。
だがしかし、火竜は灼熱の炎をもって、幾度となくその悲願を文字通り灰にかえてきた。
”赤龍の焔を防ぐ術を持たざる者、赤龍に挑むべからず”
数多の犠牲の上に得たこの戒めは、かのクレメンタインですら打ち破るには至っていない。
四人が渓谷を登るにつれ、水の流れは荒々しくなり、川面には水しぶきが舞い上がる。川のせせらぎの中に、さらに上流から響く水を打つ音が僅かずつ混じり出す。渓谷は険しくなり人の行く手を阻むが、勇者である四人には障害とはならず、並外れた身体能力をもって難なく踏破していった。
もはや一行が進む先には道らしき道はなく、この先に何かあると確証でもない限り、人が入り込むことなどまず考えられない道のりを進んでいった。
そして、ちょうど日が真上に昇る頃に、四人は水を打つ轟音の正体を発見した。それは渓谷から激流となって流れ落ちる大きな滝だった。苔の生えた岩壁から流れる水は荒々しく滝壺へ落ちる。流れる滝のしぶきは虹を作り、力強い水の音と共に、美しい光景を作り出していた。
一見すると、確かにそれは美しい自然の情景だった。しかし、その大滝の違和感に最初に気づいたのは陸奥だった。
「…。この滝が流れる岩肌、おかしくありませんか?」
滝が流れる岩壁には、よく見ると不自然な直線や曲面が混在していた。それはまるで、人工的に加工された岩塊や石柱を巨人が下手くそに積み上げたような、歪だが人為的な痕跡が感じ取れた。
「えぇ~、そう? 素敵な滝じゃない?」
「なんなら、あの滝壺でひと泳ぎしたいぐらいよ。」
呑気に応えるルーナにはあまりピンとこない。岩壁は苔や蔦が覆い浸食が進み、原形を想像するのは確かに困難ではあった。
一同が滝を見つめる中、それは突然、滝から落ちてきた。
「キャーーーー…。」
と上流から高音の切り裂くような叫び声が微かに響く、しかし滝の豪快な唸り声がかき回し遮った。
次の瞬間、滝口から大きな流木が飛び出し、そのまま滝を滑り豪快にドッパーン! と、滝壺に飲み込まれた。間もなく流木と思われたものが滝壺から顔を出す。それは流木ではなく、天然素材で作られた大きなバックパックの様な大袋だった。その大袋が滝壺からの水の勢いでくるりと反転すると、大袋にくっついた一人の少女が現れた。
その一部始終を見ていたブラッドたちは、程度の差はあれど動転する。ここが人間の世界であったなら、一も二もなく救助に入っただろう。しかし、ここが魔界の地であったことが躊躇わせ、警戒させた。
そんな中、ヒナだけが迷いなく六色ワンドを構え、呪文を唱える。
「水の精霊よ。水の卵を空に弾け。風の精霊よ。水の卵を受け止めよ。」
ヒナの呪文によって、滝壺に浮かぶ大袋の周辺の水だけが異様に盛り上がった。持ち上がった勢いで大袋は空中に投げ出されたが、まるで水中を沈むかのようにゆっくりと下降し、やさしく岸辺に落ち着いた。少女に目立った傷は見当たらない。恐らく、背中の大袋がクッションの役割をしてくれたのだろう。少女は地面に足を付けると、警戒する様子もなくずぶ濡れのまま、大盾の一同の前まで歩み寄ってきた。
「こんにちは! 助けてくれてありがとう! 私はウィーナ。探検家です。」
屈託のない笑顔と、水色の髪と、大きな眼鏡が印象的な少女は、元気に自己紹介しながら握手を求めてきた。一同が対応に戸惑う中、ヒナだけはその握手に応える。
「どういたしまして。私はヒナ。」
ウィーナとヒナは表情は対照的ながらも、背丈が同じで、手をつなぐ姿は同年代のお友達のようにみえた。そんな二人が手を放すと同時に、岸辺に置いたままの大袋から水があふれ出し、その中から小さな人形が飛び出した。人形は自立した意思を持っているかのように勝手に動き、大袋にたまった水を抜き始める。
「あの子はラカタン。よろしくね。」
ウィーナは人形を紹介した。紹介された膝下ほどの背丈のゴーレムは、仕事をしながらこちらを向いて手を振った。その可愛らしい仕草に笑いが抑えられなくなったルーナは、笑顔で挨拶する。
「ナハハハ、私はルーナ。あっちの男二人は陸奥とブラッド、よろしくね。」
「んー…、色々お話を聞きたいけど、その前に服、乾かそっか。」
そう言ってルーナは手をかざして風を起こす。その風はウィーナの体の周りをつむじ風のように取り巻いた。横にいたヒナはそれに合わせて、火魔法を調節して風を温風へと変えた。
ウィーナの服は大袋と同じ天然素材で、通気性に優れ乾きやすい。ウィーナはその風に当たりながら、靴や手袋をひっくり返して水を抜いた。普通なら服を脱いだ方が良いのだろうが、男性がいる手前、配慮した方法だった。
ヒナとルーナはすっかり気を許しているが、一方で陸奥とブラッドは、依然として警戒を解いていなかった。二人が用心するのも当然で、ブラッドたちはこれまでに一度も、魔界で友好的な人間にあったことなど無いのである。特に陸奥とブラッドの二人は、先日のハーペリア採取時の失敗から警戒心が高まっている。いくら少女の姿をしていても、何者なのか一切分からない者を、簡単に信用するなど到底できなかった。
二人ほどではないにしろ、ウィーナの正体について疑問があったのはルーナも同じだった。ルーナは気持ちよさそうに風を浴びているウィーナを前にして尋ねる。
「ねぇ、あなた。どこから来たの?」
「…いやぁ~、お恥ずかしい。」
「この滝の上にある遺跡を探索してたんだけど、足が滑ってそのまま滝に流されちゃった~。」
心地良い温風を受けながら、うっとりとした表情のウィーナの返事に、大盾の面々は色めき立つ。その言葉はまさに、探し求めていたものの手掛かりを指し示す財宝の地図だった。この数日間で六色ワンドとハーペリアを見つけた大盾にとって、この地図は新たな発見を否応なしに期待させた。
ウィーナの答えは、ウィーナは何処から来たのか、という本来求めた答えとは違ったのだが、それを忘れさせるほどの価値を持っていた。




