第34話 勇者様、妹と出くわす
宗教都市キンプーサは、高くそびえる勇者教団の大教会を中心にして、歴史を感じる古びた街並みが広がっている。商業都市のユーザと比べると都市の発展度では劣るが、勇者教団の熱心な信者とその恩恵にあやかろうとする者が集まり、王国一の人口を誇る大都市である。また、キンプーサは王国内の一都市にも関わらず、勇者教団による独立自治が認められている。これは王国の中に一つの国があるようなものだが、王国と勇者教団の政治的結束は強く、友好的な関係にある。勇者教団が代々崇拝する最強勇者がクレメンタインの代となり、勇者教団は長い歴史の中で類の無い繁栄を迎えていた。
勇者教団とは、歴代の最強勇者を主として崇め、主の望むままに仕えることを教義に掲げる宗教組織である。主が正に神のごとき力を持つ勇者であることが、教団の信仰と結束を高めている。教義の上での最高権威は主本人だが、教団の組織運営を担う最高権威には大司教を据え、その下の七人の司教がそれぞれの役職長を担当している。大司教は都市の施政や、教団の方針決定、更には勇者の任命などを執り行うが、主の前では大司教ですら一信徒に過ぎない。
クレメンタイン一行は、勇者教団の大教会に到着した。
大教会は七つの塔が一つに結びついた巨大な建物で、中央には聳え立つ主塔があり、その周囲を取り囲むように六つの小塔が配置されている。それぞれの塔は天を目指すように高く尖り、精緻な銀の細工と純白の大理石で作られていた。主塔の大扉は大きく開けられ、何者も拒まない意思を表している。そして、人々を守るかのように正面広場に置かれた巨大な勇者像には、太陽の光が反射し眩く輝いていた。
到着してすぐに、赤髪の騎士は二人に指示をする。
「紅月、モーレンズ。その方はお二人にお任せします。私はこの少年を。」
それを受け、酔っぱらいは二人に連れられて行った。
クレメンタインと二人は大教会の中央塔へと進む。塔の内部は広く何人もの信徒と思しき姿があったが、大げさに出迎えるでもなく、クレメンタインを前にしても静かに顔を伏せるのみだった。塔内を進み幾つかの区画を過ぎたところで赤髪の騎士は立ち止まり、オレンについて来いと合図を送った。オレンは未だ置かれている状況を呑み込めていなかったが、素直に騎士に従った。クレメンタインは別れ際に、
「整えておいでなさい。」
とオレンに言葉を贈ったが、相変わらずその真意を掴むことは叶わなかった。
赤髪の騎士は少し進んだ先の一区画にオレンを招く。そこで衛士のように控えているひとりの信徒をみつけ、声をかけた。
「レシア。突然で申し訳ありませんが、あなたにこの少年の教導を任せます。できますか?」
「はい。勇者コートランド。お任せください。」
レシアと呼ばれた女性信徒は、オレンと対して変わらない年頃に見えたが、騎士を前にしてまるで軍人のような迷いのないしっかりとした返事を返した。寧ろコートランドと呼ばれた騎士の方が、そんな彼女に気を使っているようにすら見える。
「よろしい。では、あなたに預けます。」
レシアの返答を受けて、コートランドはオレンを預けると来た道を戻っていく。恐らくはクレメンタインの元へ戻るのだろう。コートランドが去るのを見送り、レシアが挨拶をした。
「初めまして。私、内裁省監査部勇者世話付レシアと申します。」
「…初めまして、オレンです。」
覚えきれないレシアの役職名に圧倒されながら、オレンは応えた。
教団信徒が身に着けているローブは皆同じようなデザインだが、細かい部分に微妙な違いがあった。恐らく所属や役職で分けられて、分かる人には分かるようになっているのだろう。レシアが身に着けているローブにどんな意味があるのか、オレンは当然知らないが、自分が置かれている状況をやっと教えてくれそうな人に会えて少しホッとする。
「オレンさん、それでは参りましょう。」
そんなオレンの思惑を余所に、レシアは中央塔の更に中心部へと誘う。大教会の内部は様々な区画がとても入り組んだ構造をしており、進めば進むほどオレン一人では確実に迷うことだろう。オレンは心細さを感じつつも、ここまで来てしまった手前、取り合えず最後まで付き合ってみることにした。
レシアはオレンを連れて、大教会の中心部に到着した。
この場所は勇者の聖地といわれ、歴代の勇者の記録が保存されており、その姿を模した像や記念碑が整然と並ぶ。その中心には燦然と輝く勇者の剣が台座に飾られ、台座には勇者伝説の文言が刻まれていた。
その勇者の剣の前までオレンを連れてきたレシアは、一つ質問をする。
「さて、オレンさん。あなたは勇者とは何だと思いますか?」
オレンは少し考えた。しかし、その漠然とした質問の答えはむしろ、オレンの方が知りたいと思っている事だった。ましてや、多くの勇者が並ぶこの聖地でその質問を受けることにどんな意味があるのか、オレンは知るはずもない。(あなたの方がよくわかっているのでは?) と思いつつ、オレンは、あやふやながらも想像して答える。
「…そうですね。魔王を倒す力を持った者、ですか?」
レシアはそれを受けて語り始める。
「…それは正に理想とする勇者像ですね。」
「…しかし残念ながらその理想に届いた勇者は未だいません。」
「勇者伝説に謳われる初代勇者エパは人間世界を統一し、魔王を倒す為旅立ちましたが、生きて戻ることはありませんでした。そして歴代の名立たる勇者たちも、その志を継ぎ魔王に挑みましたが、それでも誰一人として戻りませんでした。」
レシアの言葉は、過去の勇者たちについて、それほど深く考えたことのなかったオレンの琴線に触れる。魔法障壁を突破する方法が生まれる前、決して戻れぬと覚悟をして挑んでいった勇者の遺志を思うと厳粛な気持ちになった。
勇者教団が任命する『勇者』とは決して戻れぬタワーの向こうへ、魔王を倒すために旅立つ者への称号である。勇者教団は、その為に勇者を導き鍛える修練の場を起源としている。勇者へ与えられる特権も死地へと送り出すせめてもの手向けが発祥である。いつの時代においても、勇者教団は全てを歴代の勇者に授けてきたが、歴史の事実として、一人として帰還を果たした勇者はいない。
レシアは語りながら歩き、勇者の剣の台座からタワーのモニュメントの前まで移動する。
「そして、これまで勇者の帰還を極めて困難にしていた原因は、タワーから発生する魔法障壁です。」
「この世界を分断する一方通行の魔法障壁を一度渡れば、強力な魔素を持つ勇者はもちろん、魔素を纏う装備や神器なども持って帰ることが出来ません。」
「我々はこの障壁のせいで、これまでの勇者が魔王の前までたどり着いたかどうかすら、確認できていないのです。」
レシアはそう言うと、一つの魔子回路を取り出して話を続ける。その手にある魔子回路は、六つの魔石が等間隔に配置された腕輪のような形で、本来腕を通すための穴には歯車のような部品が取り付けられていた。
「ですが、この魔子回路の登場によって、魔法障壁からの帰還が叶うようになりました。」
「この発明から十二年、今やどの勇者たちも魔界へ入り、そして帰ってくることができます。」
レシアは語りながら、再び勇者の剣の台座に戻ってくる。オレンはその言葉を聞きながら、魔導院でページから聞いた話を思い出していた。
「しかし、どれほどの力を持っていても、少数の勇者では魔族の軍勢を前に多勢に無勢。局地的な戦いはできたとしても、魔界に対しての本格進攻には至りません。」
「そこで我々勇者教団は独自に精鋭部隊を組織し、勇者クレメンタインの支援隊として共に魔界へ赴く活動を始めました。」
「我々と勇者クレメンタインはこの八年間で、六度の魔界遠征を実施しており、魔族討伐の戦果と共に帰還を果たしています。」
オレンはその話を聞いて、単純に驚いた。この話はミーヤも知っている事なのかもしれないが、ミーヤが憧れるクレメンタインのその美しさを目のあたりにして、その人がこんな大規模な軍事遠征の中心にいるとは思いもよらなかった。
魔導院で魔法障壁に関する話を聞いたときも同様だったが、オレンはこれまで歴史や世界の事をきちんと知ろうとしてこなかった。情報はただ耳に入ってきていたが、その意味や背景について深く考えることはなかった。自分が生まれるより遥か前から勇者たちは魔界で戦っていて、その戦いは今も変わらず続いている。この世界で当たり前のように続いている歴史を前に、自分は六年前の魔族侵攻を言い訳にしているような気がして、少し恥ずかしくなった。
しかし、戦いの歴史の一方で、オレンのような一般人が暮らし続けているのもまた歴史の事実である。力を持たないオレンが、巨大な力を持つ勇者と関わることでどんな結果を招くのかは、まだわからない。
二つの大きなうねりが、力を持つ者と持たざる者双方を巻き込もうとしている。その一つは、ある天才が魔界からの帰還方法を編みだしたこと。もう一つは、歴代最強と名高い勇者クレメンタインの登場である。二つの事象が時を同じくして起きた今という季節は、歴史が大きく動く転換期を迎えていた。




