第33話 勇者様、特権を行使し勝手に家で待つ
オレンは火竜亭での食事を終え、シュレと少し世間話をする。それは、村の様子とか妹の身近な話だった。オレンが体験した勇者の話をしなかったのは、勇者に会う為にここに来た事を悟られたくなかったからかもしれない。あるいは、元々なんの確証もなく、ダメ元でとりあえず来てみたが、ハズレを引いたことをカッコ悪いと思ったせいかもしれない。そして、そんな行動をとってしまうほど、ヒナに会いたいと思っていることを悟られることが何より嫌だったのかもしれない。
長くない世間話も尽きて心の整理がついたオレンはお礼と共に、席を立った。
しかし、出口に向かおうとするオレンの動きが止まる。
その瞬間、オレンだけでなく、シュレや店主、他の客にいたるまで、この火竜亭を空間ごと支配するかのような圧倒的な輝きを放つ存在に目を奪われた。ただその出口に現れただけのその姿を、ただ目に映すというだけの行為を、永遠に続けていたいという欲求に取りつかれ、時間が経過するのを忘れる。体感する時間に反して、それはほんの数瞬の事に過ぎなかったのだが、その瞬間は強烈に脳に刻まれた。
そんな周囲の様子など一切かまう様子もなく、火竜亭にゆっくりと歩み入るその姿の正体は、勇者クレメンタインだった。
勇者クレメンタインの姿は、ミーヤから嫌というほど見聞きさせられていたが、世の中には美男美女などそれなりにいて、オレンにとってはその中の一人にすぎない認識でしかなかった。しかし、本人を目の当たりにして、ミーヤが夢中になるのがよくわかった。ミーヤですらこれほど近くで見たことはないにも関わらず、そのミーヤからあらゆる言葉で称えられるその容姿は、どれも過剰どころか不足に感じた。
オレンが感じた支配感とは、ハックナインが言っていたヤバい魔子が生み出す一種のカリスマが放つオーラ、などという俗なものではない。何故ならそんなものを感じ取る感性も能力も、オレンは持っていないからだ。
その正体はそれ程までに突出した完成された美。クレメンタインが何かをした訳ではなく、ただそこにいるだけで生まれた、たったそれだけのものだった。そのクレメンタインが一言、放つ。
「ごきげんよう。」
その清らかな澄んだ声は明らかにオレンに向けられたものだったが、その声に返す言葉を失う。この時オレンは、狙っていた勇者と違う、それ以上の超絶レアを引き当てたことに、これが現実であることすら疑った。
「……。」
何も言わないオレンに、クレメンタインは小揺るぎもしないが、その隣に随行する一人の騎士がピクリと反応する。その赤髪の騎士は稀に見る端正な顔立ちの凛々しい出で立ちをしていたが、クレメンタインを横にすると霞んで見えた。
しばらく生まれた沈黙を誤魔化す為、オレンが何か声を発しようとした直前に、何とも汚らしい声がその空間に横入りして来た。
「よ~。きれーなねーちゃんよ~。俺とも、遊んでくれよ~。」
その声の主は、いつぞやブラッドに因縁を吹っ掛けた酔っぱらいだった。あまりに突然の登場にオレンは驚いた。もし因縁を吹っ掛ける相手がクレメンタインでなかったなら、オレンは酔っぱらいに嫌悪しか湧かなかっただろう。しかし、クレメンタインを前にこれを言う酔っぱらいに対してオレンは、(すげぇよ。アンタ…。) と尊敬の念すら覚えた。
酔っぱらいの無礼に逸早く動いたのは、火竜亭の入り口に待機した見慣れない細身の男だった。オレンはもちろん、酔っぱらいでさえクレメンタインに気を取られていて、その男に気付きもしなかったが、二人の離れた位置からその酔っぱらいに向けて身構える。その男の動きに連動するかのように、赤髪の騎士が酔っぱらいを排除するために身を乗り出した。しかし、クレメンタインは片手を上げて、二人の男を制止する。そして、ゆっくりと口を開いた。
「ありがとう。さあ、こちらに。」
そう言って、意外にもクレメンタインは何事もなく酔っぱらいの相手を始めた。
ー五分後ー
「だあぁぁー。俺だってよぉ…、好きでこんな風になったんじゃねーんだよぉ…。」
「それをアンタは…、アンタは、こんな俺に嫌な顔一つせず…。」
「アンタ、本当の女神さまだあぁー。だあぁー…。」
そこには号泣する酔っぱらいの姿があった。
一部始終を見ていたオレンは呆気にとられる。クレメンタインはただ、本当にただ会話をしていただけだった。あの酔っぱらいを相手に、淀みなく、穢れもなく注がれた言葉は、その心を洗い流した。側で見ていたオレンすら清められた気がした。この公開懺悔は、勇者クレメンタインとは外見だけでなく内面まで完璧な女神様だと、オレンに強烈な印象を植え付けた。
酔っぱらいの涙が枯れ果てると、クレメンタインは言葉を掛ける。
「あなたには、道をさしあげましょう。」
その言葉に赤髪の騎士が反応し、項垂れる酔っぱらいを連れて行く。酔っぱらいは抵抗する様子もなく、入口の細身の男に引き渡された。そして騎士が戻る前に、クレメンタインの言葉は次にオレンに向けられた。
「大盾、梟、天秤。三つ揃いが焦点を当てる君。」
「あなたは、好いのかしら?」
オレンはクレメンタインの言葉を図りかねる。果たして何について聞かれたのか、よくわからなかった。だがしかし、かといって、このクレメンタインの問いに、何も答えないのは一番マズイと考えた。
「…はい。お願いします。」
咄嗟に言ったその言葉が何を意味するか、オレンは理解できていない。しかしその言葉を受けて、クレメンタインはオレンに手を差し伸べた。
その手を見てオレンが真っ先に思ったのは、(触れることが許されるのか?) だった。(いやでも、逆に手を取らないなんて許されるのか?) という考えが続いて浮かぶ。二つの相反する考えが衝突する中、騎士は再びクレメンタインの元に戻ってくる。(ひょっとしたら、あの赤髪の騎士は許さないかもしれない。) そんな考えが浮かんで、今しかないチャンスを前に、オレンはクレメンタインの手を取る決断をした。
しかしこれは逆説的にみれば、クレメンタインの差し出された手を取らない選択などあるはずもなく、オレンはクレメンタインに導かれ火竜亭を出て行った。
火竜亭の外には細身の男と酔っぱらいと、そしてもう一人の男がいた。そのがっしりした体格の和装の剣士は、同郷と思われる陸奥が持つ柔らかさとは対照的に、屈強な剛の剣士の印象を受ける出で立ちだった。
「ほう、報告から受けた印象より、随分と洒脱がきいておるな。」
「いえ、この人ではありません。いつもの御心に触れた求道者ですよ。」
酔っぱらいを挟んで気楽に会話をする二人は、クレメンタインが現れると態度を変え畏まった。オレンはここで初めて、この三人が火竜亭を内と外で固めてクレメンタインを警護していたのだ、と気づいた。今まで見てきた勇者パーティーは、同じ志を持つ仲間にみえたが、クレメンタインと三騎士は、姫と足元に傅く従者にみえた。そして、勇者クレメンタインがそれだけの存在であるということに、疑う余地はなかった。
「参ります。風よ、とびなさい。」
皆が揃うと同時に、クレメンタインはそう言って移動魔法を発動させた。
移動魔法とは本来、自身と精々同行者を運ぶ魔法である。勇者パーティーで行動する場合でも、各自が魔法もしくは魔子回路で発動するのが常だが、クレメンタインの移動魔法は六人を一度に運ぶ。これは偏に、クレメンタインの魔素の膨大さによるもので、単純な魔子の強大さが、そのまま出力の大きさに繋がっているのである。
強力な移動魔法はオレンがかつて体験した魔法より速く、なおかつ空を滑空する身体をやさしく包み込む。空を飛ぶクレメンタイン一行の向かう先は、勇者教団の総本山である宗教都市キンプーサだった。




