第31話 勇者様、仲間にぐぬぬと言わせる
アンシアとヒナの意外な繋がりは、オレンを驚かせる。二人の間に何があったのか、それはとても好奇心を擽られる。少なくとも、親友の様に噛み合う二人ではない事は容易に想像できた。
「オレンちゃんはさ、ヒナの嬢ちゃんの魔法ってどう思う?」
「俺の勇者の師匠はよ、『魔法の修練とは、精霊との相互理解』ってよく言うんだけどよ、ヒナの嬢ちゃんの魔法は、修練で辿り着くもんじゃねーと思うんだよな。何でか知らねーけど、反属性無視してんのも意味わかんねーし…。」
「なんつったらいいのかな、あの最強勇者クレメンタインの強さってのは魔子の強さ、魔素のデカさなんだよ。それもまあ、十分ヤベーんだけどさ、ヒナの嬢ちゃんは、強さやデカさ関係なく、エレメントに何でもやらせちまうってヤバさなんだわ。」
「…何でも…。」 オレンは、固唾を飲む。
「そ、何でも。ナハハ…。」
「…で、アンシアは、そんな稀代の天才と、魔法学園で一緒に過ごしたわけだよ。」
「特別な存在だと周りから期待されて、自分でもそう思ってる、そんなお姫様の前に、世界を丸ごとひっくり返す存在が現れて、相当なショックだったと思うぜ、実際。」
「んで、そんな学園生活の中でも、決定的な出来事になったのが、学園最後の模擬戦だったんだ。」
オレンには、その「最後の模擬戦」に心当たりがあった。昨日、魔導院で見た映像を思い出す。
「その模擬戦は、見たことがあります。」
「そうか? なら話は、はえーや。あの模擬戦はさ、ヒナの嬢ちゃんの魔法は手が付けられないんで、直接攻撃を禁止にしたハンデ戦だったんだせ?」
「…なのに、手も足も出ず一方的にやられちまったからな…。
「流石のお姫様も、自信を喪失しちまってさ。塞ぎ込んじまってたとこを、カラダリンの旦那が口説き落として、ウチに連れてきたんだよ。」
本来、手が届かないような存在の勇者にも、人並の苦悩があるのを知り、オレンは考えさせられる。しかし考えてみれば、それは誰にでもあって、たとえ勇者であっても逃れられない当たり前のことだった。でも、そんな当たり前に対して何と言っていいか、わからなかった。
「…ま、それでもな、自分の中で区切りを付けられれば、諦めはつくもんなんだよ。」
「一つの事で負けても、他の事で勝てばいいってな。アンシアがああいう感じなのは、カラダリンの旦那の期待に応える為、無理して背伸びしてんだ。」
「可愛らしいだろ?」
ハックナインからは何とも言えない笑みが漏れる。そして、ようやく核心に触れる。
「勇者ってのはさ、能力と功績を認められて勇者教団から正式に任命されて成る奴と、その任命された勇者から同じ特権を授与されてる奴がいるんだわ。」
「俺もアンシアもカラダリンの旦那からの授与勇者。おんなじ勇者でも、ま、半人前なんだわな。」
「んだもんで、アンシアはさ、新しい目標として、正式な任命勇者になること、を目指してるわけよ。」
「なんとしても、ヒナの嬢ちゃんより早くって意気込んでたんだ、けど、な…。」
ハックナインは、そう言ってチラリとオレンを覗く。その視線を受けて、オレンは目を下げる。続きを聞かなくても、その言葉の続きをオレンは理解した。様々なことが重なって起きている事の一端、いやむしろ勇者たちからはその中心にいる、と誤解されている自覚がオレンにあった。
でもそれは、偶然見つかったアイリスケリュケイオンにしても、植物金属ハーペリアにしても、良かれと思ってやったことで、それが原因で人を苦しめるとは思いも寄らなかった。そんな理不尽といえる罪なき罪が、オレンの心をちょっぴりつねる。
「…でもな、俺はオレンちゃんに寧ろ感謝してるぜ、アンシアにはわりぃけどよ。これきっかけで一回、肩の荷降ろして、もちょっと気楽になってくれりゃあな。」
「まあ生憎と今の調子じゃ、まだまだ時間が掛かりそうだけどな…。」
ハックナインのその言葉は、オレンの罪悪感を拭う。オレンにも、カラダリンやハックナイン、ましてやアンシア本人ですら、自分に謝罪して欲しいのではないことはわかる。しかし、ならどうして、今日カラダリン邸に招かれたのか? という疑問が頭に浮かぶ。この他愛ない疑問を、今ここで聞いても良かったが、なんとなく、それを知っているのはカラダリンだけな気がした。最後に、ハックナインはこう付け加えた。
「俺が言ったら師匠に怒られるかもしんねーけどよ、エレメントとの相互理解、お姫様には俺以上に、難しい事なのかも知んねーな。」
ハックナインとの会話が終わる頃、馬車は明かりが灯る火竜亭の前に到着した。オレンは、馬車の皆に別れを告げ、帰路に就く。今日の塩の天秤の人たちとの出来事は、昨日とはまた違う影響をオレンに与えた。オレンが思っていた以上に、ヒナは途轍もない勇者だとわかり、本当に自分が関わったりしてもいいのか、昨日したばかりの決心に迷いが生まれる。
わずか数日の間に起きていることの全てについて、オレンに知る術はない。数々の勇者たちの思惑が絡み合った、巨大な迷宮の中に入り込んでいる自覚など毛頭ありはしない。故に、巨大迷宮が生み出す迷いの霧に惑わされてしまうのを、オレンの男としての弱さのせいだけにはできないが、それでも、オレンはせめて、自分の気持ちに正直であろうと想う。たったそれだけの単純な想いと、そして手元にある翡翠の指輪が、決意をくらます迷いの霧を払い除けた。
しばらくして、宵闇の帰路の中ふと気づく、ヒナと出会って以来、なんだかんだで毎日会っていたのに、今日は一度も会えていないことに。
その日の真夜中、オレンは中々寝付けずにいた。明日が休息日で市場が閉まっていることもあったが、それよりも色々なことが気になって眼が冴える。そうは言っても、夜にできることは少なくて、作業部屋の机の上に、母の日記を開き読み始めた。
母の日記の内容は、これまでと変わりなく日々の生活の記録が主だったが、ぽつぽつと御伽噺のような話が日常になぞらえて添えてある。それは、精霊が支配する魔法都市や、全てが眠る茨の城、ノームとフェアリーが住むという聖なる山嶺、などを舞台とした、どこかで聞いたことがあるような御伽噺を切り取ったような物だった。以前のオレンなら、特に気にも留めず信じることもない内容だったが、その中に紛れていた植物金属ハーペリアの話は本当だった、という事実が、そういった内容にこそ目を留めさせた。それからしばらく読み進めた中のあった一節が、オレンの心を強く打つ。
”今日は、オレンとミーヤが喧嘩をした。普段は仲が良いのに、喧嘩を始めると、昔話の水竜と火竜みたいなんだから。オーシュに原因を聞いたら、竜の喧嘩にしては理由はとても可愛くて、お隣のシュレちゃんとミーヤが仲良くしていたら、オレンがやきもちを焼いて意地悪をしたせいなのだそう。
本当にオレンたら、お兄ちゃんなのに、しょうのない子。でもきっと、明日には仲直りできるよね。それとも、喧嘩したことも忘れているのかしら。オレンとミーヤにはいつまでも仲良しでいて欲しい。私はもう、お母さんと仲直りすることも、会うことすら叶わないけれど、もし、もう一度会えるなら、今はとっても幸せです、と伝えたい。
喧嘩して壊れてしまうこともあるけれど、たとえ欠片でも、それでも残った壊れないものを大事にして欲しい。水竜と火竜が喧嘩して、火竜の炎で灰となった宮殿の、それでも燃やせなかった水のラピスラズリのように。”
オレンは読み終えるまで、時が止まったかのように呼吸するのを忘れた。そして、思い出したように深く息を吐き、少しでも心臓を落ち着かせようとする。ここに書いてある喧嘩が、これまで幾度とあったミーヤとの喧嘩のどれなのかはオレンにはわからない。そんなオレンを激しく動揺させたのは、その先の理由の方にあった。
「俺、昔はシュレをそんな風に想ってたのか。」
そんな呟きが自然と口から出てくる。小さな村の幼馴染の女の子にどれほどの恋心があったのか、今となってはその心を計りようもない。ましてや、今のシュレとショーゴの関係を知った上で、そこに割り込むような衝動をオレンは持っていない。
でももし、六年前の魔族侵攻がなかったら、両親が死んだりしなかったら、そんな取り留めのないもし、が溢れてくる。そんな纏まらない思考の中に、母親の想いと、母親の母親に対しての想いが入り込む。複雑に混ざりこんだ想いの記録は、知って良かったと思わせる反面、知らない方が良かったという、とても矛盾した感情を表と裏でぴったりと貼り合わせる。
これまで、オレンにとって祖母に当たる人の事を真剣に考えたこともなかったが、この母親の想いは、思考が壊れそうなオレンの奥深くに刻まれた。




