第30話 勇者様、明日でいいなら今日はやめようと進言する
子供たちを連れて戻った孤児院の広間には、素朴な積み木のおもちゃなどがそのまま散乱し、テーブルの上には手製の絵本が乱雑に置いてあった。その珍しい絵本は、表紙にカラフルな動物の絵が描かれ、子供が書いたような字で、「さんかくうさぎ」、「まどぎわのカエル」などといった、かわいらしい題名がついていた。おもちゃを広げたまま戻ってきた子供たちに、出迎えたマオレが呼びかける。
「あらあら、あなたたち、遊んだ後はちゃんと片付けしなさい。」
「いいわね?」 「「「はい! マザー!」」」
マオレの声に、子供たちは素直で元気な返事をすると、ガチャガチャと分担しておもちゃの整理を始めた。そんな風景を横にしてハックナインがマオレと話す。
「なあマザー。あのよ、昔いたヒナって嬢ちゃんの事覚えてる?」
ハックナインの問いかけに、マオレはとても懐かしそうに語り始めた。
「ええ、とってもよく覚えてる。」
「あなたがいたのと同じ頃、姉妹で一緒に来たお姉さん。二人ともよく目立つピンクの髪で、可愛らしい仲の良い姉妹だったわね。」
「お姉さんの方は、なんていうか、こうフワフワとした綿あめのような子で、妹さんの方が、とてもしっかりしてた。」
マオレの言葉は、オレンに子供の頃のヒナの姿を想像させる。今と変わらない雰囲気を子供の頃からまとっていた様子は、オレンを少し可笑しくさせた。
「このオレンのあんちゃんにさ、その話詳しくしてやってくんね。」
ハックナインはそんなオレンの肩を軽く叩いて、マオレに促す。
「あらあら、でもね、あの子たちは、ここにはそんなに長く居なくてね。ここで暮らしたのは、ほんのひと月ほど…。」
「あの姉妹は二人とも魔法がとても上手に使えて、すぐに特待生として魔法学園に二人揃って迎えられたの。」
「そう思っていたら、少し前に勇者になったって聞いて、とてもビックリよ、まだとても若いのに。」
「でもそれも、あの子には当たり前のことだったのかも知れない…。」
「…そうね、とても印象に残っていることがあるの…。」
「ある日のまだ薄暗い朝早く、誰もまだいないはずの厨房から、香ばしいパンの焼ける香りが漂ってきて、不思議に思って食堂に降りていったの。そうしたら、信じられない光景を見たのよ。」
「そこには、自分でリズムを取って中身をかき回す大なべと、それに合わせて踊るように食器が並んで、そこから立ち上る湯気と香りからは音楽が流れてくるような、まるで夢の中の舞踏会みたいな光景が広がっていたの。」
「そしてその中心には、あの姉妹が仲良く並んでいてね。」
「本当に、それは天使のような姿だった…。」
「後にも先にも、あんなに鮮やかで、そして温かみのある魔法、見たことがない…。」
今に繋がるヒナの話が聞けて、オレンは何とも言えない気持ちになる。ヒナが六年前の魔族侵攻で、自分と同じように孤児となっていた事実に、改めて実感が湧いてくる。その思ってもみなかった共通点は、オレンに親近感を湧かせるが、一方で、ヒナは数ある魔法使いの中でも特別な存在であることをわからせる。そんなオレンを横にして、マオレは続ける。
「…でもね、私が今までで一番ビックリしたのは、ハックナイン、あなたが勇者になったって聞いたときよ。」
マオレはそう言って、ハックナインの肩を両手で優しく叩く。
「…俺は、カラダリンの旦那の酔狂で、勇者やってるようなもんだから…。」
ハックナインは、マオレの言葉に顔をそむける。それは、これまでの印象とはまた違う、とてもわかりやすくあからさまに照れている、子供っぽい姿だった。
各地の孤児院から旅立つ者の道は様々である。ヒナの様に突出した魔法の才能があれば、王国の目に留まり、魔法学園への入学が許されることもある。しかし一方で、例えばミーヤ程度の平凡な才能であった場合、身寄りのない子供に対して、特別な援助が与えられることはほとんどない。
そして、魔法を使えない殆どの者は、自立して生活するために手に職をつけ、ユーザなどの都市で労働者となる。カラダリンがルガーツホテルを手に入れた理由は、正にそこにある。ホテルとは、人が生きる上で必要な構成要素を結集して運営されている。彼らは、ルガーツホテルで働いている者もいれば、外部から商品を持ち込む出入り商人や職人の見習い、又は上客の元で働く召使いなど、多種多様な環境に身を投じている。彼らの多くが、何らかの形でルガーツホテルを経由して、結果的にカラダリンと繋がっている。カラダリンが孤児院を支援する理由は、正にそこにある。
「さあそれじゃあ、せっかくだから少し早いけれど、みんなで夕食にしようかしら。」
マオレは子供たちにそう話す。確かに、日は赤くなりかけていたが、夕食には早く感じる時間だった。しかし、小さな子供を多く抱える施設なら、食後の世話もあるだろうし、そもそも就寝時間も早いだろう。何よりそれは、オレンたちの都合を気遣っての事だったかもしれない。
「おーし。当然、オレンちゃんもいいよな。」
マオレとハックナインに誘われて、断る理由などオレンは持っていなかった。
オレンたちは子供たちと食堂へ向かった。厨房ではラベーニと、彼女を手伝う年長の追いかけっこには参加しなかった子供たちが作業をしていた。食事は出来上がっている様子で、年少の子供たちも普段通りの慣れた手つきで、配膳を手伝う。オレンも何かやろうとしたが、なにをどこにどうするのか、逆に子供に教えてもらっていた。
孤児院での食事はとても盛り上がった。子供たちとの追いかけっこのおかげで、オレンは子供たちに簡単に受け入れられ、色んなことを聞かれたし、色んなことを教えてもらった。ハックナインの英雄譚と恥ずかしい昔話や、子供たち一人一人の将来の夢、本当はエンビーという名のもう一人のメイドの作る料理の方がおいしい、という極秘の内緒話など、それはそれは、ここでしか聞けない貴重なものばかりだった。
食事も終わり、片付けを終えてすぐ、オレンたちは孤児院を後にする。マオレとオレンは馬車に乗る前に、別れの挨拶をした。
「今日はありがとうございました。手伝いに来たのに、逆にお世話になっちゃって。」
「またいつでも来て、オレン。あなたももう、ここの家族よ。」 マオレはそう言って、強引に丸い身体でハグをした。
ほんの数刻前、何もわからず来た時には、まったく想像できなかったここでの体験は、オレンにとって忘れられないものとなった。大勢の子供たちと触れ合って、ハックナインと知り合って、マオレにはその姿とは全く似ても似つかない実の母親を感じた。
ここには本物の家族の暖かさがあった。孤児となった子供たちが、六年前失ったはずのものが、見事に甦っていたのだ。オレンには、カラダリンの戦略や思惑が全て見えているわけではない。それでも、彼の力によって実現しているものをまさに体験して、彼を勇者として心底、尊敬し信頼できる人物だと思うようになった。
馬車は二人と一匹を乗せてカカミへ向かう。その道中、すっかり気心の知れたハックナインとの会話は弾む。その中で、オレンはカラダリン邸で気になった、ある事を聞いてみた。
「あのさ、ハックナイン。俺さ、ひょっとしてアンシアさんに、嫌われてるのかな?」
オレンにとって、それは少し聞きづらいことだった。ほんの些細な事で、自分が感じた不安感、というより違和感に近いものでしかなく、口に出さない方が良い事なのかもしれない。しかし、ハックナインと仲良くなれたこともあり、出来ることなら友好的な関係を塩の天秤とは作っておきたい気持ちから出た話題だった。
「あー…。その、なんだ、アンシアは、オレンちゃんが気に入らねーんじゃ、ねーんだよ。」
ハックナインは、少し歯切れが悪く、言っていいのか悪いのか迷っている様子だった。
「俺の気のせいなのかな? なんか凄いピリピリする空気を感じたんだけどな。」
「んー、まー。アンシアの冷たい目は、未だに俺にも向けられるけどな…。」
「逆にそれが、魅力、みたいな? ナハハ。」
ハックナインは、苦笑いしてはぐらかそうとする。しかし、少し間を置き考え、笑みを消して語り出した。
「でもまあ、これは多分、俺からオレンちゃんに言うべきことなんだろうな。」
ハックナインは、含みを持つ言葉で話す。その意味はつまり、カラダリンはそのつもりで俺に任せた、とハックナインは理解していることを指している。
「…アンシアは、結構な名家の生まれでよ、家柄に加えて魔法の才能にも恵まれて、さらにあの見た目だろ? 生まれた土地じゃ「雪の妖精」なんて呼ばれてさ、そりゃもう、お姫様みたいに育てられてたらしいんだわ。」
アンシアの出自はオレンを納得させる。あのアルビノの白い肌の輝きから受けた第一印象は、まさにそんなおとぎの国のお姫様だった。
「んで、そのお姫様は、当たり前の様にエリートの集う魔法学園にお入りになったんだけどな、そこで同じ年に入ったのが、ヒナの嬢ちゃんだった、ってわけだ。」
ハックナインの最後の一言は、この日二度目の衝撃をオレンに与えた。




