第28話 勇者様、今日は外に出ないと決める
人の心は本能的に調和を求める。面白い時に笑う、怒った時に大声を上げる、悲しい時に涙を流す、これらの行為は、不安定な感情を発散させることで心を安定させる生理現象に過ぎない。
カラダリンはその本能を利用する。カラダリン邸の客間の広さは開放感を、シンメトリーの内装は安心感を与え、今回オレンに使用したカモミールの香りにはリラックス効果と、リンゴに似た香りが親近感を湧かせる。精巧な技術と精度の高い採寸が織りなすこの広間の正体は、裁縫師のアトリエ。ボタン一つに至るまで丁寧に、ただその一時の為に縫われた生地を、客人が纏うことで芸術品として完成させる縫製工房。当然のごとく、その特別な衣装に袖を通す事が許されるのは、ごく限られた人間だけである、本来ならば…。
オレンが羽織る心理の衣は、カラダリンの洗練された技巧によって、思うままに装飾される。それは本来ならば、カラダリンの好みに合わせて仕立てられるはずのものだが、今回は少し毛色が違う。いつもの好みと異なる仕上がりに、アンシアは疑問を抱くが、カラダリンが何故そうしているかまでは分からない。一方のカラダリンは頃合いを見計らい、沈黙を破って話を進めだした。
カラダリンが始めた話は、ルガーツホテルでのオレンのリンゴの評判、その他の素晴らしい食材の数々、客の好みのトレンドなどオレンにとって有益な情報がいくつもあった。その一方で、婦人が付ける香水の重ね付けの意味、旅先で出会った亜人種が持っていた独特の文化、遥か東の国で見た踊り子の美しい舞踊、等々何の役に立つのか分からないような話もあった。そんな多種多様な話はどれも、聞き手を飽きさせない刺激的な話ばかりだった。時間が経つのも忘れ、オレンはすっかりその場の居心地の良さに浸っていた。
「…さて、すっかり話し込んでしまいましたが、お時間はいかがですか?」
楽しい時間を過ごした後、一息入れるようなカラダリンの問いかけに、オレンは現実に引き戻される。日はまだ高く、時間的には問題はなかったが、長居する理由もない。その返答に少し迷っていると、カラダリンは先に口を開いた。
「…そうだ、では、今日の最後の戯れに、一つ問題を出しましょう。是非、お付き合いください。」
カラダリンは何かを思いついて身を乗り出すと、円卓の果物籠からリンゴを二つ取り出した。
「それでは、問題です。今、この円卓には私と、アンシアと、オレンさんの3人がいます。そしてここにはリンゴが2つ。さて、あなたなら2つのリンゴを3人にどう分けますか?」
唐突な脈絡のない問題は、これが何か頓智のようなものであるように感じさせる。オレンは少し考えたが、直観的な閃きがよぎり、深く考えずに答えを出した。
「…そうですね。私だったら、お2人に1つずつ分けます。」 そう言って開いた両手を押し出す。
「…つまり、自分は何もいらないと?」 カラダリンはオレンの答えを問う。
「いえ、いらないというか…、リンゴだったら家に売るほどあるので…。」
オレンのその答えは、オレン独特のものだったが、納得できる合理性を持った簡潔なものだった。
「…なるほど、素晴らしい答えですね。いや本当に、これ以上ない解答です。」
「…と言うよりも、こちらがつまらない問題を出してしまいました。私の考えが足らず申し訳ありません。」
そうオレンの答えを評価しながら、自嘲して話すカラダリンは続ける。
「折角の楽しい場だというのに、私の軽率な考えで不快な思いをさせてしまいました。心よりお詫び申し上げます。」
問題の意図が最初からわからないオレンにとっては、軽率な考えにも、不快な思いにも、何が何だか分からないのだが、それより分からないのはカラダリンの過剰な謝罪だった。この謝罪の意味が掴めず焦るオレンの視界の外で、隣のアンシアは最初に感じた忌避を向けていた。
「このお詫びに、心よりの贈り物を差し上げたいと思いますが、いかがでしょう?」
過剰な謝罪に重ねて、過剰なお詫びを言い出すカラダリンに、オレンは益々当惑する。
「えっと…、ちょっと待ってください。そこまでしてもらうようなことは…。」
狼狽えるオレンの返答に、残念な表情でカラダリンは応える。
「…そうですか。では、こうしましょう。オレンさんをある場所にご招待します。」
「ご心配には及びませんよ、ここからそれほど離れていませんし、お帰りの際は、そのままお送りさせていただきます。」
「どうでしょう、騙されたと思って行ってみませんか? 貴方にとって、とても重要な意味を持つ場所だと保証しますよ。」
カラダリンの奇妙な妥協案は、隠し切れない何かしらの意図を感じさせる。オレンも分かってはいたが、贈り物を断った手前、この提案まで拒否するのは失礼な気がした。なにより、あのカラダリンが、重要な意味を持つ場所、という怪しげな誇張表現を使ってまで行かせたい場所に、少なからず興味を持った。
「…では、それならば、お受けします。」
その言葉を聞いた途端、カラダリンのギアが一つ上がる。まるで商談が成功した商人の様に、いや正にその通りなのだが、速やかに仕事に取り掛かる活気と気迫に溢れる。
カラダリンは強く手を二回パンッ! パンッ! と叩いた。
「ハックナイン! お仕事ですよ、さあ、起きて!」
カラダリンの張り上げた声に、先ほどまでピクリともしなかった、向こうにいる黒ずくめの男と犬が起き上がった。その出で立ちから、もっと年を取った男だと思っていたが、始めてみたその顔は意外と若々しかった。
「…へ~い。」 ハックナインは力なく応え、犬と共にカラダリンの横まで歩み寄る。
「それではオレンさん。行き先の案内はこのハックナインが務めます。外に馬車を用意させてありますので、そのままどうぞ。」
「ハックナイン、それではお願いします。」
カラダリンの言葉に応じて、ハックナインは今度はオレンの横まで歩み寄る。
「どうぞこちらへ。」
彼は礼儀は正しいが、カラダリンのテンションと比べると、冷めた言葉でオレンを導く。オレンは立ち上がり、笑顔のカラダリンに一礼すると、ハックナインと犬の後を付いて客間を出て行った。
出て行く二人を、カラダリンとアンシアはただ見送っていた。しばらくして場の空気が鎮まった中、アンシアは冷めた言葉でカラダリンに尋ねた。
「…あのリンゴの問題はなんだったんですか?」 その質問は、それが予定外だったことを示唆した。
「そうですね。あれは失敗でした。あんな簡単な答えに至らないとは、私もまだまだですね。」
苦笑いが混じるカラダリンの答えに、アンシアは納得がいかない。
「では、どんな答えが正解なのですか?」
「アンシアはどう答えますか?」 カラダリンは間を置かず尋ね返す。
「私なら、リンゴ1つを3つに切るのは難しいので6つに切ってから、3人に4切れずつ分けます。」
アンシアの答えは、極めてオーソドックスで合理的なものだった。
「そうですね。アンシアならそう答えると思っていましたよ。」
「万が一、彼を殺して2人で1つずつ分ける、などと言い出したら、どうしようかと思いました。」
カラダリンが苦笑しながら話す応えに、アンシアは少しむきになる。
「茶化さないでください。私の答えは正解なんですか?」
「では、何故アンシアはその答えを出したのですか?」 カラダリンは間を置かず尋ね返す。
「それは、3人に平等にリンゴを分ける最も合理的な手段だからです。」
アンシアは自分の答えに自信を示す。しかし、カラダリンはその自信に疑問を呈す。
「…さて、本当にそうでしょうか?」
「では誰がリンゴを切り、取り分けるのです? そもそも、その算段を立てたのは誰?」
「誰かが特別な仕事をしたのに、報酬が同じならそれは平等とは言えないのでは?」
カラダリンの指摘は、問題の単純さからみると理外のものだったが、商人という立場からすると、極めてオーソドックスで合理的なものだった。
「…。それなら…」
アンシアは、そう言いかけて言葉に詰まる。(仕事分の報酬を貰えばいい) と続けたかったが、ではどの仕事にどれだけの報酬を与えるのか、この問題が、そんな誰にも平等で不平不満の出ない丁度いい割合を定める性質の問題ではない事に気づいたからだ。そんなアンシアの気付きをカラダリンは見透かして話す。
「この問題は、答えではなく、答えによってどんな結果を得るのか、を問うているのですよ。」
「リンゴはあくまで、虚像。…なのですが、まさか虚像と実像をひっくり返してしまうとは、予想外でしたね。」
カラダリンからはいつの間にか笑みは消え、アンシアにとても優しく教え導くように話し、続ける。
「…ですが、私の答えは予想外の彼と同じです。」
「私はリンゴ農家ではありませんので、彼とは理由が全く違いますが…。」
「ひょっとしたら、同じ答えである彼は私と、同じ結果を得ることになるかもしれませんね。」
カラダリンの答えを知ったアンシアは、答えが分かっても理由が分からない事を歯痒く思う。オレンの全く預かり知らないところで生まれたこの理不尽な嫉妬は、カラダリンにとってもう一つの予想外のものだった。




