第26話 勇者様、二度寝する
カラダリン邸の客間は広かった。大商人の屋敷だけあって立地もよく、馬車を保有し、庭園もある。しかしそれはあくまで個人所有の家として立派という話であって、王城を改装したルガーツホテルの様な建物とは比べ物にはならない。それにも関わらず、お城の客間に匹敵する広さがカラダリン邸の客間にはあった。屋敷全体の作りから見ても不自然なほど広く作ってある客間は、特別な空間にいる一種の優越感を感じさせる。
客間はとても調和のとれたシンメトリー構造で、左右同じように長テーブルと長椅子が配置され、大きなガラス窓からは、よく手入れされた庭園の景色と日光が差し込み、客間を明るくさせる。その日差しが芳香を放つかのように、部屋全体をカモミールの甘い香りが覆う。そして、部屋の中央には大きな円卓があり、純白のテーブルクロスが敷かれ、その上には籠に入った幾つかの果物と、彩に花が添えてあった。
「オレンさん、どうぞこちらに。」
と、青い目が印象的なカラダリンは、円卓の向こうから笑顔で招く。全身を包むゆったりとしたローブの上から、装飾された大きな肩掛けをしている姿は、恰幅の良い長いひげの商人が似合いそうな装いだが、細身の端正な顔つきの若者がすると、また別のファッションスタイルのように見えてしまう。
オレンは、カラダリンに促され、中央の円卓まで歩み寄る。すると、円卓にはもう一人、カラダリンの右側にオレンと同い年ぐらいの少女がいた。少女は深紫のグラデーションで染められたマントの様なローブを身にまとい、その姿は修道女の様だったが、それよりも目を引くのは、ローブから覗く白い肌だった。なぜならば、その肌は余りにも白過ぎたからである。いや、正確に言えば、彼女には白く無いところがなかった。先天的アルビノである彼女に、そんな知識のないオレンは悪気なく、奇異の視線を向ける。その視線が合った瞬間、睨み返されたような気がして、オレンは自分の視線が無遠慮だったと気づき、眼を逸らした。
「初めまして、オレンさん。私は『塩の天秤』のカラダリンと申します。以後、お見知りおきを。」
そんなオレンの心の隙を突くように、カラダリンはハッキリとした声で丁寧な挨拶をする。
「そしてこちらはー。」 そして同じことを隣の少女に促す。
「こんにちは。『塩の天秤』のアンシアです。よろしくお願いします。」
カラダリンの真似をするかのような挨拶には、先ほど感じた忌避はなかった。
「そしてもう一人、あちらにー。」
カラダリンはそう言って左手を上げる。それに釣られてそちらを見ると、その先には、向こうの長椅子に横たわる人影があった。黒ずくめの格好で、黒い帽子を顔に被り寝ている。長テーブルには、酒瓶と小さなグラスが二つ並ぶ、そのうち一つは空で、一つには酒が残る。更にその足元には犬が蹲っていた。その犬は、短毛の黒毛で口と足と尻尾の先が白い、走れば速そうな引き締まった体の犬だったが、オレンに対して何の反応も見せなかった。
「…まあ、あちらは放っておきましょう。」
と、カラダリンは苦笑いし、手を下げた。それを受けて、オレンも自己紹介をする。
「ミカビ村のオレンです。本日はお招き頂きありがとうございます。」
そう言って頭を下げる。まだ、なぜ招かれたかもわからないが、相手の過ぎた持て成しに、オレンは出来る限りの礼で返した。お互いに挨拶をし椅子に座ると、カラダリンは笑いながらしゃべり出す。
「いやぁ、お恥ずかしい話ですが…、昨日は失敗しました、ハハハ…。」 そう言ってカラダリンは頭をかく。
「実を言うと、前々から一度貴方と会って話をしてみたいと考えていたのですが、一足早くフクロウさんに先を越されてしまいました。」
「いやはや、商人が行動力で他に後れを取るようでは、もはや年老いた野ネズミと一緒ですね。」
自嘲しながら話すその告白に、オレンは少し呆気にとられる。昨日のコハクフクロウとの出会いの裏で、自分を巡って勇者同士でそんな駆け引きがあったという事など、にわかには信じられなかった。唖然とした表情を隠せないオレンを、アンシアは確かに捉え、カラダリンも分かってはいる様だったが、意に介さずに話を続ける。
「これは言い訳になってしまいますが…、昨日はどうしても成功させたい商談がありましてね。」
「まあ、ネズミはネズミなりにせっせ、せっせと、王国内はもちろんのこと、西の国々から東の帝国に至るまで隈なく駆けずり回っては、さらには魔界にも忍び込んで天敵の目を盗んでチョロチョロと…。」
オレンにとってよく見えてこない苦労話を、カラダリンは楽し気に話し出す。その様は滑稽ですらあり、オレンに笑みを招いた。
「…そうしてやっと、手に入れたのです。この『神器』を。」
それは、カラダリンの手元に最初から置かれていた。円卓を飾る骨董品の様に思われたそれは、山羊を模した木製の台座に安置された金色の角笛だった。オレンにとってそれは、確かに黄金でできているなら大変な価値があるだろうとは思わせるが、芸術的な価値などわからず、そもそも、なぜ自分にそんな話をするのか理解できなかった。
「それは、おめでとうございます。」 オレンは分からないなりに、話を合わせる。
「ありがとうございます。」
カラダリンはオレンの言葉に笑顔で応える。しかし、対照的に隣のアンシアはオレンの無知な気遣いを見透かすかのように、蔑みの視線が混じる。それは、カラダリンも分かってはいる様だったが、意に介さずに話を続ける。
「しかしですね、商人の悪い癖でどうしても、逃がした魚と大きさを比べてしまうのですよ。」
「この『黄金のショファル』と『植物金属ハーペリア』。果たしてどちらが価値があるのか、と。」
微笑みながら話すカラダリンの澄んだ言葉は、オレンの首筋を撫でた。この問いは、招待された時点で、予感はしていた。勇者である彼らの耳が早いことは、昨日分かっていたし、自分を呼ぶ他の理由を考える方が難しい。ただ、植物金属ハーペリアの実物をオレンは知らない上に、目の前にある神器といわれる黄金のショファルにどんな価値があるのかも分からない。特によい考えも思いつかないオレンは、一呼吸おいてそれから、素直にカラダリンに聞いてみることにした。
「…。この黄金のショファルという神器はどんなものなのですか?」
オレンの質問に対して、カラダリンは微笑みながら応える。
「…そうですねぇ。」
「ああ、そうだ。その説明はアンシアにして貰いましょう。」
この思い付きはカラダリンを微笑みから笑いに変えるが、それに反してアンシアを困らせる。一瞬眉を寄せ嫌な表情を見せたがすぐに戻り、何事も無くアンシアは話し始めた。
「…それではまず、『神器』とは何か、から説明します。神器とは魔法が込められた天然の魔石や、古代の遺物を指す総称です。」
「これらは神々の祝福により賜ったもの、あるいは滅亡した王国の叡智が込められたもの、と言い伝えられ、発見された神器の力は、時として現代の魔法技術を凌駕します。」
「この神器の原理を解明しようとする試みから、魔子回路が発明されました。魔子回路の内部は、魔法の術式を再現するために、六属性エレメントを制御するための魔石が複雑に組み込まれています。この技術を利用することで術式を編むことなく、魔法の効果を得ることができます。」
「そして、この『黄金のショファル』のような未だ再現できていない魔法が込められた古代遺物は、それ一つで城と同じ価値があると言われ、入手はもちろん発見するだけで一大事となります。」
アンシアは淀みなく、とても明瞭に話す。その話し方の所作、言葉の聡明さだけで、カラダリンが隣に置き重用する理由がわかる。
「はい、大変よくできました。とても分かりやすい説明ありがとうございます。」
カラダリンは笑顔で褒め称え、拍手する。オレンも釣られて拍手するが、その拍手はアンシアの機嫌を傾ける効果があるようで、それは心当たりのない風当たりの強さをオレンに気付かせる。アンシアとは初対面であることは間違いないはずで、原因があるとすれば、最初の挨拶での視線ぐらいしか思いつかない。(それほど失礼だったかな?) と反省しつつ、同時に(そんなに怒ることか?) と腑に落ちない感情が入り混じり、オレンを混乱させた。そんなオレンの不安と、アンシアの不機嫌さなど差し置いて、カラダリンは思わぬ提案をする。
「では折角ですので、この黄金のショファルの魔法効果をお披露目をしましょう。」
何故か上機嫌のカラダリンのその言葉は、オレンとアンシアを驚かせた。




