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勇者様は裏切らナイ  作者: 世葉
第一幕 約束の指輪
33/106

第23話 勇者様、月から降り立つ

 ショーゴと別れると、外はもう日が落ちていた。オレンは仕方なくカカミまで夜道を歩くことにする。ユーザの街の賑わいから離れて、しばらく歩くにつれ、静寂と暗がりが近づいてくる。オレンはその中で、今日の月光の明るさにふと気づき、歩きながら空を見上げる。そして、何気なく見上げたその月の中に、箒に乗った人影をみつけ、オレンは足を止めた。

 それは、とても幻想的で言葉を失うような光景だった。深い夜の闇の中心で、ぽっかりと浮かぶ満月が水晶のような銀色の光を放っていた。その月の輪郭をかすめるように漂う影は、一目でそれと分かる藍色のローブをまとい、銀の光を帯びてきらめくピンクの髪が流れ、揺れるたびに冷たい輝きを放っていた。

 影は、まるで妖精のように軽やかに飛び、月の光を浴びて美しく舞う。月を滑るように飛ぶその姿に、オレンの目は釘付けになり魅了された。


 直線的な軌跡を描いていた影が、その軌道を変えて、美しい円弧を描いてこちらに向かってくる。そして、ただ立って見惚れていたオレンの前に、その影は降り立った。

「こんばんは。」 その声は紛れもなくヒナのものだった。

「こ…、こんばんは。」

 他にも言いたいことは山の様にあるのに、あまりのことにオレンは挨拶を返すことしかできなかった。少しの間のあと、やっと言葉が浮かんできて、それを発しようとした矢先、口火を切ったのはヒナの方だった。

「丁度、あなたの家に行こうと思って。」 「どうして?」

 ヒナの唐突で突然な言葉に、オレンは当然のように沸いた疑問をすぐ返す。

「あなたのおかげで、『植物金属ハーペリア』を手に入れたので、その報告とお礼を。」

「え?! 本当にあったんですか?!」 「はい。ありがとう。」

 そう言って頭を下げたヒナの言葉は相変わらず簡潔で、短い。オレンの反射的に出た言葉も、短くまとめられてしまい、そのあと色々聞きたいことが思い浮かんだが、聞こうか少し迷う。それも束の間、

「お家帰るの?」 とヒナの方から尋ねてきた。

「う…、はい、色々用事が重なって夜になっちゃって…。」

 オレンは夜道を一人歩く羽目になった事を聞かれ、少し決まりが悪い。しかしそのお陰で、ヒナと出会うことができたという葛藤も、また生まれていた。そんなことをゴチャゴチャと考えていると、

「箒でお家まで送りましょうか?」 と、ヒナから思いがけない提案を受ける。

 その提案はオレンをさらに悩ませた。本心は間違いなくYESなのだが、その誘いに迷いなく飛び付いたら、ヒナからどう思われるかを気にしてしまう。王都の時とは状況が違い、多少時間がかかっても帰れないことはない。ほんの数瞬の間に一生分の思考を巡らす中、手元にあるノエルとショーゴから貰った指輪が、解を導き出した。

「…、はい、是非お願いします。」 オレンは頭を下げてお願いした。

「では後ろにどうぞ。」

 ヒナにそう促され、オレンは箒の後ろの部分に跨りしっかりと握る。

「風の精霊よ。その翼を広げ、水鳥のごとく羽ばたけ。」

 ヒナがそう詠唱すると、箒はふわりと浮き、美しい白鳥のごとく優雅に夜空に羽ばたいた。この時もし、ペールグランとノエルによる大砲の様に空に打ち出される恐怖体験を経験していなかったら、オレンは情けない声を上げていたかもしれない。それとは明らかに違う緩やかさを持った飛行体験は、最初に出会った時の馬車ごと浮かび上がった感覚に近いが、あの時は飛行というより浮遊に近いものだった。そういった繊細な違いを表現するヒナの芸術的な魔法は、オレンにページが言っていた「エレメントに愛されている」という言葉を思い出させた。


 夜空を空から眺める景色は、上には星が煌めき、下には家の明かりがぽつぽつと揺らめく。それはまるで星座が全方位に拡張されたような不思議な光景だった。それでいて、空を飛んでいることを忘れるほど風は心地よく、静かにそよぐ。空を飛ぶ中で起きているその不可思議な現象は、ヒナの魔法によるものなのは明らかだった。オレンはヒナと話したい気持ちはあったが、高度な魔法を使っている最中に、集中を削ぐようなことは控え、この静寂の時間を楽しんだ。

 やがて、ヒナたちは本当の目的地のカカミを通り過ぎる。カカミを通り過ぎてミカビのオレンの家まで向かうのは、少しでも長くヒナと一緒にいたい、というオレンの欲のせいだ。何ともつつましい小さな嘘に、オレンは背徳感と罪悪感を感じ心の中で、ヒナとロシナンテに謝った。二人は、いや少なくともオレン一人は、習いたてのメヌエットのような、おぼつかない期待の中にいた。


 ほどなくして、二人はオレンの家に到着した。箒はゆっくりと地面に近づくとフワフワと浮かんで止まる。オレンは名残惜しかったが、箒から降りた。

「ありがとうございました、送ってもらって。」

 オレンは箒に乗って浮いたままのヒナに、そうお礼を言った。ヒナがそのまま飛んで行ってしまうのを恐れて言葉を続ける。

「あの、是非お礼を受け取ってください。」

 そう言って手元の指輪を、決意と共に握りしめる。しかし、ヒナの返事は想定外のものだった。

「お礼なら、みかんがいいです。」

 その言葉にオレンは固まる。オレンは「お礼はいりません」と、断られることは想定していた。それでも多少強引にでも受け取ってもらえるよう、幾つか問答は考えていたが、みかんを要求されるのは想定外だった。

「えっと…、みかんですか? ちょ…、ちょっと待ってもらっていいですか?」

 オレンはそう言って慌てて家の中に入ると、何も知らないミーヤが食卓でくつろいでいた。ミーヤは普段通りの格好で、普段通りにみかんを食べて過ごしている。慌てて入ってきたオレンを見て、

「あ! お兄ちゃん遅かったじゃない?」 と言うミーヤを取り合わず、食卓に置いてある一番きれいなみかんを取って、

「ちょっとこれ貰うね。」 と、取って返して家の外に戻った。

 オレンは慌てて戻ると、この少しの間に、ヒナは箒から降りて立って待っていた。その姿を見て、何かあしらうための方便ではなく、みかんを本当に求めているのだと分かり少しホッとする。

「はい、どうぞ。」 「ありがとう。」

 オレンはみかんを一つ受け渡す。受け取ったみかんを見つめるヒナを見て、沸いた一つの疑問を口に出した。

「それ、美味しいの?」 「はい、とっても。」

 感情も言葉も薄いヒナが笑顔を見せる。いつだったか、妹のことを話したとき以来の、滅多に見せないその笑顔は、オレンの思考や疑問や決意を、ものの見事に霧散させる。本当に全てを忘れてただ、見ていたいと思わせる。しかしそれを窓から覗く視線が邪魔をした。

「…それでは、これで失礼します。」

 そう言って箒に腰掛け、緩やかに飛び立っていく姿を、オレンは呆けて見送っていた。その様子を窓から見ていたミーヤが、飛び去って行くのを見計らって、外に出てきて声を掛けた。

「ねぇねぇ、あの人勇者ヒナだよね。え~、どういうこと? ねぇねぇ。」

 ミーヤは兄の秘め事を、興味津々にとてもいじわるに囃し立てる。オレンは、昨日のことがあったからだろうか、それとも今日の出来事のせいだろうか、自分でも驚くほど素直に、ミーヤに本心を滑らせる。

「あの人は…、なんだ、その、あれだよ…。」

「俺のファースト勇者…、だよ。」 と、言った後に顔が赤くなる。

「え~。そうなんだ~。そっか~。ついにお兄ちゃんも、勇者の良さがわかってきたか~。」

 ミーヤのリアクションは兄妹と言えど、とてもハラスメントを含んだ粘着性の高いものだった。ニタニタとベタベタしてくるが、その意味が正しく伝わったのか、正しく伝わっていないのかよくわからない。そうこうした中で、ミーヤが突然、

「あ、そういえば、納屋にロシナンテがいないんだけどさ、どうしたの?」 と、尋ねた。

「!! あっ! そうだ! ちょっと行ってくる!」

 そう言って、オレンは夜道をカカミまで駆け足で出て行った。それから火竜亭にてロシナンテに平謝りして行き帰り、そうしてやっと、オレンの長い一日が終わろうとしていた。


 その帰り道で、オレンは二つのことを心に決めた。

 一つは、色んなことを知ること。オレンは自分の仕事に関わる知識や技術に必死に取り組んでいたが、一方で他の知識が欠けていることに気付いた。勇者たちとの出会いによって、彼らの力に憧れ、それまでの自分を見失いかけたが、今はそれが目指すべき方向ではないことに気づいている。オレンが求めているのは、身の回りの幅広い知識。仕事だけでなく、自分自身や周囲の人々との関わりや、人生全体を豊かにしてくれるものだ。ヒナの事を良く知るにしても、もっと魔法や勇者について詳しく知らねばいけないし、それを知るということはそのまま世界に対する理解に繋がる。その為の一歩として、母の日記を読み続けようと決めた。たとえ見たくない過去と向き合う事になるとしても。

 もう一つは、いつヒナと出会ってもいいように、常にみかんと指輪を携帯しておくことだった。

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