第21話 勇者様、百合の花を採取する
「ページ本人がいないのに断りなく喋るのは、少し気が引けるのだが…。」
とノエルは言い、一息つく。そしてもう一度、
「少し、気が、引けるのだが?」
と、ノエルのあざとい念押しが終わると同時に、ショーゴは空のグラスを下げ、新たなグラスを差し出す。
「どうぞ。」
「…。ふーん。まあ、そこまで言われたらしょうがない。」
(言ってない!)と言いたいのを、オレンはその横で我慢する。ノエルは嬉しそうにグラスを撫でながら、
「あの子は言わなかったが、魔法障壁を突破する魔法を考えた偉い人とは、ページの両親だ。」
「あの子の両親はどちらも勇者だった、そしてペールグランと三人で、名前は確かー。」
と言い、グラスを撫でる自分の指に嵌められた、美しく輝く翡翠の指輪に目を止める。
「そう、『インペリアルジェイド』という名の勇者パーティーを組んでいた。」 そのままノエルはグラスに口をつける。
「…まあ、アタシもその頃の話は詳しく知らんのだが、ペールグランによれば、あの子の両親には、魔法の扱いでは勝っていたが、頭脳は二人の方が優れていたらしい。」
「それは客観的に見ても事実だったろう。魔法障壁を突破するアイディアなどは、常人では思いもよらんだろうよ。」
ノエルから小さな笑みがこぼれる。その原因は酒の味か、それとも…。
「そんな二人の間にページが生まれて、まもなくのことだった。」
「インペリアルジェイドは簡単なタワーの調査を目的に、魔界に足を踏み入れた。それはタワーの裏側を調査するだけの短期間の計画だったらしい。」
「しかし、簡単な調査のはずが、戻ってきたのは、傷ついたペールグランだけだったそうだ。」
「…………。」 オレンは言葉を失う。
「…あの子はね、確かに才能の塊のような子だよ。そして、それを引き出す最高の環境も与えられている。」
「しかしね、あの子はあれだけの才能がありながら、あの子を作り上げた周囲の環境に縛られている。可愛そうな子なのさ。」
ノエルからは笑みは消え、その目は哀れみに溢れている。
「…つまり、だ。人というのはそれぞれに生きる目的も違えば、役割も違う。当然、その先に待つ結果も。」
「他人をうらやんで自分を卑下しても詮無い事だぞ、少年。」
そう言って、ノエルは一口酒を味わった。
「…いいことを、言いますね。」
ページの身の上を知り、自分と似たような過去があったことに、少なからずショックを受ける。ノエルの言葉はオレン自身の嫌悪と肯定をかき混ぜる。そしてちょっぴり残った肯定の感情が、自分の役割を考えさせる。
「ん? アタシが間違ったことを言ったことがあったかな?」
ノエルとオレンの間には、何とも言えない穏やかな空気が流れた。そしてゆっくりと、ノエルはグラスの酒を飲み干す。
「…ま、そうは言ってもだ、悩み多き少年が抱える問題の一つぐらいは、このお姉さんが解決してやろう。」
そう言うと、自分の指に輝く翡翠の指輪と同じ物を、自分の服のどこからか魔法の様に取り出し、二つをオレンの前に置く。
「さてここに、二つの指輪がある。少年ならばこれをどうする?」
それはノエルからの唐突な質問だった。ただでさえ掴みどころがないと感じるノエルからの、漠然とした意味不明の問題にオレンは当惑する。
「…どうする? とは…。」 質問に対して、質問で返すしか思いつかないオレン。
「…はい、ここで問題です。オレン君は、とても美人で評判のノエルさんの宝石屋から、指輪を2つ買いました。そして、1つを自分に、もう1つを愛しのヒナちゃんに渡しました。さて、2人はどうなるでしょう?」
ノエルは先ほどの質問を、子供でも分かる様に言い換えて、声色まで変えて問いかける。
「……、ええええっ!」
オレンは時間差でその問題の意味を理解する。その問題の意味はオレンの背中をぞわぞわとさせた。
「いやいやいや! いきなり指輪を渡すなんてっ! いや、そもそも、そんな関係じゃないし! っていうか、そんな高級な指輪買えませんよっ!」
オレンは人目をはばからず取り乱し、その様子をノエルは楽しそうに眺める。そして、次第にオレンの息が整ってくるのを見計らってノエルは言う。
「代金は、そこのお友達に感謝するといい。今日は、アタシが一番飲みたいと思っていた最高の酒を頂いた。その至高の二杯の代価に二つの指輪、計算は間違っていまい?」
ノエルは滅茶苦茶な計算でオレンの外堀を埋めようとする。ノエルから大きな笑みがこぼれる。その原因は酒の味か、それとも…。
「…いや、でも、そんな…。」 しかし、その程度ではオレンは踏ん切りをつけることは出来ない。
「何を躊躇することがある? 少年。」
「アタシから見れば、人間のその様な悩みは、昼寝するのにどんな夢を見ようか悩むようなものだぞ。それとも少年は、昼寝の間に別の女性を口説きに行くつもりかい?」
「それならば仕方ない、では指輪をもう一つ…。」
興が乗ってきたノエルは更に外堀を埋めてくる。そのエルフ独自の価値観に根差した言葉は、完全にオレンを弄ぶ。
「そんなこと! しないですけど…。でも、いきなり指輪なんて…。」
ノエルの言葉の意味を完全に理解したわけではないが、余計に問題が大きくなるのを恐れてオレンは強く否定する。しかしそれでも、踏ん切りをつけるには及ばない。
「やれやれ、あれやこれや言い訳ばかり、本当に思春期の男の子というものは…。」
「わかっていても、ままならない、か。」
ノエルはため息交じりにそう言うと、自分の服のどこからか魔法の様に銀製の鎖を取り出し、それぞれの指輪に鎖を通す。
「さあ、これで指輪ではなく、首飾りだ。問題あるまい?」
オレンの問題は、ノエルの際限のない譲歩の問題ではなく、最初から自身が抱える内面的な問題であったが、ノエルによって完全に外堀を埋められ、碌な武器も兵もないオレンは白旗を上げるほかに選択肢はなくなった。たとえ相手からどれだけ法外な賠償を要求をされたとしても…。
「…本当に、いいんですか?」 「ああ、遠慮なく受け取り給え。」
「…ありがとうございます。」 そう言って、とても遠慮がちにオレンが受け取るのと同時に、ノエルは囁く。
「ああ少年、これだけは覚悟してくれ。この指輪には三日以内に想い人に渡さないと、死ぬ呪いが掛けてある。」
ノエルの最後の言葉は、オレンから全ての権利を収奪する、それはそれは容赦のないものだった。
(まいったなー) ノエルのどぎつい冗談は、オレンに言葉にならない自嘲を誘い緩ませる。
「…、なんかノエルさんて、なんとなく雰囲気がルーナさんに似てますね。」
不覚にもオレンがつい口を滑らせたその言葉は、緊張のゆるみから頭に思い浮かんだ事を口にしただけで、悪意はなかった。しかし、その発言の直後、オレンの左足を激痛が襲う。
「イッタタタタ!!!」 ノエルはオレンの左足を思い切り踏みつけて言う。
「少年よ。その痛みを深く刻むといい。いい女の前で、別の女の名前を出す愚かさと共に。」
ノエルは目は笑っていたが、耳は高く上がっている。それは怒っていることを相手に悟らせないように気遣っていることを伝える、というような回りくどさを持つ感情表現だった。
「今日はとても楽しかったよ…。最後以外はな、少年。」 ノエルは足を離し、そのまま席を立つ。
「是非、次に会う時が楽しみだ。ではね。」
ノエルは最後にそう言って、オレンの言葉と痛みが引くのを待たずに去っていった。




