第82話 勇者様、今大事なことを続ける
─数日前 水の遺跡の戦い 続─
「ᚦᛏᚨ ᛗᚠᚢ ᛏᛉᛟ ᛗᛏᚢ ᚦᛏ(ソティア マフウ ティアルオ マティウ ソティ)」
ウィーナが唱えた呪文によって、ラカタンは巨大化し、ルピアの前に立つ。ルピアは、ヒナとの戦いで右腕を破壊され、満身創痍となりながらも、ラカタンの攻撃を真っ向から受けて立った。
ラカタンの巨腕の右の一撃とルピアの尖鋭な左の一撃が衝突する。力と力の衝突は衝撃を生み、周囲の空気と共に双方の一撃を弾いた。
「みんな、逃げて!」 その弾かれた空気にウィーナの声が響く。
その声に、ヒナを連れて逃げる大盾たちの背中では、ラカタンが二撃目を振り下ろしていた。
ルピアの体力は、確かにもう限界に来ているはずだった。ヒナの全力の魔法もまともに喰らって、生きているのが不思議な状況ですらあった。その中にあって、ルピアの命は、神がかり的な技の冴えと、鉄血の意地が支えていた。
それでも、新たな敵を前に、戦士の血が騒ぐ。自分より強い敵との死闘と決着、その勝利の味はルピアに極上の蜜となり、それ以上の苦痛を麻痺させた。
肉体の限界を超え、ただひたすらに目の前の敵に反応するだけの戦闘人形と化したルピアを相手に、ラカタンがその巨腕で幾度と攻撃を加えようとも、倒すことは敵わなかった。
それからまもなく、ウィーナの魔法の方が、限界を持つ必然として、早く訪れた。
ラカタンのゴーレムの巨体に、数多の衝撃が蓄積され、ついにはそのルピアの最後の一撃は、ラカタンを粉々に砕いた。それは、すでにウィーナにはラカタンの巨体を維持する魔素が尽きていることを意味していた。
ラカタンの砕かれた巨体から、本来の小さなラカタンが転がり落ちる。地面に転がったそれは起き上がると、トコトコとウィーナに向かって歩み寄る。その歩みをなぞる様に、ルピアはゆっくりとウィーナに近づいた。
ウィーナは、近づくルピアに対抗する術をもう持っていなかったが、逃げようともしなかった。それは、他の者を守ろうとした勇気でもあったが、なぜかルピアに恐怖を抱かなかったせいでもあった。
ほんの少し前に出会ったばかりだったが、友達といえる人を殺した敵であるにもかかわらず、そう感じなかったのは、ルピアの戦士としての戦いが美しかったせいなのか、あるいはその意志の純粋さに引かれたのか、それはウィーナにも分らなかった。
そして、ルピアはウィーナの前まで歩み寄ると、糸が切れたように限界を迎え、その場に倒れ伏した。
「ᚺᛖᛗ ᚹᚨᚾ ᛖᛚᛖ ᚲᚢᚾ ᛗᛁ(ヘム ワン エレ クン ミ)」
倒れたルピアを目にして、ウィーナはそっと寄り添うと、迷うことなくすぐさま呪文を唱えた。
その魔法は、ルピアを攻撃する為のものではなく、癒す為のものだった。
体を触ると、ルピアの深刻な状態がより鮮明に理解できた。流れる血は身体を冷やし、砕けた骨は元の形が分からぬほど歪んでいた。そんなルピアの体を、ウィーナの癒しの波動は包み込む。その息吹の波紋はルピアの体に染みわたり、体中の傷を徐々に塞いでいった。
ルピアは、痛みと快楽が交じり合い脳が錯覚する中で、文字通り勝利に酔っていた。戦いの後先など全く考えず全力を出し尽くした戦いは、何に変えることも出来ない価値を持つ至福のときだった。
その戦い全てが、夢だったのか、現実だったのか、定かで無くなるほどの時を、倒れたまま幸せに眠った。
そして目覚めた時、隣には魔素を使い果たして眠るウィーナがいた。そしてさらにその隣には、主人を見守るようにラカタンが座る。その光景を見た時、その光景が持つ意味を理解し、ルピアは思わず噴き出した。しかし、ウィーナが起きぬようその笑いを押し殺すと、ラカタンに向けて囁く。
「殺シハシナイ…」
ルピアの胸に去来した感情は、傷ついた体を癒やされたことへの恩義だけではなかった。それ以上に、心を動かしていたのは、戦った相手と分かつ戦士の矜持だった。
完治とまではいかないが、再び戦場に立つには差し支えないほどに体は回復していた。ルピアは、静かに地面を蹴って立ち上がる。そのとき、不意に視界の隅で何かが翠色に光った。
かすかに目を引いたその光に誘われるように、ゆっくりと近づくと、それは小さな翡翠の指輪だった。それは、ヒナが戦いの中で落としたものだった。
そういった装飾品に心を留めるなどなかったルピアだったが、不思議とその翡翠の輝きには目が離せなかった。何故か気に入ったその光を至上の戦利品とし、そのまま自分の首に飾った。
そして、ルピアは再び戦士に戻る。逃した獲物を追う狩人となり、次なる戦いへ向かっていった。
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──世界樹──
世界樹でのオレンの生活は、数日が経過していた。
オレンは初日に指示を受けた通り、カルダバのもとで世界樹の魔素操作の修練に励んでいた。しかし、魔子を持たず魔法の修練などしたことないオレンには、それはとても難しいことだった。
ただ、そもそもこれは、魔法に精通した者であっても容易なことではない。
魔法とは、『魔子』が生み出す『魔素』を対価として六属性エレメントと契約し、その力を借りる術法である。この己の魔素を対価にするという魔法の基本から逸脱し、世界樹と同調することでその魔素を利用し操作する、とはつまり、この魔法の基本原理を正に逆から行う事と同義だった。
もしも、そんなことが容易に行えるとしたら、従来の魔法理論では計り知れない生まれ持った才と言えるだろう。
それでも、オレンはカルダバの指示を受けて努力を続けた。しかし、全く何の進展も得られず、世界樹との意識の同調など夢のまた夢であるかに思われた。オレンの脳裏にフェイやモラードに言われた言葉が過り、焦らせる。しかしだからといって、解法の分からない難問が解けるわけもなく、ただ時間だけが過ぎていった。
そしてその間、オレンを悩ませたことが、もう一つあった。
「ねぇねぇ、オレン。昨日は何を食べたの?」
「皆と同じものだよ。」
「じゃあじゃあ、何が一番おいしかった?」
それは、他愛のない質問を繰り返してくるウィーナだった。
ウィーナはオレンがカルダバの所にいようと、いまいとかまわず、しつこいほどにオレンのところにやって来た。そして決まって、あれやこれやの質問攻めにしてきた。最初は、外の世界に興味があってそういった情報を知りたいのかとも思ったが、もうここ最近では話すことも無くなって、日常の中であったことを聞いてくるようになった。
それは、オレンに対して好意があるというより、純粋な好奇心の塊をひたすらにぶつけてくる一方的なものだった。それをオレンに向けているのは、相手をしてくれるのが自分しか残っていないからだと、理解するのに時間はかからなかった。
この世界樹のドリアードたちは、皆何かしらの役割をもって生活している。女王に仕える者、世界樹を守る者、ドリアードたちの生活を支える者、そしてそれらを横断して人々を繋ぐ者、と様々だが、ウィーナはその中で自由だった。
オレンはそれが不思議だったが、オレンの立場でそれを言うのは憚られた。
カルダバの修練のときに、ウィーナの相手をしても咎められなかったのは、どちらかが特別であるから許されたことで、それがどちらであるかは容易に理解できた。
オレンの新しい日々は、新鮮でありながらも行き詰まりを迎え、そして分からないことだらけだった。




