第80話 勇者様、日常を過ごす
ー勇者教団ー
勇者ヒナの復活からしばらく、沈黙を守っていた教団は密やかに動き始める。
キンプーサにある教団の大教会、その中心にそびえ立つ主塔は、権威そのものを体現する存在だ。今宵、その主塔を囲む六つの塔の一つを封鎖し、塔の最上階で重要な会議が始まろうとしていた。
その会議の場には、勇者クレメンタインと、三騎士の内のコートランドとモーレンズの二人、大司教のブレバーンといった教団幹部の中でも最上位の者たちが会していた。そしてさらに、その場には招かれた三名が並ぶ。フクロウからペールグラン、天秤からカラダリンとアンシア。本来であれば、教団部外者が立ち入ることなど許されぬこの場に、三名は極秘で招集を受けていた。会議の目的すら知らされていないにもかかわらず、集められた三名は、それ故にこの会議の意味を悟っていた。
会議の冒頭、コートランドが席を立ち、深く頭を下げた。その動作に合わせるように、外では雨が降り始める。頭を上げる丁度よい間が、教会の天井を打つ雨音を和らげる。
「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。
特に、コハクフクロウと塩の天秤の方々には、格別の感謝を。」
誰もが視線を向ける中、コートランドは一拍置いてから言葉を続ける。
「それでは、本日の議題である『第七次魔界遠征』についてお話させていただきます。」
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教団の勇者がクレメンタインとなってから、これまでに六度行われた魔界への遠征は、そのいずれにおいても計画通り魔族を打ち倒す戦果を挙げ、無事帰還を果たしてきた。それは、成功と呼ぶにふさわしい結果であった。
そう、確かに遠征だけならば…。
しかし、その成功に反して、遠征後に制圧した魔界の地での橋頭堡として築いた拠点は、ことごとく破壊された。資材や物資だけでなく、そのために配備した人員諸共、跡形もなく奪われ破壊された。教団はこれまで、遠征のたびに敵を研究し防衛策を重ねてきたが、魔族側の奇襲はこちらの対応を上回り、この結末を覆すことはできなかった。
六年前に起きた魔族侵攻においても、それがクレメンタインの遠征中に起きたということが、教団に衝撃を与えた。魔法障壁の機能停止が、魔族の計画的な作戦であったのか、偶発的なものだったのか、未だ結論に至っていないこの問題は、教団が慎重にならざる負えない理由となっている。
世界を分かつタワーの魔法障壁は、魔界から人間界へ魔素を通さないというだけの不完全なものでありながら、事実上の国境として機能している。それは、十二年前に障壁を突破する魔法が作られて以降も、なお変わることはなかった。魔界側から物資の行き来は可能となっても、一切の魔法は遮断される。加えて、地理的にみてもいわば陸の孤島となる拠点を維持するには、莫大な物資と貴重な人員を投入し続ける必要があり、それは愚策以外の何物でもなかった。
これまでのクレメンタインの遠征は、魔族の領土のほんの僅かな部分を攻め入ったに過ぎない。それは、魔界の広大さからすれば、ささやかな侵攻でしかなかった。だが、教団とその多くの信者は、クレメンタインの代で大きな戦果が挙がることを固く信じている。
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コートランドは滞りなく会議を進める。
「これまでの六度の遠征は、いずれも一定の戦果を挙げることに成功してきました。」
「ですが結局、魔界の領土を我々の支配下に置くことはできませんでした。そのため以前として、魔界のさらに奥地への遠征は非常に困難なものとなっています。」
「そこで、今回の第七次遠征の作戦目標は、恒常的な維持体制の整備とします。」
「具体的な作戦内容は、この作戦の立案者であるモーレンズからさせて頂きます。」
コートランドはそう言うと、隣に座るモーレンズへと視線を向ける。モーレンズは小さく頷き、卓上に広げた地図を指し示す。
「それでは、皆さんこちらをご覧ください。」
その地図には、これまでの遠征で攻め落とした地点が赤く記されていた。だが、その赤い印と同じ数の黒い印も刻まれている。それは、かつて築かれた拠点が、いかに無残に破壊されてきたかを示す傷跡だった。
「我々は今まで、まず魔族の拠点を攻め落とすことを第一に考えておりました。」
「ですが、結局のところ小規模な拠点を攻め落とし自陣としたところで、その拠点を守り抜くことは出来ず、破壊されてしまいます。遺憾ながら、敵地での魔族の動きは実に巧妙で、我々は常に出し抜かれてきました。」
モーレンズの視線は、これまでの敗戦を思い出すように濁り、そして鋭くなる。自分を落ち着かせるように大きく息を吐く。そして決意したように顔を上げ、核心を話す。
「…、長年にわたりこの問題は如何ともし難いものでしたが…、ある秘策をもって、この膠着状態に終止符を打ちます。」
「今回の第七次遠征は、絶対に攻め落とせない拠点を制圧する作戦であります。」
その言葉は、未だ作戦内容を知らない者たちの心を騒がせる。それを言葉にしないまでも、矛盾した作戦を唱えるモーレンズに、皆の目は注がれる。
モーレンズはその視線を操るように指を立て、そのままその手をゆっくりと、地図のある地点へと滑らせる。
「これが、我々が攻め落とすべき拠点です。」
モーレンズの指は、世界樹を指差した。
その作戦の内容を聞いた瞬間、アンシアはもちろん、カラダリンやペールグランの表情すら険しく歪んだ。教会を打つ雨は、その変化に呼応するかのように激しさを増していく。それらをさらりと飲み込んで、モーレンズは口を開いた。
「…先日の世界樹での戦いについては、我々もすでに承知しています。」
「世界樹の実にまつわる一連の出来事と、その顛末についても、教団の側で調査をさせて頂きました。
この件には、いくつか未解決の問題があることも承知しておりますが、今はそれに言及するのは止めておきましょう。」
その未解決の点を示すように、モーレンズの視線は、カラダリンとペールグランに向けられる。しかし、それは視線を受けた本人しか分からない一瞬のことだった。
「…、ただ、その中で注目すべき事実といえることもあります。」
モーレンズは視線を落とし、わずかに間を置く。
「それは、『かの地に赴いた少年が、何者かから世界樹の実を受け取り、戻ってきた』
これは、これまでの我々の認識を揺るがす事実でありましょう。」
彼の声は静かだったが、確信に満ちていた。
「これまで我々は、世界樹を守護する民族と、交渉はおろか、まともな意思疎通を叶えたことはありませんでした。
いや出来るとも考えていませんでした。
しかし、オレンという一人の少年は、それをやってのけたのです。」
そして、モーレンズはゆっくりと目を上げ、語気を強めて続ける。
「そして…、であるならば、世界樹を我々の側に引き入れることも叶いましょう。そして、それはまさに、魔界に打ち込む巨大な楔と成ると言っても過言ではありません。」
モーレンズは強く拳を握り締め、その力を次の言葉に込めた。
「第七次遠征は、従来の精鋭部隊に加え、教団の総戦力を動員する大規模作戦となります。」
彼の言葉は場に響き、張りつめた空気を震わせた。モーレンズの力強い声に応えるように、教会を打つ雨音は再び強さを増し、風は嵐のように吹き荒れる。
この場にいる誰もが、事態がかつてない局面へと進もうとしていることを理解していた。




