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勇者様は裏切らナイ  作者: 世葉
第二幕 夕闇の勇者と篝火の古竜
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第78話 勇者様、学校に行く

 夜明け前、東の空に紺青が滲み始める頃、森の中はまだ静寂に包まれていた。

 葉を伝う夜露が、薄明りに縁取られ、緑碧玉のように輝く。ごく限られた狭間の時間の輝きに照らされて、三人はエルフの国を目指し再び歩み始めた。


 ハックナインは、昨夜見たヒナの姿を考えていた。

 敵を攻撃するためのものではない、特別な癒しの効果を持つという訳でもない不思議な魔法だった。あれはいったい何の為の魔法だったのか、本当は、夢だったのかもしれないとすら思えた。

 直接本人に尋ねようにも、それをどう聞いたらいいか迷っていると、ルーナが口を開いた。

「ヒナちゃん。昨日の夜、あれはなにをしていたの?」

 それは、ハックナインの知りたいことを的確に尋ねているだけでなく、あれが夢ではなかった証明となった。

「そう、して欲しそうだったから…。」

 しかし、主語を欠いたヒナの答えは、ハックナインには曖昧な意味でしか理解できなかった。

「フーン…。」

 その返答は、ルーナも本当に理解しているのか、ハックナインには疑問に聞こえた。


 魔法の真髄とは、エレメントとの意思疎通にある。

 魔法とは、魔子が生み出す魔素を対価としてエレメントと契約し、その力を借りる術法である。どれほど強い魔子を宿し、膨大な魔素を以てしても、エレメントが自分のイメージに応えてくれなければ、思い通りの魔法にはならない。それを叶えるエレメントとの相性は、種族的な適正や六属性に習熟することで向上する。そして、魔法に習熟するほど、己の魔法の限界を思い知ることとなる。

 ヒナの見せた魔法は、それはただ、繊細で幻想的な芸術だった。その美しい光景は、魔法を使えぬ者には神の奇跡のように映るだろう。

 しかし、魔法に精通する者ほどその異常性を理解する。それは単なる魔法の威力や精度などといった些末な問題ではなく、あれほど繊細な動きをつくるほどエレメントと意思を共有するなど、不可能だと自覚させる。

 あの光景は、森の影すら息を呑むものだった。エルフであっても到達できない境地にある魔法だった。そこに生まれる感情がなんであるにしろ、聡明なる彼らにとって、それは無視できないものだった。


 それぞれの想いを置き去りに、彼らはひたすらに森を進んだ。

 そして、日が真上に差し掛かる頃、深い谷を抜けた先で、ようやくエルフの国がその姿を現した。


 エルフの国は、雲を貫く険しい山々に隠されるようにひっそりと息づく森の中にある。その森は、この世の理から隔絶された静穏の地。周囲を囲う大森林とはまた異なる自然の神秘に包まれた場所だった。

 山々から流れ込む澄んだ雪解け水は音も無く流れ、風もまた囁くように穏やかに薫る。頭上には樹冠の天幕が広がり、陽の光を優しく透かしている。その静寂の中、まるで森に溶け合うように、木々に寄り添って築かれた家々が並ぶ。枝の合間に架けられた橋は木々を繋ぎ、樹上には小さな窓から灯りがこぼれ、弓矢と狼を象った屋根飾りを照らしていた。


 エルフの国に辿り着いた三人を、到着が正確に分かっていたかのように一人の男が出迎えた。

「これはこれは、ようこそお越しくださいました。

無事にご到着されたこと、心より安堵しております。」

 透き通るような声色とともに、男は歓迎の言葉を述べる。

「私は衛士長のシャバラと申します。勇者の御三方様におかれましては、どうぞお見知りおき下さい。」

 待ち構えていたその男は、落ち着いた所作でそう名乗った。

「ここまでの長旅、さぞお疲れでしょう。

ですがどうか、もう少し私にお付き合いください。」

 男は優雅に一礼すると、三人を手招く。

 その男が名乗った衛士長とはつまり、森に潜んでいた斥候たちを統べる長である。しかしこの男の肩書にそぐわない着飾った身なりや、人当たりの良さを意識した喋り方は鼻をくすぐった。

 沈黙したまま警戒するハックナインの横で、ルーナは呟く。

「…、ほっといてもいいんだけどね、後でゴチャゴチャ言われたら、そっちの方が面倒だから…。

ここは、黙って従いましょう。」

 そう言われて、二人は小さくうなずく。

「姐さんがそれでいいなら、俺は構わないっスよ…。」

「わかった…。」

 それを受けて、今度は聞こえるような大きさで言葉を投げた。

「そんじゃ、チャッチャッと話をつけに行きましょう。」

 それを受け取ったシャバラは、長い耳をゆっくりと下げ、薄く微笑んだ。


 一人の従者も連れることなく、三人を案内するシャバラはまるで無防備で、武器すら携えず、背中を晒して歩いていく。エルフの国に足を踏み入れてから、森の影たちもそれ以上ついて回ることもなかった。それは戦闘の意思が無いことを示す友好の証とも受け取れたが、この男の言葉の真偽を疑う理由にもなった。

 シャバラはそれ以上なにを語ることもなく、エルフの民家が並ぶ通りを抜けて、三人をエルフの神殿へと導いた。

 神殿に至る道は、何本もの巨大な霊木が柱のように並び立ち、その中央を石廊下が続く。周囲を水路によって隔絶した中心部は小高く積み上げられ、その最上段には神木を祭る石造りの祭壇が鎮座していた。祭壇は綺麗に磨かれた白い石で作られており、その表面には精霊が彫られている。陽の光が樹木の合間を縫って降り注ぐと、その像が落とす影は、まるで踊っているように地に落ちた。

 エルフの神殿には、屋根も壁も存在しない。特別な造りの建造物があるのではなく、森そのものを神とみたて、その懐に抱かれる神聖な祈りの場だった。


 やがて、シャバラは足を止め、三人の方へと振り返った。

「私からも、皆様のご理解に感謝いたします。

元老の方々は間もなく参られます。どうか、それまでの間、ごゆるりとお待ちください。」

 そう告げると、シャバラは一礼し、静かに背を向ける。そのあとを祭壇の前に並ぶ神官たちに委ね、彼は何事もなかったかのようにその場を後にした。

 残された三人は、神域の静寂の中で、微かに揺れる葉擦れの音より大きな、己の心に響くざわめきを聞いていた。


 しばらくすると、三人の前に同じ白いローブに身を包んだ六人の老エルフが姿を現した。ゆったりとした歩みは、彼らの老躯と威厳を物語る。祭壇を背に整列し、ルーナを見据えると、そのうちの一人が口を開いた。

「勇者ルーナよ、よくぞ戻られた。エルフの国は貴殿を歓迎しますぞ。」

 その白々しい口先だけの歓迎は、ルーナを苛立たせた。だが、不快感を表に出す間もなく、続けざまに別の元老が口を出す。

「しかし、何の理由もなく故郷に戻ったわけではあるまい。何を成す為に戻られたのか?」

 その問いに答えるため、ルーナは魔弓ミストルティンを掲げて見せる。

「この弓の使い方を聞きに。」

 元老たちの目が、一斉に神秘的に輝く魔弓に注がれる。その目を振り払うように、ルーナは魔弓をさっと手元に戻す。

「魔弓の扱いを知っているなら教えて、知らないなら知っている人を教えて。」

 ルーナの問いに、元老たちは顔を見合わせる。しばらくの耳打ちと囁き合いのあと、一人の元老が口を開く。

「我々も、勇者殿と事を構えるなど望んでおらんよ。

だがの、只で教える、というのは道義に反するとは思わんか?」

 その元老の言葉に、ルーナは歯噛みする。

「じゃあ、何が欲しいの?」

 ルーナの問いに、別の元老が答える。

「お前の持つ魔弓ミストルティンと引き換えに、と言いたいところだが…。

それでは本末転倒というもの。」

 そして、間を置かず一人の元老がヒナを指さす。

「そちらのお嬢さんが持つアイリスケリュケイオンと引き換えに教えようではないか。」

 しかし、その要求は本末転倒どころではなかった。あまりにも法外な交換条件は、最初から教える気など無い意思を滲ませる。その態度に露骨な不快感を見せるルーナの横で、ヒナは小さく呟いた。

「絶対、嫌…。」

 それは二人の心を代弁していた。ヒナどころか、ルーナもそんな条件は飲めるわけはなかった。

 しかし、ここまで来て交渉が決裂するということは、ただ取引の不成立というだけでは済まされない。双方の沈黙が、空気の密度を重くする。

 しかし、次の瞬間、そんな張り詰めた緊張の中に、場違いな間の抜けた声が響いた。

「しゃーねぇースっね。」

 その呑気な声の発生源は、面倒くさそうに頭をかいていた。

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