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コアさん






「こんにちは」



 その人物は突然、雅世たちの前に現れた。

 

 日本語で挨拶を投げかけてくるそのヒトはおそらく人間だと思う。

 雅世は久しぶりに人間の言葉を聞いた気がして気が緩みそうになる。

 本来ならば、見知らぬ人間、しかも異性だ。気を許すなどあり得ないのだが、この状況では藁にも縋りたいところだ。

 

 果たしなく続く大草原の真っ只中、家に帰る手段もなく、ひたすらに歩いていたが、さすがに途方に暮れていた。歩みを止めるという選択肢はない。

 太陽が中天を過ぎ、反対側の地平線へと向かって降下を始めたからだ。このダンジョンにも夜の概念がきっとある。日が暮れたとき、何かしらの拠点がないとまずい。

 だが、続く草原に木々以外のランドマークはない。水を確保すべきだが川もない。ダンジョンだというのに宝箱さえなかった。



「こんにちは」



 ひとまず挨拶を返す。

 男は意外そうに眉を跳ね上げた。



「驚いた。もしやと思ったけど、キミはほんとに適合してるんだね」

「適合……?」

 

 思わず、小太郎の方を見やるが何も反応はない。

 ひとり立ち止まった雅世に気付くことなく、チェルシーも緑鳥も歩みを止めない。男の存在自体ないかのように。

 

 おかしい。

 

 こちらの声が充分に聞こえる距離であるし、警戒心が人一倍強い子だというのに。

 男は目を白黒させる雅世にぽん、と手を打った。



「あ。そうかそうか、忘れるところだった。――――結界解除」



 男が何やら呟くと、小太郎たちがピクンと身体を震わせる。と、弾かれたように振り返った。

 今初めてその存在に気付いたかのように。警戒心を隠すことなく、男を見据えている。

 

 小太郎は低く唸りを上げ、完全に威嚇の構えだ。

 チェルシーは毛を逆立たせ、尻尾を避雷針のように高く突き上げている。

 小太郎の背から身を半分乗り出していた緑鳥が、瞳を三日月に吊り上げてキシャーと鋭く飛び立った。


 そのときだ。



「我が愛し子たちよ。久方ぶりだね」



 男の声に時間が止まった。


 緑鳥は攻撃飛行の途中で羽ばたきを止め、垂直に地面へと落下していく。すんでのところで趾を駆使して器用に降り立ったが、そこからは呆然と目玉を剥き出さんばかりである。

 

 小太郎とチェルシーは揃って威嚇を止めた。何度もまばたきを繰り返し、男をひたすらに凝視している。


 ひとしきり男の姿を観察し、それと認識してからは早かった。


 ふにゃり。


 そんな擬音が聞こえるほどに二匹と一羽が相好を崩す。

 

 動物というのはこんなにも表情豊かになれるものなのか。そう思えるほどに喜色満面で男の元へと擦り寄っていく。

 尻尾を男の足首に巻き付かせ、よじ登ろうとするチェルシー。肩に乗り、求愛のごとく奏で出す緑鳥。尻尾を千切れんばかりに振り、肩で息を繰り返す小太郎。


 三者三様の懐き方に男が鷹揚に対応する。

 その光景は男の容貌も相まって神々の戯れのワンシーンのようだった。


 そう、容貌。

 男は目を瞠るほどの美形だった。色彩こそ日本人離れをしていないが、整いすぎた造形と、何より醸し出す雰囲気が違う。

 宗教画に出てくる聖人を日本風に創り変えたかのような人物だな、と雅世は思った。

 小太郎のあまりもの懐きように、少しばかり嫉妬心が芽生えるが、そんな些細な心の動きなど吹き飛ばしてしまいそうなほどの光景だった。

 

 男が三日月の形に目を細めて笑う。



「犬神雅世さん。獣の楽園へようこそ」

「私の名前……」

「もちろん知っているよ。ダンジョンは、そこに立ち入った生命体のすべてを丸裸にする」

「丸裸」

「あ。別に変な意味じゃないから誤解しないように。ボクは生物学上、雄の姿をしているけれど、ダンジョンに性差は存在しないから」

「……まるで、ご自分がダンジョンであるかのような表現ですね」

「ご名答! さすが、直感が優れているね」

「どうも」

「自己紹介したいところだけれど、生憎とボクには個体名……名前がない。このダンジョンが具現化した存在。いうなればコアみたいなものかな?」

「中心核ですか」



 それくらいのダンジョン知識はある。

 すべて、創作物やらゲームやらの知識ではあるが。



「たしか、コアを破壊すればダンジョンクリア、でしたか」

「淡々と怖いこと言わないでくれる?」



 男が大げさな動作で自らの身体を抱きしめる。



「破壊活動なんてしません。……コアさんとお呼びしても?」

「そのまんますぎる気もするけど、いいよ」

「そもそも私、ダンジョンに立ち入った記憶などないんですが」

「んー、キミの場合は例外というか、想定外というか、ちょっとしたハプニングというか」

「もしかして小太郎さんが黄泉がえったことと関係がありますか?」

「そうだね」



 コアは慈愛に満ちた眼差しで肯定してみせた。



「君の、愛犬を想う強い心に感服して奇跡を――――、ってもっともらしい理由をつけてもいいんだけど、ちょっと違う理由があってね」

「違う理由?」

「まぁ、それはおいおい分かるとして……」

「あの、ひとつだけ質問。というかお願いが」



 雅世は食い気味に割って入った。

 これだけは確認しておかないといけない。自分の価値観の根底を覆す事柄なのだ。変に期待だけして後から絶望したくない。




「小太郎さんはちゃんと生きたままお家に帰れますか? もしこのダンジョンから出ることでこの奇跡が無効になるのなら――――」

「”私は一生このダンジョンで生きていきたい” って?」



 目を瞠る。そんなぶっ飛んだ覚悟、まさか言い当てられるとは思わないではないか。



「言ったでしょ。すべてを丸裸にするって。ボクにとってキミの考えてることなんてメモ帳の走り書きより簡単だよ」



 走り書きは書いた人間にしか解読できない気がする。

 ちょっと、コアさんの例えが分からない。それとも天然ボケなのだろうか。抜けてるのだろうか。

 

 そんな失礼なことを意識して脳内で考えてみる雅世だったが、コアが気分を害した様子はない。

 丸裸にする、というのはあくまで情報と思考回路による行動の予測値であって、読心術のようなものではないのかもしれない。



「キミの覚悟の強さは折り紙つきだからね。ここまで動物愛が強い人も今時珍しいよ、うん」

「え、でも今は愛犬ブームまっさかりじゃないですか」

「ペットと考えるか、家族と考えるか、もしくは己に隷属するものと考えるか……色々あるからねぇ」



 雅世にとっては紛うことなく『家族』だ。

 だからこそ、生き返ったことがこんなにも嬉しい。



「まぁ、心配は要らないよ。一度黄泉がえらせた息吹だからね。ダンジョンから戻ってもこの子がお墓に舞い戻ることはない。そもそもダンジョンでずっと過ごすことは不可能だ。なぜなら――――」



 コアが手を振ると、例のタブレットが雅世の眼前に現れた。

 群青色のそれはパソコンのエラー画面を思わせる。意味不明な白文字が羅列して流れた後、雅世にも分かる言語表示に変化したが、まるで立ち上がる度にアップデートしているかのような本格的なつくりだ。



「画面の右上にバツ印があるでしょ? それをタップするとダンジョンから脱出できる。そして左上の数字はダンジョンにもぐってからの経過時間。今でちょうど373分。6時間ちょっとだね」



示された先を見ると、確かにウインドウを閉じるかのような☓印と、左の数字も確認できる。今までまったく気付かなかった。



「経過時間が1440分……、つまり24時間を越えてダンジョンに滞在することはできない。その場合は強制退去させられる。それと、ダンジョンから帰還して24時間は再度入ることはできない」



 その辺りの説明がHELPボタンのタップで表示されるんだけどねぇ、とコアは呆れ顔だ。

 

 だって仕方がないではないか。

 すっかりと浮かれきっていたのだ。小太郎と再び共に歩を進められる喜びにひたすら、浸っていたのだから。

 タブレットの表示を検証してみようともしなかった。ゲームマニアでなくとも、少しは自分で試行錯誤してみるべきだった。

 

 そんな雅世を見かねて、この中心核がわざわざ具現化してくれたのだったら非常に申し訳ないことをした。

 

 ずっと謎だったスキルポイントの表示も見つかった。基本画面には表示されない仕組みのようだ。

 パソコンの裏タスクみたいなものか、とひとり納得する。

 

 他にも色々と表示できるようだが、雅世にとってはあまり興味をそそられない。もともとゲーム世代ではないのだ。

 それよりも何よりも。



「えっと、じゃあそれなら小太郎さんと一緒に家に戻って、二度とダンジョンに足を踏み入れないことも可能なんじゃ……」

「まぁ、それも有りかな」

「!」

「ただ、ダンジョン攻略を進めることはこの子にとってメリットが色々ある。そしてキミにも、ね」

「例えば?」

「それは攻略してのお楽しみ」



 これから世界は変わる。

 ダンジョンなしでは持続できない世界へと。



 別れ際にそんな言霊を残して、コアは去っていった。






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