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小太郎さん






「小太郎さん……?」



 目の前の光景が信じられなくて、何度も何度もまばたきを繰り返す。


 だが、そこにある姿は幻ではなく、今にも懐かしい鳴き声が聞こえてきそうだった。息遣いが感じられそうだった。体温までこちらに伝わってきそうなほど、その姿は確かにそこに存在していた。


 艷やかな毛並みが白銀に煌めき、賢さが滲み出る金の瞳はますます鋭さが増した気がする。思い出補正の逆バージョンだろうか。


 愛犬であり、大切な家族でもある小太郎とこうやって対面するのは実にひと月ぶり、いやそれ以上だ。

 もはや《決して会うことの叶わない》存在になったはずだった。


「ほんとに、小太郎さんなの?」



 鎮座し、こちらをじっと見つめる眼差しが揺らめいた気がした。

 こくり、と頷いた錯覚さえ見えた。


 小太郎がこの世を去ってからすでにひと月。

 

 亡骸はとうになく、荼毘に付され、雅世自らが自宅の庭に埋葬したはずだ。そのときの手のひらの感触は未だ色濃く残っている。

 鼓動を止めた心臓も、二度と開かれることのない瞼も、死してなお温かく感じられた体も。


 突然の死だった。

 

 寿命でもなく、病でもなく、前日まで元気いっぱいに走り回っていた小太郎の死を受け入れられず、泣きに泣いた。

 涙もとうに枯れ果てた頃、重い身体を引きずって通っていた仕事もやめた。機械人形のようにただただ毎日を繰り返し、食事の味も何も楽しめなくなった。

 

 唯一の家族だった。


 その小太郎が目の前に存在している。

 狼のような風貌に白銀が入り交じる白い毛並み、そして陽の光を受けて煌めく金眼は肉食獣の獰猛さを余すところなく体現している。

 時折、狼犬と間違えられることもあるが、血統書も何もない、由来の分からない雑種である。

 子犬のときからずっと一緒にいた小太郎は、雅世にとって大切な大切な家族だった。



「小太郎さん、っ、ほんとの、ほんとに……っっ」



 目頭が熱く、奥の方がきゅ、と傷んだ。

 駆け寄って飛び付いて撫で回す。そこには確かな温度があった。

 

 生前と何ら変わることのないぬくもりを堪能する。雅世の求めに応じて、鼻先をすり寄せる小太郎は尻尾をはち切れんばかりにぱたぱたさせている。



――――ダンジョン《獣の楽園》が解放されました。適合者のステータスに合わせてスキルを付与します。



 何かが耳元で聞こえるが、それどころではなかった。このひと月あまり、飢えに飢えていた小太郎分を摂取するのに忙しい。

 幻聴を気にしていたら負けだ。幻聴も幻覚も要らない。今、ここにある存在そのものが真実だ。

 


――――ステータス分析…………脳内シグナル照合中……、記憶領域閲覧、経験値測定、残りカウント10、9、8、7……、完了。

――――続いて、適合者の事前スキルにより黄泉返りを完了した《獣》のステータスを分析します。《獣》の個体名”小太郎” ……



 雅世はようやく我に返った。


 ”小太郎” の単語に反応してしまったのだ。確かに小太郎は獣かもしれないが、なんだかその一文字で表現されるとどうにも複雑な心境が拭えない。

 だからと言って、ペットでも、ましてや家畜でもない。強いて言うならば家族だ。

 

 声の主を探して辺りを見回すが誰もいない。

 当然だ。自宅の庭には誰もいるはずがない。堅牢な外壁は広大な敷地内をぐるりと一周しており、雅世に話しかける人間など存在するはずもなかった。


 いや、そもそも人の声ではなかったように思う。脳内に直接木霊するかのような周波数に頭の片隅がキンと傷んだ。



――――適合者、犬神雅世にスキル付与を完了、オープン。……なお、初回特別ボーナスとして、"黄泉がえり" の固有スキルを事前に取得済みです。



 すとんと言葉の意味が落ちてくる。

 

 理屈ではない。すんなりと現状を受け入れることができた。誰が与えてくれたかなんてどうでもいい。

 雅世は天に感謝し、手を合わせた。

 もう絶対小太郎を死なせたくなかった。そのためなら何だってしようと心に決めた。

 この幸運を与えてくれた存在にすべてを捧げようと。



氏名:犬神雅世

年齢:23

レベル:99

職業:?

スキル:魅了(ただし、獣に限る)

固有スキル:黄泉がえり

称号:獣に愛されし者

仲間:小太郎



 そう表記されたタブレット状の物体が眼前に展開される。

 

 空中に突如出現する様はまさにサイエンス・フィクション。手をひらひらして触れてみても透過する謎粒子は近未来だ。

 しかしながら、起こっていることはまさにファンタジー。

 そもそもなぜ、自分の名前を知っているのか。個人情報はどうなっているのか。


 色々と不安がよぎるが、小太郎が今そばにいる。それだけで他のすべてがどうでも良くなるほど感覚が麻痺していた。


 その小太郎がひとつ吠えた。

 ちょうど眼の前、何もない空間に向けて吠えたり噛み付いたりしている。前足を器用におっ立てて、何かを振り払うかのごとく。



「もしかして小太郎さんにも見えるの?」



 眉根をぐっと寄せ、心底困った、といわんばかりの表情で、小太郎はこちらを見返す。


 そもそもここはどこなのだろう。


 誰かに呼ばれた気がして、庭に出てみれば天に召されたはずの小太郎がいたのだ。そこからは小太郎だけに視線を注いでいたため、周囲に気を配る余裕などなかった。

 気付けば、さっぱり見当のつかない場所に雅世は立っていた。


 足元は確かに自宅の庭であるのに、遥か彼方に見える光景にド肝を抜かれる。

 雅世の自宅は確かにこの一帯にしては広い。家屋自体はごく平均的な占有面積であるが、土地が広く、庭や畑に面積を大きく割いている。

 だが、しかし、遥か彼方の地平線が望めるほどではない。


 呆然と大地をみやる。

 振り返ってみれば、あったはずの家屋がない。花壇がない。門扉がない。取り囲むはずの塀がない。

 見覚えのない険しい山が聳え立つのみだ。

 それでも落ち着いていられたのは足下に確かに感じるぬくもりのおかげだ。


 小太郎が生き返ったほどなのだから、自宅が見渡すばかりの大草原に変貌しても何らおかしなことはない。そう開き直る。

 ただ、現実問題として家に戻れないのは困る。



「どうやったら家に帰れるのかな?」



 その問いに答えるかのようにひと声鳴き、小太郎が歩き出した。

 雅世が着いてくることを疑わない、確固たる足取り。そのくせ、時々立ち止まっては振り返り、雅世の動向を確認する。



『ちゃんと着いてきてる?』



 そう言わんばかりの理知的な金眼。頼もしいばかりの大きな背中は雅世ひとり乗っても微動だにしなさそうだ。

 

 何もない草原をひたすらに歩き続けること体感にして数十分。


 雅世は早くも限界を感じていた。

 体力的な問題ではない。装備的な問題だ。

 畑仕事の途中だった足元は長時間歩行にふさわしくない長靴だ。これが非常に歩きづらい。

 水分も携帯していない。自販機があるような環境とは思えず、途方にくれる。そもそも小銭さえも持ち合わせてはいないが。

 幸いにも動きやすい厚手の作業着と軍手だったことが救いだ。どことも知れぬフィールドを進むにあたり、最低限のガードにはなる。


 歩いても歩いても景色は変わらない。

 人ひとり遭遇しないし、虫の気配も鳥のさえずりさえも聞こえない。足元の草もずっと同じ植生であるし、切り揃えられたかの如く規則正しい長さで風に揺れている。

 

 まるでポリゴンでできた光景みたいだな、とのんきに考えていたら、目の前の草が小さく揺れた。

 この大草原に来て初めての変化だった。


 小太郎が臨戦態勢で腰を屈め、低く唸る。

 注視する先、草影からひとつの毛玉が転がり出てきた。






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