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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

彼方への宿り

作者: あらら

感想、批評等して頂けると踊って喜びます。特に描写や設定など。お願いします。

 フランス、バスク地方には聳え立つ山々に囲まれ、陽の差さぬ暗闇に覆われた森がある。かつて斧が入ったことはなく、未だ二十世紀に珍しい神秘と幻想の渦巻く様相を漂わせ、ところには人目に晒されたことのない小川も存在し、ブナの木々はなだらかな斜面に根差し人の侵入を拒まんとするようにも見えた。

 森を切り拓き、道を作るためにその地へと踏み込むと決まった時、周囲の人々は口を揃えて反対した。あの場所には碌な噂しかない。現在に至るまで開拓されていないのには理由があるに違いない。口々に意味合いはおよそ同じだが僅かに異なる話をする人々の、しかし一つ、ある一点については同じことを言った。あの森には恐ろしい村がある。手を出してはならない不文律、我らのかつてとこれからの時において、永劫暗闇に閉ざすべき異界。一度開けばいかなる恐怖よりも醜く悍ましい結果だけが残る。行われてきた魔女裁判や宗教弾圧の全てを過去のものとし、やがてこの地上へと病の如く広がると。この地に来て間もない私は知らなかったが、どうやらここら一帯にのみ伝わる民間伝承の類の話らしかった。詳細を聞こうとしても、彼らは二度目のためには、呪いでもかけられた生贄を見るように、口を開きはしなかった。そのような様を見て、話を聞いて寒気を感じ、しかし仕事の一環として処理する他ない身にはどうすることも出来ず、影を連れ添い成すがままに踏み入った。

 先の見えない暗闇の中、足元の土は柔らかく香る臭いは雨上がりの土を含んだもの。視界の変化のなさは次第に私の平常心を、氷を融かすように、ゆっくりと蝕んでいた。孤独に苛まれ、脳裏に反復する人々の忠告。鬱蒼と茂る木と小波を立てる水面の音でさえも自然からの矮小な身への警告のようだった。

やがて暗闇が晴れ、開かれた平野に出た。恐らくここが、人々の忠告の地。他に村と思わしき場所が無いことを、未だ森の全てを把握したわけではないが、不思議と確信していた。並び立つロマネスクの建築は腐朽による歳月を感じさせた。村の大きさは直径わずか一㎞に満たないもので、村における食料や牛、豚などの家畜は見かけられない。古井戸には細く伸びる麻縄の残骸が空しく揺れている。そのとき、それほど注視できる心の余裕があったからだが、奇妙なことに気が付いてしまった。細糸の張りつめた正常心を無慈悲に断ち切るには十分に要素を含み、それ以来注視することへの抵抗を覚えるようになった。家屋の随所に散見される補修の木の樹皮は剥がれ落ち、菌類の侵攻をあるがままに受け入れているが、家の壁や塀、古井戸の枠には見られないのだ。もちろん異なる材質のうえ、腐食されることはないが、長い歳月による緑に覆われているべきであろう。それだけでなく、平野に出てからの足跡の残るまでを振り返ると、数えて二つ目の足跡、それを境に一切の命を視界に捉える事が不可能となっている。家畜に苔、野草にいたる全ての生物がこの不可思議な円形の平野から撤退を果たしていた。なにか、この村では私の知る哲学では思いもよらぬ出来事が起きている。青く澄み渡る空の無限の孔へ向かうことができたのなら、この狭く村と呼ぶに心許ない場所から消え去れたのに。胸中に溢れる逃避への憧憬は無論、地上の法に縛られる私には不可能であるから。一刻も早く、空に続く白い雲が黒へと変わる前に住人との話を済ませよう。一つ二つ、鼓動の急かす音を扉に叩きつけ、遣いである身分は忘却の彼方へと消え去り、ただ自身の安心を得んとした。しかし、いややはりというべきか、このような有様のまま住む人々の多くは、僅かに漏れる物音の大きさを知らず、半ば腐れ落ちた扉の重さを信じていた。およそ七つの家屋の戸を叩き、その結は火を見るよりも明らかだった。幕を引く青は唯一残った孤独な理性を共に連れてゆく。このままでは、この村で一日を過ごすことになる。どうにか人を見つけ出さなければと、何を思ったのか、境界線の淵を回り始める。そうして空中から見ることが出来たなら、螺旋を地上に描く這いつくばった虫が見えただろう。

不安定の渦の中に吸い込まれる私を救ったのは、一人の襤褸を身にまとった、ともすれば襤褸が主人であると思える老人であった。柔らかかった土を固めて歩けば、どんな外観をしていようと薄情極まりない住人をも差し置いて最も信頼に足る人物とするのは容易だろう。口元の動きは程々に喉を動かし、鼻を鳴らすと聞こえてくる旋律はいかなる鎮魂歌より心を癒し、誘われる足取りは己の生きる世界を錯覚した。やがて唇の細動を読み取れるようになり、歌の歌詞をはっきりと聞き取れると、先程の安堵は泡沫に消え地の底から漏れ出る死者のため息に背をなぞられるようになった。

「うが、──る ふた、ん  我ら忘却を果たさん民なり。初めに、外より降り注ぐ恵みたる光の異なる様相へ。地より湧きし命の源泉悉く退去せり、新なる息吹は何処かへ。次に地上の全てを攫うもの訪れん。広大な山々から吹きすさぶ風は、我らの視界を遮らんとする。伴って訪れる塵芥に畏れよ。やがて地上の準備が完了した時、尖兵が来る。光の反射を目に宿し飛び回る。かつて旧きもより後に生まれた神の遣い。王たる悪魔を連想させよう。しかし、努々忘れるなかれ。蠅の王の顕現すら安心に変わるだろう。真なる神は我々の内に宿る。光を集め塵に失い、黒き使者を映す時、瞼の裏に彼の姿あり。──  ふなぐ  ぐん。我ら夢見るままに待ちいたり」

 老人の歌は、凡そ伝承の形ではあるものの、咳き込みや独特のアクセントを除けば把握はできた。その内に秘める意味は甚だ理解し難く、この地に残る言い伝えにしては関係性のない様子に首を捻らざるを得なかった。だが、己の理解の外にあることが、伝承の関連を見いだせなかったことが、この身を守る唯一の帳であったと、後の醜く爛れた喧噪の中で思い知ったのだ。

 乾いた風に身を晒し、皺のよる唇を閉じれば、老人は私に気が付き行くあての無いことを知ると、善意のままに招きいれた。隙間風が差し込み、天井から洩れる月光の魔に中てられたのか、元々既に歳を重ねていたのが使い物にならなくなったのか、私が一人床についてなお虚空へと懐かしむように語り掛けていた。。

「生きていたのか。……そうか、そうか。お前は迎え入れたとばかり思っていたが、戻ってきたか。いや、もしくは既にその身は人ならざるへと変化しているのか。どちらにせよ、喜ばしいことこの上ない。私の目は既に白く濁り、霧の中に迷うことしかできなくなったが、いついかなる時も光の差すのを待ちわびているよ」

 遂に彼の独り言は私の意識の消える前、夢の中という今となっては唯一の安らぎさえも、光差さぬ海の底へと変貌し、静かに染み込んでいった。

 瞼を突き刺す陽の光で目が覚めた。昨夜は確かに老人に招かれ、精神を落ち着かせるには頼りない建築物に身を収めたはずなのに。裏にまで浸透するこの色はなんだろうか。家の中を探しても彼の姿は既にない。頭の可笑しい年寄りであろうとも、一夜の恩を蔑ろにする程の人間ではないことを自覚している私は、せめて一言残していこうと、腐りかけの扉を、金具を壊さないように慎重に開けた。その光景を見たときに、悲しむべきか恐れるべきか、どちらでもなく、彼のように喜ぶべきか。私には判断のできる思考を持ち合わせていなかった。そのことが幸せとも思えた。

 枯木と見紛う細腕を天に掲げ、面の喜色を隠そうとしない剥き出しの感情を見せる老人の周囲は、地上の法を考えると異常ともとれる様相を呈していた。放射状に広がる太陽の光を一身に集め、その輝きは月を不要とし呑み込んだと錯覚するほどで。辺り一帯、円形の世界の全てが、束の間に同じ表情を見せていた。崩壊寸前の被造物から三歩前に進んだ場所で。肌が一呼吸の内に黒く変わり、人間の正常な働きを示すように皮は剥がれ落ちた。冬の枯葉の迎える結末を幻視させられた私は、一歩、異常の中の正常に不吉な恐れを抱き戻る。微かな影にこれ以上ない安心を覚えたからだった。しかし、陽が昇るにつれて、影は死んでいく。このような状況で、太陽の傾きの関係が正常に影に作用しているのかはともかく、事実として、拠点にするには不安しか残らない朽ちた家に避難することしかできなかった。

現在も続く陽の、もはや攻撃とも言える中に、踏み出していた彼は未だ変わらぬ姿で、それはこの異常事態に対する知見を持つことが伺えることで、天使の来訪を迎えるように立ち呆けていた。欠片の空いた隙間から、僅か一粒の穀物程の大きさの視界では、老人の口の動きの詳細は分からなかった。それは移民との会話、言語の通じない根底を共にする生き物同士ではありえない、脳の作りや言語形態、それに伴う異なる思想の遥か想像の埒外で、微かに聞こえる咳き込みと叫びこそが、この攻撃を引き起こしているに違いなかった。

額に流れる汗が如何なる要因でのものか、既に腕の時計を見ると針は二回、盤の上を巡っていた。そして、更なる異常が起こったのが、更に半周を過ぎたころだった。質量を持ち降り注ぐと錯覚する空の下、視界の中に動きを収めることがなかったからこそ、その変化に気が付けた。上下左右、一定の規則性を持たず絶え間なく流れる空気。熱を持つものの存在しない世界に、無遠慮に涼を齎し、次の瞬間には、己の呼吸の能否を棚にあげ、一呼吸の内に世界は陽と風の支配下へ下っていた。旧約聖書の中の、万軍の主、旋風の神との戦いを想起し、神の降臨さながらと思ったほどで。しかし、それすらも序章に過ぎず、そうであったならと願うことが、私に許された行為であった。

しばし続いた暴風の中で、信仰を想い未知に踏み出せぬ臆病な足に、しかし叱責することは能わず、変わらぬ光景に目を瞬かせ水分の連れ去られた眼の端に捉えたそれらに、猶更励ますことしか私にはできなかった。円形の平野、ポツポツと存在する建築物の外。切り開かれた木々の境、不安の暗闇であり、この村からの出口から、周囲への注意を続けたからこそ、そこから招かれた黒い大群に思考を割くことを可能とした。大群と言えど、我々の持てる理の、私の持てる知識をもって表せる言葉がそれしかない故、そう表現した。海洋生物にみられる群体での擬態。それを、恐らく微小な蟲共の一翅が集まり不快な響きを奏でながら行っている。それは一軒、二軒と偶然か、先日私の訪れた家々の順番に飛び纏い、理解できる範囲では、何かをした結果は見かけられなかった。やがて七軒目の家を過ぎ老人の家、つまり私のいる家に寄ってきた。そこまで来て、漸くその巨大なものの詳細を確認できた。私が目を置いている家の隙間に這い出るその群体の一部を、細かな分類をできる知識がない私には蠅と呼称することしかできなかった。腕に纏わりつく一匹の、赤く光る肥大した複眼に、毛むくじゃらの頭部。畳まれた翅の対となった紋様は幾何学の要素を充たし、口と思わしき器官は鋭く針の如く尖っていた。異なる角度に反射する眼は地上に降り注ぐ異常をものともせず、淡い生物の色が存在していた。そこまで観察の済んでから、粟立つ肌を自覚し、その上の生命体対する嫌悪を露わに振り払った。飛び立ったのは数えられる程度で、あばら家の隙間風にのって侵入を果たしているのは、それが全てだった。その間の時間は微々たるものとは思うが、老人の黒を纏う様子は体感以上の時間の密度があった。たった数秒、かつて神と称えられた悪魔の使者に気を取られれば、老人が王による侵食を受け、狂笑のままに震えるのは、かつて見た移民の狂信者と重なるのは無理からぬことであった。

 これまでの超常の連続を見て、遂に先日の夜には叶わなかった帰還を果たすべく、先程大群の出現した場所から僅かに横にずれたところ、未だ残る私の足跡を、今度は逆さにつけ、深く抉る程のものを残してやろうと息巻いた。仕事への義務などというちっぽけな責任感に身を包んでいては地の底まで引きずりこまれることを確信していたからだ。

その時、私はそれを見た。不思議なことに、私のいる家の戸から老人のいる広場までの距離は恐らく20m弱程。目測のためハッキリとしないが、見える筈のない光が、老人とあったであろう眼の内にキラキラと輝くのを。単なる見間違いで済ます程、私は呆けてはいなかた。急いで辺りを見渡すも、変わらず飛び交う黒点に遥か上空から突き刺す陽、吹きすさぶ風に煽られようが決して村に頭を垂れることをしない木々には、老人の眼球に映る光源は見当たらなかった。変わらず地を這い周囲を飛び回る蠅を霧のごとく纏った老人の瞳には、先程よりも確かな明滅を繰り返す光が、瞬きをする度に大きくなっている。いや、あれは大きくなっているのではない。20mあった距離の内にあった石や腐りおちた木柵の横を、大きさを変えずに区切ってきている。もはやその様子は区切るとしか言えない。適切な言葉の選択はもはや重要ではない。あそこにあったはずの不定形の光が徐々に、幾度かの瞬きを以て形を成し、しかし変わらない大きさのままに存在し始めていた。遠近法の通用しないもの。既にこの地での常識は非常識であることを、浅学の身であっても理解はしていた。だからこそ、この時に漸く、あの老人ではなく、この地に起きる全ての因果があれに起因することを、拒む本能を押しのけ微かに残る理性をもってして納得した。ゆらゆらと揺らめく光に幽玄ささえ見出し、古来より火こそ人間の精神の落ち着きを齎す神からの贈り物のように、魅入る私の精神の揺らぎも同一になろうとした時、霧の先に見える微かな行き先の晴れ渡るまま、切り替わる視界に表れた光は、それになっていた。無数にも蠢動する細く長い、幾重にも絡まり続ける物体。蠢き合う隙間からどろりと垂れる粘液は地に着く前に円を描き、その下に繋がっている体と思わしき部分は四足の地上の動物のようで、しかし節々から弾力のある皮膚を突き破る細く白い虫のようなものが、透明な体内を這いまわることで、いかなる生物との共存を否定していた。時間の感覚など存在しない。目を閉じることも背くことも思考から切り離された脳内で、頭部と思わしき中から洩れる光に、知ったのだ。聳え立つ石柱に朽ち果てた神殿。背後に祀られていたであろうその石像はあまりにも巨きく、四肢の欠損し地に落ちてなお私の体躯の遥か上をいっている。そして、その辺り一面を覆う人の死体。腐りきった肉や赤黒く固まった血の中に蠢く白い虫。飛び散った皮膚であろうものの色には統一性が感じられない。ああ、なんと雄大な光景であろうか。愚かな人間の行き着く末路の、老人の辿り着いた終着の、なんと──恐ろしいことか。そこで私は正気を失ったのだろう。最後に見えたのは、ポッカリと穴のあいた空に散っていく襤褸の麻布。

気づけば、大きな街の病院で拘束されていた。運び込まれて既に一か月が経っているらしかった。森の入り口で蹲っていた私を村の病院で預かり、様子を見ていたが、突然規則性のない音を大声で叫び立てのたうち回るように暴れたという。正気に戻った私は事の次第を詳細に語ろうとしたが、行先を告げては誰も聞く耳を持たなかった。ある時、生物学者の先生に執拗に質問をし、漸く私が見たものの先に触れたのだ。細く白い虫のように見えたものが繊毛であり、身体が透明なのは血によるものだと。凡そ細胞や微生物、寄生虫のような構造を持つもの。しかし私の話を聞いた学者は、その存在を頑なに認めなかった。彼の知識にはその大きさで透明になる理由がつかなかったからだ。それ以降、話を聞いてもくれなくなり、質問をやめた。

今でもあの日の光を夢に見る。暗い森の中で不安の見せた幻なのではと、今でも思う。あの出来事の全てが恐怖心に掻き立てられた哀れな妄想だと。あの噎せ返る血の匂いの溜まる場所の、ドロドロとした石の床の張り巡らされた人の皮。何度己を慰めようと、拭いきれぬ不安に数え切れぬ程のアヘンをこの身に迎え、モルヒネにも頼った。それでも、未だ覚めない夢の中で、夜を迎える度に静けさと暗黒に揺らめく光が、不定形に訪れるのだ。

ああ、窓の外、消える街の灯がやがてあつまり、幽玄な……ああ、神よ!光り輝くその姿! 私をそこに連れて行ってくれ!

 うがふなぐる ふたぐん うがふなぐる ふたぐん

我ら夢見るままに待ちいたり


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