“蒼炎”②
なにやら不穏な気配
「……一旦、砦まで戻るか?」
ミネスが夜の闇の中に消えるのを見届け、憂鬱な気持ちで向き直り皆に問いかける。もとより、実践修練も兼ねて”蒼炎”にはミネスやピアに頼らず自分だけで対応する段取りであったのだが……ミネスが警戒する”何か”の存在を鑑みると、このまま幼いエリィオを”蒼炎”の下へと連れて行くのは避けるべきであるように思えた。
「いえ、ミネス様は気にせずそのまま進めと仰いました。このまま進みましょう。エリィオさんも……これまで鍛錬されてきた事を思い出して。大丈夫です、私も付いていますから」
てっきり自分の意見に賛同してくれると思っていたピアはそれをあっさり一蹴し、エリィオに歩み寄ると膝を屈めて彼と目を合わせ、その肩に手を置きながら励ましの言葉を投げかけた。
「……はい!」
緊張した面持ちで、しかし迷いなくピアを見据え、エリィオは応えた。
「いや、そうは言ってもな……」
さすがに口を差し挟む。この先はいつ命を落としてもおかしくない領域である。連れて行くと言いはしたが……それはミネスが付いているのが前提の話だ。そしてこの現状を理解しているのかいないのか、当人の幼なさに不釣り合いな決断力に、改めて危うさを感じずにはいられない。
「乗り掛かった船ですし、私も最後までご一緒します。いざという時は俺もエリィオ坊ちゃんが安全な場所まで逃げられるよう動きますし、大丈夫ですよ」
難色を示しているのを察してか、シニュスがフォローを入れてきた。その気遣い、普段冒険者パーティでリーダーを務めているだけはある。が……本来であれば彼は契約上”蒼炎”と接敵するまで案内するだけの役割であり、わざわざ危険に身を晒す必要はない。かなりのお人好しだ。
「僕からも……まだまだ未熟な身で、どうやってもご迷惑をおかけしてしまうのは承知しています……それでも……お役に立ちます! どうかお願いします!」
いったい何がこの少年にこうまで言わしめるのだろうか。元はと言えば、概ねミネスのせいである。だというのに……いや、今更泣き言を言っても仕方ない。
「……わかった。そこまで覚悟ができてるなら、俺からはもう止めねぇ」
エリィオのあまりにも真っ直ぐな視線を受け止めきれず、不承不承といった体で応じる。
「……ただし! 絶対に後ろに下がって前に出ない事。そして逆に、怖気付いて皆の目の届く範囲から勝手に離れもしない事。この2つは絶対守るように! 守れなかったら……マジで死ぬからな!」
「わかりました!」
半ば脅しのように発したこちらの言葉に、エリィオは全く動じず応じた。……自分はもう少し貫禄を身につけるべきなのかもしれない。
「では決まりですね。目印の時刻から考えても、”蒼炎”さんと接触するのはまだもう少し先でしょう。しばらくは私がエリィオ坊ちゃんを負ぶりますよ」
そう言うとシニュスはエリィオの側まで行き屈み込む。エリィオは暫時ピアの方を見て判断に困る素振りを見せたが、ピアが頷くのを見ると素直にシニュスの背へと負われた。実質的にこの面子の中で一番強いのはピアである。彼女の魔力を温存しようというのは妥当な判断だ。
「そうなると……少しいいか?」
こうなった以上、全員で連携を取った方が良い。そう皆に呼びかけ、いくつか簡便に戦略パターンとそれに応じた役割を取り決めていく。特に、相手が火炎魔法を使ってくることが想定される以上、水魔法を扱えるエリィオは正直なところかなり活躍の場がある。その旨を伝えられたエリィオは頬を紅潮させ、喜びを噛みしめているようだった。
勝負は速攻。"還元"があるとはいえ、相手の魔力もまた無尽蔵である以上、魔法の打ち合いは避け、なるべく接近戦に持ち込むべきであろう。接敵してから、いかに手早く距離を詰めるかが鍵となる。そして遠距離からの攻撃や、空気燃焼などの間接攻撃をいかに防ぐか……様々なことを、速度を抑えて駆けながら無駄のないやり取りでサクサクと取り決めていく。
「……こんなところでしょう。ミネス様が向かわれた方角は南……我々が現在向かっている、東方向ではありませんでした。別の勢力からの介入がある可能性も考えられます。急ぎましょう!」
大筋が決まったと見るや、常人のそれよりも遥かに高出力の脚部への身体強化で前に出て先頭を駆け始めたピアを、シニュスと共に慌てて追いかける。
身体強化と跳躍、どちらも高速で駆ける移動手段としてよく用いられる魔法だが、彼女の使用する身体強化の方が接敵時に取れる選択肢は多い。魔力の只中に瞬間的に身を揺蕩わせ、跳躍点と着地点を繋ぐように移動する跳躍は物理的だけでなく魔術的にも慣性が強く働くため、滞空中に何らかの攻撃を受けた場合、避けることが至難となるためだ。
勿論、あれほどの跳躍を行えるだけの身体強化を使いこなせる人間はそういない。踏み込みの度に巻き上がる土煙からも、その蹴りの強さの尋常でなさが窺い知れるというものだ。時折弾丸と化して飛来した小石が眼前に展開した空気障壁にぶつかり、なんとも言えない音を立てる。そのためだろう、前方をゆくシニュスはピアの真後ろを避け、やや右側に位置取っている。
(一応索敵範囲広げとくか……)
上方に巨大な天使の光輪めいて展開している空間神経をより薄く研ぎ澄ませ、より広範をカバーできるように拡げる。
(この距離までならいざって時も即時で空気障壁と迎撃の黒鉄槍5本ぐらいは出せるし、大丈夫だろ……)
“蒼炎”の魔力の残滓のせいか、身を切るような風に寒さだけではない何かをビリビリと感じながら、じき訪れる戦いの瞬間に想いを馳せる。ミネスが抜けた今、守りの要は間違いなく還元者たる自分だ。皆の生き死には自分に懸かっている。
(……なんて、自分の身もろくに守れてねえのにな……)
ふと去来した自虐とも諦観とも似た感情を努めて冷静にねじ伏せながら、万全を期し最外周へ追加の光輪を展開する。「自分には”還元”がある、そうそう負けはしないだろう」。これまで漠然と抱いていた慢心を、図らずも直前にピアに砕かれていたのは、このような状況に至った今、幸いであったと言えるのかもしれない。
*
月明かりの下、点々と残された目印を辿って原野を駆け続ける。やがて目印はなくなり、代わりに”燃え盛る何か”が通ったと一目で判るような焼け跡が、道となって目指すべき先を示していた。
「近いです……!」
「おおっ!?」
高まる熱気と濃度を増して行く魔力に警戒を強め大幅に減速したピアに続いて、半ばつんのめるように速度を落とす。明らかに周囲の様子が変わった。
これまで道のように続いていた焼け跡は最早その終端が確認できない程広域に拡がり、辺り一面見渡す限りが黒く炭化して、まさしく死の世界といった様相を呈していた。そして何よりも奇異な事に、辺りがやけに明るい。
「これはまた、随分暑くなったな……」
完全防寒装備の身ではもはや汗ばんでしまう程の熱気だ。先程見た最後の目印の側に刻まれた時刻は今から2時間ほど前。目標がすぐ近くにいてもおかしくはない。
「結局、追跡を担当してた連中には出くわさなかったな。無事だといいが……」
氷の目印の主でもある魔法使いの他に、スピードが売りらしい片手剣使い。いずれも将威級のベテラン冒険者2人組が追跡を行っていたはずなのだが……ここまでその気配は感ぜられなかった。
「彼らについては心配はありませんよ。二つ名こそありませんが、剣士のフェンドアは翼竜狩りをさせれば並ぶ者のない程、身のこなしの軽い男です。魔法使いのマーシアは……」
「皆さん、あちらを!」
シニュスが話すのを遮って、ピアが前方を指差す。空間神経の索敵には何も引っかかっていないが……どうやらその範囲の外に目視で何かを見つけたようだ。すごい視力である。次いで、シニュスも何かに気づいたのか表情を強張らせた。
「あれは……マーシアの杖……!」
(杖? だめだ、何にも見えねえ……)
目を凝らすが、彼らのような超視力を有していない自分にはやはり何も見えない。遅れて、空間神経の効果範囲が及び、状況が伝わってくる。
地面に突き立った金属製の杖、そして、縋り付くように片手でそれを握りしめたまま倒れているのは――
「……! 例の目印の魔法使いだ! まだ生きてる!」
気を失っているのか、隣には同じく追跡調査任務を担っていた件の剣士、フェンドアと思しき男が倒れている。こちらもまだ息はあるようだ。
彼らを助け起こすべく駆け寄ろうとしたちょうどその時、なだらかな丘の脇を抜け、視界が開けた。そして、夜の闇と煤で黒く染まった世界の中で、月よりも明るい赤熱の光を煌々と湛え、それは待ち受けていた。
「……! 来たぞ!」
叫ぶと同時にピアの後ろに隠れるように跳び、彼女の両側面からに前方にかけて空気障壁を巨大な衝角めいて展開する。直後、視界を一面覆い尽くさんほどの数の炎の矢が眼前に迫り来た。
「はああああぁぁぁっっっ!」
ピアは両足で踏ん張り慣性を殺しながら直刀を抜き放ち、その刀身に魔力を込めた。そして空気障壁の護りを貫いて到達した無数の炎の矢を、ものすごいスピードで眼前の空気ごと切り伏せ、弾き、いなしていく。
「エリィオ! 水壁、ピアの前、ありったけ、いけるか!?」
同じくピアの背後に逃れていたシニュスの背上、エリィオに呼びかける。同時に、索敵に回していた空間神経の魔力を練り直し、襲撃の主への反撃に向けて前方に糸を束ね、伸ばしていく。かなり距離があるのか、まだその容貌は伺えないが、人の形をした炎……”蒼炎”がそこに居た。
「はい! 全力でやります!」
幼い弟子の頼もしい返事に妙な心地良さを感じながら、攻守の身体強化を展開し、ピアの下へと駆ける。
「よっしゃ! シニュスさん、後頼みます!」
「了解です! ご無事で!」
エリィオを背負ったままやや小振りな両手槍を眼前に構え、シニュスは何らかの防御障壁を展開し始めているようだ。その脇を駆け抜けて、ピアの側へと至る。
「ピア! 早速だが頼む!」
「わかりました! では……行きますよ!」
応じて、ピアが短い溜めの後に大振りの斬撃を縦一線に繰り出す。魔力を伴った大きな衝撃波が生じ、飛び来たる火矢をひとしきり吹き飛ばすと、その刹那の凪を塞ぐように、一呼吸遅れてエリィオの水壁が展開され、前方を覆っていく。馬車一台分はいけるとエリィオは言っていたが、この勢いなら二台分以上の質量の水を出せるはずだ。弟子の思わぬ頑張りに、こちらも思わず笑みがこぼれる。
「上々!」
ピアを追い越し、穴だらけになっていた空気障壁を一旦解除、目の前の水壁に手を翳す。そして再び空気障壁を、今度は予め前方に伸ばしていた空間神経に沿うように先へ先へと展開していく。大量の水は再展開し始めた空気障壁に巻き込まれ、加圧され、奔流となって路を拓いていく。
「距離にして……だいたい大ジャンプ2回の、小ジャンプ2回ってとこだ! 補助と追撃任せた!」
(龍砲(水)!)
背後のピアに呼びかけながら、さながら龍のように前方に長細く展開した水の空気障壁を塊ごと射出する。それっぽい名前を付けているが、推進力はただの空圧砲である。それっぽい感じの名前を付けた以上、即席で多少は見た目を龍に寄せてみているが――全体的にかなり怪しい造形なのはご愛嬌だ。
「あっははは! 解りやすいですね!」
応じながら、ピアはこちらの腰を支えつつ最大出力の身体強化で前方に跳んだ。息を止めて集中し、腰から伝わる暴力的な推進力に負けぬよう、ギリギリの踏み込みタイミングを合わせる。気を抜くと背骨が折れかねない。
龍砲(水)によって生じた空気の流れに沿うように、跳躍を1回、2回……一気に”蒼炎”の容貌が確認できる距離まで間合いを詰めることができた。精神操作され、寝食の機会を奪われ彷徨い数日――もっと狂戦士然とした見た目を想定していたが、随分と精悍な顔付きをしている。右手を前に突き出して水平に構えている曲剣が、例の灼紅炎刃のようだ。禍々しい魔力と眩い光を放ち、次なる魔法を展開せんと術式を編んでいる。
「ウウウォォォーーーッ!」
”蒼炎”が吼えると、瞬く間に赤熱する大きな火球が生成された。恐らく聖遺物の名前の由来でもある火炎系上位魔法、極熱紅炎だろう。
「……! セツナさん、来ますよ!」
ピアが警告する。同時に3度目の跳躍、射程外から射程圏へ。その間に前方を行く水の龍は炎の矢の雨をかき消し、続いて迎撃の巨大な火球と衝突し――
「よっしゃ! もらっとけ!!」
瞬間的に猛烈な熱量に晒され、水の龍が爆発霧散する。その刹那、その周囲に最大強度の空気障壁を展開、爆発の衝撃は予め伸ばしていた空間神経に沿って展開した空気の管を伝い、凄まじい爆音を伴って真上から垂直に”蒼炎”へ叩きつけられる!
(神の溜息!)
「ヌウウウウッッッ!」
”蒼炎”は即座に上方に爆炎の障壁を展開し、吹き下ろす超高熱・超威力の爆風を防いだ。周囲の地面の相当量が一瞬にして巻き上げられ、猛烈な土煙が舞い上がる。
神の溜息――凄そうな名前に違わず、水蒸気爆発に指向性を持たせて相手に叩きつけるその殺傷力は絶大である。半端な攻撃が通じない相手である以上、殺してしまわないよう加減が難しかったが……どうにか耐えてくれたようだ。空間神経に伝わる魔力から、彼の者が未だ健在である事が窺える。龍砲(水)からの神の溜息。即席ではあったが、想定通りに連携が機能したといって良いだろう。
「後で治すから、勘弁してくれよな!」
(黒鉄槍!)
こちらへの熱風を防ぐため展開していた空気障壁を解除すると共に、機動力を殺ぐべく”蒼炎”の足下から複数の質量ある漆黒の槍を生やし、両脚を破壊しにかかる。
「行きますよ! ハァーーッ!」
同時に最後の跳躍、半ばピアに投げ飛ばされる格好で一息に相手の懐へ。空中で上体を起こし体制を整えながら、黒槍を躱しきれず右脚を貫かれてなお灼紅炎刃をこちらへ振り下ろさんとする”蒼炎”に向け右手を翳し、”とっておき”を解放する。
「……アスト!」
やっぱりバトルシーンは書いてて楽しいですね