“蒼炎”①
1日は24時間。日の高さも重力も同じ。
宿駅を発ち、ひたすら馬を走らせ街道を往くこと3時間余。すっかり日も落ちてしまったが、上空にいくつか打ち上げている篝火の魔法と、何キロか毎に点々と灯っている街灯のお陰で、暗がりの中でも進むべき道を見失う事はない。路面は所々荒れているものの、概ね整備されており、全力で馬を駆けさせているにも関わらず極めて快適だ。
それなりのスピードを出して走ると馬はすぐに限界を迎えるため、早馬を飛ばす場合は街道に一定の間隔で設置された宿駅で次々と新しい馬に乗り換えていくのが常である。しかし、非常に高くつくこともあり、このような遠征の際は専ら人馬共に高位回復魔法である完全状態回復によって、随時疲れを癒しながら進むことになる。
勿論、中位以上の回復魔法は魔力と魔力いずれの消費も激しく、扱える者も限られる。教会や大きな診療院などに依頼すれば早馬代どころではない法外な金額を要求されるであろう程には敷居の高いものであり、全ては”還元”があればこそ、である。
魔力確保の”還元”用に携えていた最後の藁束を還元したところで、ちょうど前方に小さな宿場村が見えてきた。
「あの村で、馬の係留と最終の休憩をしましょう!」
馬上で声を張り上げる。通常であれば何を言っているか聞き取れはしないだろうが、「何か言ってるな」ぐらいまで聞こえていれば、思念伝達のトリガーとして十分に通用するらしい。前方を往くシニュスが右手を挙げ、了解の意思を示した。
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村にあった酒場はかなり手狭で、既にここで宿をとっているらしい数組の団体によって実質的貸し切り状態にあったが、我々と酒場の主人とのやり取りを聞いていたそのうちの一組の商隊、その長である初老の男が、隊員をどやしながら快く座席を譲ってくれた。聞けば熱心な聖母樹教の信徒であるようであったので、一応聖職者としてそれなりの地位にある身、せめてもの礼にと祝福の文句を送ったところ、涙を流して喜ばれてしまい、なんとも申し訳ない心持ちになった。
酒場で索敵の手筈と接敵した際の段取りについて手短に再確認した後、村を出て街道を更に南西に進む。乗ってきた馬は宿場に預けてあるが、完全状態回復のお陰か強行軍にも関わらずすこぶる元気なようであった。帰りも問題なく走ってくれるだろう。
「この辺りです!」
各自跳躍等の走力強化魔法を使いつつ村から10分程駆けた所で、一行を手で制しつつシニュスが小さく叫んだ。国境の砦側から見て谷間の路を抜けてちょうど平地が広がり始める地域だが、街道の脇には小さな丘や木立ちも多く、待ち伏せするには格好の立地である。交通量の多い街道上であったためか、既に魔法による修繕が為され戦闘の痕跡はあまり残っておらず、路の脇に点々と各種魔法によって草や土が燃えたり凍ったりなどした跡が見受けられる程度であった。
「追跡えるか?」
ミネスに問いかけられる。
「やってみる」
言葉を返しながら手頃な石塊を拾い上げ”還元”し、魔力の網を周辺に張り巡らせていく。改めて目の当たりにする”還元”の秘蹟を、シニュスと、先ほどまで負われていたピアの背から降ろされたエリィオが興味津々といった様子で見守っている。
(これはまた、凄いな……)
まるで非常に濃い霧が垂れ込めていたかのように、周辺の草木や小動物、魔獣などが発する穏やかな魔力を、とても強大な魔力の残滓が朝露めいて覆っている。これは炎による煤――だけではない。そこにはある種の呪詛も込められているようだ。
強者であるほど、その身が発する魔力は抑えられていくものなのだが……この魔力の主はさながら破壊された水道管、燃え続ける油田の如き振る舞いだ。時間が経った今でこそそれほどでもないが、”蒼炎”を操る聖遺物は周囲の魔力を枯渇させんばかりの勢いで魔法を発現させているようだ。
「……やっぱり東だな」
円状に張り巡らせた空間神経の探知網によって魔力の濃淡を感じ取っていくと、”蒼炎”の足取りは明白であった。――東。報告にあった通り、彼は人里から離れた湿地帯の方へと向かっている。
「東……ちょうど”蒼炎”さんが屍竜と戦った、ローグェの沼地もこの先ですね」
ふと思い至ったのか、ピアが呟いた。どうやら湿地帯のその更に東は沼地になっているらしい。
「呪われた聖遺物に操られた場合の基本的な行動パターンは、概ね人間を標的にした無差別な殺戮……って話だったよな」
「ああ、その通りだ」
聖遺物に堆積した昔日の亡者達の呪い――怨念は、動機も目的も風化した今でも、純化された”恨み”という情念をただ晴らさんがために、その魂を燃やし続けている。自然、その憎悪の対象は殆どの場合”人間”となる。
「でも、ここから東へ向かっても何も無くねえか?」
ミネスに改めて確認する。呪いに精神を支配されたというのに、命を奪うべき生者の活動圏から離れつつある現在の状況には些か疑問が残る。
「確かに妙ではある……が、今は気にする必要はないだろう。少し思い当たる事はあるが、な……」
「? そうか、なら気にしねぇでおくかね」
珍しく歯切れの悪い物言いのミネスに違和感を覚えつつも、ひとまずその言葉を信じる事にした。暗がりのため、その表情はよく窺えない。
「とりあえず、想定通り東に向かうという事で……」
案内役であるシニュスに向き直り、言葉を促す。
「ええ、ノクラミス氏からの依頼を受けて既に捜索に当たっている連中が何人かいますので、段取り通りまずは彼らと合流しましょう」
どこかに彼らが残した目印になるものがあるはず、というシニュスの言葉に従いしばらく周囲を捜索すると、程なくして道の脇の木の幹に刻まれたメッセージを発見した。
「これは俺でも読めるな。”シ”、”ニュ”、”ス”、だ。それと、”東へ”。そして……記号? 羽根と、矢印と半月、それに太陽と……三日月?」
火力を抑えた松明替わりの篝火が木に触れてしまわないよう気を配りながら、メッセージを解読していく。シニュスに宛てたもの、彼に東へ向かうよう伝えるものである事までは読み解けたが、後ろのこれは暗号だろうか。完全にお手上げだ。
「これは冒険者の間でよく使われる符牒です。羽根は獲物を、そして羽根の横のこの記号は矢印と半月ではなく矢と弓で、矢が放たれた後、つまり”コトが済んだ”事を示しています。どうやら彼らは”蒼炎”さんを見つけたようですね」
進み出て、他の者にも分かるよう記号を指で示しながら、シニュスが丁寧に解説を始める。
「後ろの太陽と三日月はどういう意味なんですか?」
後ろから覗き込んでいたエリィオが問いかける。こうした状況でも物怖じせず発言していける胆力には感心しきりだ。商売で大成する者というのは、皆年若い頃からこういうものなのだろうか。
「太陽は”1日”を表していて、三日月は”満月の3分の1”を表している。満月は”一晩”、つまり”1日の半分”を表す。そうすると……?」
シニュスはにこやかに質問に答えつつ、最終的な解答は質問者に委ねた。子供の扱いに慣れているようだ。
「半分の3分の1、だから……1日と、4時間ですか?」
「正解。彼らが捜索の依頼を受けたのが2日前の日暮れ時だから、これが刻まれたのはそこから1日と4時間後……今からだいたい25、6時間ほど前、か……」
シニュスはエリィオの回答に親指を立てて笑顔で応えたかと思うと、今度は難しい顔で腕を組んで考え始めた。よく表情の変わる、思いの外愛嬌のある男だ。
「報告に人を寄越していない上に、ここにも合図の印を残すだけに留めて誰も残っていないとなると、状況はあまり思わしくないのかもしれませんね」
シニュスは思案顔のまま目線をこちらに向け、自身の見解を述べた。
「では、少し急ぎましょう。追いやすいように目印も添えてくれてますし、じき追いつけるはず」
向き直り、他の者達へ呼びかける。メッセージの終わりの部分には終点めいて小さな氷が打ち込まれており、そこに残る魔力から、それが魔法によって生み出された目印である事が判る。この魔力を辿れば、早晩メッセージの主の下に辿り着く事ができるだろう。
「……ミネスさん?」
珍しく口数が少ない様子のミネスがやはり気になってしまい、思わず声をかける。
「やっぱり何か引っかかるのか?」
どちらかといえばせっかちな方の彼女が、急かすでもなく状況を俯瞰するに留めているのはやはりおかしい。
「……念の為、な。皆、今から私は少し別行動を取る。すぐに追い着く故、気にせずそのまま進め」
「えっ、それってどういう……」
尋ね返す間もなく、ミネスは足を曲げ深く屈み込む態勢を取ると、一切のそよ風も立てず跳躍し、音も無く夜の闇へと消えていった。
「………………めちゃくちゃヤバくねえか? もしかして」
“銀影”が翔び立つ様を唖然として見送った後、つい口をついて誰ともなしに問いかけてしまったが、応える者はなかった。
この先、バトル展開があるぞ