古武道 大豪院流合気道術−3
合気道
一般的に知られているものは、大正末期から昭和前期にかけて、植芝盛平を始祖として生まれた無手の武道
剣術や柔術からの流れをくみ、その理念は、植芝盛平の様に体の小さかった者が、自分より大きい者や武器を持った者を、いかに倒すか、もしくは倒されないかに集約する
似た様な無手の武道としての合気も多数あり、流派は多く、当然、海外にも盛平と同じ考えに至った者も存在し、現在は合気道として同じ道を進んでいる
しかし、大豪院流合気道術の礎となった者は、更にその昔
世は戦国と呼ばれた時代
大豪村の彦兵衛という少年だった
現在の奈良県の奥深く
歴史としてその名を残していない大豪村は、小さな集落だったのではないかと言われる
尾張の信長が、天下をその手に掴む少し前
動乱の世に生を受けた彦兵衛少年は、武士ではなく、それ以前から神事として祀られていた相撲に憧れた
しかし、貧しく、体も小さかった彦兵衛少年は、憧れた力士になることはできず、蛙や兎を相手に相撲の真似事をし、幼少期を過ごす
その時に培った動きが、立派な青年となった彦兵衛の人生を変えたのかもしれない
豊臣をへて、徳川の世になっていく天下泰平日本
武士が生き様ではなく仕事となり、刀に生き、己の強さを求めた者は、自身の流派を名乗り、大名に仕える者、全国を放浪する者、さらなる修行を続ける者となった
柳生新陰流、一刀流、二天一流
様々な流派がひしめき合っている中で、大豪村の彦兵衛さんは、大豪院流を名乗り、相変わらず蛙や兎と戯れていた
歴史の表舞台に出ることなく、一生を終えた彦兵衛さん
怖いから、危ないから、痛いの嫌だからの理由で他流試合を禁じた大豪院流は、その子へと受け継がれ、そしてまたその子へと
彦兵衛の編み出した技の数々は、改良、リニューアル、フルモデルチェンジを繰り返し、無敗のまま、身内の間だけで350年の時を超えた
そして、大豪院流11代目当主、大豪院 時空
彼の出現が、日陰で寂しく咲いていた大豪院流に、日の光を与える事となる
戦後まもなく
復興に賑わう大阪市内の会社員、大豪院 めだか氏の長男として生を受けた時空は、小柄な体ながら、病気一つすることなく、すくすくと育つ
わんぱくだった時空
体育の授業で初めて柔道をした時に、己の体に流れる大豪院の血に気づく
みんなは、なんで弱いんだ?
初心者だったにも関わらず、相手と組んだ瞬間に、どうすれば相手を投げられるかがわかってしまったという
そして柔道初段にあがった中学2年生の暮れ
時空の祖母の家で大掃除を手伝わされている時、納屋の奥で埃をかぶっていた【大豪院流】の看板と、古い書物を見つけた
大豪院流とは何なのか
この湧き上がる興奮は何なのか
自分は一体何者なのか
彦兵衛の時代から続く大豪院流のルーツを、歴代の当主が書き足してきたのであろう古い書物から悟り、明治の終わりから昭和の今まで消えていた【大豪院流】を、看板と共に復活させる事を誓う
大豪院流の目指したもの
それは柔の道の先にあるものとは違うと感じた時空は、中学卒業後、渡米を決意する
強い者とは何か
当時の日本人には、まさにアメリカこそが強い者の象徴であったからだ