勝利
「……いじめって。茜さんがですか?」
「ええ。無暗に広めるべき内容ではないけど……貴方には話しておくべきかと思いまして」
娘の境遇を語る母親の神妙な顔を見てその事実を疑う気が起きる筈もなかった。
唐突で一口に受け入れがたい告白だが、それでも今は彼女の話を聞くしかないだろう。
胸にくゆる思いを抱きながら俺はいそいそと洗い終わった皿を食洗器に入れる。
とは言え、全く予想だにしていなかった訳では無い。
桐原さんの人見知り具合は通常の域を遥かに抜きんでていた。
確実にって程でもないが、何か相応の理由がある可能性が高い事は察せられる。
……勿論、そんな予想は外れてくれるのが何よりだったんだが。
きっかけは本当に些細な事だ。
いつも教室の隅で一人でいる桐原さんをクラス内のとある女子が弄りに行った。
その際の彼女の緊張を極めた対応が、周囲からは酷く滑稽に映ったようで……
それ以来桐原さんは校内の人間のおもちゃ的存在にあてがわれるようになった……との事。
おもちゃなんて言葉じゃ可愛く聞こえるかもしれないが実際は立派な被虐対象だ。
罵詈雑言による精神的な苦痛は勿論の事、時には肉体的な暴力も振るわれていたらしい。
非道な行為を行う理由は総じて『反応が面白いから』、ただそれだけ。
余りにも酷い話だ。
加害者にとってはちょっとした遊びの一環。
そんな軽い意識で桐原さんの人生は弄ばれてしまったんだ。
……いや、そもそもどんな事情があったとしてもいじめを正当化なんて出来ないがな。
「2年生に入ってからは夜中に何度もトイレで戻したりしちゃってて……そこでようやくいじめの事を聞いたんです」
「……」
「元々あまり人と関わらないタイプの子だったんですけど……高校からは目に見えて口数も減って、どんどん部屋で一人になる事が多くなって……」
知り合ってまだ一か月からそこらの俺ですら、既に煮えたぎる様な不快感が頭を支配している。
親であるこの人にとってはどれ程辛い気分だろうか……とても計り知れない。
俺はひたすら無言で事の顛末を聞いていた。
どんな言葉を返すべきかが全く分からなかった。
頭の中に発するべき文字が浮かんでこないんだ。
だからこそ、俺はしっかりと耳を傾ける。
気の利いた返しが出来ないなら、せめて話を集中して聞くべきだろう。
「どうすればいいか分からなかったけど、社長や貴方に出会ってからは少しずつ茜の瞳に光が戻って来たんです」
「……俺が?」
若干の困惑を感じていると突如として俺の手が握られる。
しわの感触が直に手のひらへと伝わって来た。
俺はされるがままの状態で、じっと彼女の言葉を待つ。
「ですので本当に……本当にありがとう。貴方は私達にとって恩人そのものです」
「いや……そんな、俺なんか」
言葉を遮るようにぐっと握力が強まる。
「そしてこれからも娘を……茜を、どうかよろしくお願いいたします」
◆
温い夜風を受けながら帰路に着く。
俺は呆然と薄暗い空を見つめながら足を動かしていた。
延々と先程の言葉が頭の中をぐるぐる巡る。
『そしてこれからも娘を……茜をどうかよろしくお願いいたします』
「……俺、そこまでの事はやってないと思うんだけどな」
正直、宮園と同列に扱われるのは少々気が引ける話である。
あいつは自分から桐原さんに手を差し伸べたんだ。
だからこそ家族からは相応の感謝を込められるのは理解できた。
が、俺は違う。
偶然……そう、本当に偶然だ。
たまたま悪質なチーターを倒した結果、ヒーローの様に慕われているだけ。
別に桐原さんを救おうなんて意識はこれっぽちもなかった。
誰かの為の行いだったなんて当然口が裂けても言えない。
だからこそあそこまでの感謝は大袈裟にすら思えてしまう。
しかし、過程はどうあれ結果的に俺が彼女の支えになったのもまた事実な訳で……
そう考えると改めて複雑な話だ。
誤解を解くってのも違うし……非常に悩ましい現状である。
……だが何にせよ、俺の根本的な指針は既に決まっていた。
突然の大会の知らせだったり、桐原さんの過去だったり……呆気に取られることも数多くあったが、依然としてやるべき事は一つ。
目の前にある課題に向けて、全身全霊を以て取り組む。
それこそ、何よりも皆が俺に対して求めている行動だろう。
あれやこれやと考えを広げる前に一旦事態を分かりやすく整理しようじゃないか。
「……そう、勝てばいい。結局、勝てば全部丸く収まるんだ」
己に言い聞かせるように意思を言葉に発する。
今も昔も変わらない、シンプルな結論。
単純だが非常に的を射た回答の筈だ。
だからこそ勝利に向けた努力を十二分に行う。
思考を休めず、常に連立させるんだ。
どうすれば勝利への可能性を1%でも高めることが出来るのか……考えろ。
「……とにかく、帰ったら俺も改めて研究だな」
基本的な立ち回りの洗練、大会参加者の実力や動きの癖を再度確認。
やれることは幾らでも残っている。
桐原さんの心配も大事だが、何よりも先ず俺自身が完璧でなくてはならないんだ。
多くの人に預けられた期待。
それに報いたいと思うのは人として当然だろう。
世の中には勝てば官軍負ければ賊軍、ということわざがある。
さすがに額縁通りの価値観がまかり通ってはいないが……本質は間違っていない。
結果が全てではないにせよ、物事の大部分を占めているのは覆しようのない事実。
だからこそ俺は……俺たちは全力で優勝を目指すんだ。
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何とか週一は叶いましたがスローテンポで申し訳ございません。
ワクチンの副反応を完全に舐め切っていました……
次回からいよいよ大会編が始められそうです。
更新ペースは依然不透明なままですが……是非寛大な御心でお待ちいただけると非常に有難いです。




