3袖
俺と萌実が出会ったのは、小学5年生の時だった。
萌実が転校生として紹介されたとき、俺は彼女の可憐さに惹かれた。その瞬間から好きになっていたのだろう。 萌実との席は離れており、中々自分から話しかける機会がなかった。
転校当初は、クラス全体が彼女に関心を持っており、萌実の周りに人が集まる事が多かったが、1ヶ月もすると、彼女は目立たない存在となっていた。 そんな彼女を、頻繁に教室の外へと連れだしていた女子グループがあった。
ある日、先生から頼まれていた花当番の仕事をしに、学校の裏にある花壇に行った時に俺は見てしまった。 萌実がその女子グループに土と水を掛けられている場面を。 その行為は幼い俺にも虐めだと認識出来た。 建物の陰に隠れながら見ていると、萌実に対する罵詈雑言が聞こえてきた。「可愛いからって調子にのんな! 私が好きな勇人君を奪いやがって!」 そんなことを言っていたと思う。
俺はその現場から逃げ出してしまった。 どうすれば良いかわからなかった。
次の日、学校に着くと、萌実の机には油性ペンで悪口をかかれ、花瓶まで置かれていた。 萌実はそれらをランドセルを背負ったまま一人で片付けていた。
萌実が転校してきて2ヶ月たった頃、放課後に教室に行くと、萌実が自身の机に突っ伏して泣いていた。 その様子をみて、「高坂さん? 帰らなくていいの?」と話しかけた。
「帰ったら今日が終わっちゃう。今日が終わっちゃったら、また明日、嫌なことされるもん。」
鼻をすすりながら小さな声で呟いた。
「でも、帰らないとお家の人、高坂さんのこと心配するよ?」
「じゃあ、早良くん。 一緒に帰ってくれる?」
「いいよ。 ちょっと待ってて、帰る準備するから」
そうして、俺達は一緒に教室を後にした。
「あいつら嫌い。 クラスの皆も嫌い。」
萌実は歩きながら呟いた。
「でも、早良くんは好き」
一瞬、心臓が跳ね上がった。
「え?」
「私に優しくしてくれたから好き。」
その言葉を聞き、恋愛感情ではない"好き"だと理解した。
「多分、沢村達は、高坂さんに嫉妬してるんだよ。」
沢村は萌実を虐めていた主犯格のことだ。
「高坂さんは他の女子より可愛いから、沢村は可愛いくないから、羨ましいんだよ。」
夕焼けの空を眺めながら、隣にいる萌実に言う。
「私、可愛くなんかない。 可愛くないから嫌なことされるの。」
萌実はうつむきながら地面に向かって言葉を出す。
俺は勇気を振り絞り、萌実を見る。
「今度、嫌なことされたら僕に言ってよ。 僕がなんとかするから!」
その言葉を聞いた瞬間、彼女は顔を上げ、大きな瞳で俺を見つめる。
「うん!」
初めてみた、彼女の笑顔は今でも忘れていない。
「………くん、 早良くん。」
肩を揺すられて起きる。 隣を見ると速水さんがこちらを見ている。
寝ぼけた顔で辺りを見渡す。 授業中だったようだ。
国語教師が呆れた顔で言う。
「おい早良。 授業中だぞ。 何寝てるんだ全く」
「あ、すみません。」
「早良くん、教科書の56ページから音読して」
速水さんはこっそりと俺に告げる
「あ、ありがとう………ございます。」
「何で敬語なの?」
彼女は笑っていた。
笑っている彼女を片目に、教科書を広げ、まだ寝ぼけている頭を回転させて文字を声にした。
「お前が授業中寝てたなんて珍しいな。」
昼休憩の時間に中谷は俺の席に来た。
「徹夜明けなんだよ。」
「なんで? 萌実ちゃんと何かあった? 喧嘩? 別れた?」
「そんなんじゃねぇよ。 あぁ! 気持ち悪くなってきた!」
俺はそう言うと先程、購買で買ってきたパンを片手に屋上へ向かった。
快晴の空を見ながらパンを貪っていると
「早良、話してくれよ。 昨日何があったんだよ。」
ここまでついてきたのかよ。 中谷。
「はぁ。 嫌だ。」
「そう露骨に嫌がるなって。 焼きそばパン奢るからさ!」
「………………………」
「じゃあ、クリームパンもつける!」
中谷は財布の中身を見ている。
「いやいや、なんでそうなるんだ。でも、一人で抱えるよりも、誰かに聞いて貰うのも良いかもしれないな」
彼は顔を上げ
「おっ!何でも話してくれよ!」
本当は言うのも憚られるが高校生になって初めて出来た友達の中谷だ。 こいつならきっと……………。
俺は中谷に全て話した。萌実には、虐められていた過去があること。家族と蟠りがあり、歩実さんとの姉妹仲が最悪になっていること。 それらが原因で不登校になっていること。
中谷は何も言わずに聞いてくれた。
全て話し終えた後、彼は少し考えて俺に言った。
「今も昔も、萌実ちゃんにとって、早良は味方なんじゃないのか?」
俺は話し終えてからうなだれたままだった。
地面に転がる小石を見ながら言う。
「…………かもな。 俺は……多分味方だと思われていると思う。」
中谷はおちゃらけて言う
「いやいや、誰もお前の希望的観測なんて聞いてないぞ?」
次は俺を見据え、真剣な口調で諭す。
「お前が彼女にとって、どう在りたいか。 "早良 健一"自身はどう思ってるんだよ?」
「俺、自身………。」
「そう、お前自身」
俺は、やっぱり、ずっとあいつの………
「俺はあいつの味方でいたい。 今も昔も、これからも。」
中谷はニッと笑い
「だよな。 やっぱ愛する女に対して、男が一番やれることはそれだよな。」
反射的に中谷の笑っている顔を見て
「愛して………って! お前何言ってんだよ!?」
「顔赤いぞー。 まぁ、あんな美少女、好きにならないほうがおかしいよな。」
「じゃあ、お前が今日することは明白だよな。
早良。」
そうだ、最初から明白だったんだ。 俺は深呼吸をして、中谷に告げる。
「あぁ。 今日、萌実の家に行って……」
「愛を伝える!」
「違ーう! いや、それっぽい事を伝えるけど、なんか違う!!」
ハハハッと中谷は笑っていた。 彼につられて笑ってしまう。
群青の空が俺達を見つめる。 何処までも続く空は時々曇るけど、いつか必ず晴れる。
彼女の心は今でも曇ったままだ。俺はいつか、その雲を取り除いてあげたい。