平凡で退屈で、平和な世界
ここに閉じ込められてからどれくらい時間が経っただろう。
内側から見た感じだと、窓らしきものはなく、外の光が入ってこない。
木造のコンテナのような印象で、扉も後ろの一面だけだ。
どこに運ばれているのか知らないが、馬の蹄鉄の音とともに振動が尻に伝わってすごく痛い。
おまけに匂いも最悪。両隣の男の子は二人とも髪の毛が肌が脂ぎっている。
そろそろ尻の痛みが限界だ。体勢を変えようと身動ぐ。
「クッ」
––––––ガタン
同時に車体が大きく揺れて、地べたに顔が叩きつけられる。痛い。
後ろ手に嵌められた手枷のせいで、ぶつけた場所を撫でることもできない。
なんとか起き上がろうとするも、右側にいる長髪の男の子に肩がぶつかってしまった。
「あ、えと、すみません」
そう言いかけたが、隣に座った少年は焦点の定まらない目で、車体の揺れに身を任せるばかりでろくに返事も返ってきそうになかったから、黙って元の位置に座り直した。
気になって、周囲を見回してみると大体みんな同じように宙を見て、口をあんぐり開けていた。
最初は泣き叫んでいる人もいたが、今では静かなものだ。
暑さと疲労で意識が朦朧とする。俺ももうじき同じように何も考えられなくなるのかもしれない。
数日前までの出来事と今で一体、どうしてここまで変わってしまったんだろう。
平和だった日常が遥か昔のことみたいだ。
「あっちーな、くそ」
夏。西日がじりじりと俺の背中を焦がす。蝉が命を燃やして鳴らす音が、俺の体力を削っていく。
自分ちの敷地に入ってから、かれこれ5分階段を上りつづけている。
こういうと、俺が大豪邸のお坊ちゃんだと勘違いする奴がいるかもしれないが、それは誤解だ。
ただのド田舎の古びた神社の息子ってだけ。
階段は280だか284だか忘れたけど、300段近くある上に、大昔に作られてからろくに整備もされてない。
慣れた人でも足元を見ずに踏み出せば、足を挫いてしまうほどあちこち凸凹している。
通学のために毎日この階段を使い、幾度となく足を挫いてきたせいか、俺の足首は他の高校1年生に比べてがっしりしている。
近所のじっちゃんやばあちゃんはこの自然な石の凹凸や、昇降で擦れてできた艶に歴史を感じるというけど、正直なところ、足腰が弱くて参拝に来るのも大変そうだ。
「あーあ、明後日から夏休みだってのに、実家の手伝いだなんてな」
石動神社では、毎年8月にお盆祭が行われる。
このド田舎のイベントとしてはかなり規模が大きく、例年多くの観光客が訪れるほどだ。
「まあ、修。そういうなって。いつもお盆祭楽しみにしてるだろ」
この雰囲気イケメンの優男が、俺の兄貴の瞬だ。
長男、つまり神社の次期当主であるため、祭りで執り行う儀式の練習で俺より忙しいのに、その爽やかな面を崩す気配もない。
優男風なのに、俺よりしっかり筋肉がついてるのもむかつく。
「高校1年生の夏休みっていったら、新しくできた友達とカラオケとかゲーセンで遊んで、あわよくば可愛い女の子と良い感じになって、花火とか海とか行っちゃうもんだと思ってた」
「年上ってだけで、妙に大人っぽくみえちゃうもんだよな。俺も中学生の時はそんなこと考えてたよ」
「兄貴は理想が現実になってるだろ。夏先輩っていう美人の彼女もいてさ」
夏先輩は、去年の冬にできた兄貴の恋人だ。
きりっとした目がクールな美女。その上、足がすらりと長くて、こう胸もあって、とにかくスタイルも抜群だ。
兄貴はのんびりしてるから、良いように使われていないか心配だけど、とにかく何より羨ましい。
「でも、それも俺が高校2年生になってからだし、今年はお互い受験で夏休みは忙しいからな。そんなに遊んでもいられないんだよ。修だって今はなくても、来年とか再来年になればそういうこともあるかもしれないよ」
「俺は兄貴と違って、モテないからな~」
そうこう言っているうちに、ようやく神社が見えてくる。
その正面に向かって左にあるのが俺の家だ。
神社と同じく古びた木造建築で、夏は暑くて冬は寒い。
こんなんじゃ神様もゆっくり休むこともできないだろう。
「ただいまー」
神社までの長く高い階段を登り切って、喉はカラカラだ。
とりあえず麦茶でも飲んで、ゆっくり休もう。
肉のない、豆腐や野菜でこしらえた質素な夕飯を平らげると、そそくさと自室に閉じこもった。
びっしりと詰まった本棚から漫画を取り出して、ベッドに横になる。
しばらくして、階段が軋む音がして、隣の部屋のふすまが閉まった。
兄貴は受験生だからと、ここのところ神社の手伝い以外は部屋で勉強ばかりだ。
どうして俺のいる世界はこんなに平凡でつまらないんだろう。
漫画の中では、異世界に転生した主人公が特別な力を手にして、異世界ライフを謳歌している。
本棚に並んだ漫画やライトノベルの多くは、平凡な主人公がある日、魔法みたいな突出した才能を何かのきっかけで手にするところから物語が始まる。
逆に才能のない奴は平凡でつまらない人生をそのまま過ごすしかないんだ。
「あれ、この漫画の続き、兄貴の部屋だっけ?」
兄貴の部屋のある方の壁を3回ほどノックして、「おーい」と声をかける。
すぐに壁の向こうから兄貴の間抜けな声が返ってきた。
「この前借りた漫画の続き、兄貴の部屋にある?」
「あるよ。とりにおいで」
勢いをつけて体を起こすと、ベッドが軽く軋んだ。
その勢いのまま、すぐ隣の兄貴の部屋に急ぐ。
ノックもせずに兄貴の部屋のふすまを開けると、案の定兄貴は勉強机に向かっていた。
俺に背を向けたまま兄貴が指さしたダンボール箱を開けて、漫画を自分の腕に積み上げていく。
目的を果たしたから、そのまま部屋を出ようと思ったが、鉛筆を紙にこする音が耳について、後ろを振り返った。
勉強机には、良く分からない数式がびっしり詰まった問題集や、何が書いてあるか不明な走り書きが残された裏紙がいくつか散らばっていた。
「そんなに勉強して、楽しい?」
勉強ばかりのつまらない兄貴に対する嫌味に、兄貴はいつものへらへらした調子で答える。
「まあ、楽しくはないかな」
「じゃあ、何でそんなに勉強すんの」
兄貴の返答に食い気味で、また質問を投げる。
「……他にできることがないから。野球ができたり、絵が上手かったり、そんな才能が俺にもあればよかったんだけど……」
「兄貴は何でも人並み以上にできるじゃん」
「それじゃダメなんだよ」
中学校の運動会や球技大会では活躍の余り、学年が違う女子からも人気が集まっていたし、小学校の写生大会で賞をもらった絵は今の俺でも描けないほど上出来だと思う。
それだけじゃ、物足りないっていうのか。
神社の跡を継ぐことも決まっているのに。
自分の部屋に戻って自分の部屋にもどって、またベッドに寝転ぶ。
開いた漫画が顔に影を差す。
「兄貴ほど優秀でダメなら、俺はどうしたらいいんだよ」
自分にしか聞こえないようにボソリとつぶやいた。
漫画を見ていても、内容は全く入ってこない。同じ人物のセリフばかりを何度も読み返してしまう。
何回読み直したか分からなくなったころ、兄貴の声が再び聞こえてくる。
なんとなく声の印象がいつもより柔らかい。彼女と電話しているんだろう。
空きかけの通学用リュックの中に無理やりイヤホンを引っ張り出して、最近流行りのバンドの曲を流す。
バラードに変わって、眉間によった皺が少しずつほぐれると、俺はそのまま眠りについた。
『––––––––役目を果たせ、お前はこちらに来なくてはならない––––––––』
「んだよ、うるさいな」
何かに呼ばれた気がして、目を覚ましたが、まだ眠気が全く取れていなかった。
まだ家の中が静まり帰っているし、カーテンの隙間から白い光が漏れていない辺りからして、もう一眠りはできそうだ。念のために時計を確認すると、朝の5時。
なんて中途半端な時間に起きてしまったんだ。
このド田舎の神社から街中の高校に通学するには、階段があるから家から自転車は乗れないので、まず自転車をとめている駐輪場まで徒歩で歩く必要がある。そこから最寄り駅まで自転車で10分、電車で30分ほど移動して、バスで20分かけて学校に向かう必要がある。
そのため、8時半ギリギリに登校するとしても7時前に家を出る必要がある。
5時だと二度寝したら遅刻する危険もあるし、遅刻ギリギリになればあの凸凹の階段を駆け下りなくてはならない。
そんなことしたら、この前みたいに足を挫いて学校じゃなくて病院に向かうことになるだろう。
「それにしても変な夢・・・」
変というか不気味というか。別に何か夢の中で怖い思いをしたわけでもないのに、冷や汗でTシャツがはりついている。
しかしそれと同時に胸の高鳴りのようなものを感じている自分もいた。
俺は自分でもなんだかよく分からなくなって、余計なことを考えないで済むようにリビングでキンキンに冷やした麦茶を1杯流し込むと、携帯のアラームだけセットして再びベッドに潜り込んだ。
「はいはい、遅刻の言い訳はそんだけ?」
「高校生にもなって厨二くさいぜ、修」
結局俺はあの後ぐっすり二度寝をかまして、朝礼の前の「起立、礼、おはようございます」で皆が立っているところに
ギリギリ教室に滑り込んだ。
「いやいや、そもそも俺にとってはあれはギリギリ遅刻じゃない。セーフだって。先生にバレてないし」
この前の席替えで教室の後ろの入り口近くの席をゲットしたおかげで、教壇からは俺が教室内を移動する姿は見えないはずだ。
「先生が見逃してくれてるだけでしょ」
この委員長でもないのに委員長みたいに口うるさいのは、隣の席の早瀬。
席が隣になってから、随分と喋る機会が増えた。
呆れたと言わんばかりの物言いをする彼女を宥めるように友達の慎吾は言う。
「ま、今日はどうせちょっと授業受けたら終業式なんだしさ、多めに見ようや」
なんだか上から物を言われているようで釈然としないが、とりあえず今日でこの朝の通学という苦行がしばらく無くなると思うと、心が軽くなる。
「夏休みか〜、宿題さえなければな〜」
「宿題と家の手伝いがなければな〜」
早瀬につられるように俺も愚痴をこぼす。
「ただでさえ暇があれば仕事押し付けられるのに、夏休みって名前がつくと毎日手伝いばっかりさせられんだもんな〜」
消しかすがまばらについた下敷きをベコベコ鳴らして顔を扇ぐと、冷房で冷やされた空気が風となって運ばれる。涼しい。
「まあそう落ち込みなさんな二人とも。今年の夏はいつもと違う夏にしたいだろ?」
「何よ、あんたまた変なこと企んでるんじゃないでしょうね」
口元をいやらしく上げて、ほくそ笑む慎吾を早瀬が汚いものを見るような目で睨んだ。
「あのクラスのマドンナ的存在である七咲さんが言ってたんだが、どうも彼女たちは今年の夏休みに祭りに行く計画をたてているらしいんだ。」
「それで?誘われたの?」
頬杖をついてページをめくりながら、念の為ため息を吐くついでに確認する。
「高嶺の花の七咲さんが、俺なんかに声をかけると思うかい?いや、かけない」
「反語だね」
「つまり盗み聞きってわけね。サイッテー」
「けっ、糸目は黙ってろ」
正直言って、早瀬は目が細くて可愛いとは言い難いが、人の外見的なコンプレックスを指摘するのは良くないと思う。
それに、それを黙って見逃す早瀬じゃない。
「あんたよかマシよ。このピーナッツ頭」
「んだと、このデブ!」
「デブじゃないわ!ぽっちゃりよ、この短足!」
「寸胴!」
「ハゲ!」
なんて低レベルな会話。偏差値が低めのこの学校ですら浮いてしまいそうだ。
俺も二人と負けず劣らず頭は悪いが、それでも少し恥ずかしくなるレベルだ。
語彙力が低いので、悪口さえも早々にレパートリーがなくなってしまい、二人は互いに睨み合ったまま固まってしまった。
「まあまあ、それで誘われてもないのにどうするつもりなんだよ」
「よくぞ聞いてくれた、親友よ!」
七咲さんたちのお祭り計画に話を戻すと、途端に上機嫌になり、饒舌に語り出した。
「例えばだ。どこのお祭りにいつ行くのか七咲さんに聞いておくとしよう。七咲さんはきっといい人だから快く答えてくれるだろう」
「だろうな」
「どこの祭りに行こうか迷っている、とでも言えば不審がられずに済む。さらにあわよくばお祭りの会に誘っていただけるかもしれない!」
それは、さすがに夢が大きくないか?
それにこの作戦には重大な欠点がある。七咲さんたちのグループが教室にいないかキョロキョロと見渡す。
「七咲さんの反応はそれでいいとして、周りの女子たちは?あいつらは七咲さんと違って、あることないこと悪口行って来そうだけど」
「そう!そこが問題なんだ!当日祭りで会って、七咲さんが他の女子たちに時間や場所を教えたことを喋れば、『え、これ絶対みやびのこと狙ってるって!』とか、『まじキモいんだけど』、『ていうか、やり方が陰湿〜』だとか、さらには『まず顔面が無理』『うちらの浴衣姿みて興奮してそう』とか」
「ピーナッツ頭は帰れ」
「そうそう、『ピーナッツ頭は』って、おい!それはお前が思ってるだけだろうが!」
せっかく鎮火したと思ったのに、早瀬が煽るからまた話が脱線しそうだ。
「まあ、そんな感じでキモがられる未来はバカでも予想できるな」
「そういうわけだ」
勝手に想像した悪口に二人で凹む。
下心があるし、やり方が陰湿なのも事実だから余計に心に刺さる。
「それで、それが分かってるなら、どうするつもりなんだよ」
「発想の転換さ!場所や時間を聞くのがダメなら、場所や時間を指定すればいいだけだ」
自慢げに腕を組んでいるが、さっきよりも難易度がぐんと上がってるし、キモがられる未来を回避できるとは思えないのだが。
「それって俺たちが祭りに誘うってことだろ?それこそ『キモい、無理』で即お断りだろ」
「それがそうでもない。お前の神社の息子って立場を使えば、な」
なんだか嫌な予感がしてきた。これは俺がいいように使われる気がするぞ。
「神社の息子であるお前が、神社の宣伝って名目で誘えば、下心を臭わせずにすむし、主催者側のお前とその友達の俺がいても何1つ不自然じゃないってわけだ。お得な割引券でもあれば完璧だな」
非の打ち所のない完全に他人任せの作戦だ。
俺と同じで勉強はできないくせに、こんなところだけ無駄に頭がきれるのがムカつく。
肩を組んで、頼んだぞと言わんばかりに顔を近づけてくる。やめる俺はノンケだ。
そんなことをやっているうちにチャイムが鳴って、5時間目の現代文の先生が入ってきたので、慎吾は俺に口でも「頼んだぞ」と言って、自分の席に帰っていった。
『フフフ、はやく、こっちにおいで』
ここはどこ?自分の体も何も見えない闇の中で、綺麗な女性の声だけが聞こえる。
どこかで聞いたような、どこか寂しいような、そんな声。
『一緒にあそぼう。向こうで待ってる』
そう言って、女性の笑い声が遠のいていくような感じがして、慌てて呼び止めようとする。
でも声が出ない。自分の声も聞こえない。
姿も見えなくて、声も聞こえなく、誰も俺も自分を認識できないなら、俺はここに存在しているって言えるのか?
頼む。お願いだ。待って。こんな闇の中に一人にしないでくれ!
「待って!」
ハッとして手を伸ばす。
教室は静かで、先生が黒板に教科書の文章を書き出しているだけだ。
クラスメイトも板書に集中している奴、こっそり携帯をいじっている奴、誰も俺の方に見向きもしていない。
聞こえてなかったのか?
叫んだつもりが、声に出てなかったのかもしれない。
とにかく、授業中の居眠りを指摘されずに済んで良かったが、不気味な夢に冷や汗が止まらない。
乱れた息を整えようと、深呼吸を繰り返していたが、肩に何かが触れて体がビクリと反応してしまう。
「ご、ごめん。大丈夫?」
触れてきたのは、早瀬さんだった。
あまりの俺が大げさに驚くから、彼女自身も驚いて手を引っ込めてしまった。
「あ、ありがと。なんかすごい変な、そう変な夢だったから。ちょっと神経質になっちゃって」
高校生にもなるのに、怖い夢で冷や汗を流しているというのがなんとなく情けない気がして、ちょっとごまかして伝えた。
今朝も変な夢だったし、なんか疲れてるのかもしれない。
きっと、そのせいだ。深い意味なんてない。
心の奥で感じた寂しさに疑問を感じていたが、それを振り切るようにノートを取ることだけに集中した。
『俺の気持ちも知らないで、慎吾が勝手に祭りに誘えとか言うから、こんな変な夢みるんだ』
呑気にうたた寝している慎吾を少しだけ睨んで、悲しくなる。
ノートに七咲さんの名前を書いてみたが、怖くなって急いで消して、その上から板書を続けていった。