記録を保存する鍵の塔 Ⅰ
その日も、アルバは本棚の列の中に居た。
手は何冊もの分厚い本を積んだキャスター台を押しており、空いているスペースに載せている本を収めていく。表紙には「アウターワールドストーリー」と言うと表題と何かの番号、そして、本の内容を記録した者としてアルバの名前が記載されている。
「この棚は、これで良しっと…」
キャスターに積まれている本全てを本棚に収め、一息つくと、改めて本棚の内容を確認するために見回した。本棚に並んでいる本全て、番号だけが違う同じような本ばかりが収められている。
「ここの列も、そろそろ満杯になるね。ようやくここまで来たんだ」
数える行為を諦めたくなるほどの冊数を所蔵している棚を見て、押しているキャスター台の軽さとの対比に思わず感慨深げに頷いた。
「アルバ様、こちらの本棚、整理終わりましたー」
すると、本棚を挟んだ反対側の列から別の少女の声が聞こえた。同じくキャスター台を押す音が聞こえており、少女もアルバと同じ作業をしているという事がうかがい知れる。
その報告に、アルバは微笑を浮かべた。
「ご苦労様。皆の様子を見て、適当ならお茶にしましょうか」
「畏まりましたー。他の子たちにも伝えてきまーす」
「お願いするね」
同時に動くキャスター台の音。片方は急ぎ、もう片方はゆったりとしている。
アルバは長い長い森の中のような本棚の通路を、ゆっくりとメインホールへと引き返し、所定の位置にキャスター台を停めると、ホール中央にあるいつもの読書スペースに就いた。服のポケットから一冊の文庫本を取り出し、机へ。
表紙には「流転する世界樹」と印字されている。著者は、自分ではない誰か。
「……」
栞を挟んでいるページを開き、押し花の栞を退ける。文字を軽く追い、今どこまで読み進めていたかを確認する。文字を追い、頭の中に広がっていた想像を思い起こす。
その間にも、そこかしこでキャスター台を押す静かな音が聞こえ、人が行き来する気配が、寄っては離れ、離れては寄ってしている。そうして徐々に一ヵ所に集まり始め、人の行き来の回数も減っていく。それも十数分の間で消えて、アルバを除き、二つほどの気配に集約された。
「お待たせしましたー」
「お待たせしました…」
二つの気配はアルバの向かい側に集まり、明るい声と静かな声とに分かれて現れた。アルバは本を閉じ、それをポケットにしまった。
「それでは、行きましょうか」
席を立ち、出入り口へ続く通路に向かうと、すぐさま彼女の斜め後ろに、二つの気配が控えて続いた。ノブを引くと、上質な木製のドアが開き、その先の空間に満ちる空気の匂いを三人に届けた。
開け放ったドアを潜ると、その先には、吹き抜けの中心に螺旋階段や、互いの通路を接続するための空中回廊を配した、アパートメントのような空間が広がり、一定間隔で配置されたドアが、よりその印象を強めている。ただ、上階を見上げても、下階を見下ろしても、その先端までを見通すことは出来ない。
回廊や階段、通路にも多数の人の行き来を認めることができ、中には近道するために、ふわりと浮かんで、淡く輝く足で空中を移動していく者たちも居る。
その一部はアルバと似た服装を、それ以外は彼女の後ろに控えている二人と同じ服装をしている。
「…流石にまだ、行き来は多いか」
通路から回廊の様子を見て、アルバが呟く。
「今日は“翁”と、この塔の“ノルン・セフィラータ”であるサンクトゥス様がお出でくださっているので、いつも以上に気が入っているのでしょう。明後日は全体視察ですし…」
「みんな、視察が来ると気合が違うからねー。アルバ様やアンジアノ、私は、特に変わりないですがー」
「アルバ様や、私達は、いつも通りに整理を続けておりますから。ピューラ様やルブルム様は、大忙しで御座いましょうが…」
物静かな方の少女が、無表情で心中の考えを口にする。
「アンジアノ、ミノーレ。この後に、なにか大きな用事は入っていたかな?」
その言葉に、アルバが手持ちのメモ帳を開いて予定表を確認する。
「いいえ、特には御座いませんね。ミノーレ同様、手すきです」
「アルバ様にも、特に面会の予定とかは無かったはずですよー」
アンジアノとミノーレが、それぞれの記憶から、意見を口にする。アルバもまた、メモ帳の内容を確認しつつ、忘れが無いかを確かめてから。
「私にも、特に鍵世界の巡回任務は無いわね。休憩した後で、様子を見に行ってみようか。どう思う?」
「異論はありませんが、加勢する場合、状況次第でお決めになるのがよろしいかと…」
「私も異論ないですよー。加勢するしないについても、アンジアノと同意見でーす」
「分かったわ。なら、一先ずとして。見に行って、加勢が必要そうなら加勢すると…。そう言う事で良い?」
「承知しました」
「了解でーす」
そのような会話を交わしながら、三人はエレベーターホールへと入っていった。
その喫茶スペースには、アルバ達以外にも複数人の少女や少女のような姿をした者たち、そして動物のような姿をした者たちが居て、それぞれが好きな席で、思い思いのスタイルで、仕事の合間の、喫茶の時間を楽しんでいた。
アルバ達も、それぞれがカウンターで注文した喫茶セットを持って、外の景色が見える窓際の席を確保した。
「今日も盛況だわ。良い事ね」
テーブルの上に置かれた珈琲とケーキのセットを楽しみながら、アルバがそう口にした。
「はい。仕事がひと段落すれば、身分に関係なく全て利用できる場所ですから…」
「しかも費用が掛からないですからねー。最高ですよー。私やアンジアノのようなノルン・リーベルにとっても憩いの場です」
アンジアノとミノーレは、それぞれが好みの焼き菓子と生菓子を珈琲とセットにしており、自由に堪能している。周囲はオープンではあるが、面積が広く、各々の飲み物や料理の放つ香りが邪魔し合うことは滅多にない。
「……」
カップから昇る湯気につられて、アルバの視線が窓の方に向く。
向こう側には昼時前後に相応しい明るい平原が広がっており、所々に近代的な建築物も見える。それ以上に目を引くのは、地平線の上側。つまり空に当たる部分が蒼空でなく、何処までも星空であるという事だった。中には渦巻き型銀河のように見える部分もある。
「今日は、世界樹は見えないか。今は反対側だったわね?」
「はい、アルバ様。明日辺りに、この鍵の塔から直接見ることが出来る位置に現れます」
「綺麗ですよねー、世界樹。しかも、あの枝一本、葉っぱ一枚が、一つの鍵世界なんですから。知らない人が見たら驚きでしょうねー」
「まあ、そうね。そしてこの場所の地下が、あの枝葉一枚一枚の鍵世界に繋がる扉を備えていることにもね」
アルバは、自分の首から提げている鍵の装飾付きペンダントに触れる。周囲の光に、鈍く反射を返しているそれを、アルバだけでなく、周囲に居る一部の少女たちや動物たちも身に着けている。
「私も早く、鍵世界の観測に参加できる資格を得たいです」
「向こうは色々と違う文化が見られるらしいからねー」
そのペンダントの輝きを見ながら、アンジアノとミノーレが、羨ましそうに言う。
アルバはそんな二人に微笑みながら。
「貴方達なら、直ぐに取れるわ。気長に待ってなさい」
「はい。頑張ります」
「今からもう、楽しみでしかたないですよー」
互いに笑い合い、実に和やかな時を過ごす、三人であった。