世界を巡る〔絵画の書き手〕
その日、アルバは十数冊に及ぶ記録書の一シリーズから、最後の数冊を手に取り、読書スペースの席に着いた。向かい側の席には既に別の少女が就いており、まるでアルバが来ることを待っていたかのように微笑を浮かべた。
「今日は早いのね。ピューラ。記録は順調?」
先に席についていた少女に向けて、アルバが先手を取って話しかける。ピューラと呼ばれた少女は微笑みを浮かべてアルバを見据えた。
「もちろん順調。そっちも好調みたいじゃない、アルバ。ん?その記録は?」
「昨日まで居た世界の記録。もうすぐ扉が“閉鎖”予定だから、加筆しておこうと思ってね」
そう言って、アルバは抱えている本を机上に置き、席に着いた。見ると、手にはいつの間にか万年筆が握られており、本は、巻末の一冊がアルバの目の前に滑るように移動。特定のページが出るまで自動で捲れ、そして止まった。
「そこの世界では、アルバは何の役を設定して没入したの?」
置かれた本から一冊を手に取り、ページを捲りながらピューラは尋ねる。アルバは万年筆で開いているページに文を加筆しながら、微笑を浮かべた。
「絵描きよ。世界を旅する絵描き。とても楽しかった」
「へぇ…」
「平和、だったんだけどね」
五行ほどの文を加筆し、アルバはいったん筆を止めた。
その世界には、帝国、共和国、連合国の三つの国があり、定期的に魔物という闘争本能の塊ともいうべき存在と戦う以外には争いも起こらない、穏やかな世界だった。
その世界に降り立ってからは、アルバは、グレイと名を変え、必要以上に他人と交わることもなく、世界を駆け回る絵描きとして活動をしていた。
人生を変えるとまで称された山の風景。秘境と呼ばれる前人未踏の雄大な景色。どこまでも広がる青い海と空のコントラスト。雄大に発展を続ける近代的な都市のパノラマ。伝統を受け継ぎ遺す優美な古都の一幕。自分が足を運ぶことの出来、見ることの出来る、あらゆるものを描き続けた。
時に、その活動が、世界の住人を招き寄せることもあった。帝国の貴族から肖像画を依頼されたり、共和国の庶民から子どもの成長記念の絵を依頼されたりと、内容を語れば語る尽くせない数の訪問があった。
しかし、その中でも特に印象に残った訪問者が居る。
ある時、ひと時の宿として設けた仮の家で、少し離れた街に住む青年二人と出会った。
一人は、快晴の日よりがヒトの形をとったような人情家、名前はアドレイ。もう一人は、深謀遠慮という言葉が似合う正義漢、名前はリフリー。
二人はある時、アルバの絵を見て、いたく感銘を覚えたそうで、絵を依頼するために様々な伝をたよって自分の下を訪れてきたというのだ。
依頼された絵の内容は、アドレイとリフリーを中心に、彼らの友人知人も交えた、合計人数十三人の集合絵。加えて、全員の、それぞれの顔がはっきりと分かるように配置したうえで描いてもらいたい、というものだった。
アルバは依頼を請けることを了解し、絵の参考のために一度、二人の街を訪れて実際の人物を見たいということを伝える。二人は了承し、都合の付く日取りをアルバに伝えた。
そして、約束の日。
アルバは、絵描きのグレイとして街を訪れ、青年二人とその仲間たちと合流した。
男と女がそれぞれバランスよく集まっており、その全てが青年二人の人柄に惹かれて集まった、ある種の同志であるということだった。そのいずれの人物も、各々の個性を持ちつつも、青年二人に負けず劣らずの好人物揃いである。
どこの誰が言ったのか、類は友を呼ぶというような言葉を“翁”から聞いたことがあったが、この時ほどアルバがそれを実感できた日は無かったと思う。
アルバは、この青年二人と、男女十三人とも、改めて話をする。集合絵には、どのような配置で並ぶのか、加えて、集合絵を欲している理由を。
「俺とリフリーは、完全平和のために、魔物の王城に戦いを挑む義勇軍を作り上げたんだ。こいつらは、俺と同じ、魔物戦争の孤児連中で、他国でも精力的に活動してくれてる」
「集合絵は、その証と言いますか…。後世にも遺るような象徴として、証として欲しいと、皆で考えたものです。押し付けがましい願いとは存じますが、どうか一枚、描いて頂きたいのです」
「俺からも、この通り、頼みたい!」
平身低頭する様を見せられ、元より請け負う積もりだったアルバは、二人の青年の頼みを無下にしないように、全ての個人の顔を、仕草の癖を観察。最後には一つ一つの絵が組み合わさるように、顔の向き、手の位置、肩の位置など、鉛筆書きで紙に収めていく。
全ての作業が終わったあとは、個々の人物と会話。絵に魂を込めさせるための、最後の情報収集。それも終わると、その場を離れて、いよいよ工房で描き上げる段階へと突入した。
作業そのものは三日ほどで終了し、その一日後に、アドレイとリフリー、二人の元に、アルバ自ら届けた。
絵を受け取り、見た二人はたいそう喜び、これでもう思い残すことはないと穏やかな口調で口にしていた。その言葉に不穏なものを感じはしたものの、アルバは絵の代金を受け取り、場を離れた。
アルバの話を静かに聞いていたピューラは、一度は閉じた本のページを捲り、その内容を確認する。
「それで?その二人と、同志たち十三人は、どうなったの?」
「うん?見事、彼らは目的を達成したわ。義勇軍は、三国の孤児や魔物被害者を次々と取り込んで、巨大な軍組織になった。魔物たちの王、まあ、ここでは魔王と表現するけれど、その城に乗り込んで、配下の魔物共々、彼らが討ち取った」
開いているページに文章を書き足し始めながら、アルバは語る。
「でも、それで終わらなかった。そう言う感じね。今書いている内容は、それについてでしょう?」
「まあ、そうね。義勇軍は指導者であるアドレイとリフリーを失うという犠牲を払いながらも、見事に魔物の王と側近を討ち取り、魔王の城は解放された。それから数年は、安寧の時間が流れる。しかし、魔物は滅んだわけではなく、むしろ数年後には、魔物の襲撃頻度は増加を始めた」
語りながら、アルバは本のページに文章を書き込んでいく。そこが最後の一ページらしく、終わりを表す記号が書かれた付箋が貼ってあった。
「その原因、魔王の影響力の消滅は、生来からの闘争本能を有する魔物たちの制御を、希薄なものにしてしまったためである。従来の襲撃は、少なくとも戦いと呼ぶことの出来る、指揮統制されたものであった。だが、統制の崩壊により、襲撃は無秩序で混沌としたものとなり、更なる争いの呼び水となってしまった」
物語る語り部のように、アルバは事の顛末を口にする。ピューラは静かにそれを聞きながら、本のページを捲った。
「帝国、共和国、連合国の三国は、脅威に対抗するために同盟を組み、団結して魔物の襲撃を押し返し続けた。その過程で義勇軍の構成員たちも各地で奮闘し、最終的には、多くの犠牲と、領土の簒奪を許した結果と引き換えに、魔物を一定の範囲内に押し込め、事実上の封印に成功した。しかし、制御の方法は未だ確立されておらず、義勇軍への協力者も減少し続けている。次に何らかの要因で封印状態から魔物が脱した場合、どのような結末が訪れるかは書き記すまでもないだろう」
そこまで語り終え、アルバはそっと筆を置き、本を閉じた。
「つまり、そう言う事ね」
「つまり、そういう事よ」
何かを納得するように頷くアルバとピューラ。
「…そう言えば、絵はどうなったのかしら?」
「集合絵?」
「ええ」
「あの集合絵は、失われた。義勇軍を好く思わない住民に火を放たれ、燃やされたから」
「そっか。もったいないね」
「確かにもったいない。割とよく描けたから、決まりが無ければこっちに持ち込みたかったくらい」
アルバは、書き終え、閉じた本を積み上げ、ピューレの持つ本も回収し、抱きかかえて席を立った。そうして、そのまま本棚の森へと姿を消したのだった。