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転嫁の代償 

掲載日:2018/10/22

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 お、終わった……ちょーぎりぎり。

 データ送った? よーし、一安心だね。ごめんね、付き合ってもらっちゃって。一服しようか。

 どうも、この手のリーダーって任されたくないね。手足になって仕事する方が、どんなに楽だろう。

 僕は今回みたいに、間に合っていないのを期日直前まで黙ってて、情状酌量を求める申し開きを聞くことが、辛い。

 信頼。人情的には美しいけど、業務的には甘えや怠慢、なのかなあ。責任を放り出されると……きつい。

 君はどうだろう? 責任はきっちり果たす方? それとも要領よく、もしくは見苦しく誰かや何かに押し付ける方? もし後者だったら、要注意だよ。

 責任をめぐる昔話。休みがてら聞いてみないかい?


 むかしむかし、あるところに剣術を志す、少年がおりました。親からの言いつけにより、8歳の時から師範の家に住み込みで、修行をしていたといわれています。

 育ち盛りに、過酷な鍛錬。不相応な負荷にあえぎ続けたためなのか、筋力こそ充実したものの、その背丈は五尺あるかどうかで、止まってしまったとのこと。武を競うものとして、体躯の劣りは覆しがたい不利でした。


 加えて、彼の心を更に打ちのめしたのが、試合で勝てないこと。自分のような地獄の鍛錬を経ていない同年代に、彼はしばしば黒星をつけられていたのです。

 試合後の分析はできます。足の運び、打ち込みの角度、相手の誘いへの引っかかり……いずれもひとりの稽古では補いきれない、相対した時の技術不足だったのです。


「原因は必ず、自分の内にある。都合が良いことはすべて、誰かのおかげとせよ。都合が悪いことはすべて、自分の責任とせよ。常々、心掛けなければ、その剣。魔道に落ち行くぞ」


 師の言葉を守り、一年、二年、三年と自分を責め続けた少年。勝率はわずかに上がりましたが、ふとした拍子に、口さがない者の声が耳に入るのです。

「稽古を生かせぬ、無才の童」「結果を出せぬことで、師の顔に泥を塗る不肖の弟子」……。

 影で広がる自分への侮蔑に、若さと血気にあふれる彼は、血がにじむほどに唇を噛んだとか。


 ――今まで自分を責めてきた。それを改めるための修練も積んでいる。なのに、どうして結果が出ない!? なぜ? なぜっ……?


 幾度か、死すら覚悟し、一日も休まなかった稽古。

 疲れて、苦しみ、それでも鍛え続けた彼は、やがて結果が出ぬ原因を、自分ではなく、他の何かへ求め始めてしまったのです。


 彼の一日の修行の始まりは、まだ夜が明けきらないうちに、道場から三里離れた神社へ走って向かい、その境内を掃除してから、冷たい石畳の上で黙想ののち素振り。

 再び三里を戻って軽く朝食を済ませ、そのまま朝稽古を始める……という流れでした。これを雨の日も、風の日も、体調がすぐれぬ時も続けていたのです。

 その彼がいつもに増して、早めに朝食を終えると、朝稽古までのわずかな時間で、道場のすぐそばにある庭の片隅で、線香を焚いて祈りを捧げるようになりました。


 最初に師範の目に留まり、意図を尋ねられたところ「いつも朝稽古を行わせていただいている神社の神様に、この道場にいる時も神気を授けていただけるよう、奉っているのです」と彼は答えました。一応、認めてはもらえましたが、その敬意は表向きだけのこと。

 以来、彼は試合で負けを喫し、それを相手になじられることがあると、決まって例の神社の名前を出し、こう返すのです。

「あの神様からの力をもらえなかったから」と。


 初めて口にする時には、とても緊張した彼。

 師範の言いつけを破ること。神様に責任をかぶせること。いずれもがこの修行で禁じられている、忌むべきものだったのですから。

 しかし一度はけ口としてしまうと、まるで胸のつかえが取れたように、すっと気持ちよくなれたのです。それは苦い稽古に乾き続けてきた魂に、音を立てて流れ込む、極上の甘露でした。

 心の重荷が消え、同時に口も軽くなってしまい、二回目以降は一回目よりもずっと楽に、滑らかに、神様のせいとすることができてしまったのです。


 師範は他の道場主との会合などがあり、四六時中、稽古を見ることはできず、少年の堕落した行いを知った時には、少年の最初の責任転嫁から、すでに20日近くが経っていたとのこと。

 少年は師範に呼び出され、ことの次第を質されました。初めのうちは何とかごまかそうと、よく舌を回していた少年ですが、師範が真剣の切っ先を突きつけると、打って変わって言葉少なに、恐る恐るといった口調で、子細を語りました。

 師範は弁明を聞き終わり、刀をもとのように納めますが、今度は木刀を手に取ると、少年にも木刀を持ち、ともに例の神社へ向かうよう、促したのです。


「あの神社に奉っているのはな、この流派を開いた祖。のちに氏神にまで昇華された存在よ。

 それを、私怨のはけ口として使うとは、何事か。己の未熟を棚に上げていては、剣の道など分からぬままに命が終わるわ」


 伊達に稽古を指示している身ではありません。師範は三里の道を駆けながらも、ほとんど口を閉じることなく、師の興り、最大の隆盛と、没後の継承まで語り続けたのです。

 足の速さも少年のそれに比べ、五割増しはあったでしょう。少年はついていくのがやっとでした。


 夕方の稽古が終わった後から出発し、この神社へ来た二人。あたりにはかすかに明かりが残っています。


「お前には、日ごろ、神社の掃除を頼んでいたな?」


 師範は道場で質問してきた時と同じように、厳しい口調で尋ねてきます。

 少年は迷わずにうなずきました。実際、すでに葉の散った木々に囲まれた境内には、味気ない色が広がっているばかり。紅葉した葉は、すべて少年が片づけていたのです。


「ならば、これをどう見る? また何かの仕業にするか?」


 師範は境内入り口にある赤い鳥居をくぐると、振り向いてその裏側へ、あごをしゃくってみせます。少年もそれにならったところ「あっ!」と声を上げました。


 鳥居の裏側は、真っ黒だったのです。

 今朝がた、掃除をした時には確かに赤々としていた身体。それが足下にあたる台石から、てっぺんにあたる笠木に至るまで、墨を塗りたくったかのようでした。


「他でもない。汚したのはお前だよ。お前が名を汚すから、ここに濁りが溜まった」


 木刀を抜け、と師範は冷たい声で告げます。鳥居の方を指さしながら、です。少年は身体を向けて、再び声をあげそうになりました。

 鳥居が元の赤色に戻っています。しかし、すべてが元通りではありません。笠木の中央。やや下部へ向けて沈んだ、反り増しの部分に、人影が立っているのです。

 その身体は、先ほど鳥居を染めていたものと同じ黒色。背丈も少年と並ぶほどで、その右手には、やはり少年が持つ木刀と同じ形の影を携えています。


 やがて影は笠木を蹴って、ふわりと浮かんだかと思うと、鳥居の真下。少年と10歩ほどの距離を置き、正眼に構えます。


「お前の放り出した責任を負うため、生まれた影だ。わずかにでも、申し訳なく思う心があるならば、見事、討ち果たして見せよ」


 師範はそう告げると、両者から離れ、右手の人差し指を掲げます。

「一本勝負」と静かに告げると、影はわずかに足を開いて臨戦の態勢に。少年も戸惑いながらも、師範の指示を受けて、構えます。

 びゅっと風が吹きつけ、どこからともなく飛んできた、ぼろ布が一枚。構えた剣の間をすり抜けていくと、師範は「はじめ」と声をあげました。


 勝負は一瞬。

 少年は合図とともに、一気に飛び込みました。これまで拾った勝ちの中で、もっとも決まり手として多用した、正面からの面打ち。これに賭けたのです。

 しかし、影は少年の太刀先を、すり上げながらずらします。握りの弱い者なら、それだけで木刀を弾かれていたであろう力強さ。

 少年は手放しこそしませんでしたが、肩から相手に突っ込んでいく形に。ほとんど死に体です。

 翻る黒い刀。振り下ろされる腕。それを認識した時にはもう、頭がガアンと割れるような痛さと共に揺れ、石畳の冷たさを背中に受けつつ、空を仰ぐとともに、後頭部が痛んで意識が飛んだ、と少年は語ります。


 ふっと気が付いた時には、すでに影の姿はなく、自分を抱き起こす師範の姿が目に映りました。

 鳥居は先ほどと変わらない赤色。少年が影の行方を聞くと、すでにこの境内を出ていったとのこと。そしてこの結果となるのは、だいたい予測がついていたと告げる師範。


「お前、自分に何が足りないか、分かっていたな。そしてそれを、ここの神のせいにした。だから、その責を負うあいつは、お前に足りないものをすべて持っているのだ。

 そして、相当に怒っている。おそらく、この界隈は荒れるぞ。辻斬りまがいのことで」


 お前のせいで、人が死ぬかもしれん。そう、師範は変わらず、冷ややかに告げたそうです。


 師範の予想通り、夜になるとこの町には辻斬りが姿を現すようになりました。

 剣術使いばかりを狙う下手人は、その人相がはっきりしません。黒い何かをまとっていると、被害にあった者は口をそろえて言います。そして目にも止まらぬ速さで、脳天を殴打し、ものを取ることなく、去っていくのです。

 ほとんどの者は助かりましたが、中には打ちどころが悪かったのか、数日間、医者の治療を受けたのちに、死んでしまう者も現れました。


 ――もう、逃げることは許されない。これは俺の責任だ。


 生まれ変わったかのような勤勉さで稽古に打ち込む少年は、わずか一年あまりで背丈と共に、剣椀も目覚ましいほどに伸ばします。

 これまでのうっぷんを晴らすかのように白星を重ね、師範代の候補に挙がるほどとなったある日。稽古が終わると、木刀を握って道場を後にしたのです。


 その日以降、辻斬りのうわさはなくなりましたが、彼自身も両腕の骨と神経をやられ、治療が済んでも二度と剣を持てない身体となってしまいました。

 その後。彼は師範にいとまを告げ、十数年ぶりに生家へ戻り、稼業をついで静かに生きていったとのことです。


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