彼らはどこに住むべきか?
一番初めにフータに近づいたオージーの子供が、今やすっかりとフータに懐いてしまっていた。
まるで母ザルにしがみつく子ザルの様だ。
様だじゃなくて、子ザルそのものだった。
フータはフータで懐かれて喜んでいるらしい。
ゴリラなので表情筋に乏しく、容易にはその感情を読み取れないが、あれは微笑んでいるのだろう。
懐くプリンちゃんに喜ぶケンちゃんと同じだな。
それはそうとその子ザル、メスなんだが、フータは気づいているのだろうか?
オージーのメスなら、名前はルーシーで決まりだろう。
1974年、オーストラロ・ピテクス・アファレンシスのメスの全身化石が発見され、ルーシーと名付けられたんだが、それにあやかっている。
チンパンジーでも名付ければそれを理解出来るみたいだし、多分認識してくれるだろう。
それは兎も角、ゴリラに懐くなんて母親がすぐに止めるだろうと思っていたが、どうやらルーシーには母親がいないらしい。
あの時フータに近づくのを止めようとしたメスのオージーは、群れの中で孤児を世話する役割を持っていただけみたいだ。
グループの中で各々に役割が割り当てられている事に驚いたが、もしかしたらオーストラロ・ピテクスは、チンパンジーとは比べ物にならない程に知能が高いのかもしれない。
複雑な社会性を既に身につけているという事だろうか?
歩くのに適しただけのサルなどと、随分と失礼な事を考えてしまったな。
そして世話していた子供がフータに懐いたので、自分はフリーになったと喜んでいる気がする。
見ると、若いオスにフリーな事をアピールしている感じだ。
群れを観察していて気付いたが、メスは特定のオスと仲良くなれば、そいつが持って帰った食べ物を優先してもらえる様だ。
基本それぞれが好き勝手に食べ物を探しているみたいだが、子供を抱えたメスは遠くまで出歩かない。
同じ様に、若いメスも群れを離れる事は少ないみたいだ。
遠出をするのはオスばかりで、メスの為に果物を取って帰っている。
その中にはまるでカップルの様に、特定の個体と仲良くしている個体もある。
そして果物を持ち帰る量が多い個体は、やはりメス達の受けが良い様だ。
稼ぎが多いという訳だな。
群れのボスがハーレムを形成してメスを独占するゴリラに対し、チンパンジーはハーレムを作らず、さりとて特定のカップルを作る訳でも無く、不特定と交尾を行う乱婚型の群れを作る。
オージーの場合はハーレムでは無く、けれども完全な乱婚型でもなく、特定のカップルを作っている組もあれば作っていない個体もあって、何だかよくわからない感じだ。
特定のカップルを作って群れとなる段階には至っていない、という事だろうか?
そんなオージーの社会性にも驚きだが、この頃からホモ・サピエンスの一部のメスと変わらんメンタルを持っているとはな。
逞しいというべきか、計算高いというべきか、何やら堪らなく悲しい……
そして、カップルとなってイチャイチャしている毛むくじゃらのサルを見ていると、「リア充してんじゃねーよ!」とツッコミたくなるぜ!
何なら俺達の魔法を見せて驚かせてやろうか?
何?
ハーレムを作っている俺達の方が羨ましい?
馬鹿言ってんじゃねーぞ!
何なら代わってやろうか?
発情したメスゴリさんに迫られる気持ちを味わってみやがれ!
ま、それはいいが、どうしたものか。
このまま近い場所にゴリさんとオージー達が住むのは良くないんだよな。
共通して感染する感染症があると不味い。
ゴリラには大して影響が無いが、オージーには致命的な感染症とかシャレにならん!
逆もまた然りだ!
近縁異種は出来るだけ離れて暮らすのが吉だろう。
しかし、このまま彼らを放逐するのも気が進まない。
オージーからホモ・サピエンスへの進化を考えると、ここでオージーの子供に知恵をつけ、これからのオージーの進化を後押しするのは有効な気がするんだよな。
打製石器を製作して活用出来れば、進化の速度はぐっと早まるだろう。
火の使用を覚えられれば、利用出来る食物の幅は一気に広がる。
文明の構築速度を、100万年単位で早く出来る気がするぜ。
因みに言うと、最古の石器の使用は推定で250万年くらい前で、最初のホモ属が使ったと考えられている。
打製でもなく、ましてや磨製でもない、石を砕いて使いやすくしただけの礫石器と言うヤツだ。
チンパンジーも石を道具として堅果類を割るし、それには同じ石を使う。
しかしそれはあくまで使い慣れた石という事で、使いやすく加工している訳ではない。
砕くだけでも大違いなんだな。
だから、それを教えるだけでもかなりの文明の進歩の筈だ。
しかし、某テレビ番組を見ればわかるように、一匹のチンパンジーに躾けを施したところで、チンパンジーはチンパンジーのままだ。
群れの中の一体にと考えると、また事情が違うのだろうか?
幸島のニホンザルの芋洗い行動の様に、一匹の行動が群れ全体へと広がって、結果、群れの文化として定着する可能性があったりするのだろうか?
ニホンザルでは芋洗い程度で留まっているが、彼らより知能も社会性も高いらしいオージーであれば、もっと違った発展の仕方をする?
まあ、それは彼ら自身が考えれば良い事なのかもしれない。
教えた所で覚えるか分からないし、彼らには彼らのやり方もあるだろうしな。
というか、ゴリラにモノを教えられる人類って、果たしてそれでいいのだろうか?
ゴリラに道具や火の使い方を教わりましたって、人類として自慢出来る話ではないよな?
人類の尊厳の為に、俺達は何も言うべきではないのかもしれない。
とは言え、それとなく進歩を促す方向には持っていきたい所だ。
積極的に干渉はしないが、石を道具として使って見せるとか、それくらいの事はした方がいいだろう。
そうであれば、定着しているかどうか確認出来る距離にいてくれるのが望ましい。
互いの生活圏がかぶらず、かつ俺達が観察の為に訪れるのに困らない場所。
「うーむ、この木何の木しかねぇか……」
俺は一人呟いた。
何だか出来過ぎている気がする。
というか、まさかこの為にアレを作ったのか?
俺達に見つけさせ、秘密基地にぴったりだと喜んだのも束の間、オージー達の為に手放させる目的で?
……
嫌がらせかよ!
本当に性根の腐ったヤツだぜ!
俺は心の中で毒づいた。
しかし、これが互いにとっての最適解だろう。
不幸な事態となる前に、出来るだけ早く分かれた方が良い。
俺はオージーの子供達と遊んでいるテル達に言った。
「遊んでいる所悪いが、オージー達の住処なんだけどよ……」
「お、おーじー?」
「オージーってなんや?」
「いや、オーストラロピテクスって長いじゃねーか。オーストラロってオーストラリアみたいなもんだし、だったらオージーじゃねぇか?」
「そ、そりゃあ、長いけど……」
「センスが感じられんっちゅーか……」
二人が何やら呟いているが俺には聞こえない。
「ま、わかればいいじゃねーか。どーせ、俺達だけなんだしよ」
「そ、それはそうだけど……」
「で、住処って何や?」
「いや、オージー達がここに住むのは宜しくないんじゃねーかな?」
「なんでや?」
テルが尋ねる。
まあ、そう思ってしまうのも無理はないだろう。
「種としては、別々に暮らした方がいいと思うんだ」
「仲良くやってるんやから、いいんやないか?」
「そういう見方もあるとは思うが、感染症の恐れとかあるから、なるべく別の種とは生活を共にするのは控えた方がいいと思うぜ?」
「そうなんか?」
「そ、そう言われれば、鳥インフルエンザとか、あるもんね」
「そういう事だ」
鳥インフルエンザは基本的に鳥にしか感染しないが、まれにヒトへ感染する突然変異を起こす可能性がある。
また、動物からヒトへと感染したのであろうという病気で、悪名高いのはHIVやエボラ出血熱だ。
HIVはサルが、エボラはコウモリが持っていた病気と考えられている。
狩りの際に感染したのか、食べて感染したのかは分からないが、人類は厄介な病気を貰ってしまったモノである。
肉食ならば異種との接触は致し方ないが、植物食であればわざわざ生活圏を共にする必要は無いだろう。
「で、どないするんや?」
「思ったんだが、この木何の木がいいんじゃねーかな?」
「何でや? ワイ達の秘密基地やで?」
「せ、せっかく見つけたのに?」
二人が驚く。
それも無理はないだろう。
冒険の果てに見つけた、邪魔者のいない楽園だからだ。
それをオージーにあげるなど、勿体ない事この上もない。
「考えたんだけどよ」
「何や?」
「いや、人類の文明の発展についてさ」
「ど、どういう事?」
話を続ける。
「アイツは人間の文明を進めて欲しいと言ったよな?」
「やな」
「う、うん」
「オージー達は何だかんだで知能が高いみたいだ。幸いルーシーはフータに懐いてる。ルーシーに石の使い方を覚えさせれば、幸島のサルみたいに群れ全体が石の使い方を覚えるんじゃねぇのかな? 石器の使用は、人類史でも画期的な進歩なんだぜ?」
「それはええアイデアやと思うんやが……」
「る、ルーシーって、まさかこの子?」
フータが自分のお腹に抱きついているルーシーを指さした。
俺は頷きながら言った。
「ちゃんとした由来があんだよ」
「ナショジオかいな?」
「ご名答」
「な、なら仕方ないね……」
「やな」
二人は溜息をついた。
俺のナショジオ愛には勝てないと知っているのだ。
「る、ルーシー?」
躊躇いがちにフータがルーシーに呼び掛けた。
俺達にははっきりルーシーと聞こえるが、ゴリラなので彼女にはどう聞こえるのか分からない。
ルーシーはフータの声に気づいたのか顔を上げ、あどけない表情でフータを見上げる。
「る、ルーシー?」
フータは再び名前を呼びながら、今度はルーシーの頭を優しく撫でる。
ルーシーは目を瞑ってそれを受け入れていた。
「可愛いな」
「パン君みたいやな」
「プリンちゃんなんだがな」
「何やて?! ってことはメスかいな?!」
テルも気づいていなかったのかよ!
「ホンマやんけ!」
どこを見て言ってんだ?
そしてテルが聞いてくる。
「で、この木何の木にオーちゃんらを住まわせるのは何でなんや?」
「いや、感染症が怖いから離れて住んだ方がいいんだが、道具の使い方を教えるなら俺達が行けないと困るじゃん?」
「そうやなぁ。で、扉を閉めれるこの木何の木は最適っちゅー訳やな?」
「閉める事までは考えてねーよ!」
俺はテルの言葉を否定した。
しかしテルは不思議そうな顔をしている。
「何や、閉めんのか? 逃げ出さん様にした方がえぇんちゃうんか? 芸を教え込むんやろ?」
「家の中で飼ってる犬じゃねぇし!」
テルは犬を飼うくらいに思ってるのだろうか?
そう言われてみれば、そんな気もしないでもないが……
「と、兎に角ペットじゃねぇから、閉じ込めるのはおかしいだろ?」
「そないなもんか?」
どうにか納得してくれた様だ。
テルは中々にドライな所がある。
俺と優しいフータは優柔不断な所があるから、テルのドライな意見はありがたい時がある。
こんな時には受け入れ難いが……
そんな感じでオージー達をこの木何の木に連れてきた。
内扉は思った通りに締まっており、「開けゴマ!」の掛け声で同じ様に開いた。
オージー達がこの呪文を覚えてくれたら非常に安心なのだが、流石にそれは酷だよな。
群れの誰一人として言葉らしきモノは発していないから、言葉の習得はまだまだ先なのだろう。
チンパンジーと同じ感じの叫び声を上げたりしているだけだ。
そして木の上の広場に出た途端、度肝を抜かれた様な表情をしていた、と思う。
目を見開いていたから驚いているのだろう。
そして頭上に垂れ下がる、たわわに実った果実に大興奮であった。
女達は互いに抱き合い、奇声に思える声を発して喜んでいるし、子供達は早速木に登って果物をつかみ取って食べまくっている。
男達も子供達に倣い、木へと登って女達に果物を落としてあげていた。
俺達やチンパンジーとは違い、そこまで木登りが上手い感じでは無かった。
足の親指が内側に寄っていないので、チンパンジーの様に足で枝を掴む事が出来ないのだろう。
直立歩行を獲得した代わりに、木の登る能力は退化してしまったのかもしれないな。
俺達は木の上の広場の諸施設を案内した。
飲み水は大木の洞に溜まった水で、彼らにも問題はなかった。
ま、下手な清水よりも綺麗な水であったので心配はしていなかったが、「木の洞なんかに溜まった不潔な水なんて飲めないわ!」という潔癖症のオージー女がいるかもと邪推したせいだ。
それにしても、なぜ木の上で水が枯れることなく湧いているのかは、ファンタジーと言う事で了解するしかない。
下手にツッコんでアイツの機嫌を損ねるのもあれだしな。
「そんなに言うならファンタジーやーめた!」となってもまずいしよ。
そして公衆トイレの使い方を教えた。
どうして公衆トイレなのかは、何か知らないが、一人が入るのに困らない空間がいくつかあったからだ。
周囲の目線を遮る様に木の枝が伸び、丁度トイレの個室くらいの空間を作り出している。
その床の真ん中にはぽっかりと開いた穴があり、そこで用を足せと言わんばかりであった。
穴がどこに繋がっているのかは分からないが、多分この木何の木の養分になるんじゃないのかな?
残念ながらお尻の洗浄機能までは付いていなかったが、拭くのに適した葉っぱが手の届く位置にあって、非常に快適な作りとなっている。
今まではそこらに垂れ流しだったので、使った時には文明人に戻った気分がしたものだ。
手を洗う手水鉢までありやがるしよ。
まあ、使っている者はゴリラなんだが……
そんな感じでこの木何の木を案内して周り、彼らに住んでもらう事にした。
秘密基地を失ったのは残念だったが、人類の進化に寄与したと思えば納得も出来る。
俺達がこの木何の木から去る時にはルーシーが悲しそうに鳴いていたが、まるで捨て猫を見た時の気持ちになってしまった。
「だ、大丈夫だから! また来るからね!」
フータが一生懸命ルーシーに言い聞かせている。
何度も言い聞かせ、ようやくルーシーも安心したのか、俺達は無事に帰る事が出来た。
内扉の所まで来たので俺は言った。
「閉じれ、ゴマ!」
「何や、やっぱり閉じるんか?」
「いや、肉食獣が来たらヤベェと思ってよ……」
テルの問いかけに俺は不安材料を言った。
「いいんとちゃう? 上は逃げ場があらへんし」
「る、ルーシーの安全がかかってるもんね! ど、どうにかしないと!」
「研究の必要があるな」
「オーちゃんらが安心して住める場所作りってやっちゃな?」
「と、閉じ込めるのは可哀想だもんね!」
「オージーでも出来る事じゃねーとな……」
「そ、それは難しそうだね……」
「よっしゃ! 燃えてきたでぇ!」
彼らの安全は人類の希望だ。
俺達は人類の未来の為に、この厄介な問題に対峙する事を誓った。
オーストラロピテクスは平原の灌木が多い所に住んでいたとも、森に住んでいたともあります。
物語の展開上、森に住んでいた事にしています。