人間たちがやって来た。しかし奴ら、ホモじゃねぇ!
幹にぽっかりと開いた木のトンネルは長く、暗がりの中をテルがフラッシュ・ライトで照らし、進んだ。
トンネルの幅は大人のゴリラが楽々歩けるくらいで、高さも十分にある。
先には何があるのかワクワクして進む俺達だったが、一番前で道を照らしていたテルが立ち止まり、俺達を振り返って言った。
「着いたみたいやでぇ」
見ると開けた空間が広がっており、トンネルはそこで途切れていた。
その空間は多分幹の中心部だと思う。
上を見上げると、ずっと遠くに光が見えた。
「あ、あそこが天井かな?」
「だろうな」
「どないして登るんや?」
「壁は……無理か……」
木の壁は相変わらず登れそうにない。
どうやって登ったものかと三人で周囲を探す。
するとテルのフラッシュ・ライトが、一見すると木の壁と見紛うばかりの隠し通路的なモノを発見した。
まるでゲームだなと俺達は苦笑いを浮かべ、その通路に足を踏み入れた。
その通路は空間をぐるりと取り巻く様に、螺旋状に上へ上へと伸びており、まるで塔を上る階段の様だった。
随分と凝った作りにしたものである。
神というのは余程暇なのだろうか?
随分長い時間その螺旋階段を歩いた気がする。
不意に階段が終わり、暗い中から一転、眩しい光の洪水の中へと躍り出た。
どうやら幹の上に出たらしい。
「何やここは!?」
「す、凄い!」
「これが木の上かよ!?」
木の上の筈なのに、まるで拓けた広場の様な空間が広がっていた。
全体として野球が出来るくらいの広さはあろうか?
所々から木々が伸びて上空を覆っているが、何とも不思議な眺めである。
外周には落下防止なのだろう、木々が柵を作っていた。
ご丁寧な事だ。
広場から伸びている枝を登り、この木何の木の頂点へと到達する。
そこから眺めた先には、驚きの光景が広がっていた。
俺達が住む森は見渡す限りに広がっており、この木何の木と似た様な巨木がいくつも立っている。
遥か遠くには雪を頂く山々が見えた。
俺達は言葉を無くし、それに見入った。
雄大な景色を堪能して何となく満足し、俺達はこの木何の木から降りた。
秘密基地としては十分過ぎる場所だろう。
生っている果物は美味かったし、種類も量も豊富だ。
問題は、穴が開いたままだと誰でも入って来れる事であろうか。
「閉じる呪文でもあるんやないか?」
「そ、そんな便利な機能があるかな?」
テルとフータの言葉に俺が応える。
「閉じれゴマ!」
「と、閉じた?!」
「そないな安易なのでええんか?」
俺の呪文に、まるで自動扉の様にこの木何の木の入り口は閉鎖された。
ぴったりと閉じられて、最早境すら分からないくらいだ。
自動扉と違い、入り口に近づいても開かない。
「という事はや」
「開けゴマ!」
「あ、開いた!」
扉を開く呪文にも問題無く反応する。
それは良いのだが、境が分からないのも困り物だろう。
「これって便利やけど、入り口がどこか分からへんのとちゃうか?」
「だ、だね……」
「石でも置いておけばいいさ」
俺はそこらに落ちていた石を目印に置き、冒険の帰路に就いた。
それはいつもの様に、おやつ代わりのマンゴーを食べている時だった。
俺達の群れとは少し離れて暮らすオスのゴリさん達から、怪しいサルの集団が縄張りに入ってきたという報告があったのだ。
すぐに俺達は棍棒を持ち、その集団の下へと駆けつけた。
類人猿の中では最大の体躯を誇るゴリさん達であったが、その心は好奇心に満ち、かつ繊細である。
見知らぬモノには興味を抱く。
それが無害ならば問題はない。
しかし、もしそれが害を与える生き物であったら?
繊細な心は深く傷つき、かつパニックを起こしてしまうかもしれない。
そしてそれが双方にとって悲惨な結果を残すことになる可能性もある。
そんな事が起きない様、急いだ。
見張っていたゴリさん達は、その怪しいサルの集団を遠くから見ているだけであった。
何の接触もしていないそうで、まずは一安心である。
俺は発見の労をねぎらい、後は俺達に任せてくれとお願いし、後ろに下がってもらった。
そして俺達は、その怪しいというサルの集団に目をやった。
「何や、あいつら?」
「え、えーと、チンパンジー?」
「チンパンジーって二足歩行しとったか?」
「な、なんか、違うね……」
テルとフータが話している。
なるほど、確かに怪しいサルの集団だった。
見た目はチンパンジーに似ている。
オスであろう個体の身長は、ゴリさんと比べて胸にも届かないくらいの高さ。
子供を連れた、多分メスらしき個体は、それよりも随分と小さい。
はっきりとわかるのは、彼らが直立した二足歩行をしている事だ。
チンパンジーでも二足歩行はする。
テレビに出てたパン君とかがそうだよな?
しかしあれは、直立二足歩行とは言わねぇ。
犬でも猫でも偶に二足歩行するのを動画で見かけるが、あれは人間の二足歩行とは別物だ。
直立二足歩行をする上で重要なのは、頭蓋骨と脊椎の構造なんだな。
常時直立のためには、頭の真下で脊髄に頭蓋骨が乗っかかっている必要がある。
頭の重さを脊髄が下から支える構造になっている訳だ。
対してチンパンジーとかゴリさんは、頭の後ろ側で脊髄と頭蓋骨が繋がっている状態だ。
その点あの怪しいサルの集団は、完全に直立して二足歩行をしていると言えるだろう。
見た目チンパンジーで、直立して二足歩行をする動物。
「オーストラロピテクスじゃねーかな?」
ナショジオや動物番組大好きな俺の考察が導き出した答えを二人に告げた。
「はぁ? オーストラロピテクスって人類の祖先っていう、あれか?」
「に、200万年前とか、400万年前とかじゃなかった?」
「ああ、そうだ。」
オーストラロ・ピテクス。
意味は南のサル。
400万年前から200万年前の間に生きていたとされる、ホモ・サピエンスの祖先の一つ。
脳容積は500cc程度で現代人の35%くらい。
骨格から直立二足歩行をしていたと思われる。
森で木の上に住み、道具も言葉も使ってはいなかったとされる。
オーストラロ・ピテクス・アファレンシス、オーストラロ・ピテクス・アフリカヌスなどいたらしいが、専門家でもない俺には見た目で判断出来ない。
「見た目チンパンジーで直立二足歩行。道具も持ってなさそうだし、多分間違いないと思うぜ」
「教科書で見たんと似てるわな、確かに」
「で、でも、それだと人類って……」
フータが言い淀んだ。
「奴の言ってたことだろ? 100年や200年じゃ終わらないって」
「で、でも、短くて、に、200万年ってことだよね?」
「200万年って単位が違うがな!」
テルのツッコミが入る。
フータの指摘は正しいと思うが、正確ではないかもしれない。
あのボケ神は人類の文明を発展させて欲しいと言っていたが、今はどうやら人類、つまりホモ・サピエンスですらない状態みたいだ。
最初のヒト属とされるホモ・ハビリスが出現するのが、オーストラロ・ピテクスが誕生してから約200万年後であるし、そのホモ・ハビリスから現代人であるホモ・サピエンスが出現するのに、これまた200万年近くが必要だ。
ホモ・サピエンスが出現したくらいでは文明とは言わないだろう。
エジプト文明とか、産業革命とかその段階になって初めて文明という言葉を使っていい気がする。
ホモ・ハビリスの頃には石器を使っていた様だが、石器くらいで文明とか言わないだろ?
アイツならそう言いそうだ。
と言うか、彼らがそもそもオーストラロ・ピテクスかわからないし、仮にそうだとしてどの段階のオーストラロ・ピテクスかもわからない。
ホモ・ハビリスが出てくる寸前なら、人類であるホモ・サピエンスまで200万年という事だし、誕生してすぐなら400万年だ。
つーか、彼らが地球の人類と同じ様に進化するのかもわからないよな?
なんせファンタジーな世界だしよ!
ファンタジーの不思議要素で、まんまチンパンジーからいきなりクロマニョン人に進化してしまうかもしれない!
進化の魔法を使ってあら不思議、ごわごわの剛毛に覆われたチンパンちゃんが、無駄毛のないお肌つるつるすべすべのカワイ子ちゃんに大変身、とかあるかもしれないだろ?
……
久しぶりに吼えていいかな?
何なんだよオーストラロ・ピテクスってよぉぉぉぉぉ!!
何が人類の文明の発展だよ!
人ですらねーじゃねーかよ!
まだサルだよ!
二足歩行に適したサルでしかねーよ!
ここから進化するのを待つのかよ!
何だよマジで!
ゴリラなのはいい。
それはぎりぎり許す。
奴の悪戯ってことで受け入れるさ。
だが、初めて会う人類が、ホモ・サピエンスですらないってどういうことですかねぇぇぇ?
え、何?
ここでこいつら殺しちゃうと、人類はお終いなの?
それとも、別にいるかも知れない人もどきから、ホモ・サピエンスとは違う人類に進化するかもしれないってこと?
クロマニョン人との生き残り競走に敗れたネアンデルタール人なんかが、逆に地球の覇者になる?
進化の魔法で、ファンタジーお約束種族のエルフやドワーフ、獣人に進化する可能性もあるって事か?
え?
まさか人類の進化を順当に進めたいなら、この集団を守らないといけないってこと?
ゴリラが人間を守るってこと?
……
知らねーよ!
自分達の群れで手一杯だよ!
これ以上他の群れまで面倒見切れねーよ!
「……今は無しにしておこうぜ。それよりも奴らをどうするかだ」
「……しゃあないな」
「……う、うん」
さてね、どうしたもんかね。
恐らく、縄張り争いに敗れたのだろう。
赤ん坊らしい、あまり毛のないサルを抱えた女達(女と表現したくは無いが、メスザルっていうのもなぁ)を中心に、片足を引きずる者や頭から血を流す者が混じった一団が、それを守る様にして移動している。
もしも肉食獣に襲われたんなら、あんな傷はつかないと思う。
少なくとも俺達を襲う肉食獣の爪、牙による傷ではない。
同族からか、俺達の知らない別の肉食獣から受けた傷なのかはわからないが、男達は身を挺して群れを守った英雄達なんだろうな。
俺達の知らないゴリラの群れに襲われたとは考え辛い。
ゴリさんは普通、怒らせる事をしなければ体の小さい奴を襲う事はないからな。
けれども、チンパンジーに襲われたんなら納得だ。
奴らは凶暴だ。
某テレビ番組で有名なパン君も、大きくなって人を襲ったろ?
そんなもんだ。
まあ、人間以上に残虐な生き物もいないんだろうがな。
同族同士の諍いが理由なら危険だ。
同族をあそこまで傷つけられる残虐性は、容易く俺達他種族にも向かうだろうからだ。
残虐な種族が縄張りに居て欲しくはない。
このままどこかに行ってくれればいいんだが、如何せん、この辺りは植生が豊かなんだよな。
他の場所に詳しい訳ではないが、果物なんかは種類も量も多いと思う。
土が違うんだろうか?
この木何の木の育ち具合を見れば何かが違うとしか考えられない。
巨木が所々に生えている事を考えると、龍脈、龍穴のようなものがあるのだろうか?
まあ、そんな実り豊かな場所だからこそ、俺達はこの辺りを縄張りにしているのだし。
案の定、彼らも気づいた様だ。
上を見上げて歓声をあげている。
果物がたわわに実った木々を見つけたら当然だろうがな。
そういえば、オーストラロ・ピテクスの頃はまだ植物食だったらしい。
狩りをする様になるのはずっと先の筈だ。
100万年単位で。
心配する程の残虐性は、この群れには無いのかもしれない。
とはいえ、わざわざ俺達の群れに混乱をもたらす必要も無い。
どこか他に安住の地を見つけてくれるのが一番だ。
彼らにとっても多分そうだろう。
ゴリラの近くで住みたいとは思わないだろうよ。
俺なら朝起きてゴリさんが目の前に立っていたらちびる。
「テル、フータ、行くぞ!」
「了解や」
「ど、どうするの?」
「このまま出て行ってくれるのが一番だが、どうやらそうはいきそうにない。まずはあいつらの前に出て圧力をかけてみる」
「何もせんと、このまま出て行ってやー、っちゅーわけやな」
「う、うまくいくかな?」
「いかせるさ」
「ま、駄目な時は威嚇すればいいんちゃう?」
「そ、それで出て行ってくれたらいいけど……」
俺達に付いてきている大人のゴリさん達には、俺達が様子を見るからと伝え、後ろの方で待機してもらっていた。
オージー(オーストラロ・ピテクスだと長いからな)達に無用な恐れを抱かせたくないし、ゴリさん達にも余計なストレスをかけたくない。
突然目の前に現れて威嚇すれば彼らを追い払えるだろうが、それをしたら彼らは恐慌し、バラバラになって逃げてしまう可能性がある。
バラバラに逃げてしまえば、その後群れが消滅する危険性があるだろう。
そんな事に彼らを追い込む気はない。
なので俺達は、彼らを驚かせない様に彼らの前に出て行った。
突然現れた俺達に気づき彼らは非常に驚き、恐れおののいていたが逃げ出すことはなかった。
震えながらも互いの身を寄せ合い、じっとこちらを見つめている。
男達は女子供を守って俺達と正対していた。
女子供にはそれ以上逃げる体力も無かったのかも知れない。
俺達は、縄張りの境でただ立っていた。
俺達に彼らを害する気など更々なかったが、彼らにわかるはずもない。
無言のまま、お互いに見つめあい、時間だけが過ぎてゆく。
どのくらいそうしていただろうか。
緊張に耐えられなくなったかの様に、彼らの中から子供が一人、フラフラと歩き出してくる。
大人たちは呆気にとられたのか、その子供が俺達のもとに来るのを止めることが出来ないでいた。
その子は俺の後ろにいるフータのところまで歩いてきたが、その目線はフータの腕に抱えられたマンゴーに釘付けだった。
おやつの途中で急いで来たから、フータは全てを食べていなかったのだろう。
その子は盛大にお腹を鳴らしている。
不憫に思ったのかフータがマンゴーを差し出すと、奪う様に両手に掴み、その場で食べ始めた。
甘い香りが辺りを包む。
その香りに他の子供達が釣られたのか、抱きかかえる母であろう者の腕を振り払い、一斉にフータに群がった。
全員に配る程ある訳も無い。
子供達は奪い合い、喧嘩にまでなってしまっている。
大人達はオロオロし、俺達は罪悪感に苛まれた。
「ね、ねえタカ。も、もっと取って来てもいい?」
「あ、ああ」
「わいも付いてくでぇ」
二人して食べ物を取りに行く。
俺達に敵意が無いことに安心して緊張の糸が切れたのか、大人達は座り込み、息も絶え絶えといった風に小さくなっていた。
テルとフータが、後ろで隠れていたゴリさん達にも手伝ってもらってマンゴーやバナナを持ってやって来ると、子供だけではなく大人からも歓声が上がった。
彼らもお腹が空いていたのだろう。
木に登って食べ物を確保する余裕も無い程必死に逃げてきたのかもしれない。
ゴリさん達が何か生暖かい目をして俺達を見ている。
オージー達には戸惑っている様だが、拒絶している感じはしない。
何だというのだろう?
腹が膨れたら出て行ってもらうつもりだったが、子供達がフータに懐いてしまったこともあり、結局彼らを追い出すことは出来ず、しかも、俺達は彼らのリーダーの様な存在にまでなってしまっていた。
何か拝んでるっつーか、服従してる?
え?
オーストラロ・ピテクスに社会階層ってあんのか?
ゴリラはシルバーバックというリーダーがいるが、チンパンジーには確か特定のリーダーはいない筈だ。
緩い関係性でグループを形成していたと思うが、オーストラロ・ピテクスはそうではない?
支配者階級が存在するのか?
……分からん!
そんなオージー達と俺達を見て、ゴリさん達の目はますます生暖かくなっていた気がする。
解せねぇぜ……