ミシガル二日目
翌日俺は、落ち着かないくらい広い部屋で目を覚ました。
昨晩、夜も遅いからとウェルラントが屋敷に泊まることを提案してくれたのだ。
それはありがたいのだが、俺が怖じ気づいて逃げ出さないようにというのが本当の理由だろう。その証拠に商売道具のハンマーを取り上げられてしまっていた。
「行くぞ」
朝食を済ませるとすぐに彼は軽鎧をまとった姿で現れた。腰には妙な文様の鞘に収められたブロードソードを佩いている。
右手には俺のハンマー。まだ渡してくれる気はないらしい。
「どこに行くんですか」
歩き出したウェルラントの後ろに付き従いながら訊ねる。彼はなぜか玄関の方ではなく、屋敷の奥に向かっていた。
「裏庭から出て、森に行く。切り立った山と大きな川に囲まれていて、街の外からは容易に入れないところだ」
「森・・・・・・」
そういえば獣がいるっぽいことが誓約書に書いてあったな。森の住人ということか。熊か猪か・・・・・・でもそのくらいなら、ウェルラントが簡単に倒してくれるだろう。
血に弱い俺だが、何故か獣や鶏、魚などの血は平気なのだ。彼が怪我さえしなければ問題はない。
裏口から屋敷を出ると、塀で囲われた裏庭があった。そこにはとりどりの花が咲いていて、よく整備され、いい香りを放っている。表から見えないこんなところに置いておくのはもったいない景色だ。
「こっちだ」
その花壇の間を細い道が一本通っていて、その突き当たりの塀に鉄の扉が付いている。さらにその塀の向こうには、小さめの建物の二階部分が見えた。
「ここから出るぞ」
鉄の扉に取り付けられていた頑丈そうな錠前を開け、ウェルラントは俺を先に塀の外に追いやった。それから自身も出てくると、今度はこちら側から錠前をかける。
そこでやっと俺にハンマーを返してくれた。
「この扉の鍵は私が管理していて、他の人間は入れないようになっている。ここで見たものは決して口外するなよ」
念を押すように言われて、立場の弱い俺は素直に頷くしかない。
一体この先に何があるんだろう。
びくびくしながら注意深く辺りを見回してみる。
とりあえずはさっき塀の内側からも見えた小さな建物と、その奥に鳥がさえずる森の入り口があるだけだ。
これ、何の建物なんだ?
ふと目の前のその建物の扉にも堅牢な錠前が掛かっているのに気付いて、彼しか入れない場所だというのに随分入念に閉ざしているなと気になった。
窓も少ない石造りの建物だし、宝物でも納めてあるのだろうか。
森へ続く道は草が生い茂っているのに対し、その扉へ繋がる道は頻繁に通っているらしく獣道のように踏み固められている。
「おい、そんなところに突っ立ってないで早く来い、行くぞ」
俺が建物をしげしげと眺めていると、森の入り口からウェルラントに急かされた。
「は、はい、今行きます!」
逸れていた意識を彼へ向け、慌てて建物の横を通り過ぎようとする。
が、ふと視線を感じた気がして、俺は再び建物を仰ぎ見た。
途端に消える気配。小さな窓に人影は見当たらない。
俺の気のせいだろうか。
「あの、そこの建物には誰かいるんですか?」
何となく気になって訊ねてみると、ウェルラントは何故か眉根を寄せて一瞬黙って、それから大きく首を振った。
「・・・・・・私しか鍵を開けられないところに誰がいるというんだ。ここは私の個人的な研究室で、普段滅多に使っていない」
あれ、何でこんな嘘をつくんだろう。
俺は終い屋という職業柄、放置されたものとよく使うものは見ただけで分かる。
建物に繋がる道は言わずもがな、さっきの塀の扉の錠前も、建物の錠前も、放置されたサビや堆積した土埃による引っかかりもなかったし、そもそも頻繁に触れている証拠の手油による艶があった。
もしやここにはよほど知られたくないものが入っているのか。内緒で飼ってる犬猫などという類いではないだろう。立場的にそれを許されない人じゃない。他人に見つかってはならないもののはずだ。
・・・・・・それがもしや人だとしたら。外から鍵がかけられているし、ウェルラントが閉じ込めているということか。
誰を、何のために?
「・・・・・・余計なことに気を取られるな。森に入ってからそんなふうによそ見をしていると、すぐにはぐれてしまうぞ」
ちょっと怖い想像をしていると、男はそこから気を逸らすように、少し足早に森に入ってしまった。
俺もそれ以上詮索する勇気はない。素直にウェルラントについて行く。
彼が言うとおり、視線なんか気のせいで、そこは誰もいないかもしれないのだ。
誓約書の『倫理は考えないこと』という一文が、意味深長に少し頭をよぎったけれど。
ウェルラントに従って歩く森は、道がなくて随分難儀な場所だった。これは確かに、よそ見をしてたらすぐにはぐれそうだ。
「・・・・・・この森は滅多に来ないところなんですか?」
「そうだな、ある目的が無ければ入る意味のないところだからな」
そこは多少の木漏れ日はあるものの、背の高い木々に囲まれて下草はあまり生えていない。かわりにシダやらツタやらが絡まり合って、行く手を遮っていた。
こんな湿っぽいところに、あんな大金を出してまで俺に壊させるべき何があるのだろう。
さらに少し奥に進むと、森の中にぽかりと日が差すところが出てきた。
そこには何故か何本もの大木が根元から折られ、横たわっている。木肌にはひっかき傷。どう見ても獣のものだ。一部、刃物痕らしきものも見える。
「これ・・・・・・、猪か熊の仕業ですか?」
「それもいるが、これは別の奴の仕業だ。熊ごときならどうと言うこともないんだが・・・・・・。そろそろ近いな、あまり声を出すなよ」
そう静かに告げて、立ち止まった男が周囲を見回す。つられて俺も辺りをきょろきょろと見ると、大木がなぎ倒され日が差しているところがあちこちにあるのが分かった。
・・・・・・ここちょっと、やばい場所じゃないのか?
再び歩き出したウェルラントの後ろに付き従いながら、俺の心拍数は緊張にどんどん上昇していく。
彼は契約書の約定を守って淡々とこなせばすぐ終わる仕事だと言っていたけれど、本当にそんな簡単に終わってくれるだろうか。
ほら、何だかさっきまで鳴いていたはずの鳥の声が、しなくなっている。
「す、すみません、一旦戻りませんか!? 何か出そうな予感がぷんぷんするんですけど!」
「しっ、声が大きい。あいつに見つかるだろう」
つい動揺に声を上げると、ウェルラントは口元に指を当てて振り返り、小さく叱責した。
その指摘にはたと口を抑えて、今度は小さく訊ねる。
「・・・・・・あいつって?」
「これからお前に壊してもらうものを、守護している奴だ」
再び男は周囲を警戒するように見回してから、足を速めた。
こんなところに、守られているものって何だ?
それからまもなくして、俺たちは森を抜けた先にある草原にたどり着いた。
とりあえず無事に目的地に到達できたようだ。ウェルラントが草原の奥を指差す。
「お前に壊してもらいたいのは、あれだ」
「あれって・・・・・・岩戸?」
そこにあったのは岩屋を閉じる岩の扉だった。そこに、図形と文字らしきもので構成された奇妙な方陣が、黒くくっきりと描かれている。
なんか、いわくありげだ。
「これって、壊していいものなんですか?」
「平気だ、壊れたときがこの封印が壊れるべきときなんだ」
何だか屁理屈的に勝手な解釈をしている気がするが・・・・・・。
俺は怪訝に思いながらも、仕事をするべくハンマーを手に取った。
一体ここに何が封印されているのだろう。ウェルラントは個人的なことと言っていたから、たいしたものではないと思いたいけれど。
ぐうっと集中して岩戸の破壊点を探る。大きさは、仕事で何回も割ってきたサイズだ。軽く壊せるだろう。
そう思ったのもつかの間、すぐに俺は困惑した。この岩、破壊点が見つからないのだ。というか、表面に書いてある方陣が俺の意識を乱し、能力が発揮できない。なんだろう、このひどく落ち着かない感じ。魂を抑圧されるような。
こんなふうに外的要因でものを破壊できないことは初めてだった。
得体のしれない感覚を振り払おうと、大きく頭を振る。全身に鳥肌が立っていた。
「・・・・・・この方陣、何ですか?」
「魂方陣だ。旧時代の」
「旧時代!?」
「声がでかい」
また叱られたけれど、それどころではない。
つまりこれは旧時代の遺跡、それも未発掘のものということだ。この類いは発見したら教団預かりになることが規則で決まっている。
ウェルラントはそれを個人で壊そうとしていたのだ。
「誓約書に書いたろう。『王国の規則は無視すること』って」
しれっと言う男に、俺は頭が痛くなる。
「さすがにこれは駄目でしょう。・・・・・・どちらにしろ、無理です。あの方陣が邪魔をして、俺には壊せません」
仕事は完遂できないけれど、逆に壊せなくてほっとした。旧時代の遺物は国の貴重で高価な文化遺産だ。個人で手にしていいものではない。
「お前にも壊せない? ・・・・・・そうか、まだ・・・・・・」
何事かを思案しているウェルラントを横目に、俺はハンマーを背負いなおしてそこから距離をとった。
だってこの方陣の前にいると、俺じゃない何かが俺の中でざわざわと騒ぐ気がするのだ。まるで俺を抑え込もうとしているみたいに。
少しの間だけウェルラントが動くのを待ったけれど、まだ動きそうもない彼に俺は早々にしびれを切らす。
だめだ、一刻も早く、ここを離れたい。
「あの、すみません、俺は力になれませんので先に戻ります!」
俺はくるりと踵を返してその場を逃げ出した。
「あっ、こら、馬鹿!」
後ろからウェルラントが咎めるように声を上げる。しかしそれに構わず森に駆け込むと、
「うぎゃっ!」
途端に横から飛び出してきた何かに、盛大に吹っ飛ばされた。
何だ、何が起きた。
そのまま地べたにひっくり返る。そして俺の上にその大きな何かがのしかかってきた。
「・・・・・・死にたくなければ逃げ出すなと言ったろう」
少し離れたところでウェルラントのため息まじりの声が聞こえる。が、今さらそんな言葉、もう遅い。それどころじゃない。
「お、狼・・・・・・!?」
今、俺の上には白銀の狼がいた。喉の奥でうなり声をあげて、俺を見下ろしている。
獣ってこれか! 反撃するなって書いてあったけど、しようと思ってもできるかそんなもん!
「スバル」
俺が固まっていると、ウェルラントが狼に呼びかけた。
知り合い・・・・・・と言うよりは敵として知っているのか? 狼を前に彼が剣の柄に手を添えるのが見えた。
「そいつはお前に害を与えない男だ。放してやってくれないか」
呼びかけられた狼は、一度ウェルラントを見、それから再び俺を見た。
男の話は通じているのだろうか、しばらく状況はそのまま膠着する。しかし俺が本当に何の抵抗もできないでいると、狼が少し怪訝そうに首をかしげた。
うなり声がようやく止む。
そして。
それは唐突に俺の目の前で姿を変えた。
ぐにゃりと輪郭が崩れ、狼は人型へと変化する。
「え!? 女の子・・・・・・?」
次の瞬間、俺は女の子に馬乗りにされていた。
白銀の耳と尻尾はそのままに、胸と腰回りだけ毛皮で覆われている、なかなか露出の高い恰好だ。歳は見た目で十六くらいだろうか。胸元まである銀の髪を指先で横に払うと、彼女はエメラルド色の瞳を俺に向けた。