ミシガル最初の夜
街の大通りを数分歩く。すると大きな看板がある酒場の前でシギの足が止まった。
「ここ?」
「違う」
え、どういうこと? 訊ねるとすぐに否定された。そのまま腕を掴まれて、来た道を引き返させられる。
俺たちの突然の方向転換に、後ろを歩いていた旅人が驚いたようにこちらを避けた。
「どうした? 道、間違った?」
「・・・・・・あんた危機感薄いなあ。今俺たちのすぐ後ろ歩いてた男の顔、見た?」
「え、ああ」
「また後ろ見て、こっそり。ついてきてるだろ、あいつ」
通り過ぎた店を見るふりをして少し後ろを振り返る。視界の端に、さっきすれ違ったはずの男がいた。
「・・・・・・いる」
「顔、覚えておいて。あいつも近付かないほうがいい。宿を探す旅人をカモにしてる物盗りだ」
もしかして、俺にあの男の顔を確認させるためにこんなことをしたのか。その思わぬ配慮に目を瞬いて、横を歩くシギのつむじを見下ろす。
この子供、その言動もふるまいも、ただの孤児とは思えない。
「こっち」
さらに彼に従って歩いていると、今度は袖を掴まれて、そのまま小さな料理屋に引き込まれた。
小さいと言っても随分と人が入り繁盛して賑わっていて、料理を運ぶ給仕が忙しそうに駆け回っている。シギはその横をするすると通り過ぎ、奥の壁が仕切られた席まで俺を連れて行った。
「おお、来たなターロイ!」
「ほうほう、待ってたよう。シギもご苦労さんねえ」
そこにはべとべとをすっかり洗い流した商人二人が座っていた。すでに料理がテーブルに並んでいて、一足早く食事を始めているようだ。焼けた肉とソースの香りが食欲を刺激する。
その肉にかぶりついたトウゲンの耳元に、シギがこそと囁いた。
「外にヤッカがいる。ターロイの金を狙ってるみたいだから、気をつけてあげて」
「あー、あいつな。わかった、ありがとよ」
商人とそれだけのやりとりをすると、少年は再び俺に顔を向けた。
「じゃあターロイ、俺は戻るから」
「ああ、ありがとう」
「ありがとうはこちらこそだけど。じゃ、またね」
苦笑して肩を竦めたシギは、商人にも挨拶をするとあっさりと出て行ってしまった。
「よしよし、それじゃ改めて乾杯だ。食い物の追加も好きなだけ頼め! 酒はほどほどにな!」
荷物を下ろして椅子に座ると、給仕が水を持って来てくれた。俺がメニュー表を見ているうちに、二人が追加の飲み物を頼む。
「ねーちゃん、キンキンに冷えたミルクセーキジョッキで二つ!」
「あれ、お酒じゃないんですか」
そういえば彼らはアルコールではなく、甘ったるい匂いをまとっている。
「そうしたいのはやまやまなんだが、このあとまだ一個仕事があんのさ。酒の匂いさせていくとうるせえんだ。ターロイは気にせず酒頼んで良いぜ」
そうは言われても、俺一人エールを頼むのも気が引ける。
俺は適当に鶏のシチューとライ麦のパンと、香草のお茶を注文した。
「この飲み物じゃ乾杯って風情じゃねえな・・・・・・まあいいか。とにかく今日は助かった、ターロイ。終い屋って言ってたが、ミシガルには何しに来たんだ?」
「俺はモネから王都に行く途中なんです。再生師の研修に」
「ほう、再生師!? ・・・・・・ターロイみたいな人間があれに選ばれるなんてねえ」
俺は素直なホウライの反応に苦笑する。
「まあ、確かに俺みたいな非力そうな再生師候補はそういませんけど」
「そういう意味じゃないんだよねえ・・・・・・」
そう呟いて、彼は何事かを思案するように黙ってしまった。
「んじゃ、ここには一泊して王都に向かう感じか? 山越えでなく迂回路で行くなら、知り合いの商人に同行を頼んでやるぜ」
その沈黙をトウゲンが回収する。
ああ、それはありがたい、同行者は是非欲しい。けれどその前に、俺にはもう一つ欲しいものがあった。
「それはありがたいんですが・・・・・・ミシガルでは、少し仕事が欲しくて。研修費用が足りないんです。良かったら仕事の情報をくれそうなところを教えてもらえませんか」
「何お前、金が足りないのに子供たちに銀貨配ってたのか」
呆れたような声。
「その分ついでで働けばいいかなと思って」
それにさらりと返すと、一瞬目を瞬いた彼は、大声で笑った。
「ははは、良い心がけだぜ! ターロイの終い屋の能力があれば、そこそこ稼げるだろう。で、いくらくらい足りないんだ?」
「うーん、旅費も含めて金貨三十枚ちょっとは欲しいんですけど」
「おお、それはなかなかの金額だぜ。でもまあ、ひと月も働けば」
「・・・・・・それが、明後日にはミシガルを出なくてはいけなくて」
あ、トウゲンさんが真顔になった。マジかお前、みたいな表情だ。
「随分難しいこと言うな、ターロイ。二日で金貨三十枚なんて街中のギルドではまず稼げない金額だぜ」
「やっぱりそうですよね・・・・・・」
思った通りの反応。親父はすぐ稼げるとでも言わんばかりだったけれど、これが普通だろう。
しかしそこに、しばし黙り込んでいたホウライが口を挟んできた。
「ほう、だったら、もっとお金出してくれる人に直接掛け合ったらいいかもねえ」
「もっとお金を出してくれる人、ですか?」
「ターロイの能力は公共事業もいけると思うんだよねえ」
「ああ、ウェルラント様に掛け合うのか。まあ、個人の仕事受けるより報酬は良いだろうし、それが妥当かもな」
二人は頷き合うと、ジョッキのミルクセーキを飲み干した。
「よし、じゃあ善は急げだぜ。ターロイもとっとと飯食って、行くぞ!」
「行くって、どこへ?」
「ほうほう、ミシガルの領主、ウェルラント様のところだよう」
「俺たちの今日最後の仕事が、ちょうど領主様宅へのお届け物なんだぜ。ついでに紹介してやるよ」
ちょっと待て、いきなりこの街の一番偉い人のところへ?
領主はグランルーク教団と反目しているという話なのに、そこの再生師研修のための仕事が欲しいなんて、言って平気なんだろうか。
「ウェルラント様は教団組織の上層部が嫌いなだけで、善良なグラン教徒自体には寛容だぜ。街の治安維持にも熱心だし、治水なんかの整備や修繕もマメにしてくれるし、住民の人気はかなり高い人だ。教団に関わる出費がない分税金も下げてるから、旅人にも評判はいいな」
俺の懸念に答えてくれたトウゲンの科白は、まるで理想の統治者を表しているようだった。
「ほう、おまけに金髪碧眼の偉丈夫っていう見た目も理想の騎士様だからねえ。女性人気も高いんだよう。剣の腕も王国一で、不死身じゃないかと噂されるほどでねえ。騎士からも絶大な支持を集めてるんだよねえ」
ホウライがさらに持ち上げる。ここの領主は完璧超人か? 何でそんな人が子供には孤児院を作ってあげないんだろう。
「あとはアレさえなければ完璧なんだけどな、あの人も」
「そうだねえ、アレはいただけないよねえ」
しかし最後はため息と共に締められた。
「アレって・・・・・・?」
「ま、ターロイが知らなくていい事だぜ」
「だよう」
そう言って料理の皿を空にすると、二人は卓の端にあった水を一息であおって、椅子から立ち上がった。
「さ、行くぜ。俺たちと一緒にウェルラント様の屋敷に入れば、お前のあとをつけてたヤッカもあきらめんだろ」
「は、はいっ」
俺も慌てて食事を食べきってお茶で流し込むと、急いで立ち上がった。