山を越えたところで
森の中から戻ったスバルは、ようやく気分が晴れたようだった。殺気はすっかり消失している。
マントに付いた草や土をはらうと、平然とまた俺を先導し始めた。
「さ、行くですよターロイ」
「あの・・・・・・さっきの二人は?」
「奴らの言う『近道』に置いてきたです。実際奴らが使っている道みたいでニンゲンの臭いがぷんぷんしてたですから、多分山から下りてくる仲間が見つけてくれるですよ。・・・・・・まあ、そこで『元』仲間が助けてくれるかは、奴らの今までの行いにかかって来るですが」
「日頃の行いって大事だな・・・・・・」
窮地にあるときほど、それは実感するのだろう。これを機に彼らが心を入れ替えてくれればいいのだけれど。
「スバルに言わせれば、悪事を働く奴というのは自分の人生を自分で壊すセルフ・ドMですよ。ド級のマゾです。他人の物を奪うことで自分の中のもっと大切なものをなくしていることに気付かない、ドアホでもあるです」
スバルの語る持論は思いの外、正義寄りだ。魔王の祠を守っている、さらにはその復活を願っているものとは思えない。人間を嫌っているふうではあるけれど、カムイのことは慕っているようだし、俺を蔑ろにするわけでもないし・・・・・・。
「スバルは、人間が嫌いなわけじゃないのか?」
俺はなんとなく彼女の人柄に興味がわいた。
「悪いニンゲンは大嫌いです。他の日和見的な大多数のニンゲンも。でも良いニンゲンがいることもスバルは知っているです。要は、スバルにとって敵か味方か、それだけのことです」
彼女の思考はとてもシンプルでわかりやすい。潔いと言うべきか。
飾ることも隠すこともしないスバルの言葉はいっそ気持ちがいい。
「ターロイは、スバルのこと平気ですか? 獣人族なのに、怖がらないですね」
すると今度はまっすぐな疑問が飛んできた。こちらの内心を伺うと言うよりは、本当に単純な疑問を口にしたようだ。だから俺も飾った言葉を使わずに返事をする。
「もちろん最初に会ったときは殺されると思ったから怖かったけど、今は怖くないな。助けてもらっちゃったし、頼りになるし」
「ならばターロイは偏見を持たず、自分の感覚を大事にできる良い人です。スバルの味方に認定してあげるです」
そう言って振り返ったスバルは、初めてにこりと笑った。
あ、なんか、笑顔がほわわんとしてて可愛い。
さっきまで怒り顔ばかり見ていたせいか、ギャップがすごい。
後ろで彼女の尻尾が揺れているのがマント越しにも見て取れて、分かりやすく素直な反応に好感を持った。
きっとスバルは孤独なのだ。だから味方が増えて喜んでいる。それが同族でなくても。
しかし、ふと疑問に思う。スバルは魔王の祠の守護者。
もし、同族で王でもあるアカツキがあの祠でまだ生きていて、彼女の前に現れたら。スバルは俺たちと敵対するのだろうか?
彼女の性格からそれは難しい気がする。
・・・・・・まあ、普通に考えて、千年前の狼王アカツキ本体があそこにいるとは思えないけれど。
「ターロイ、ここが山のふもとですよ。この先は起伏の少ない街道です。王都には一時間もすれば着けるですから」
その後、道中は特に問題がなかった。おかげですんなり山裾にたどり着いたわけだが。
ようやく開けた視界に深呼吸をしていると、そこでスバルが足を止めてしまった。
「え、スバルはここまで?」
「この街道はすぐ先で迂回路と合流するです。スバルが守らなくてももう安全ですよ」
「そうなんだ」
確かに、風に乗って遠くから馬車の音が聞こえてくる。
「ここまでありがとう、助かった。何かお礼を・・・・・・」
「礼はカムイに言うといいです。スバルにとってはチョロいもんですから」
「でもなあ、世話になっちゃったし」
王都まで来てくれるならマントしかまとわない彼女に服や鞄を用立てるのだが、この場所ではどうしようもない。金を渡しても意味がないだろうし、何か良いものがないかと俺は鞄をごそごそと漁った。
「あ、こんなものしかなかったけど、良かったら」
そこでようやく見つけたのは、山越えで小腹が空いたときに食べようとミシガルで買った、木の実とドライフルーツの入ったクッキーだった。
「こ、これは・・・・・・!」
何気なく差し出したそれに、途端にスバルが瞳を輝かせる。
「ミシガル銘菓、自然の恵みクッキー・・・・・・! 一口食べればふわりと香るフルーツ、さっくりとした生地に木の実の食感がたまらない一品! も、もらっていいのですか・・・・・・!?」
「え、あ、うん、もちろん」
何だかこっちが引くほどテンション上がってる。でもまあ、喜んでくれるなら何よりだ。
クッキーを手渡すと、スバルはそれを大切そうに胸の前で抱きしめた。
「良いチョイスです、やるなターロイ。スバルはお前のためにもう四・五人くらい悪人を葬ってやってもいい気分です」
マントがばさばさとはためくくらい彼女の尻尾が振れている。
ほくほくと嬉しそうに頬を紅潮させたまま、スバルは何かを思い立ったようにごそごそと自身の体の背後を探った。
「ターロイ、これを持って行くといいです」
俺の前に二粒の木の実が差し出される。
「え? これ何? つか、どこから出した?」
「乙女の体の秘密は聞かないのが紳士のたしなみですよ。この木の実はホーチ木の実です。これを踏んだり噛んだりして勢いよく潰すと、ニンゲンには聞こえない高さの大きな音が鳴るです。殺して欲しい悪人がいたら潰すといいですよ。スバルにはここからミシガル辺りまで離れてても音が聞こえますから、ぶっ飛ばしに行ってあげるです」
「うええ!? 俺、悪人でも殺して欲しいとか、ないから!」
「別に半殺しも四分の一殺しも承るですよ。お守り代わりに持ってるといいです」
木の実を俺に渡すと、スバルはクッキーを背後のよく分からないところにしまい込み、満足げに顔を上げた。
「ではスバルは帰るです。次に会うときまでさらばです、ターロイ」
「ああ、ありがとな。また美味しそうなお菓子仕入れとくよ」
「ふふふ、いい心掛けです」
にこおと満面の笑みを浮かべたスバルは、軽く手を振って踵を返すと、山道を戻っていった。