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ヌラちゃんの時間  作者: 黒崎蓮
3/7

おかいものの時間

「うーむ……」

 完全にやる気を失った。

 椅子に背を預け、真上にある‘ちぐはぐなもの’を見て、視界に関する違和感の理由を悟った。

 何が起きたかと言えば、深夜のこの時間帯にノリノリで執筆活動をしていた僕に、電球の光の消滅というなんとも悲しいアクシデントが起きたのだ。

 うちの天井には中心部に四つの電球、四隅にLEDの電球が点いていて、部屋をそれぞれ照らしてくれていたのだけど、今回は見事に僕が座っている椅子の真上にあるLED電球が消えてしまった。

 これだけ電球があるから最初は気が付かなかったのだけど、いつもより少し暗いなと感じて上を見上げて、気付いてしまった。

 このアパートは僕から火だけでなく、光まで奪おうというのだろうか。

 それともあれか、僕の家には日和の言う通り幽霊が住んでいて、定期的にコンロを壊したり電球を消したりするイタズラでもするのだろうか。

 ……いっそ今の出来事をネタにして、さっきまで書いていたやつをボツにしてしまおうか。

「妖怪のせいなのねーそうなのねーっ……てか。いやいや、そんなありきたりなネタで新人賞なんか狙えるもんか。もっとこう……時代を先取りしたような、こういうのを待ってた! みたいなネタじゃないと……」

 自分を奮い立たせるため声に出してみるけれど、その意思に反してボリュームはだんだんと絞られていってしまう。

 根本的に、僕は飽きっぽいのだ。

 こんなことでは、いくらネタを工夫したところで書き終えられるかどうかも分からない。

 僕の人生があとどのくらいあるかは分からないけれど、残りの時間で何か一つでも、誰かの心に残るような作品を残せるのだろうか。

 そんな途方もないことを考えると、胸がざわつく。

「……ふう、やるか」

 沈黙のち、深呼吸。

 暗い気持ちになりかける前に、僕は顔を正面のディスプレイに向ける。

 天井の電球は本当に一寸の光も灯さないから使い物にならないし、うちにはスタンドライトなんていう優秀なものは置いていない。

 僕の周りだけ暗い。そんな寂しい状況の中で、ディスプレイ越しに珍しいものが見えた。

 それは何の気まぐれか、窓の外から覗く、クリスタルボールのように透き通った満月だった。

 昔の人は蛍の光で勉強したというけれど。

 月の明かりを背に物語を紡ぐのもなかなかオシャレなものだろう。

 キーボードを、文字を打ち込む音が耳に馴染んできて、ざわついていた心が土曜日の昼下がりみたいに静かになり始める。

 まだもう少し、やれそうな気がした。



 今夜の月は綺麗ですね、なんて言ったらご主人は意味を解ってくださるのでしょうか。

 そもそも私の声はご主人に届きませんし、届いたとしても恥ずかしくてそんなことは言えませんけど。

 静かな夜に、ご主人がキーボードを叩く音だけが部屋に響いている。

 こういう時に覚醒できて、本当に良かったと思います。

 お友だちと楽しそうにゲームで遊んだり、食事をしたりするところを見るのも楽しいのですけれど、こうやって執筆に集中しているお姿を見るのも、また別の楽しみがあります。

 基本的にただわたしはご主人が作業をするのを見ているだけ。こっそり後ろから、どんなお話を書いているのかを覗くこともあります。

 変わっていると、自分でも少し思います。

 けれど、夢を追いかける背中は、時に月の明かりよりも透き通っていて、夜明けの太陽より眩しいものなのです。

 いつかご主人が夢をかなえたら、その本を一番に読んでみたいと思っています。

「だけど、困ったものですねぇ。ここの電気も消えちゃうなんて……」

 わたしはご主人の背中から視線を天井の、消えている電球に移します。

 ご主人は電気を消すイタズラをする幽霊でもいるのかと言っていましたが、あれはけっこう正解に近いです。

 この電気の消失が故意ではないという点を除けば、幽霊のせいということで正解なのです。妖怪のせいではないですよ。

 原因はシノさんの残留思念。

 このアパートでの火事によって命を落とし、幽霊になってしまったシノさんの残留思念が、火や熱に関連する機械に影響を与えているのだろうというのが、忍足さんの見立てでした。

 火事は放火でもなく、ましてやシノさんや他の誰かが故意に火を点けたというのでもなく、偶然起こってしまった事故、とのことで。

 誰のせいでもない、誰も悪くない火事のために自分だけでなく、息子の命まで失ってしまったシノさんの想いは、火や電気の発生を抑制する不思議な力としてここに留まっているのだろうということでした。

「ある意味、彼女はこの家の守り神みたいなものさ」

 そう言った忍足さんの顔が少し印象的でした。

 ともかく、そんなわけで原因は分かりました。原因が分かったのは良いのですけど、だからどうした、という話になってしまうのです。

 忍足さんのお話ですと、多くの幽霊がそうであるように、シノさんの力は無意識的なもの。意識してその力を弱めたり強めたりすることができないようなのです。意識的なものであるならシノさんに直接、力を弱めてもらえないかと相談することもできたのですけど。

 力の効果が弱まるのは、幽霊が休眠した時。

 もっと根本的に、力そのものが失われるのは、幽霊が成仏または消滅した時。

 ずっと休眠していてくださいなんて言えませんし、成仏してくれませんかなんて言えるはずもありません。

 幽霊としては成仏するのが最終目標みたいなところはありますけど、やっぱりシノさんがいなくなってしまうと考えると寂しいのです。

 忍足さんがみんなのお父さんだとしたら、シノさんはお母さんですから。

 最近はおじいさんも増えましたけど。

「うーむ……んふふっ」

 真剣に悩むつもりだったのですけど、無意識に出た唸り声がご主人のそれと似ていたものですから、自分で笑ってしまいます。

 もっと真剣に考えないといけないのに!

「……おねぇちゃん」

 悩んだり笑ったりと忙しいわたしの耳に、か細い音が届きます。最初はご主人のひとり言かと思っていたのですが、どうやら違うようです。

「あ、ソウタ君。おはようございます」

 床から半分だけ身体を出してわたしを呼んだらしいソウタ君に挨拶を返します。おはようなんて時間ではありませんけど、幽霊たちは覚醒した時がおはようの時間なのです。

「話は全部、聞かせてもらったよ……お悩みの、ようだね」

「え、お話?」

 少し照れくさそうな、芝居がかった口調のソウタ君。

 お話って、わたし何か話していましたっけ? お悩みということは、わたしがさっきまで考えていたことでしょうけど、そこまで詳しく口に出していなかったような……。

「おねぇちゃんの心の声、聞こえたよ」

「幽霊って心の声も聞けちゃうんですか?」

「幽霊に不可能はない……っていうのはウソで、幽霊の心の声って、ある程度強くなると他の人に聞こえることがあるんだよ。おねぇちゃんのも、聞こえてきたから……」

 それは初耳でした。

 え、ということはご主人への独り言も聞こえていたかもしれないってことでしょうか……? それはすっごく恥ずかしいです。

 幽霊の世界はぜんぜんプライバシーへの配慮がなっていません。

「それよりもおねぇちゃん。おねぇちゃんがやりたいこと、できるかもしれないんだよ」

「……どういうことですか?」

 わたしの混乱を、ソウタ君の気になる一言が止めます。

 わたしのやりたいこと。

 ご主人のためにも、この部屋の不調をどうにかしたい。

 できればシノさんの存在を脅かさない方法で。

 そんな方法、あるのでしょうか。

 同じ理由で幽霊になってしまったソウタ君なら、何かできることがあるのでしょうか。

「ソウタ君、詳しく聞かせてもらえませんか?」

「うん、いいよ」

 頷くソウタ君は、うつむきがちで物静かないつもの彼とは違って、その目を輝かせて、何かに期待しているような様子でした。



「いらっしゃいませー。深夜三時のサンセットストアは、ただいまセール中です……ふふ」

 夕焼け三丁目ビルから徒歩十分圏内のスーパーは、お客さんがちらほらと来ていました。ちらほらと言っても、妙に身体が透けていたり、現れたと思ったら突然消えてしまったりと、数えるのが大変なので正確な数字は分からないんですけどね。

 昼間は忙しそうに活気溢れる普通のスーパーでも、この時間帯は‘私たち’が貸切ります。

 お客さん―幽霊さん達はそれぞれ思い思いの商品を手に取って、カゴに入れていきます。

 サラリーマン姿の方は生前の癖なのか、簡単なお弁当を片手に、いそいそとレジまで向かおうとしています。

 布袋を持った女性はセール品のお魚を、真剣な表情で見つめています。気になるのは賞味期限でしょうか、それとも新鮮さの基準となる色でしょうか。

 店内が真っ暗でなければ、何気ない日常風景。でも彼らが発する青白い光と、それに照らされた食料品たちのおかげで、どこかのお祭りのようにも見えます。

「あとは……そうだなぁ、ギョーザなんて、どう?」

「餃子ですか……。確かに、この前ご友人と一緒に手作りしていた時、すごく楽しそうでしたし、良いかもしれませんね!」

「今回買うのは、冷凍ギョーザだけどね」

「うーん、でもきっとご主人なら喜びますよ」

 隣で同じように店内を見回すソウタ君にわたしは返事をします。

 どうしてこの二人でサンセットストアに来ているかと言えば、これはソウタ君の提案でした。

 ご主人の部屋の不調は、一時的なら直せる。

 ソウタ君はそう口火を切って説明してくれました.

 シノさんの能力は、不定期に発動して、火や電気に関わる機器を不調にしたり、その機能を抑制したりしてしまいます。

 でも能力の効果を受けた機器は‘一時的に’不調になるだけであって、シノさんが休眠状態に入れば力を弱めて、ほぼ正常に動き出すのだそうです。

 能力が発動する最も多いタイミングは、幽霊が覚醒した時。覚醒のタイミングで機器が動いていれば―コンロの場合は火を点けていたり、電子レンジの場合はモノを温めていたりしていれば―、能力の効果を受けないまま、正常を保っていられるらしいです。

 もちろん、コンロや電子レンジがずっと点いているということはないので、シノさんが覚醒するどこかのタイミングでまた機器は不調になってしまうのですが。

 確かに、コンロの火や電球が突然消えたという感じではなかったですもんね。ご主人の部屋の電球にしたって、あれはご主人が気が付かなかっただけで、スイッチを入れた段階ですでに切れていた訳ですから。

「お母さんのことだったら、なんとなく分かるよ。分からないことがあったら、僕に聞いて」

 ちょっと得意げにそんなことを言うソウタ君は可愛らしかったです。確信は持てませんでしたけど、もしかしたら最初からソウタ君に聞いてみても良かったのかもしれません。

「さて、買うものも買ったし、レジに向かいましょう」

 カゴに集まったものを一通り見て、わたしは言います。

 中に入っているのは、単一型の電池、LED電球、そして先ほど買った餃子を含む、冷凍食品の数々。

 ソウタ君の提案は、シノさんが休眠中の間に、影響を受けやすそうな機器をすべて稼働させ、その間にシノさんを再び覚醒させて、能力を無効化するというものでした。

 覚醒や休眠のタイミングは自分では操作できませんが、ソウタ君はシノさんのことを‘起こす’ことができるらしいです。これはさすがにソウタ君自身もどうしてそんなことができるのかは分からない様子でしたが、同じ場所で生まれた幽霊だからかなということで納得しておきました。

 なんにせよ、幽霊には不思議なことがいっぱいということです。

「いらっしゃい。私はこのスーパー唯一の店員の幽霊。いわゆるスーパー幽霊というやつさ……ふふ」

 カゴをレジまで持っていくと、じめっとした声と一緒に、このお店の制服を着たニコニコ顔の女性の幽霊さんが音もなく姿を現します。ここに来るのは初めてではないのですが、お会計の時はいつもびっくりしてしまいます。

「はいはい、合わせて千八百円だよ……と言ってもお代は取らないんだけどね……ふふ」

「あ、ありがとうございます。……あのぅ」

「ん、なんだい?」

 いつものように代金は払わず、品物だけ受け取って帰るつもりでした。けど、やっぱり気になるものは気になります。

「どうしてここでは代金が必要ないんだろうなぁって思いまして。もちろん、請求されてもわたしたちは一文無しなので困っちゃいますけど……」

「……」

 ずっと気になっていたんです。ここは生きている人にとってもスーパーだから、売上と在庫の数が合わなかったり、いろいろ問題が起きるのではないかなと。この前の歓迎パーティのお鍋の材料だって、きっとここで調達したのでしょうし。

 ニコニコ顔のまま、しばらく上を見上げるスーパー幽霊さん。

 表情のせいか、その真剣度合いが分かりません。

「そりゃ、私がここで働くことを望んだからさ。ここでレジ打ちすることが、私の‘死に甲斐’だからね……ふふ」

「……んー?」

 なんだか、質問と答えが食い違っているような……?

 わたしの質問の仕方が悪かったのでしょうか。

「それよりお嬢さん。明日はとても熱くなりそうだから、気を付けてね」

「え? は、はい……?」

 悩むわたしにさらに追い打ち。

 スーパー幽霊さんはじっとわたしに視線を向けたまま、品物が入った袋とともにそんな言葉をかけます。

 どういうことでしょう。

 熱くなるといっても今の季節は冬。

 気温が上がったとしてもそこまでは上がらないはずですけど。

「おねぇちゃん、早く帰ろう」

「う、うん、そうですね」

 いつの間にか入り口の方に立っていたソウタ君に呼ばれて、わたしはこのモヤモヤ感を忘れてお店を出ることにしました。

 後ろでひらひらと手を振るスーパー幽霊さん。

 あの人とは一度、ゆっくりお話ししてみたいなぁと、そんなことをぼんやりと思いながら。



「おう、おかえり。なんだ、ソウタも一緒だったのか」

「ただいまですシノさん。ちょっとソウタ君をお借りしてショッピングをしてきました」

 アパートに帰ると、入り口でシノさんが眠そうな顔をして立っていました。

「お母さん、ただいま」

「おかえり。どうだ、楽しかったか?」

 わたしの後ろから駆け寄るソウタ君を見るなり、シノさんは顔をほころばせて、優しい声をかけます。

 良いですねぇ、親子って。

「うん、ちょっとした、冒険……」

「そりゃ良かった。生きてた時はあまり外に連れ出してやれなかったからな……。ありがとう、ヌラ」

ソウタ君の頭を撫でながら、シノさんはわたしに頭を下げます。

「いえいえそんな! 今回はわたしも助けてもらってますし……ところでシノさんはどうしたんですか? ちょっと眠そうな顔してましたけど」

 いつものサバサバとしたシノさんとは違う態度に少し戸惑ってしまって、わたしは照れ隠しに訊いてみます。

 シノさんがこの時間帯に起きていたら、だいたいお買い物に行っている時間のはずです。サンセットストアで鉢合わせになるかなとも思ったのですけど。

「助けて……? あぁ、いやな。忍足に頼まれてあのカオスでフリーダムな小娘を探しているところだったんだ」

 カオスでフリーダムな小娘。

 ぱっと浮かんだのは、わたしたちの七人目の仲間の眩しい笑顔でした。

「そういえば最近見かけませんね……確か、歓迎会の前日あたりから?」

「だろ? どこかで問題起こしていないかって話で、あたしが頼まれたわけなんだが、ぜんぜん見つからなくてな。あいつ地縛霊のクセして行動範囲が広いっていう謎なヤツだからなあ」

 それはもう地縛霊ではないのではという意見がわたしたちの間で出ているのですが、実際のところは分かっていません。

 なんにせよ、あの子はちょっとしたトラブルメーカーなので、放っておくのは心配ですねぇ。

「ふぁ~、ぜんぜん見つからないし体力も消耗したしで、そろそろ寝ようかと思ってたんだ。お前らも探しに行くまではしなくても良いけど、見かけたら声かけて連れ戻してやってくれないか?」

「わかりました! えと、おやすみなさい?」

「おー、おやすみ。あ、ソウタ」

 ふよふよと浮かんで、自室として使っている三階の大部屋まで行こうとしていたシノさんは、ソウタ君に振り返ります。

「なに、お母さん」

「あー、今度はあたしが買い物に連れてってやる。今日よりもっと、楽しい日にしてやるからな」

「……ほんとう?」

シノさんの、どこかぎこちない言い方に、ソウタ君はキラキラの瞳で訊き返します。

 うーん、今のはさりげなく対抗意識を燃やされちゃったのでしょうか。

「本当だよ。だから今日はちょっと休ませてくれな?」

「うん、おやすみ!」

 ソウタ君の元気いっぱいの返事を聞いて、シノさんは安心したように今度こそ三階へと昇っていきました。

「良かったですね、ソウタ君」

「うん。楽しみだなぁ、お母さんとの、買い物」

 ソウタ君の嬉しそうな横顔に、わたしも自然と笑みがこぼれます。

「さて、わたしたちは‘準備’に取り掛かりましょうかね」

 あの様子だとシノさんはこれから休眠状態に入るのでしょう。準備を進めるのなら、今がチャンスなのです。

 そう思い、わたしは張り切って身体を浮かせて部屋に戻ろうとします。しかし、肝心の提案者のソウタ君の気配が後ろから付いてきません。

「あれ、ソウタ君?」

 振り返って目にしたソウタ君の顔は、さきほどの満面の笑みとは正反対のもの。

 どこか寂しそうな、やりきれないような、そんな表情でした。


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