傀儡王 終幕A‐2 グリス
〔わからない〕〔聞う〕〔グリス〕
私は優しい彼のことを好ましく思ってしまう。
それで本物か偽物かを判断すべきではない。けれど、怪物でなければいいと思う。
……たとえそうでも受けた親切は偽りなく感じたし、抱いた印象は何も変わらない。
「私が吸血蜘蛛グリスだよ」
彼は嘘をつかず誠実なのだが事実は時に残酷になり得る。
他者が願ったところで生まれはどうにもできないことだから、自分の理想を貼り付けて彼を否定するのはよくないと割り切ろう。
■■
よく晴れた日の市街地で一人歩く赤髪の少年は石に躓いて膝を擦りむく。
『痛いよ……うえぇん!!』
傷から血が滲んで、大声で泣き出すと周りがざわざわとして、少年を気にする様子で狼狽えている。
彼はこのまま死んでしまうのではないかと不安でたまらないのだろう。
『まあ坊や、怪我をしているじゃないか』
優しいおばさんが怪我の手当てをして、少年はすっかり泣きやむと暖かい気持ちになる。
『ありがとう』
少年は家のある森へ入っていった。
『まったく何で見て見ぬふりをしてんだい』
『あの子、例の半分っ子だし不気味だ……』
少年は吸血蜘蛛と人間の混血でいつ化け物に覚醒するかわからない危険物。
報復を恐れてか面と向かって罵倒や攻撃はしないものの、周囲は遠巻きに彼を腫れもののように扱う。
少年は追い出されるよりマシだと言い聞かせて食事を買う。森には冷蔵庫がなくて保存がきかないからだ。
『どうして僕は生きてるんだろう?』
ほぼ毎日ふとした瞬間に考えてしまう。両親はもう死んでしまったから早くそちらへ行きたいんだ。
■■
「何を考えていたの?」
少しの間、黙ってぼうっとしていた彼に問いかける。無表情で心ここにあらずな様子でとても怖かった。
「死にたいなって」
「え」
「君は目の前の化け物が恐い?」
「どうしてそんなこというの……」
きっと化け物だと自覚していて、それでなんだろう。ハッキリ言ってしまえば彼が悲しむから口を噤んだ。
「それは、なんとなくわかってる顔だ。声色が最初の問いかけと違う」
この鋭さには怖さを感じたが、それで恐れるわけではない。
「貴方がこの世界に受け入れられない存在でも、私は貴方を化け物なんて思ってない」
過去がどうあったのかは知らない。何であれ私にとっては今の彼が重要だ。
「君は死体だらけで荒れた城の惨状を見た上で、そう言っていると?」
「たとえそうでもよ。だから話して、貴方がやったことでもそうでなくても真実を」
■■
『大王様は弱ってるらしいな』
『このままじゃ城は落とされるに違いない』
『そんなことになればこの国はおしまいだ』
国と国の争いで負ければ優しくしてくれた人が悲しむし、きっとご飯も食べられない。
相手が人間なら化け物でも役に立てることがあるのではないだろうか?
『でも、お城になんて』
門前払いをくらうに決まっている。無理だから、僕なんかには。
『きゃあああああああ!!』
突然近くで悲鳴が上がった。なんだろうと思って周りの会話を聞いていると昼間から強盗が出たようだ。
お店から盗まれたものを取り返そうと追いかける男の人がいた。
『盗賊の連中早く出てかないもんかね……』
『大変だ! 雑貨店のハンナさんが強盗に!』
ナイフで一突きにされて倒れた女の人。
『あ……の……』
『子供は見ちゃいかん』
『そいつは……』
『今回の、その子のせいで呪われたんじゃ……』
『子供は子供だろう』
あの人が死んだから悲しくて泣いたのか、おじさんが化け物と揶揄しなかったことに感極まったのかも分からない。
これが一歩を踏み出すきっかけになるなんて想像もしなかった。
『僕は吸血蜘蛛グリムガルデの息子だ! どうか戦わせてほしい!』
『小僧にはまだ早い』
『よい』
大王は半信半疑であったが城へ招き入れてくれた。
けれどもう遅すぎたようで、王様はもう一人と城を出ていった。
『名も知らぬ子よ、留守は頼んだ』
王様が城の入口で出迎えてくれるなんて普通はありえないってことに気づけなかった。
こもはもう生きている兵士がいなくて、王が戦に行くしかなくなってたんだってことを……。
『王様?』
静かな戦場に駆けつけると敵の王と相打ちになったのか、死体が三つあった。
『ぐ……王だけでも生きていてくれれば……』
王様の側近がこと切れる間際に呟いた。
どうすれば王様が生き返るのか、よく考えてたどり着いたのが喰べることだった。
『皆ぼくの中で生きて、そしたら寂しくないよね』
まともな人間なら考えない捻じれた概念。そもそも人間に髪から吸い取る事はできまい。
歪んだのは幼いころに父が子の目の前でハンターの両親を殺した現場を見てからだろうか?
父のようにはなりたくないのに、人間にはなれない。
しばらくして、王が語りかけてくるのを感じる。身体が彼のように大きくなっていく。
『私は王にならねば……』
■■
「……事実は小説より奇なり、ね。貴方に作り話でわけがなかったわ」
涙を我慢するのに大変で上手くやれそうにないから、彼に劇を披露するのはまた今度にする。
「随分待たせてしまった……好きに殺してくれゲルンガァ」
彼が直接やったことではないが、責任を感じていたらしい。
「……意地の悪い化け物め」
あんな話をされて、“復讐に取り掛かる人間がいるわけない”そういって彼は考えた末にこう答える。
死が逃げ道なら“生きて償え”と、すっきりした顔でゲルンガァは去っていく。
「ずっと、死ばかりを考えてきた。けれど、生きたいのに死ぬ人がいるんだ」
幸せは等しくないし、理不尽に突然奪われてしまう。
たとえ下に落ち続けることになっても、希望なく日々が過ぎてもいい。
「これからどうしたらいいかな」
「まずは、お城を綺麗にしましょう?」
街の汚染は城を明るくすればおのずと変わる筈だ。
■■
「あれからもう3年になるのか……」
街は外からの移住でかつてほどではないものの、復活の兆しを見せている。
「でも、貴方が統治しなくて良かったの?」
「きっとゼレスティーヌ女皇なら大丈夫だよ」
「そうね」
ごほん、咳払いをされて振り向く。不満そうな師匠が硬いパンを引きちぎる。
あれから私達は彼に再会して、ジュグを出てヨウコクヘの帰還した。
『私も人のことを……真っ当な人と言える立場ではないから何も言わないでおくよ』
そういっていた意味が今でもよくわからない。
「今日は出かけてくるよ」
彼は毎年この日になると、ジュグヘ里帰りのような事をする。
お墓参りらしいが、どっちの? なんて問いかけは意地悪じゃすまないから詳しくは聞かない。
二日後、彼が帰ってきたから人形屋へ向かう。
たまに彼にも糸のついたタイプの人形で遊んで貰うのだけど、教えなくても上手い。
「リアル人形遊びをしていた人は違うね」
「例のごとく……嫌われてるなあ」
慣れっこだから、気にしていないと嫌味を言われても平気そう。
「ライバルが現れて人形使いの沽券にかかわると心配なのよ」
「そうなんだね心配しなくても定職につきます義父さん」
「誰が義父さんだって?」
二人とも基本的に喧嘩っ早いタイプではないから殴り合いにはならない。
「おやすみなさい」
「うん」
「弟子の仇が君の父で君の父の仇が私……ということになるが」
「あれは報いだった筈、そして自分もそうなるはずだった。だから気にしていないよ」
■■
「アネッタが化け物になるのは想像できないけど」
「どうしたの? 早く行きましょ」
朝から二人で広場に出掛ける約束をしていた。やってきたものの……カップルだらけのそこは異界のよう。
「長年お城暮らしのグリスには人の多い場所はまだまだ刺激が強すぎるみたいね」
ゼルスタールの記憶を継いでいても、その王だって未婚だった。
データがほとんど頭に無いも同然で、だからあのような真似をしていた。
「……ところで、あのいかにも悪者のようなのは演技?」
「あれはゼルスタールが悪乗りをしていたんだ」
あの話し方と魔物に取り込まれた影響でああなっていたのだろう。
「そっちが良かった?」
「誓ってそんなことはないわ!」
「とりあえず、手を繋ぐくらいは許されるかな」
「グリス、わたあめよ!」
グリスは腕を掴まれて屋台の前に引っ張られる。それを買ってベンチで食べることになった。
「甘くて、ベタベタだ」
ワタのようなものを想像していたが、砂糖でできたそれはすぐ溶けて固まる。
「おいしい?」
「そんなには」
アネッタも“毎日食べたいほどではないがたまに食べたくなる”程度の味だと言う。
砂糖の塊なのだから味のバリエーションもない。食べる間にだんだんとしぼんでいった。
「……グリスは恋人にするなら、人間と魔物のどっちがいい?」
「それはまるで……」
アネッタが自分に好意があるような口ぶりで言ってくることから、グリスは戸惑った。
「アネッタがいいよ」
「そ、そう……嬉しいわ」
嬉しいはずなのにフワフワと身体が軽くなるような不思議な感覚だ。
【雲を掴んだ蜘蛛】




