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Amour Eternel~果てなき歩み~  作者: 永久発狂マン
二章 銀の夕闇教団
9/11

大幹部キャロル=ラーンクラフト


       4


 冷たい。寒い。肌を叩く強い雨が痛い。壊れた町を見ると心が軋む。

 でも私に心なんてあるのかな? 悲しむことが……泣くことが出来ない私に。

 悲しんでいる人を見ていると辛い。でも悲しめない私は、その人が悲しんでいるのかが分からない。だから言われるまで気付けない。でもそんなのは嫌だから、表情や行動からそれを察することが出来るように勉強をした。

 そのおかげかな、私には分かるんです。

 心が無くても、分かるんです。

 キャロルは悲しんでいる。何かに追い詰められて、辛い思いを抱えている。

 だけどどうしてあげたらいいのか分からない。

 君は脆い部分を見せてくれないから。

 心を見せてくれないから。

 冷たい。寒い。肌を叩く強い雨が痛い。壊れた町を見ると心が軋む。

 でも、でもね。そんなことよりも。

 キャロルの辛そう顔を見ていると、心が締め付けられるんだ。

 無いはずの場所が、キリキリと痛むんです。

 どうして君が悲しまないといけないの? それを私が代わってあげられたら。

 そう思うんです。変なことでしょうか。……変なことなのでしょうね。

 ……ううん、きっとこれは違う。これまでの私の思いや意思とは違ったものなんです。

 だってキャロルは、お友達だから。初めてのお友達だから。

 だからきっと、これは普通のことなんです。お友達を助けたいという思いだけは――。

 ごめんなさい、キャロル。私は今、眠っているんですよね。倒れて気を失って、きっと私はキャロルに看病をされているんですよね。分かりますよ、だって温かいんですもの。寒くて痛くて震える体の芯に、手離したくない温かさを感じているんですもの。

 キャロルが傍にいる。確かに感じるキャロルの温もり。

 ごめんなさい、すぐに目を覚ましますから。ご飯を作りますから。

 だからワガママをごめんなさい。

 目覚めるまで、もう少しだけ、傍に居てください。

 震えを、痛みを和らげるキャロルの温かさを今少しだけ感じさせていてください。

 感動しているんです。お友達キャロルって、こんなにも優しく温かいんだなって。

 だから、だから――。


 ――寒い。寒い。あれ、可笑しいな、温かさが失われていく。

 どうして? キャロル? そこに、いるんですよね? 

 なぜかな、君が……キャロルが居なくなってしまうような。

 そんな気がして……。


       5


 白いローブの四人組――『銀の夕闇教団』大幹部と三幹部は、町を上がるように沈黙を続けながら歩を進めていた。そちらの方向は、キャロルがこの町へ歩いてきた方角とは逆側に位置し、三幹部によると先にある牧場に『門』が設置されているらしいのだ。

 魔術『奇跡の門』とは条件を守って作成すると、遥か先の空間まで一瞬にして移動を可能にする、要は瞬間移動の門だ。教会でグラハムが魔術を行使し、それを潜って三幹部はキャロルを捕縛しにやってきた。教祖自ら赴いてこない辺りが苛々に拍車をかける。

 更に少し歩いて、視線の先に件の牧場が見えてくる。どうやら飼われていた家畜は既に姿を消してしまっていた。とは言えこの災害だ、どこかへ逃げ出してしまったのだろう。

 そのように閑散とし、ドロドロに濡れてぬかるんだ草原の中央に光るエリアがあった。

 形は円。古代文字が描かれた魔方陣。それこそまさに奇跡を実現する超越の門である。

 それを潜れば行先は教会。待つのは最悪の義父――教祖グラハム=ラーンクラフト。

 門を目前にキャロルは立ち止まった。そんな彼を三人の魔術士も足を止めて振り返る。


「どうなさいましたか」

「お前らは支配神復活を望んでいるんだろう」

「ええ、勿論。その刻はもう間近でございます」

「なぜ分かる?」

「ああ、教祖グラハム様から伝えられる前に教団を去っていましたね。ですがそれはこの先に待つ教祖グラハム様自身からお聞きすれば疑問は氷解するでしょう」


 前方の『門』へ向き直るも、キャロルは納得せずに棘のある言葉を続けた。


「逃げてまで何も知らない状態で戻ったら恥かしいだろ。俺が自分で行き着いたって形にするから教えろ。俺は教団に戻るんだ、大幹部の命に従えないとは言わせない」


 そこまで言われては従わざるを得ない彼らは顔を見合わせ、頷く。教祖グラハムから受けた内容をそのまま己が知識のように喋るのに抵抗はあるだろうが知ったことではない。


「ええ、勿論でございます。教祖グラハム様とキャロル様によって発動が成った至高の大魔術『運命の日』は三〇日間絶えず大災害を引き起こす魔術です。その三〇日間で生じる地核衝撃と悲鳴の量こそ、支配神復活の為に必要最低限量。そこに到達してさえしまえばそれ以上を注ぐ必要はありません。発動した瞬間、支配神は復活したも同然なのですよ」


 何もかも知らされていなかったこと。大幹部とあろう者が知り得なかった全て。


「やはり所詮、大幹部は名だけだったってことか」

「いいえ、次期教祖様がキャロル様であること、それが地位の大きさを示しています。我ら教徒共にとって教祖グラハム様と大幹部キャロル様は英雄如き存在なのですから」


 そんなことはどうでもいい。重要なのはリミットが残り十日だという事実だ。

 十日しかない? 否だ。十日も残されている。そう考えるべきだろう。


「……十日、か」

「ええ、かつて支配神が封印された旧暦の日――新暦六月六日。その日こそ我らが神の『降臨の日』――その日こそ、キャロル様が『銀の夕闇教団』教祖と成る瞬間でございます」


 初めて、幹部の声に感情のようなものが灯る。狂いに狂った愉悦の感情だ。

 キャロルは思わず笑いが零れる。何がお前たちをそこまで掻き立てているのかが理解できない。何を得たい? 何を望む? その先に何がある? お前達の価値はなんだ?

 新世界に於いて、貴様らの価値はなんだ?

 ――そんなもの、次期教祖の俺が決めてやる。


「……死ね」

「は? 今、なんと?」


 囁くように呟いたそれを三人は聞き取れない。無様に耳など澄ましている。

 なら聞かせてやるよ――これが、死の音だ。



「教えてくれてありがとう――もう死んでいいぞ」



 牧場を一陣の風が駆け抜ける。鋭く研ぎ澄まされた死の風が、命に触れて音を奏でる。

 それはたった一つの、貫く音だった。光景を言葉にするなら、キャロルの周囲に刹那の内に展開された無数の白銀の刃が、彼が起こした風によって高速度で射出され、三幹部の一人の全身を『僅かな時間差も無く無数の個所を同時に貫いた』ただそれだけのこと。

 ローブが真っ赤に染まり、串刺しとなった幹部は地に倒れる。それを見届けるよりも早くキャロルが行使したのは『門』に対しての対処だ。魔力を帯びた銀ナイフを投げつけ魔方陣を僅かに崩すことで『門』そのものを破壊し消失させる。極めて有能な魔術である反面、壊すことも容易いのが『奇跡の門』であり、彼には適性が無かった魔術の一つだ。

 適性が無かったからこそ、どうにか取得しようと何度も魔導書を読んだのだ。その中で破壊方法を見つけたことが、このような状況で活かされようとは思ってもみなかったが。

 一瞬の攻撃が収まり、二人の幹部は死体に目も向けず、無感情に大幹部を睨む。


「……それがキャロル様の答えなのですね。ではこちらも止むを得ませんね」


 笑わせる。キャロルは嘲る瞳を向けることで言外に見下し、


「どの道貴様ら全員殺すつもりだったんだ。抗うなら好きにしろ」


 その右手に鋼の西洋剣を、左手には地水火風が織り交ざった揺らめく色彩豊かな球体を生成して、残る二人の幹部へ、ぬかるむ地面を物ともせずキャロルは駆け出した。

 対して幹部A、及び幹部Bも怯まず行動を開始する。幹部Aは一瞬の内に奇怪な呪文を詠唱しながら幹部Bの前に移動し、振り下ろされる剣を見据えて魔術を行使。するとキャロルの剣はぐにゃりと軌道を変えてしまい、何もない空間を通過して切り裂けたのは降り続く雨の雫だけ。だがある程度その結果を予測していたキャロルは左手の球体を操作。球体から発生した無数の蛇のような炎が幹部Aを襲うがそれもまた軌道を変えて――否、今度はキャロルが意図的に軌道を変えたのだ。炎は回り込むようにして幹部Bへ襲い掛かる。しかしそこへ幹部Aは腰を捻って手を伸ばし、そうすることで自分への攻撃となった炎をあらぬ方向へ軌道を捻じ曲げた。その先にあったのは大きな水溜まり。流石の魔術の炎でも大量の水を蒸発させる前に鎮火し、無残にも消失してしまう。

 更に、キャロルが僅かに幹部Aへ意識を移した瞬間、幹部Bの姿は薄れるようにその場から消え去ってしまった。それを確認した幹部Aは大きく飛び退き、距離を離す。

 追撃せず、キャロルは冷静に思考し、周囲に警戒を払った。


「面倒な魔術の適正だけはあったようだな」


 幹部Aが行った魔術は『危機の逃亡』というもので間違いない。その魔術は術者に対して何らかの危機が迫ると、それそのものをあらぬ方向にそらしてしまう厄介な力だ。幹部Aは危機の対象が術者以外でも術者自身がその危機に身を晒せばまとめて回避できる点を活用して、幹部Bが魔術発動までに必要な呪文詠唱を完了するまでカバーしたのだ。長い間、教団の幹部を共に務めてきた彼らには彼らだけの連携があるのだろう。そこも厄介な相手ではあるが、三幹部の一角を予め落としたことを考えるとさほど脅威とは思えない。

 そしてカバーしてまで発動した幹部Bの魔術は『不可視化』だ。極めて単純な術者の姿を不可視化する魔術だが、魔術的変装というのは魔術でしか暴けない法則がある。魔術士同士の戦闘に於いて重要なのは『的確に対応すること』だ。その系統の魔術にはこの系統の魔術でと言った風に効果を潰し合い、結果的に潰せなくなった方が敗北する。

 つまり、まずその二つの魔術に対応できなくてはキャロルには厳しい戦いということ。

 しかし、キャロルの魔術世界への考えはまさにそれそのものである。とある魔術への適性が無い、そんな時は、使えないのであれば使われた場合に自分と同じ舞台に引き摺り下ろす為の方法を考えるのだ。『門』に的確な対応が行えたのもそれゆえであり、十年間積み重ねた知識の本棚に保管されている魔術であれば殆どの対応方法を記憶している。

 つまり『危機の逃亡』と『不可視化』に対する攻略法は既に持っているということ。


「グラハムに比べたら、所詮雑魚にすぎない」


 まず行うべき幹部Bの大まかな位置の確認。恐らく幹部Bは姿を隠して、強力な魔術の詠唱を行っているはずだ。発動を止める必要はない。位置さえ判明すれば対応できる。

 だがそうさせない為に幹部Aが存在している。彼は距離を離したまま、キャロルに向けて両手を翳すような格好をしていた。口からは呪詛。何かしらの魔術が来ると警戒していたキャロルは右足に強烈な魔力を感じた。感覚的は魔力がへばりつくような感じだ。

 しかし発動完了まで僅かに猶予がある。まずは咄嗟の回避行動として、左手の球体から『四元素の生成』を発動。ぬかるんだ地面に干渉して岩石を生成し、自分の姿が幹部Aから視認できなくなるように隆起させると、ふと右足に感じていた魔力が霧散する。

 なるほど、と。キャロルは呟いて呪詛を唱える。それによって両手両足に自分の魔術の効果が纏わる感覚を認めると、岩石を崩して幹部Aに向けて走り出した。

 相手は怯まず再度両手を翳す。だが最早、その魔術がキャロルへ通じることは無い。

 それをようやく理解した幹部Aだが、既に剣が届く距離にキャロルは肉薄している。攻撃をそらす魔術が行使される前に斬り裂こうとしたが、斜め背後の方角から魔力の塊が飛来してくる気配を察知した。即座に岩石の盾を形成して防御を行いながらも、振り下ろした剣の一撃が止まることは無い。しかし、ほんの僅かに速度が緩まったのか、詠唱を間に合わせた幹部Aによって剣の軌道はそらされ、更に岩石の盾は接触した魔力の塊が起こした凄まじい爆発によって崩壊、爆風でキャロルの体は大きく吹き飛ばされた。

 身を翻して着地したキャロルはダメージこそ無いものの、苛立ちが湧いてくる。

 幹部Aの『四肢の殺戮』――四肢のみを対象に、その部位をピンポイントで破壊する攻撃魔術は、物理・魔術干渉を無効化する『障壁の創造』を四肢に纏わせることで攻略することは容易ではあったし、あの『危機の逃亡』も多数の攻略法が存在している。

 しかし、幹部Bの放った魔術の覚えはない。とは言え難しいようなものでもない。長い詠唱と引き換えに高密度の魔力を放ち、接触と共に爆発を引き起こすだけのもの。ただそれだけでありながら殺傷能力は凄まじいものだ。既に発動位置から移動している幹部Bのあの魔術がどこから飛んでくるか分からないのでは少々戦い辛さがある。四肢にこそ常に障壁を展開させているが、全身ともなるととある弊害が生まれてしまうのだ。それは己が身の内から発動する魔術――つまり全ての魔術が障壁に無効化されてしまう自滅の弊害。

 四肢以外は障壁に阻まれていない為、現在は問題無く使用できるが、これ以上を覆ってしまうと満足な発動は困難となる。つまり防ぐには岩石などの物理的な壁、あるいは接触時に障壁に覆われた部位で接触すること。しかし両方共完全な防御は不可能だろう。

 そうなれば残る手は一つ。それはキャロルが考える不可視の攻略法と同時に行える。

 その為にも、もう一度だけ魔力爆発魔術を誘う必要がある。

 ――あんまり長い戦闘は避けたい。次で決める。

 キャロルはまず目前の敵を仕留める――という意思と雰囲気を出しながら、幹部Aに大して果敢に攻め立てる。四肢破壊を恐れる必要はない。右の剣と、左の四元素による息つく暇さえ与えない猛攻で『危機の逃亡』しか行えないように縛り付け、どこかより飛来しるであろう高密度の爆発の察知に意識を傾ける。そのような攻防から、三〇秒程が経過。

 真後ろという死角からそれは飛来した。魔力の出現位置から幹部Bの位置を特定。足裏から地面を伝って発動・生成した岩石の壁を、幹部Bの位置を中心に、その周囲を円状に覆うようにドーム状に隆起させた。確実に捕らえたが、これで終わりではない。破壊されてしまえばそこまでの岩石の壁はあくまで目印だ。ドーム形成の直後、四元素の風の力で自分の体をそのドームの頂上まで吹き飛ばすと、岩に手を突いて『障壁の創造』を発動。

 岩石のドームをなぞるように、その魔術を無効化しながら障壁は展開される。やがて生み出されたのは薄っすらと視認が可能な淡い光の大型半円形障壁だ。

 風に乗って地面に降りたキャロルは短く、息を吐いた。


「そこで見ていろ、同志が死ぬ様を」


 幹部Bは障壁に遮られて外へ魔術を及ぼすことが不可能になっている。仮にそこで魔力爆発魔術を使ったとしても無効化されて消失する。障壁に触れれば『不可視化』も解除される為、姿を晒したその瞬間にキャロルの魔術がその命を刈り取らんと襲うだろう。

 幹部Aの撃破後に、障壁を縮めて強制的に接触・魔術解除を行い始末すれば良い。


「さて、一対一だ」

「……やはり教団トップクラスの魔術士なだけありますね。これは困った」

「えらく余裕な物言いだな。グラハムに奥の手でも授かってきたか?」

「奥の手……ああ、確かにそう呼べるかもしれません」

「出し惜しみしている場合か? 貴様らはもう……殆ど魔術を使えないだろう?」


 戦って分かった。三幹部は精神を壊れる一歩手前であると。最早満足に魔術の打ち合いに着いてはこれないだろう、ゆえに出し惜しみしている理由が不明だ。


「よもや、それすらも行使できる余裕がないとは言わせないぞ」

「……残念ながら、これは出し惜しむ惜しまないなどと、そういうものではありません。しかし見たいと仰るのであればタイミングが良い。間もなくお目にかかれますよ」


 その為の時間稼ぎだったのですからと幹部Aは怪しく笑い、戦闘の余波で位置を変えた幹部Cの死体へと近付いていく。万が一、その死体を蘇らせるような魔術を行使されたところで戦況は変わらない。それこそ悪足掻きだ、時間の無駄としか言いようがない。

 だが、時間を稼いでいたというのはなんだ?

 その疑問は、直後に現実の光景として解決することになる。


「喰らい、生まれて、喰らいなさい」


 突如、死体を覆っていた無数のナイフがドロドロに融解。液体となったそれが死体に取り込まれた直後、肌の表面がボコボコと泡立ち、大小の様々な球体で埋め尽くされた。血管や神経、血液に体液、取り込んだ液体金属が身体内部からビチュビュチュ弾け飛び、質量保存の法則を無視するかのような全身が肥大化を始める。巨大な風船となり、そこから手足と見られる部位が生えだし、人間の脳が姿を見せたと思えばブヨブヨのそれを覆うような異様な顔面が形成された。ギョロギョロとした赤い双眸は左右が大きく離れ、五メートルにもなる半透明な体は内部が透け、そこには肥大化した人間の臓器や骨、そう言ったバーツが不規則に並んでは動き並んでは動きを繰り返していた。そんな巨体を支えるように折られた二本の後ろ足、異様に長い二本の前足が地面にぺたりと張り付いて、歪な脳が透けて見える頭部の額部分には歓喜を露わにする人間の顔らしきものが浮かんでいた。

 その名状し難い化け物をあえて名状するなら、カエルのようであった。

 巨大なカエルは口を大きく開くと、覗くのは巻かれた太く長い舌だ。舌はぬるりと唾液を垂らしながら伸ばされ、全容が露わになる。舌の表面には無数の大小の突起物、そして舌先はまるで槍の矛先のように鋭く尖っていた。そしてその舌は幹部Aに近付き、受け入れるように両手を広げる彼の心臓部を躊躇いも突き刺した。突起物に内部をえぐられ、尋常では無い痛みの中で浮かんでいたのは狂気を孕んだ笑みだ。幹部Aはそのまま大きな口の中に運ばれて飲み込まれる――すると額には彼と思わしき顔が浮かび上がっていた。

 キャロルは、そのカエルのような化け物を知っている。正確には、読んだことがある。

 それはまさに『支配神』の魔導書に書かれていたのだ。支配神の四眷属、地の眷属は己が肌の表面から無限に配下を生み出して従えていた。その配下の姿が、今、目前に現れたカエルの化け物と一致し、それはこう呼ばれると記されていた。

 ――『蠢き穿つもの』と。

 予想だにしない光景に呆然としてしまったキャロルへ、槍のような舌が伸びる。咄嗟に躱すことができたそれの本当の目的はキャロルではなく、後方で障壁に閉じ込められていた幹部Bだった。障壁を超えて舌に貫かれた幹部Bもそのまま飲み込まれ、額に三人目の顔が浮かび上がる。その全てが見るに堪えない狂いに狂った混沌を喜ぶ表情である。

 体内で暴れる人だったモノのパーツ。頭部に敷き詰められた三つの肥大化した脳。そのような光景に吐き気を覚えたキャロルは、しかし決して恐れるなと自分に言い聞かせる。

 あの化け物が脳を有していると言うのなら、それを破壊すればいい。視認できる弱点を貫けないほどキャロルは弱くない。所詮単体。恐れることは無い。敗北など有り得ない。


「一番恐ろしいのは、貴様の悪趣味の度合いだよグラハムッ……!」


 一撃で仕留める。狙いを澄まし、たった一度の攻防で決着をつける。

 化け物? 眷属の配下? 蠢き穿つもの? 知ったことか。

 グラハム=ラーンクラフトほどの化け物は居ない。

 三幹部を送り込んできた以上、近い内にグラハム自ら姿を現すだろう。

 支配神復活阻止を阻止するあの男を撃破する為にも、この程度の化け物に手こずっていては話にならないのだ。コイツの亡骸で歓迎するほどの気概が無ければ、到底敵わない。

 思い出せ。グラハムの魔術の速度を――それに比べれば舌など片目で追える。

 思い出せ。グラハムの魔術の威力を――それに比べれば舌など切り落とせる。

 研ぎ澄ませろ、精神を――どれほど擦り減った精神だろうと、束ねて研ぎ澄ませ。

 舌が動く。キャロルの目にはぬるりと、実際には驚異的な速度で。

 舌が伸びる。風と舞うような速度で。だが風を操るキャロル相手に風と舞うなど笑止。

 見える。表面で蠢く突起物の細部まで、舌が狙っている部位すら先読みできる。

 キャロルは左手の四元素の球体の形を変える――貫き穿つ一本の矢のように。四元素全てを混ぜ合わせた必殺の一撃を、動作の一つも無く、掌から化け物の頭部へ射出した。

 キャロルの矢は『蠢き穿つもの』の舌先に接触すると、跳ね返されることも勢いを緩めることも無く、舌そのものを引き裂くように、言葉にも表したくないような色の粘性の高い体液をまき散らせながら前進を続け、僅か刹那の内に――頭部に透ける肥大化した三つの脳へと突き刺さった。直後、頭部から火が溢れ、水が圧し潰し、風が裂き、岩石の棘が無数に生え広がり、瞬く間に『蠢き穿つもの』の全身を徹底的に破壊していく。

 暴れ狂う四元素は異形の化け物を完全に飲み込むと、ふっと掻き消え、その場に残されていたのは僅かに原型を留めていたいくつかの臓器やどこかの骨の残骸。亡骸で歓迎を考えた割には、あの化け物を思わせる残骸は無く、残る人間の残骸も全て燃やし尽くした。

 空気が変わる。重く淀んだ空気は消え去り、雨音だけがキャロルの耳朶を叩いていた。


「……終わった、な」


 戦闘終了を認めるや否や、脳から全身に何かが失われていくような感覚に襲われる。これは十年間で何度も経験した、自分が無くなっていく感覚――精神が摩耗するあの感覚。

 じわりと、自分という認識がぼやける。それを手離した時、精神は瓦解するのだ。

 キャロルは雨降る空を仰いで、ゆっくりと残された自分を掻き集め、束ねる。今、自分を失うわけにはいかない。まだ何も成せていない今、壊れるわけにはいかないから。

 さあ、戻ろう。彼女の傍に戻って、目覚めたら何食わぬ顔でおはようと伝えよう。

 彼女を巻き込まなくて、彼女に見られなくて、本当に良かった。

 そう安堵した瞬間だったからこそ、風に乗って聞こえた声にキャロルは目を剥いた。


「……きゃ、ろ……る…………」


 その声は家で寝ているはずの彼女の声――マーテルの、絞りだした声だった。



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