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Amour Eternel~果てなき歩み~  作者: 永久発狂マン
一章 不思議な少女と不可思議な少年
4/11

名状し難いスープのような何か


 家に戻ったキャロルは焦げ臭さが鼻につき、そこで思い出した。

 鍋を火にかけたままだと。


「……やばい」


 玄関で即座に魔術で生み出した火の発動を破棄しリビングへ駆け出す。魔術で生み出した火は術者の意思で影響を与える対象を限定できることが幸いしてか、火事に至ることこそなかったが鍋の底はびっしり焦げ、中に溜まっていたシチューは三分の一ほどしか残っていなかった。当然、鍋の中も焦げ付き、かき混ぜてみると底で野菜がこびりついていた。


「……食い物にならなくなってしまった」


 貴重な備蓄食料を無駄にしてしまい頭を抱えていると、寝室の方から声がする。


「……うぇーん、なんか焦げ臭いですぅ……」


 眠気眼を擦り、体調が良くなったのであろうマーテルがよちよちと姿を現した。

 彼女は臭いの根源が鍋であることを認めると、ほえほえと声を出しながら覗き込む。


「これ、キャロルが残りのシチューに手を加えて作ってくれたんですか?」

「……作ろうしたけど、色々やってる間に焦げてしまった。申し訳ない……」

「そうなんですねー。ではでは、よいしょっと」


 マーテルは食器を手に鍋に残された何かをよそうと、椅子に座って手を合わせる。


「いただきまぁす」

「待て待て。それを食うのか?」

「? 食べますよ、当たり前じゃないですか」

「もうそれ食い物じゃないぞ」

「食べられますよー。それにですね、キャロルが作ってくれたんですから食べないわけにはいかないでしょう? 誰かに料理を作ってもらったのも初めてですしね!」 


 ににこにと。彼女は笑みを張り付けたまま、その何かを口に運び、含んだ。

 思わずキャロルは顔を背ける。しかし聞こえてくるのはカチャカチャと食事を進める音ばかりで、彼女の苦痛の声は一切聞こえてこない。顔を向けると、そこにはあったのは何故かとても美味しそうに笑顔満点で名状し難いスープのような何かを食べ続けるマーテルの姿だった。


「……無理、するなよ」

「ん? 無理なんてしてないですよー。美味しいですよ! 食べてみますか?」

「……本当に?」


 スプーンに盛られたそれを差し出され、キャロルはぱくりと一口。

 瞬間、名状することも憚れるほどの凄まじい味が口内を、そして食道から胃を伝い、全身を侵略していく。ここまで不味いとは思わなかった。やはり食い物ではない。むしろなぜここまで不味くなったのかが意味不明だ。それほどの混沌がスープには満ちていた。


「……っ」

「あれ? 大丈夫ですか?」

「……本当に、無理しないでくれ。それは食べない方が良い」

「むっ、もしかして独り占めする気ですか? 駄目です、全部私が食べます!」

「いや本当にそれは……」


 どう考えても不味い。なのに彼女は笑顔で黙々と食べ続けている。そこに無理をしている様子は無ければ、不味いと感じている様子すら無い。心から美味しいと感じている。自意識過剰ではないが、キャロルにはそう感じられた。事実、彼女には冷や汗一つない。


「味覚障害か……?」

「なっ、失礼な! 本当に美味しいんですからね! ちょっと癖はありますけど、温かくてすごい美味しいんです。きっとキャロルの気持ちの味かな。なんて、えへへ」

「……そう。気持ち、か」


 確かにそれを作成する時は、病み上がりの彼女が食べやすいようにと考えていた。少なくとも自分の為ではなく、マーテルの為に作ったのは間違いない。だがそれは感謝している上で当然のことであり、むしろその気持ちを持てないことの方が可笑しいと言える。


「……ああ、そうか」


 自分の中には、他人に伝わるほどの『普通』がまだ残っていた。常人より酷く摩耗した精神の中にもまだ『自分』があることを分かっていたが、それは思いの外、まだ強い光を失わずにいたようだった。こうして誰かに示してもらわないと『自分』の大きさが分からないことに関しては仕方ないことだが、その誰かを彼女が担ってくれているのだ。

 皮肉なものだ。何もない彼女のおかげで、自分にはまだ『自分』があることを教えてもらうなどと。もし何もかもを失って壊れかけた時、彼女のように振舞えるかと問われれば即答できる自信がキャロルには無い。より明確に、彼女の強さが身に染みてくる。

 同時に、強くなったと錯覚していた自分の愚かしさの意識が一層濃くなっていく。


「そう言えば、キャロルは私が眠っている間何をしてたんですか?」

「ラジオを探してた。この家には無かったから他の家から拝借してきた」

「そうなんですね。ごめんなさい、ウチには何も無くて……」

「気にしなくていい。ここは君の家なんだから」

「へへ、でも恥かしいです。女の子の家なのにそれっぽくなくて」

「それこそ気にしない。君こそ、腹痛は大丈夫なのか?」


 マーテルは自分の腹を軽くさすりながら、


「はい、痛みは引いたみたいです」

「病気か?」

「いえ、そうではないんです。でもなんか最近突然なってしまって……。どこかで病気をもらってしまったんでしょうかね……まあ、薬とかも飲んだことありませんし」

「避難所へ行けば病院にも行けるって言っても、君は行かないんだろうね」

「ですよー。たとえ死に病だとしても、死ぬならこの町が良いですから」

「本当に頑固なんだね」


 頑固であることが理由ではないと知りながら軽口を叩く。

 マーテルもえへへと笑って胸を張りつつ、キャロルに尋ねた。


「でも、キャロルはどうして私を助けてくれたんですか?」

「……それは」

「うーん……理由は言わなくていいです! あんなり帰りたそうにしていたキャロルが留まってまで看病してくれたんです、その事実だけで私は嬉しいですから」


 言えなかったわけではない。どう伝えればいいのか分からなかったのだ。

 強いて言うなら、恩に報いたかった。でも何故か義務感で片付けたくは無かったのだ。

 芽生えかけているのは、一種の憧れに似た何か。あるいは罪から逃げない為に。彼女の善性に触れている限り、キャロルは否が応でも罪の意識を忘れることはできない。

 それこそ彼女を利用しているようなもの。伝えようとは思わない。

 納得してくれたならそれでいい。実は……なんて、打ち明ける必要性はない。


「でも、もう帰っちゃうんですか?」

「……いや、もう少し留まらせてもらおうかなと思う。迷惑でなければ」


 僅かに沈んでいたマーテルの顔が、ぱぁっと明るく輝きだす。


「ぜひ! ぜひぜひ! なら次は一緒に料理しましょう!」

「……そうだね」


 とりあえずそう返答しつつ、ラジオをつける。案の定どこもかしこも災害ニュース。

 聞こえてくる話を纏めると、一文で済む。

 全世界で継続的に大災害は起こり続けている。

 この二週間以上で大災害の勢いが衰えることは無く、前兆すらなかったそれは世界終焉の始まりなのか。そのような狂気じみた話が飛び交っているようだ。

 奇しくもそれは、的を射た答え。まさにその通りだ。世界は終わりへ進んでいる。


「避難された方達、怪我無く無事だと良いのですが……」

「……そうだね」

「浮かない顔ですねキャロル。と言っても仕方ないことかもしれませんが」

「……ん、気にしないでいい。災害の状況が何も変わっていないなって思っただけ」

「もう二週間以上続いていますものね。私の謎の腹痛もそれくらいです」

「どういう意味?」

「え、あ、はい。災害が起こって少ししてから腹痛が始まったんです。男の子の前で言うのは恥ずかしいですが、これは月のものでは無いですよ?」

「分かってるよ」

「分かってる!? な、なんで!? まさか……見たん――」

「見てない。要らない心配はしなくていい」

「ほっ……なら安心です」


 マーテルはそのままスープを全て平らげ、鍋を持ってキッチンに立つ。備蓄の水が入ったペットボトルをいくつか持ってくるとそれを使って鍋の洗浄を開始した。

 そこでふと、彼女は見覚えの無いナイフに気付く。


「あれ? これはキャロルのものですか? 保護した時は持っていなかったように思いましたが……これは、銀製? うわぁ、すごい綺麗ですね。私では買えない代物です」


 しまった、と。消しておくのを忘れていた。キャロルはそれを誤魔化すように、


「ああ、それは適当な家にあったから借りてきた。切れやすようだったから」

「なるほど、なら後で返しておかないといけませんね。でもこんな高価なモノを持っていかないなんて……切迫した状況だったから忘れていても仕方ないですけど……」

「貰っておけば? どうせ忘れたことに気付いても家が壊れていて分からないよ」

「駄目ですよー! もし家宝だったりしたらどうするんですか!」

「家宝は普通忘れないと思うけど」

「あ、確かに……い、いちおう、ウチで預かっておきましょう」


 銀のナイフを丁寧に布で包んでテーブルに置き、彼女は洗い物を再開する。

 何も数に限りのある水を使ってまで洗わなくていいとも思うが、それも彼女の拘りなのだろう。

 口は出さず、キャロルは思考する。これからの行動を――混沌を阻止する方法を。

 そうしているといつの間にか洗い物を終えたマーテルが、ガスコンロを見て一言。


「これ、ボンベ外れてますけど、わざわざ取り外してくれたんですか?」

「え? あ、そう。電池みたいなもので付けてるだけでガス減るのかなって思って」

「そこまでしてくれなくていいんですよ? 気が良く回るんですねキャロルは」


 そういうことにしておこう。これからは気を付けなければと気を引き締める。


「そういえばキャロルは何も食べていませんでしたね。今から何か作りますね」

「……ありがとう、お願いするよ」


 この日、キャロルは冴えた打開策を思いつくことは無く、腹が満たされたことによる満腹感と未だ抜けぬ疲労感からぬるりと眠りに落ちてしまった。ベッドは譲りますよと遠慮するマーテルにどうにかこうにか使わせて、冷たい床の上で無情にも夜は明けていく。


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