神と魔術
3
かつて、世界は神と呼ばれる存在に支配されていた。その神と言う呼び名自体、後に人間が命名したものではあるが、それに足る力を有していたのは言うまでもあるまい。
多元宇宙より飛来したそれら神、いわゆる宇宙人とも言える神々は、当時の文明を超越した力を振るって地球を支配し、その上で支配権を巡って争っていたと言う。
その力――『魔術』についてを記した書物・魔導書がいつ書かれたモノなのか、神や魔術という名自体いつ命名されたのかは定かではないモノの、現に魔術が存在している以上は信憑性の高い話ではある。ゆえにキャロルは『支配神』と題されたそれを、まずは信用するところから始めようと考えた。その為に、今一度ゆっくりと内容を復習していく。
この本の著者は名が書かれているのだが、どうやら読み解くことができない。魔導書にはよくあることで、既に失われた言語だということ。本文を読み解くことは容易だった。
内容は、ただ一つ。『支配神を復活させる方法』についてが記されていた。
支配神とは、地球を支配していた神々の王を指す言葉だ。つまりは最強の神である。
支配神には四体の眷属神が仕えていた。それらが暴虐の限りを尽くし、遍く全てを支配下に置いていたある時代のことだ。耐えられなくなった当時の人間は心を一つに願った。
あの神を――邪神を、どうか鎮めてほしい。
全人口にも迫るその願いは次元を超えて届き、世界に善性の高い神を招来するに至る。
その善神達によって支配神は地球の地核へ、四眷属は次元の境界へ封印されたのだ。
こうして平和を取り戻した地球は、再び正常な文明を歩みだすことになる。
しかし、ことは終わったわけではなかった。
支配神は封印されることを予め想定し、一人の娘を世界に生み落としていたのだ。何者にも明かされることのなかった秘蔵の娘は支配神復活の鍵として生を受け、地核にて父が目を覚ましたその時、己が胎内に父の精神は宿り、子宮を出口に命を燃やして支配神をこの世界に蘇らせる。最早これは、娘が父を産み落とすと言った方が正しいかもしれない。
そしてその娘は鍵としての役目を果たすまで死ぬことは無い。正しくは、死しても永劫の転生魔術によって再び世界に現れるのだ。ゆえに娘を完全に殺す手段は無い。
つまり、既にことは詰んでいる。
「……絶対に方法はある」
キャロルがそう思うのには理由がある。それはこの本の著者の名だ。その名前の文字列と秘蔵の娘の名前の文字列が酷似している点から、著者は娘本人ではないかと考えた。人間に復活させる為に本に復活方法を残すという理由も頷ける上、本人が書いたのであれば都合の悪いことを伏せるのは当然のことではないだろうか。ゆえに諦めるのはまだ早い。
そして重要なのは、支配神を永い眠りから目覚めさせる方法だ。本には、世界中の人間の悲鳴と地核を刺激する強烈な衝撃とある。これにはもう、見当がついていた。
そう、大魔術『運命の日』だ。大災害によって悲鳴と地核振動を同時に行い、世界のどこかに居るという秘蔵の娘から支配神を復活させる。だが、だが諦めるにはまだ早い。
大災害が起こってから約一八日。未だ支配神は復活していない。まだ、時間はある。
「この災害が止めば……復活する前に、目覚める前に止めば……」
大魔術『運命の日』はグラハムとキャロルが居なくては使用できない。というのも非常に優れた魔術士二人で行わなければならない魔術なのだ。キャロルはその適正を認められたがゆえにグラハムに拾われた。つまり現在、それに足る魔術士は教団に存在しない。
再び見つけるとなっても、それなりに成長も含めて時間がかかる。
そうだ、グラハムを殺せば……と考えて、唇を強く噛んだ。
あの男は強い。殺せる見込みはそう高くない。何より奴は『不老』の魔術によって老化による死は望めない。現在110歳であるグラハムに、100年以上積み重ねられた教祖の魔術知識に、たかだが一〇年程度の魔術知識しかないキャロルが通用するはずもないのだ。
「……いいや、違う。見込みはある」
そう、諦めるにはまだ早い。
魔導書とは、読めば読むほど精神を摩耗させていく代物だ。人間には到底理解し得ない冒涜的で絶望的なそれを読み続けて耐えられる精神を持つ人間は多くない。その点で適性があったのがキャロルなのだが、それでもやはり、常人の精神は逸脱してしまっている。
そして魔術。これも使用すればするほどに精神を擦り減らせ、いつか心は瓦解する。心を壊した人間がどうなるのか――言わずもがな、それは死と同じことである。
そしてグラハムは一〇〇年もの間、精神を摩耗させ続けているのだ。彼自身、そこに限界を感じているのだろう。だからこそ次期教祖を明け渡す旨を告げたのだと考えられる。
勝つ見込みはある。耐え抜けば、あの男が壊れるまで、耐え抜けば、必ず勝てる。
そこまで考えて、キャロルは本を閉じた。
天井を見上げ、大きく息を吐く。唇から垂れる血を拭って、再びのため息。
「何も根本的な解決になってねぇよな……」
あくまで支配神復活が成し得なかった場合にのみ通る話だ。考えるべきはそちらではないことくらい分かっているのだが、ならば支配神復活を阻止する方法はあるのか? と言われてしまえば何も思いつかない。今から世界のどこかに居るだろう秘蔵の娘を探し出すことなど不可能だ。あまりにも壮大な上に、まず前提として時間が残されていない。
ならばグラハムを倒して聞き出すか? 無理だ。知っていても吐くとは思えない。
「最早何もかも遅いのか……そうは、思いたくないけど……」
かれこれ十時間近く。魔導書の読み直しと案の思考で費やしている。
マーテルに目覚める様子はまだ無く、差し込む光も無い。感じるのは外で唸りを上げている突風と雨音、時折強く揺れる地震。眠気は無いが、どうしても空腹が襲い来る。
キャロルは本を置き、その身をキッチンへ移した。
キッチンに置かれているのは本当に最低限の調理器具と食器。水道を捻ってみるが水が出ることは無い。家の明かりも点かずコンロの火も使えない。災害の影響でライフラインが全て止まっているのは承知の上だ。ふと視線を移すと、部屋の隅には緊急用に貯蔵していたのであろう保存食や水、そしてテーブルの上にはガスボンベを利用する小型のコンロが置かれていた。設置されている鍋の中にはクリームシチューが僅かに残っており、数少ない食材から作った食事を分け与えてくれたことへの感謝が込み上げてくる。
「……何か作っておくか。料理に覚えがわるわけじゃないが」
と、その前に。まずは家の中の掃除――補修とも言うだろう。隙間風や雨が侵入してこないように簡易的な補修を済ませてから、キャロルは慣れない料理に取り掛かる。
しかし、何を作れば良いのだろうか。あるのは少ない野菜や肉と保存食。いくらかのパンも残っているが、さてどうするか。出来るだけ簡単なものをと思うが、頭を捻る。
病み上がりにはやはり柔らかいものがいいだろう。シチューのようなのが好ましい。
「……シチューの残りを水で増やして、刻んだ野菜を入れて煮込めばいいか」
壊滅的に適当なメニュー。至って真剣なキャロルは黙々と作業を開始した。
まずはシチューに水を入れるのだが、備蓄の物を使うのは気が引ける。何せキャロルは何もない場所から水を生み出すことができる――そう『魔術』だ。
鍋の上に掌を掲げて呪文を唱える。常人には聞き取ることができない不可思議な歌を。
すると掌がじんわりと光り、どばばっと透明感のある水が生じたではないか。これこそグラハムに覚えろと命じられた始めの魔術――『四元素の生成』である。
これによって生み出せるのは水だけではなく、火を灯し、風を起こし、地に属する土や岩石を生成することが可能なのだ。なんでも『四元素の生成』は大魔術『運命の日』発動に必要な魔術らしく、キャロルが最も習熟している二つの魔術の一つでもある。今にして思えば大災害とこの魔術の関係には合点がいく。地が地震を、水が雨や洪水を、火は生物が本能的に嫌う火災を、風は全てを吹き飛ばす嵐を示しているのだろう。
「……クソが」
今少しそれは意識から追いやり、次は野菜の切断に取り掛かることにする。
キャロルは再び魔術を行使する――それは先刻のモノとは違い、習熟しているもう一つの魔術にして、これも儀式行使にはかかせない魔術だ。名を『金属の生成』と言う。
掌を起点に淡い光が灯り、どろりと銀色の液体が零れる。それは瞬く間に形を成し、手に握られていたのは銀製の大ぶりなナイフだ。刃の煌めきは、備え付けてあった包丁とは全くと言っていいほど異なり、切れ味もそうだが、このナイフには魔力が宿っている。
魔力を宿した儀礼短剣。キャロルの魔術で生成されるそれは儀式遂行に際して、魔方陣への魔力循環をスムーズにさせる効果があるのだ。ちなみに魔力は人間なら誰しもが有している力なのだが、それを理解するには魔導書に記された魔術の解読が不可欠である。
ナイフで野菜を粉微塵に切り刻み、鍋の中に放り込んで、ガスボンベを外したコンロの点火部分に魔術で青い火を灯した。鍋の蓋を閉めて、キャロルはふぅと一息つく。
この程度の魔術使用であれば大した精神摩耗は無いが、儀式行使は訳が違う。魔術士同士の戦闘ともなれば以ての外だ。自分もいつ精神の全てを擦り減らしてしまうか分からない。ただでさえ既に常人としての精神は失われていると感じている。その中でも、こうして誰かの為に何かをしたり、自分の愚かさを自覚出来ているだけマシと言うものだろう。
「そう言えばこの家にはラジオは無いのか?」
失礼を承知で家を軽く物色する。物色すればするほど何も無いことが分かる。まずテレビがない。どうやら携帯も持っていないようだ。彼女は普段どのような生活をしているのかが不思議に思うほどに趣向品の類が一切無い。ある物と言えば生活をしていく上での最低限の日用品と何故か数種類も取り揃えられたエプロンが剥き出しのタンスに掛けられている。趣味は料理なのだろうか、実際あのクリームシチューは非常に美味な一品だった。
「仕事は何をやってるんだ……? 見た感じ収入は低いんだろうけど」
そんなことを思いながらラジオを探していると、いくつかの封筒を見つける。どうやらそれは給料袋のようで、明細書がちらりと姿を見せている。小さな興味本位からそれを見てみると、彼女は日雇いの土木業を主に生計を立てているようだった。あんな華奢な女の子がやるような仕事ではない。しかし素性の分からない――無いとすら言ってもいい彼女にとっては雇ってくれるのはその程度しか無かったのだろう。加えてあの性格だ、辛い仕事でもこの辛さを他の人が味わうくらいなら私がやるよという勢いだったに違いない。
「……辛い仕事に低い賃金。挙句は頼れる人も居ない。あの子はなんだかんだ、誰でもいいから自分と一緒に居てくれる人を求めていたのかもな。だから俺を引き留めた……」
あくまで憶測にすぎない。あまり立ち入ったことを知るべきではないだろう。
ゆえに隣に置いてあった日記帳を開くようなことはしない。
給料袋と明細書を元に戻してラジオ捜索を開始するが、残念ながらそのような電子機器が見つかることは無かった。大災害が世界中で起こっているという程度は町の大騒ぎから知っていたのだろうが、これではそれ以上の情報は入ってこない。やはり本気で、この町を離れる気は更々無かったということか。しかしこれではキャロルが困ってしまう。
仕方なしと思い、マーテルの家を出て近隣の家から拝借してくることにした。
外に出てみると町は閑散としていた。当然だ、他の人間は一人たりとも居ない。
雨風を物ともせず近隣の半壊した家々を物色し、ようやくラジオを一つ見つけ出す。幸いにも雨に濡れておらず問題無く動作するようでキャロルは安堵の息を吐いた。こんな苦労をするくらいなら教会から持ち出しておけば良かったと後悔するも今更のこと。
マーテルの家に戻りながら町を見渡す。彼女の言う通り、この町は災害の被害が比較的少ないようで全壊した家は見当たらない。近くに海や川も無い為氾濫の危険は無く、坂になっている町の入り口から地面に溜まった雨水が流れて行く光景も窺える。地盤も思いの外しっかりしているおかげか地震もさほど被害を齎さず、奇跡的な立地と言えるだろう。
まさかこんな田舎町が避難所に適していると思わなかったのか、それらしき大きな建物も無ければ仮説避難所を設けられるスペースも無い。本当にこじんまりとした風情ある田舎町という印象が強い。余生を過ごすならここが良いな、そう感じる程に心地が良い。
「……余生か。過ごす為にも今をどうにかしないとな」
些細なことから意識を強めていく。
逃げること、諦めることだけは絶対にしたくないと、そう強く強く、気持ちを維持していく。