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Amour Eternel~果てなき歩み~  作者: 永久発狂マン
一章 不思議な少女と不可思議な少年
2/11

その出会いが意味するのは


       1


 戦争。それは全てを奪い去った。優しく抱きしめてくれる母親を、強い背中で守ってくれた父親を、力無き幼子であった笑顔を振りまく弟と妹を。愛すべき家族の全てを。

 ただ一人、生き残ってしまった。硝煙弾雨舞う鉄火場で、ただ一人。

 少年は、生き残ってしまった。何もない世界に取り残され、新たなに生まれてくるのは悲しみただ一つ。間欠泉のように溢れくる悲しみの中で、孤独に黒い空を見上げる。


「…………なん、で」


 口を突いた言葉も、砲撃の爆音で掻き消される。

 ああ、早く殺してよ。僕を、家族の下へ。遠くへ行ってしまった皆の下へ。

 連れて行ってくれよ。その鉄の銃弾で、鉄の刃で、鉄の塊で鏖殺してくれよ。

 ただ一つの願い。最早、それ以外に何を望めば良いというのか。


「死を、無駄にするのかね」


 突如、降ってきた声。若々しい、それでいて老いた男の声。

 視界を傾けると、そこでは銀髪を垂らす白いローブ姿の男がこちらを見下ろしていた。

 黒い空に光る赤い光点を背負って地獄に立つ純白の彼は、どこか神々しさを纏う。その光の眩しさに絶望の少年は僅かに目を細め、しかし変わらず、それを乞う。


「……ころ、してよ……」

「死を、無駄にするのかね? 家族の死を」

「死んだのに……無駄も何も……ないよ……」

「家族の死を、屍を踏み越えて、君は生を維持している。果たして、君がここで死ぬというのならば、家族の死を無駄にしているとは言えんかね? 人はそれを逃げと言うのだ」


 銀髪の男が指し示す方向に、圧壊した建物の下に、何かの上に覆い被さるようにして息絶えている夫婦の姿がある。悲運にも、瓦礫が突き刺さった二人の子供の姿がある。それこそ少年の家族にして、彼が出てきた場所こそ、両親が作った僅かな安全地帯なのだ。

 守られた。生き残ってしまったのではない。救われたのだ。助けられたのだ。

 生きて、と――願われたのだ。


「…………どうして、一緒に生きようと……しなかったんだよ……」

「無理なこともある。此の世は非情だ。無慈悲だ。抗えぬ現実に満ちている。この戦争も同じことだ。力無き者には抗えない。欲するモノ全てを拾えるわけではない」


 男は少年の手を掴み、強引に引っ張り上げる。己が力で立て、と。強く言葉を放つ。

 不意に、空から一機の戦闘機が二人の頭上を通り、一発の爆弾を投下した。少年はきつく目を閉じ、時を待つ。これがそうか、抗えない現実とは、これがまさに、そうなのか。、

 しかしいつまで経っても衝撃は来ない。死の苦しみが来ない。

 轟いた音は、遥か遠く。目を開けると、視界の先で、爆炎が立ち上っていた。


「あれ……」

「力無き者には抗えない。ならば力を持てば良い。弾丸など、爆弾など、殺戮の鉄塊など片手も使わず退ける力を以って、抗えば良い。その力を、適正を、君は持っている」

「俺が……?」

「そうだ。君は、扱える――君は、望んでも良いのだよ」


 空を見上げて、男が何かを喋る。それは『歌う』に近い行動だったかもしれない。

 その、刹那。空を飛行する戦闘機が、半ばからぐしゃりとへし折れ、墜落する。まるで何かに握り潰されたように、パイロットは訳も分からず、その命に終焉を迎えたのだ。


「これもまた、力無き者には抗えない現実だ。鉄塊などは所詮、鉄屑でしかない」

「……俺も、その力を……?」

「ああ、そうだ。この力は『穢れた世界を浄化し、一つの秩序の下に世界を統一する』という我らが悲願の為にこそ振るう神の御業。不可思議で冒涜的な――『魔術』だ」


 少年は男の言葉を理解しようと思考を加速させる。九歳の少年に分かりえたのは、ほんの僅かなことだけで――その僅かなことだけでも、少年の未来を示すには十分だった。

 悲しみに塗れた世界から、悲しみを無くす。悲しみの無い世界を、幸福という秩序で統一された世界に作り替える。魔術という力は、それを可能にし、自分にもそれは扱える。

 自分は力有る者だ。ゆえに、望むことが許される。

 世界から戦争を――自分が味わったような悲しみを無くしたい、と。

 そのような絵空事を、望むことが許されるのだ。


「……本当に、もう僕みたいに悲しむ人は居なくなる?」

「君の頑張り次第だ。強く望み、動けば、成し得る望み――私の望みも、変わらない」


 ならば。そう、ならば。


「…………なら、生きて、頑張るよ」


 手を取る。少年・キャロルは――


「いいだろう。ならば逃げるなよ少年。貴様が逃げれば、悲しみは潰えない」

「……うん、分かった」


 ――銀髪の教祖・グラハム=ラーンクラフトの手を、取る。

 取ってしまった。全てを真実と思い込み、幸福な未来を想像し、手を取ってしまった。

 最早、後悔は遅い。それに何の意味もない。

 こうして、かつての出会いを夢に見ることにも、何の意味もないのだ。


       2


 目を覚ますと、木製の天井が映り込んだ。しかし天井は三分の一程度が壊れ、そこを塞ぐようにビニールシートが張られている。災害の被害を急ピッチで修繕したのだろう。

 だが、ここはどこだ? 自分は逃走の道半ばで倒れたはずだ。大雨に身を濡らしながら意識が沈んだはずだ。それなのに体に水気を感じない。あろうことか丁寧に布団が被せられて寝かされている。誰かに救助されたのか? そこで、最後の記憶の少女の声が蘇る。

 救助された。そこへ行き着くと同時に体を起こした。ベッドから足を出して、呟く。


「……感謝、すべきなんだろうな」


 救われた。それはかつて、両親から受けた最後の愛。その尊さは理解している。

 濡れていた体も拭き取られている。所々に包帯も巻かれており、優しく看病されたのだろうことはすぐに理解できる。ならば礼を述べよう。そしてすぐにここを発とう。

 そこへ、一つの声が投げられた。


「あ、目が覚めたのですね! お体の調子はどうですか?」


 鈴を転がしたような心地良い少女の声。希望の色を感じた、あの声だ。

 そちらへ視線を運ぶと、想像通りの少女がにこりと微笑んでいた。

 ふんわりとした長い茶毛に大人びた端正な顔立ち、背はそこそこ低めだが、ロングワンピースとその上に掛けたエプロン越しでも分かる豊満なスタイル。雰囲気こそ都会人では無く田舎独特の芋っぽさのようなものはあるが、確かな抱擁力を纏わせていた。

 彼女はキャロルへ近寄ると、その手に持っていた小さなお椀を差し出す。


「はい、クリームシチューです。熱いのでゆっくり召し上がってください」

「……ああ、ありがとう」


 受け取るか否か、僅かに迷うが空腹にその手が伸びる。好意は受け取っておこう。まずはシチューへの礼を述べて、湯気立つそれをスプーンで掬ってゆっくり口へと運ぶ。

 熱い。だが温かさが身に染みる。冷えた体と精神に、じんわりと染み込んでいく。


「……じろじろ見られると食べにくいんだけど」

「ふふ、いいからいいから」


 何がいいのかニコニコ笑う彼女を横目で、食事を続けていると、


「お、美味しいですか?」


 ビクビクと、おずおずと、彼女はそう尋ねるので、キャロルは素直な感想を述べる。


「うん、美味しい。久々のまともな食事だし」

「あれ、つまり久々補正のおかげで美味しい……?」

「……そんな絶望的な顔をしないでくれ。普通に美味い」

「やったー! 他人に料理を食べてもらったことがないから心配だったんですよー!」


 一転、眩い笑顔を咲かせてぴょんぴょんと跳ねる少女。寝起きには少し騒がしすぎるがこれも恩ということでキャロルは我慢する。思えば、この家に他に気配は感じない。


「偉いね、若いのに一人暮らしなんて」

「へへ、一人暮らしなんてずっとですから。もう慣れたもんですよー」

「ああ、そう……」


 まあ事情ありというやつか。そう思いキャロルはそれ以上を突っ込まない。しかしその反応が面白くないのか、少女はむすっとした顔でキャロルをじーっと見つめていた。

 首を突っ込みたくない。聞いたところで何かしてやれるわけじゃないのだ。


「聞かないよ」

「食事のお供に私のお話はいりませんかー?」

「要らないしもう食べ終わった。ありがとう、美味しかった」

「おかわりありますよ!」


 そこへ返答を投げたのはキャロルのわがままな腹の虫だった。


「……まあ、いいけど」

「わぁい! すぐに持ってきますねー!」


 言葉通りすぐにシチューをよそってきた少女はキャロルの隣の椅子に座り、話し出す。


「申し遅れましたね、私はマーテル=マグナルムと言います」

「……俺はキャロル」

「キャロル君ですね! 私のことは親しげにマーテルとお呼びください」

「親しくないし嫌だよ。別に親しくないけどキャロルでいいよ」

「照れ屋さんですか?」

「……なんか身の上話したいんじゃなかったの」

「嫌味な言い方やめてくださいー!」


 賑やかな子だ。本来なら付き合うことは無いのだが、救ってくもらった恩がある。そもそもここを出てやるべき明確なことは何も決まっていない。ここで一つ、ゆっくり考える時間を取るのも手かもしれないなとも思う。そも、残された時間に猶予など無いのだが。


「話を振ってください」

「……ずっと一人暮らししてる理由は?」

「はい! 実は私、家族が居ないんです」

「……君も家族を失ったんだね」


 マーテルは首を振る。


「いえ、元から居ないんです」


 躊躇いなく放たれた言葉の意味にキャロルは僅かに思考を割く。しかしそれは、物心付く前に捨てられたというオチだろう。それもまた、力無き者に抗えない現実である。


「気付いたら、立っていました。路地裏に居ました。私の中にあったのはマーテル=マグナルムという名前だけで、それ以外は何も無かったんです。記憶も、何も」


 不自然――だとは思わない。それは先刻思考したオチで話が付く。


「あれ、びっくりしたり……その、気味悪いとか思わないんですか?」

「別に。その程度を気味悪いって思える精神はとっくに失ってるよ」

「もしかして、キャロルも波乱万丈な人生を? そもそもこんな災害の中で何をしていたんですか? 持ち物も殆ど持たないで、あんな町外れに倒れてたし……」


 どう誤魔化すか。考えてる内に、矢継ぎ早に質問が飛んでくる。


「さっき君もって言ってましたけど、キャロルも両親が居ないってことです? なら一人暮らしで偉いのはキャロルも一緒ですよ! 家はここから近いんですか?」


 頭が痛い。どうやらこの娘は、非常に人付き合いが下手な人種のようだった。

 食べ終わったお椀を傍らにサイドテーブルに置き、マーテルの目を見据える。


「君、友達居ないだろう」


 するとマーテルの表情が驚愕のものに変化していく。どうやら図星のようだ。


「な、なんでわかるんですか!?」

「いや、分かるよそりゃ……そこまで他人との距離感を掴めない人は初めてだ」

「うう……だってだって仕方ないじゃないですかあ……私が一番初めに辿り着いた町がこの町で……何もない私に『初めて』をくれたこの町で暮らしていこうって……でもやっぱり素性が分からない私のことを皆気味悪がって……知り合いも友達もできなくて……」

「一般的な感性からすれば当然だと思うけど。それなら場所を変えれば良いのに」

「ここが良かったんです……ここで良いって思ったんです……」

「なら言い訳をするな。避難所へ行けば素性が分からなくてもよくしてもらえる」

「嫌です」


 なぜか、マーテルは強くそう言い切った。強い目で、強い口調で。


「『私』が『私』であるモノが名前しかない『私』にとって、この町は名前以外に初めて『私』に新しい何かを与えてくれた大切な場所なんです。たとえ知り合いも友達も家族も居なくても、この町はそれ以上のモノなんです。だから捨てたくない。生きるも死ぬもこの町と一緒がいいんです。だから避難はしません。私は頑固なんです」

「ここでなら、死んでもいいと?」

「はい、構いません。それにですね、ここに留まっているおかげでキャロルを助けることもできました。町の皆には気味悪いと言われ続けたこんな私でも、たった一人を救えたんです。それだけで私の命にも価値があったんだなって、そう思えるんですよ」


 彼女はそう言い、にへへと笑って。

 人間とはどうすればここまで綺麗に育つことができるのだろうか。もしこのような人間ばかりならば、世界から無駄な争いは消えたのではないか。そう思うことに意味はない。

 意味はないが、ああ、なぜか美しいと思える。


「君はなぜ、自分の命をそうも軽く捉えられるんだ?」

「私の命には、何も無いからです。たくさんの何かが詰まった命の為に、何も無い私が悲しみを背負えば、何も失われることはないでしょう? 誰も泣かず、悲しむことはないでしょう? 泣くことも悲しむこともできない私は、その為に生まれたんだと思うんです」


 キャロルは、口を閉ざした。

 彼女は、全ての悲しみを一身に背負うと、背負ってもいいと、そう言ったのだ。

 悲しみを無くしたと願うキャロルでは行き着かなかった、別の答え。常人であれば到底行き着くこのできない、行き着けたとしても行動に移せない、余りにも綺麗な答えだ。

 自分が愚かに、思う。世界から悲しみを無くしたいと願った結果、世界を悲しみの渦で地獄に変えてしまった自分の選択の愚かさが、どこまでも深く鋭く胸に突き刺さる。

 彼女との出会いはキャロル=ラーンクラフトへの皮肉なのだろう。

 ここに長居するのは嫌だ。今すぐに逃げ出した。罪の意識が、首を狩りに来る。


「……そう。君がどういう人間なのかは分かったよ。良い話をありがとう。それと、食事と看病もありがとう。俺を救ってくれてありがとう。そろそろお暇させてもらうよ」


 逃げ出す。これからのことを考えるのはここじゃなくてもいい。逃げ出すんだ。

 部屋の隅に積まれていた着用していたローブを拾い、見渡して魔導書も拾い上げる。

 だが、マーテルはローブの裾を掴んで離さなかった。


「まだ安静にしてなきゃ駄目ですよ? 体も限界が来てたみたいですし」

「いいよ、迷惑はかけれらない」

「迷惑じゃないですよ! ここは災害の被害が少ないですけど、やっぱり一人じゃ心細いんです……それに暇だし」

「前者より後者の方が割合多いだろ」

「いいじゃないですかー! どうせ行くところ無いんでしょう? 居てくださいよー!」

「嫌だよ……」

「いーてーくーだーさーいー!」

「嫌だって」


 そのような問答をしていると、不意に地面が突き上げられるような振動に襲われる。被害が少ないらしいとは言え、確かに継続的に地震や豪雨が続くと心細いのは理解できる。

 しかし、どうやら覚悟を決めている彼女にとって、最大の敵は暇らしい。


「こんな状況で出て行ってもまた生き倒れますよ?」

「……平気だ」

「私が平気じゃないです。寂しいです。暇で死んじゃいます」

「死ねよ……」

「うわー! ひどい!! もう怒った! 絶対出て行かせない!」

「ありがとう。じゃあさようなら」


 彼女の手を強引に振りほどいて、キャロルは玄関へと躊躇いなく歩き出す。その後ろをマーテルが追いかけて来ているのも分かっているが、立ち止まってやる気など毛頭ない。

 仮にどれほど抵抗されようとも彼に『魔術』がある以上、誰も邪魔はできない。

 こらー! という叫びを聞き流しながら、玄関の歪んだ扉に手をかけた。

 その時だった。後方から、演技とは思えない悲痛なうめき声が聞こえたのは。

 思わず立ち止まり、振り向く。そこには腹部を押さえて蹲るマーテルの姿。演技は通用しないぞと吐き捨てたかったが、そうではないことを瞬時に理解してしまっている。


「うぅ……あぐぅ……ぁぁ……ぅぅあ……」


 月のものでもないだろう。ただの腹痛にしてはリアクションが過剰すぎる。目を凝らしてみれば彼女の顔には冷汗がびっしりと浮かび、尋常ではないことを明確に告げていた。

 彼女は一人暮らし。他の町民は全て避難していると言うし、それ以前に残っていてもここに彼女を気遣うような人間も居ないだろう。助けられるのは、キャロルただ一人。


「お前は、ここで死ぬことを覚悟したんだろう……」


 ならば助ける必要はあるのか?


「お前は……」


 否――俺は、同じことを繰り返してもいいのか?

 俺を救ってくれた人を俺はまた失うのか? 

 昔とは違って、今は助けられるその命を見捨てるのか?

 己が愚かさと向き合いたくないなんて理由で、この恩を捨ててもいいのか?


『ならば逃げるなよ少年。貴様が逃げれば、悲しみは潰えない』


 黙れ。かつてのグラハムの言葉へ、一言黙れと吐き捨てる。

 俺は違う。お前が俺を救ってくれた時とは、違う。


「逃げるなよ俺。俺のせいで、彼女は大切なモノを壊されたんだ。だからここで死ぬ覚悟を決めたんだ……決めさせたんだ、俺が。罪から目を背けるな……罪から逃げるな」


 逃げるなキャロル=ラーンクラフト。

 キャロルは、ローブを脱ぎ捨て魔導書をその辺に置いてマーテルに駆け寄った。彼女を抱えて寝室に運ぶ中で気付く。この家には当然ベッドは一つしかない。部屋の内装を見る限りでは家具も最低限だ。ソファなども存在しない。ふと目が行ったカレンダーに刻まれた日付はキャロルが倒れてから四日が経過していた。つまりマーテルは四日間、唯一のベッドをキャロルの為に使い、自身は固く湿った床の上で寝ていたことになる。


「……くそッ」


 彼女は本心から、キャロルを助けられたことに喜びを覚えていたのだろう。そんな恩人を一度でも見捨てようとした自分の愚かしさたるや。だがもう目を背けない。逃げない。

 マーテルをベッドに横たわらせ、キッチンにあった濡れタオルを使って顔に浮かぶ冷汗を拭き取っていく。呼吸も苦しいのだろう、しかし彼女は精一杯の笑顔を浮かべて見せた。


「……へへ、かんびょー……された、のも……はじめて……」

「黙ってろ。あれこれは後から聞く。あれこれも後から話す。とりあえず黙ってろ」


 マーテルは「……うん」と僅かに弾むように答え、そっと目を閉じる。それから数十分ほどが経った頃だろうか、彼女は規則的な寝息を立てゆったりとした睡眠に落ちていた。

 ひとまず、と。キャロルは椅子に腰かけ、安堵の息を大きく吐いた。

 彼女がどのような病気に侵されているのかは分からないが、場合によってはやはり病院に連れていく必要があるだろう。素性の無い彼女が受け入れてもらえるかは知らないが。

 眠るマーテルの顔を眺めながら、キャロルはぎゅっと、唇を噛む。


「これ以上の悲しみは……混沌は絶対に阻止しないと……」


 世界を地獄に変えた者として出来る唯一のことは、それしかないのだから。

 やはり今後のことを考えるなら災害の被害が少ないこの町が良いだろう。それもいつまで持つかは定かではないが、そもそも残された時間は少ないのだ、同じことである。

 意識はあの魔導書へ。キャロルは時折発生する地震によってマーテルが怪我をしないように傍で見守りながら、読み終えた魔導書にもう一度目を通して思考の海に沈んでいく。


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