本編 『女騎士と本屋さん 第3話』 ※挿絵有
「いくらミリヤに魔法が普及してないとはいえ、騎士であれば初歩的な魔法程度は扱える。
だからこの廃屋の周囲に誰かが侵入したら感知できる程度の『感』の魔法を張っていたんだが、
貴様の気配は入り口に踏み入った物音が聞こえるまで全く分からなかった。
相手の感知魔法を完全に打ち消すことが出来るのは、ある程度高位の魔法使いだけだ。
だから私は間違いなくキノン兵が侵入してきたと思ったんだ。」
濁して早々、言っても信じてもらえそうにない事を1つ説明しないといけなくなった。
まあシィネ自身が実際に体感したのなら信じてくれるだろうし、信じてもらえれば俺が無害だという事も分かってくれるだろう。
「それは――――」
その時だった。
魔力の気配を感じ取ったシィネの表情が一瞬で強張った。
その反応から察するに、ついにキノン兵が放つ『探索』の魔法の網に引っ掛かったようだ。
「話は終わりだウェイン、今すぐ逃げてくれ!
誇り高きミリヤ王国の騎士として、自ら招いた窮地に平民を巻き込んだとあれば末代まで恥じねばならない!」
そう、毅然と言い放つ彼女の表情は、キノン兵への敵意と共に抑えきれない恐怖心がにじみ出ていた。
キノン兵がどれ程の範囲を索敵しているかは分からないが、今ここで逃げ出せば少なくとも俺の命は助かるだろう。
けれど、負傷してろくに走れない彼女は、例え逃げ出したとしてもすぐに捕捉され、殺されてしまうはずだ。
残虐非道なキノン兵だ。こんな美少女を、ただ殺すだけで済ませるとは思えない。
「…できないよなぁ。」
自分を諭すように微かに呟き、大きく息を吐いた。
「シィネ、聞いてくれ。」
「なんだ、話をしている暇は無いぞ!今すぐ立ち去―――」
「キノン兵は俺が退ける。」
「はァっ??!」
このセリフは全く予想していなかったのか、シィネの顔は呆れるのを通り越して怒りの表情に変わった。
「ぉ、お前は何を言ってる!?相手は魔法に秀でた一国の兵士だぞ!護身用の短剣しか持っていない貴様に何が出来る!そんな冗談を言っている暇があれば早く逃げろっ!!」
「"魔法に秀でてる"からこそなんだ。もし相手が剣に秀でたミリヤ兵なら、悪いが一目散に逃げ出してただろう。
けど、相手が魔力を武器にするキノン兵ならおそらく…いや、間違い無く退けられる。」
「馬鹿を言うな!そんな装備でどうやって!?それにさっきも言っただろう、平民を巻き込むわけにはいかない!」
シィネは苛立ちを剥き出しにし、ついには俺の胸ぐらを掴んできた。
顔が近づいたシィネの呼吸はかすかに震えていた。
「実はキノン皇国には、過去に育ての親を殺され育った村を蹂躙された恨みがあるんだ。」
「えっ…?」
「そしてあんたには明かしてないが、今の俺にはキノン兵を退ける術がある。
あんたを抱えて逃げられればそれに越したことは無いが、俺の腕力じゃそうはいかない。
俺達二人が生き残るにはもうそれしか方法が無い。頼むから信じてくれないか。
もし裏切ってあんたをキノン兵に売るような真似をするくらいなら、とっくに一人で逃げてる。だろ?」
「し、しかし!…」
「もしかして平民に命を救われるのを恥だと感じているなら、俺も商人の端くれだ。対等な取引といこう。
後で王都に戻ったらとびきり豪勢な宴でも開いてくれ。美味い料理と旨い酒。隣であんたが酌でもしてくれれば上等だ。
それで構わないか?」
「そんなっ。…け、けど、うぅ……本当に出来るのか?」
「さっきも言ったけど、相手がミリヤ兵ならとっくに逃げてる。キノン兵なら大丈夫だ。頼む、信じてくれ。」
シィネの肩を掴み、じっと目を見据えて語りかけた。
わずかな沈黙の後、頭を下げるように俯いたシィネは小さく声を絞り出した。
「……すまない。」
「ありがとう。」
顔を上げたシィネの顔は、さっきまでの拒絶感たっぷりの表情とは打って変わって、小さく震えながらも俺の身を案じてくれている。
こんな時に不謹慎かもしれないが、正直、とても可愛い。うん。
「ただ1つだけ重要な条件がある。
俺がキノン兵を相手している時はこの廃屋に隠れていてほしいんだが、途中でおそらくとてつもない恐怖と悪寒に襲われて悲鳴を上げたくなるはずだ。
けど、それはキノン兵を退けるため行使した「魔力」の影響だから、何があろうと絶対に声を上げないでくれ。目と耳を閉じて、沈黙を貫いてくれ。
それが出来なければ下手するとあんたの命も保障できない。逆に言えば、それさえ守ってくれれば必ずキノン兵を撃退してみせる。」
「貴様、やはり高位の魔法が使えるのか?」
「それも含めて、説明は後でする。」
「…わかった。」
正直、荒事は久しぶりだ。
一国の兵と対するのは、タバトに住むよりも前だから約3年ぶりくらいか。
すでに使う「モノ」は決めてある。最優先事項が"魔法使いを退ける事"なら、コレしか無い。
むしろそれが成功するかどうかより、シィネが悲鳴を上げずに居てくれるかどうかの方が心配だ。
今は彼女の兵士としての胆力と、魔法力の「低さ」を信じるしか無い。
…と、所持品の確認中に鞄に入った予備の眼鏡入れを見つけた。
それが視界に入った瞬間、シィネの顔を見た時から意識して抑えていた感情がムラムラと湧き上がってきた。
「…シィネ。」
「どうした?…やはり無理だというなら私が――」
「事が終わったら、一度、その…め、『眼鏡』をかけてみてくれないか?」
「は? な、なんだそれは、何かのまじないか?だが、貴様が必要だというなら是非も無い。」
「ありがとう。本当にありがとう。」
シィネは実に不可解な顔をしている。
いきなりそんな事を言われれば当然だ。
けど、俺はその返答に俄然やる気が湧いてきた。
昂る気持ちを鎮めようと、大きく深呼吸をして廃屋のドアに手をかけた。