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医療も

作者: 竹仲法順

     *

 当然限界はある。というよりも、医療行為で救われるのは限りがあるのだ。患者でも何でも。なぜなら?人間の体は検査結果などで一定の数値化ができても、他は全部曖昧なのだから。医療に全幅の信頼を置く方が間違っている。

 薬とか治療、措置なども限りがある。全部治せるわけがない。医療機関なり、医療従事者を信頼しないわけじゃないのだが、神様じゃないんだから、完全な治療を求めるのは無理。それに言い方は悪いが、医師も看護師も薬剤師も資格商売。学校などで所定の科目等を履修し、研修などを終えれば、誰でもなれる。

     *

 医学というのは日進月歩かもしれないが、心のない医療だと患者が救われない。病状や症状の数値化などは大いに結構だが、そんなものが果たして何になる?そうとしか言いようがない。逆に残酷だろうね。何でもデータにして、隠蔽してしまうという行為は。する方は何とも思ってなくても、される方は如何ばかり苦痛だろう?そう思えてならない。ボク自身が先進医療などと呼ばれるものを根本から信用してないのは、そこのところが引っ掛かってるからだ。心のない医療――、これほど無責任なものはない。

 医学が万能じゃないことは前述した通りだが、まあ、別に医療など大してあてにしているわけじゃない。昔から不信はあった。それに未だにある。前述した症状のデータ化による隠蔽行為など。なぜそういったことをするのか、疑問があるのだが、所詮医療が構造的にそういった行為を常套化しているのだろう。

     *

 病院という場所に積極的に足を運びたくないのも、それが原因だ。行かないなら行かないで済ませたい。普通の人でも好んで行く場所じゃないだろう。よほど何か切羽詰った状態にならない限り。実に歪んでいる。医療や医療行為そのものが。

 まあ、病気にならずに老衰などで穏やかに亡くなるには、健康が大事だ。予防というやつである。最初から病気することを想定せず、あくまで衰えで亡くなる用意。まだ自分にとってはかなり先の話なのだが、そういった風に人生が終わるのが一番いい。百超えるまで現役で生きて、最後は老衰である。今から先は先進医療とやらが発達し、人間も容易には死なないようになるだろうし……。健康に生きる。それが一番。無駄な医療行為には一切頼らない。誰にとっても極当たり前のことなのだが……。

 ひとまず一筆書かせていただきました。

 ではまた。

                            (了)


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