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魔女の涙  作者: れもん
3/3

ドラゴ

―チュンチュン チュンチュン……… ―

翌朝、鳥のさえずりとともにダズは目を覚ました。結露で曇りがかった窓を手でこすり、外の様子を伺うと、昨日とは打って変わって雲ひとつない快晴だった。緑の眩しい葉に乗った朝露が周囲の景色をくっきりと映し出し、茶色い地面にできた水たまりには青空が浮かび上がっている。その上、朝露も水たまりも太陽の光を反射して煌めいているので、ダズの目にはこれまでにないと言っていいほどに世界が輝いて見えた。ただ、昨日の嵐で倒れてしまった木々の無残な姿も目に入るが。

ダズは着替えを済ませて、自分の部屋を出た。居間へと続く短い廊下は、窓から差し込む太陽の光で明るく照らし出されている。

(いつも通りだ…)

いつもと少しも変わらないその光景に、ダズは思わず安堵のため息を漏らした。同時に、昨晩のことは夢だったのだと思った。その時、居間の扉が開いた。

「おはよう。」

そこにはダレンが立っていた。

「おはようございます。」

ダズはいつも通り、挨拶を返した。が、ダレンの顔を見るとすぐに、昨晩の出来事が現実味を帯びて再び蘇ってきた。なぜならダレンの顔にはひどい隈ができていたからだ。

ダズは心配に思って口を開こうとしたが、

「お前、その顔大丈夫か。…もしかして、眠れなかったのか。」

というダレンの言葉に遮られた。そして、ダレンはダズの顔を見つめた。どうやらダズの顔にも隈が出来ているらしかった。

「父さんこそ…」

そう言うと、ダレンは一瞬きょとんとしたが、すぐに察しがついたようだった。

どちらからともなく、二人は笑った。

そうして二人の、穏やかで平凡な朝のひとときは過ぎていった。


11時を少し回ったころ、

「出かけよう。」

と言い出したのはダレンだった。洗濯、食器洗い、掃除…ひと通りの家事を終えて、ダズがちょうど一息ついているときだった。ダレンはいつも昼間から夜中にかけて仕事をしており、午前中は朝食時以外寝ていることが多いため、家事はすべてダズがこなしている。もちろん、昼食を作るのもダズの役目であり、この日もダズは、一息つきながらも昼食のメニューを考えていた。ぼうっとして考えている時に急に父の声が聞こえたのでダズは少し驚いた。さらに驚いたことに、ダレンは、

「今日は外食にしよう。」

と言った。外食が嫌いな父が自らこんなことを言い出すのは珍しかった。しかし、この日の昼食を特別なものにしたいと思う気持ちは、ダズも同じだった。

「はい!」

ダズは元気に答えた。

それから二人は早速出掛ける準備を始めた。カルダール王国はその地形上、一年を通して気温が低いため、薄着で外へ出ることはほとんどない。今日も例外ではなく、天気はいいものの寒さを感じるには十分なくらいの気温だった。それまで白いシャツに黒いズボンという簡単な格好であったダズは、黒い厚手の革のコートを羽織り、小銭の入った巾着袋を懐にしまい、護身用の短剣を腰にくくりつけた。

ダズが玄関に向かうと、ダレンはすでにそこにいた。

「すみません、お待たせしました。」

ダレンはダズに気づくと、玄関の扉に手を掛けた。

「ああ。行こうか。」

そうしてダレンはゆっくりと、扉を開いていった。


✲✲✲✲✲


目的地のエレクト街に着いたのは、それから約三十分後だった。ここは土地の狭いカルダール王国の中では最も賑やかな場所である。レンガが敷き詰められた道の両側には果物屋、野菜屋、洋服屋…など、たくさんの店が所狭しとならんでいる。店とは言っても、錆びた細い骨組みに、多様な色のビニール素材の布を被せただけの簡素な造りである。しかし、そのおかけで街全体がカラフルに彩られ、活気をもたらしてくれているように感じた。実際に、この街はいつも大勢の人々で賑わっている。

ダズとダレンは歩き続けていたせいか、腹が減っていたのですぐに昼食を摂ることにした。

「どこで食べますか。」

エレクト街は店舗数が多いだけあって、料理店もたくさんある。正確な数はわからないが、ダズが知っている店だけでも十店舗は下らない。たまに友人と訪れる時にも、ダズはどの店に入るかいつも悩むのだった。

「ドラゴのところに行こう。」

ダズが近くにあったいくつかの料理店を眺めているとき、ダレンが言った。

「ドラゴって…ドラゴ叔父さんですか!?」

ダズはすぐさま父の顔を見た

「ああ、そうだよ。帰ってきたんだ。」

ダズは驚きで声が出なかった。ダレンはそんな様子のダズを横目でちらりと見ると、続けて言った。

「このことはまだ誰にも言ってはならんぞ。詳しいことは店に着いてからだ。」


それからさらに十五分ほど歩き続けたところ―エレクト街のメインストリート最端部に、目的の小料理屋はあった。他のカラフルな店とは違って真っ白な布が使われている。また面白いことに、多くの店が店名の書かれた看板を店の上部にくくり付けているのに対して、この店だけは何故か巨大なドラゴンの絵が掲げられている。青と赤のギョロリとした瞳を持ち、金色の鱗をその身にびっしりとまとい、頭と鼻の上の辺りから三本の鋭い角を生やし、大きな銀色の羽と長くて先の尖った尻尾を持っている。その堂々たる存在感にはどんな派手な店も及ばない。目にする者全てを魅了させてしまうような力が、その絵にはあった。

ダズは店前でしばらくその絵に見入ってしまった。小さい頃から来ている馴染みの店なので、この絵は今までに何度となく見てきた。しかし何度見てもやはり、惹き込まれてしまうのだ。ダズだけではなく、ダレンもやはりそうであった。

「やあやあ!いらっしゃい!よく来たね!!」

二人が真剣な眼差しでドラゴンを見ていると、店の中から恰幅のいい女が現れた。

「パコおばさん!」

ダズはその女に向かって声を掛けた。

「お、ダズ、元気だったかい?しばらくだね。ダレンも。」

「はい!元気でしたよ。それよりパコおばさんは…?」

「あたしかい?あたしは元気元気!この通りさ!」

パコはそう言って、どうだとでも言わんばかりに腰に手を当てて胸を張った。その様子を見てダズは思わず笑ってしまった。

「すまないな、突然訪ねて。」

ダレンが言うと、

「突然じゃあないさ。十分くらい前にお前さんたちがエレクト街に来てるってことは噂で聞いてたからね。きっとそのうちここにも顔を出してくれるだろうと思ってたよ。」

と、パコはさらりと応えた。ダズもダレンも驚きはしなかった。エレクト街に行くということは今日決めたことであって、それを事前に知る由はダズとダレン以外にはない。だが、エレクト街に足を踏み入れさえすれば、そのことはたちまち街中へ広がるのだ。また、エレクト街の住民達における情報網を以てすれば、その伝達速度は人が歩く速度よりも遥かに速い。ましてエレクト街を滅多に訪れず、たまに訪れるときには決まって大きな買い物をしていくダレンが来たとなれば尚のことだ。その情報網の仕組みがどうなっているのかはダズには今でも分からなかったが、今まで何度もこのような体験をしてきたので気にもならなくなってしまっていた。

「そうか。…では、邪魔させてもらうぞ。」

ダレンは言いながら店内へ入った。ダズもそれに続いた。

「はいよ。」

そう言いながらパコも自分の店に入った。そして、

「今日はどっちだい?」

「どっちもだ。」

店に入るやいなや、パコは尋ねた。そしてすぐさまダレンは答えた。このやり取りは、ダレンがこの店に来た時には必ず行われる。そしてこの質問に対する答えは、どっちも、奥、手前の三種類だ。手前と答えた時にはダズはダレンと共に食事を摂るだけであったが、どっちもと答えた時には同様に食事を摂ったあと、ダレンだけはカーテンの向こうに入っていき、奥と答えた時にはダズだけが食事を摂っている間にダレンはカーテンの向こうに行ってしまう。

カーテンの向こうというのは、店の持ち主であるパコ達の生活場所だ。エレクト街の住民のほとんどが、このように店と家とをカーテン一枚で分けて生活している。そのためこのテントのような建物は見かけによらず中が広い。この店も例外ではなく、一つの丸テーブルにつき四つの椅子があるものが、全部で六組あるほどの広さだ。つまり、二十四人は入ることができるのである。とは言っても、ここは小料理屋であり、スペースのたくさんいるような料理は出していないため、設置されたテーブルが比較的小さいということも定員の多さの秘密ではあるが。

ダズはカーテンの向こうでダレンがいつも何をしているのか知らない。しかし、粗方ダレンの旧友であるドラゴと昔話でもしているのだろうと考えていた。―そう、この日、その“奥”へと足を踏み入れるまでは…。

「先に昼食にしようと思う。何か新しいメニューはあるか?」

空いていた席に腰を下ろしてダレンが言うと、

「あるわ!とっても美味しいのよ!!」

パコはそう言ってまた、腰に手を当てて胸を張った。相変わらずのパコの様子に、ダレンの向かい側の椅子に座りながらダズはまたもや笑った。

「変わりないようで何よりだ。」

ダレンも思わず笑みを浮かべた。パコという女は不思議な生き物だ、周りの人間をごくごく自然に笑顔にさせてしまう…と、ダレンは

思った。

「なあに、二人ともにやにやしちゃって。」

そう言ってパコはその血色のいい頬をわざとらしくふくらませた。

「では、それを二人分頼む。」

「分かったわ。」

パコはダレンに向かってそう言うとすぐに、店の奥の方にある厨房へと姿を消した。

「ダレンさん!」

パコと入れ替わるかのように、二人のもとに一人の男が走ってきた。額には汗で髪の毛が張り付き、グレーのシャツは真っ黒に見えるほどに濡れている。

「おお、お前か。なんだ?」

「大変なんです、急いで来てください!!」

男は強ばった表情で言った。

「いったい何があったんだ?」

ダレンは焦る男を落ち着かせるような声で聞いた。

「昨日の嵐で、鉄鉱石を掘り出していた穴がふさがってしまったのです。」

男は幾分か落ち着いた様子でいった。しかし、その表情はまだ引きつっており、呼吸も荒かった。

「それなら大丈夫だ。また一からやればいい。すまんが、今日は大事な用があるんだ。俺は明日行く。昨日もいったが、今日は全員休んでもいいぞ。」

ダレンは小さな鉄鉱石場の工場長として働いている。そのため男はダレンに指示を仰ぎたかっただけなのだろう、とダレンは思った。

「それが、そんな場合ではないのです!」

男は一呼吸おくと、言った。

「カライが、下敷きになってしまったのです…」

一瞬の沈黙があった。カライとは、ダレンの鉄鉱石場に務める工場員の一人のことで、若いが機転の利く優秀な部下であった。ダレンの家に来たことも何度かあったため、ダズもよく知っている。

「昨日は全員帰宅しろといったはずだろう?!」

「そこが私達にもよくわからなくて…」

男は困惑していた。ダレンは何やら思案すると、すぐにダズに向かって言った。

「ダズ、俺は工場に行く。パコが来たら事情を話して、ドラゴを呼んでもらいなさい。その後はドラゴの言うようにするんだ。」

そう言うとすぐに席を立ち、男と共に走り去っていった。

「わかりました。」

ダズがこういった時にはもうダレンの後ろ姿さえも見えなくなっていた。取り残された緊張感が漂う中、

「事情は全て聞いた。」

不意にダズの後ろから声が聞こえた。ダズが驚いて後ろを振り返ると、そこには一人の大男が立っていた。―そう、ドラゴであった。

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