狩り
このような狩りが毎週行われています
我が大学の象徴とも言われている総合研究棟は工学部棟と食堂の間に位置している学生会館の反対側に位置している。十三階建ての総合棟では、基本汚くて品のない工学部系男子と女性であることを忘れかけている工学部系女子しか見かけない。しかし私はサトシ研に配属されてから、その両方に属さない花のような香りのする女学生とファッション雑誌でしか見ないような品のある青年見かけるようになった。噂によると、総合棟内部にはに工学部と教育学部両方の研究室が内在しているらしい。全く持ってうらやましい話である。
対照的にサトシ研も含め、私の所属している学科は総合研究棟から道路1つ挟んだ工学部一号館と呼ばれる建物の中に凝集されている。大部分の読者諸君が想像しているように中はきれいとは言い難い。自動ドアをくぐり一番最初に目につくのは、階段沿いにおかれている内容物の溢れたゴミ箱と、何のためにおいてあるか理解しがたい巨大なプロペラである。この階段を昇ると、サトシ研だ。
「このアホゥ!!」
研究室の前を通るとこのような鳴き声が頻繁に聞こえる。鳴き声の主は言わずと知れたサトシである。しかし、研究室についてよくわかっていない大学生はこれが雄叫びに聞こえるであろう。サトシ研が暗黒組に数えられる一つのゆえんである。
この『鳴き声』で我が研究室の一週間が幕を開ける。想像してほしい、憂鬱な週初め、学校に行きたくないと駄々こねる己を、気合とほんの少しの良心で奮い立たせて必死の思いで、通学した矢先に冒頭の罵声が浴びせられる…鬱になっても何の不思議もないだろう。かつて好きな週刊誌を買うために生き生きと大学生協に赴いていた私はもういない。
毎週月曜日の午後一時、サトシ研では週間報告会という名の公開処刑が開かれるのが日課となっている。ここで行われるのは主に先週どのよう実験を行ったかという学生からの報告と、それに対するサトシの徹底的な批判である。冒頭のセリフは情けない報告書を作成してしまった者に浴びせられる屈辱の言葉であるが、慣れてしまえばどうってことはない。私も最初はこの時間が苦痛で、報告会の前は突然右わき腹が痛くなったりしたものである。ただ罵倒言葉に慣れても、時折サトシが激高した際に放出される汁が自分の机に付着したりすると何とも言い難い虚無感に包まれる。
その日の週報は博士前期課程二年(通称M2)の先輩が狩られていた。私は新入りで報告をするのは一番最後なので自分の作った資料を見返していた。
「アナタ…このグラフなんなの!?僕には何を主張したいのか全然わからへん」
このセリフが吐かれるとその日の週報が長引くことが七割確定する。私はサトシの機嫌を損ねないような回答を心の中で期待した。
「だって、先生がそうおっしゃったから!!」M2の先輩も負けじと幼稚園児のような反論するがこうなってしまうと議論は激化していく。そして
「このあほぅ!!!」
この一連の流れを当研究室では【狩り】と呼ばれている。
どうやらサトシの機嫌はよくないようだ、今日は確実に長引くし、私も狩られるだろう。
昼食後にやってくる睡魔のおかげで、【狩り】の記憶が所々欠落している。うつらうつらとしていると誰かにトントンと肩をたたかれた。居眠りがサトシにバレたと勘違いした私の脳は全神経を介して緊急信号を発信した。どうゆうわけかその信号は、うひっという気持ち悪いうめき声と居眠り中によく生じるあの奇妙な動きに変換されてしまった。それがいけなかった。
「なんや、お前なんかいいたいことでもあるのか!?」
虚を突かれた私の脳はこの場を丸く収めようと高速回転させた、しかし時間にしておよそ二秒弱…
「要もないのに変な意思表示するな!!!」
と罵倒され、だいたいアナタは…と【狩り】の標的はシフトしてしまった。
その日の報告会はおよそ三時間ほどであった。主にM2の先輩と私で半分以上の時間を占めていおり、終わった後博士後期課程の先輩に「怒られ侍おつかれさん」と言われた。怒られ侍とは毎年脈々と受け継がれていく称号で、要はなぜかサトシの機嫌を損ねさせ怒られる役割を指すらしく、侍の存在そのものが他のメンバーを怒りの火の粉から遠ざけるのである。
ちなみに私の前に狩られていた先輩は落ち武者らしい。曰く落ち武者は時にみんなの期待を裏切り、サトシの怒りを拡散させることがあるらしい。




