永世中立図書館
まだサトシは出てきません
私は足早に掲示板に向う。柿本君の言っていた資料の存在自体は配属が決定する前から知っていた。「サトシ研配属者へ」とかかれたプリントは自動ドアが開く度に、秋風に吹かれるススキのようにゆらゆらと頼りなくゆれていた。どうやら私が最後らしい。ざっと見たところ、連絡先、名前などといった個人情報を書いて来週の月曜の昼までに持ってこいという内容だった。
先にも述べたが、数日前からこのプリントは掲示されていた。掲示板の前を通る時この用紙を取る人間の行く末を嘲笑い、心配していた私自身が最後の一枚を回収するとは何と皮肉なことである。プリントの端を掴み、力任せに引っ張るとビリッと心地よい音をたて私のプリントの左上の部分が少し破れてしまった。そんなことさほど気にすることもなくしわのついたプリントを片手に図書館に向かうことにした。
この大学の図書館は教育学部と工学部のちょうど真ん中に位置している。教育学部と工学部それぞれに関連する専門書が多く扱われていることもあり、大学図書館は一部の学生から両学部生が分け隔てなく入り混じることから永世中立図書館と呼ばれている。工学部生にしてみたらここに来れば普段絶対に見ることの叶わない、お花のようにふわふわしたいい香りのする女学生を見ながらレポートに取り組むことできる。逆に教育学部生からすれば、苦悶の表情を浮かべながらレポートを書いている私たちを見ることで『工学部に行かなくてよかった』と安堵の笑みを浮かべる。きっとその日の晩御飯はとてもおいしいだろう。もちろんよほどのことがない限り、両者の間で言葉が交わされることはない。
きれいに磨かれたガラスの自動ドアを通り抜け、中に入ると既に何人かの味知った学生が一つのテーブルにわらわらと集まっていた。先ほど別れた久野君と本田君の姿もあった。断片的にしか聞こえなかったが、誰がどこに配属されたかについて熱く語り合っているようだ。
「お、主役のご登場だ」
にやにやしている本田君とは対照的に他のみんなは憐みの目で私を見てきた。どうやらこの男がもうみんなに話したようだが、これはこれで辛いものがある。私がサトシ研に配属された旨を述べると、皆曇った顔をした。ネタにしていいのか悪いのか迷っているようだった。その気持ちは痛いほどわかる。そんな微妙な空気に亀裂を入れるのは決まって彼だった。
「このあと配属決まった面子全員で研究室に挨拶に行くんだけど、サトシ研はそんなのないの?」
本田くんから申し訳ないという態度はみじんも感じなかった。言われてみれば自分以外のメンバーを私は知らない。柿本君以外の面子はいったいどんな人なのだろう。
「どうだろう。サトシ研に集まるのは基本変な奴ばかりだからね。みんなで何かするなんてことはないと思うよ」と本田君に言い放ち図書館を後にした。いつの間にかあたりは夕焼けに包み込まれていた。永世中立図書館から見て西側を見てみると、夕日が射し込む芝生の上でよさこいサークルと思わしき集団が音楽に合わせて楽しそうに踊っていた。軽く舌打ちをし、今度は反対側つまり工学部棟の方を見てみると、図書館の陰に包まれた道をごついヘッドホンを装着した学生が、一刻も早くこの場を離れたいのか足早に正門の方に向かって行った。いやに黒と白のチェックシャツが目に付いた。この世は光と陰で構成されており、自分が陰側の人間だと気付いたのはこの大学に入学して二回目の夏休み前だった。




