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03 すれ違い(二日前)

 クリスマスイブの前日は天皇誕生日だった。

 大学も冬休みを迎え、姫川さんの方も大学は終わっているはずなので、今日などは二人で会うのには絶好の機会のはずだった。

 だけど、僕は朝から布団の中でうだうだと言い訳を続けていた。

 姫川さんにあげるために購入したプレゼントは部屋の端にある机の上に、綺麗にラッピングされた状態で鎮座している。さすがに、間際すぎたからか、レストランとかの予約は取れなかったけれど、クリスマスのデートコースにふさわしい場所も、昨日の段階で大方調べておいた。デートに着ていく予定の服も、全て考えて準備してある。

 二日前だと言うのに、もうセッティングだけならば完璧だった。この後すぐにデートになっても、慌てることなく出かけることが出来るだろう。僕の方の準備だけならば、の話だが。

 要するに、僕はまだ姫川さんにクリスマスのデートの予定を打診していないのである。理由はもちろん、姫川さんに連絡するのが怖いから。もし、断られたらどうしよう、もう予定が入っていたらどうしよう、と今までだったら心配すらしなかったような事が、僕の頭の中を駆け巡っていた。むしろ、今まで考えたこともなかった事が起こったからこんなにも動揺しているのだろう。

「二十四日は駅前集合で良い?」

 これまでだったら、僕の方からそうメールをするだけで、デートを取り付けることができたのだ。ほとんど毎日のように僕らは会っていたし、通じ合っていると思っていたから、それだけでも問題なかった。

 でも、今は何をどう送ったら良いのか、僕には分からなかった。片方には姫川さんを信じたい気持ちと、失いたくないという思いがある。だけどもう片方には、いつもとは違う日常に対する不安と、姫川さんがいなくなってしまうのではないかという恐ろしさがあって。その二つが僕の心の中で互いに押し合って、一歩も引かない状態になっていた。僕の心はもうそれらに押しつぶされそうで、何も考えられなくなっていた。布団の中で携帯の画面を見つめては、姫川さんにどう連絡をしようか悩みつづけるしかなかった。姫川さんからも何も連絡が無いことも、僕に不安を抱かせる原因の一つだった。そんなのは、僕が弱い事の言い訳にしか過ぎないのだけど。

 気がつけば、もう昼は過ぎて夜に差し掛かかろうとしていた。途中で、食事の代わりにお菓子を少し食べた程度で、あとは相変わらず布団でごろごろと無駄な時間を過ごしていた。考えることが多すぎて、あまりお腹も減っていなかった。

 思い切って家を飛び出して、無理矢理にでも姫川さんに会いに行ってしまおうかとも考えた。だけど、どんな顔をして姫川さんに合えば良いのか分からなかった。いままで、どんな顔をして姫川さんに会っていたのかすら、忘れてしまっていた。

 もういっそのこと、このままこうしてどうすることも無いままに、クリスマスを過ごせば良いのかもしれない。そうしたら、姫川さんも心配して尋ねてきてくれるかもしれないし、僕のことなど見捨てて新しい人を見つけるだろう。それが、僕にはふさわしいのだ。

 そんなことを考えていると、不意に沈黙を保ってきた携帯電話が鳴った。

 今までのぐだぐだは何だったのかと思わせるほどの勢いで、布団をはねのけ飛び起きる。

 姫川さんからのメールだった。メールを開く時間すらもどかしく、中身を読み上げる。彼女にしては珍しく、少し長めの文章だった。

「お元気ですか。昨日は会えなくて寂しかったです。明後日はクリスマスですが、怜君は予定がありますか? 私は、その日に予定がないのですが、もし良かったら一緒にどこかにお出かけしませんか? お返事待っています」

 かなりおかしなメールだった。どこか形式張っていて、不自然だ。姫川さんのアドレスから送られてきていなかったら、たちの悪い迷惑メールかと思ってしまうような書き方をされていた。だが、内容は分かる。僕が姫川さんにデートの誘いをかけなかったから、彼女の方から僕にメールをしてきてくれたのだ。彼女もこんなメールを送るのは初めてだったから、緊張していたのかもしれない。そう思うと、この不自然さも可愛らしく思えてくる。

 返信のメールはすんなりと入力することができた。今までの葛藤が嘘のように、指も心も軽やかに、本文を作り出していく。

「昨日はごめん。ちょっと、外せない用事があったんだ。関係のない姫川さんを付き合わせるのも悪いと思って、僕だけで行くことしたんだ。もちろん、クリスマスの予定は僕もまだないから、よろこんで君と一緒に出かけるよ」

 返信もなんだか、ぎこちない感じになってしまった。姫川さんが妙に改まってメールを送ってくるからだ、と誤魔化してそのまま送信する。用事うんぬんのところは、プレゼントを買いに行ったなんて言えないから嘘をついてしまった。あながち間違いでもないから、なんとかなるだろう。

 それよりも僕は気になることが一つあった。

 姫川さんから来たメールには、昨日僕が会いに行けなかったことについてはコメントがあるのに、その前の日の彼女の方から連絡が無かった日については一切触れられていないのだ。これではその日に彼女が何をしていたのかも、どうして僕に連絡をくれなかったのかも、全く分からないままだった。彼女がその日に何をしていようとも僕には関係ないことなのかもしれないけれど、どうしても不安は消えてくれない。

「ありがとう。楽しみにしてる」

 姫川さんからの返信が届いて、僕はついに彼女に聞いてみることを決意した。少なくとも、二十四日には会えることが決まったのだ。僕の一番の不安材料である姫川さんが僕から離れて行ってしまうことはまだ拭いきれないが、予定については払拭されたと言っても良いだろう。正直な話、かなり安堵していた。

 そこで丁度、安心して心が穏やかな内に姫川さんに聞いてみようと思ったのだ。今ならば、それが聞ける気がした。今でないと機会を逃してしまうような予感がしていたから。

「ねぇ、一昨日は何で連絡をくれなかったの? 用事があったのならばそれでも良いんだけど、何か一言ぐらいくれれば良かったのに」

 本当にあっけなく、僕はメールを送信していた。姫川さんが、僕を棄てて他の人のところへ行ってしまったのではなさそうだ、と気がついた途端にこれだった。

 たった一回、姫川さんが連絡をくれなかっただけで、いったい何を恐れていたのだろうか。一人で怖がって、一人で道化を演じていたに過ぎなかったのだろう。後は姫川さんからのメールを待って、真相を知ればそれで全ては解決だ。心底安心して、デートの日を迎えることが出来る――はずだった。

「ごめんなさい。それは教えられない」

 姫川さんからの返信にはそうあった。

「どうして? 僕に言えないようなことなの?」

 不安がふたたび、鎌首をもたげてくるのを感じた。思わず、問い詰めるようなメールを送ってしまう。

「それは。教えちゃダメって言われたから」

「ふうん。姫川さんは僕の知らないところで、誰かと内緒の事をしてるんだ。僕に教えたらマズいようなことをやってたから、僕に連絡することが出来なかったんだね」

 自分でも思っていた以上に、冷たいメールを送っていた。

 姫川さんはいつも僕にべったりだったから、ほとんどのことにおいて、秘密もなく全て話してくれる。姫川さん本人のこと、家族のこと、大学のこと、それから0と1の世界のこと。僕も彼女の思いに応えるように、秘密のほとんどを彼女に打ち明けていた。今回のように姫川さんに教えてしまったら期待が半減してしまうような事は、ちょっと嘘をついたりもするけれど、それもプレゼントを渡した時には全て明かすと決めている。

 だから、僕らの間に内緒にするようなことなんてきっと無いのだと思っていたのだ。

 それを姫川さんは裏切った。僕が一方的かつ勝手に思っていたことであることはわかっていたけど、怒らずにはいられなかったのだ。姫川さんが僕に内緒で何かをすることが悔しかった。全て一緒じゃなきゃ嫌だ、なんて駄々をこねているつもりはない。ただ一言、用事があることを言ってくれれば良かったのに。こそこそと、僕から隠れるように何かをしていたという事が、僕を苛立たせていた。

 姫川さんからのメールは返ってこなかった。

 何か言い訳をするようなメールが返ってくれば、それはそれで彼女に僕は怒っていたかもしれない。だけど返信が来ない、そのことは更に神経を逆撫でする結果になった。どうして、姫川さんは僕に隠し事をするのか。本当に彼女は僕の元から離れていこうとしているのではないか。そんな懐疑心がむくむくと心の奥深くからわき上がってくる。

 気がつけば、姫川さんに電話をかけていた。きっと彼女は携帯の前にいるのだろうけど、コール音は何回も鳴り響いた。

 やがて呼び出しは途切れ、姫川さんが電話に出る。

「……ごめん、なさい」

 そう言った彼女の声は暗く、沈んでいた。泣いているのか、鼻をすする音も聞こえてくる。

「……連絡しなくて、ごめんなさい。内緒にしちゃって、ごめんなさい。怜君を、困らせちゃって、ごめんなさい」

 か細い声で、締められた喉から絞り出すように、姫川さんは何度も何度も「ごめんなさい」と囁いた。

 血が上っていた頭が、まるで氷水をかけられたかのように、一気に冷めていった。そしてそのまま、背筋までぞくぞくと冷たくなっていく。取り返しのつかない事をしてしまった気がした。姫川さんをこんなに泣かせて、僕は何をしたかったのだろうか。さっきまで言おうと思っていた事が、すっかり頭の中から抜け落ちてしまっていた。メールで彼女に問い詰めることと、電話で彼女の声で直接話すことでは、似ているようで全く違っていた。

 僕が勝手に怒って、姫川さんに食ってかかって、彼女を泣かせてしまっていた。本当に、心底ダメな男だった。

「……ごめん。僕も悪かった。怒って悪かった。姫川さんが連絡をくれなくて、僕はどうしようかと思ってたんだ。何か一言、僕に言っておいてくれれば良かったのに。心配、したんだから」

 自分でも驚くほどに、穏やかな声が出ていた。もう、さっきまで僕を突き動かしていた憤りは全く無くなっていた。今はただ、姫川さんへの申し訳なさでいっぱいだった。

「…………」

「…………」

 ぐすぐすと、すすり泣く声だけが電話から聞こえてくる。僕も、彼女も何も言わなかった。

 やがて姫川さんが声を押し殺すように泣く声に居たたまれなくなった僕は言う。

「二十四日、来てくれるよね?」

「……うん」

 消え入る声で、姫川さんは肯定した。

「そっか。じゃあ、楽しみにしてる。今日の分、埋め合わせできるかどうかわかんないけど、きっと楽しめるように努力するから」

「……いいの。大丈夫だから」

 全く大丈夫ではなさそうな声で、彼女は言う。もう、僕は何を彼女に伝えたら良いのか分からなかった。この申し訳ない気持ちをどうやって言葉にすれば良いのか、僕には見当もつかなかった。メールよりも心が近くなって、姫川さんの状態が手に取るように分かるような気がしていたけど、電話はやっぱりずっと遠かった。どうやってもこの思いは通じない気がした。

「じゃあ、本当に二十四日楽しみにしてるから。今日は本当にごめん。もう、怒ってないから。ごめん」

 どうしようも無くなった僕は、そう言って電話を切ろうとした。弱い僕はやっぱり逃げようとしていた。

「……だめっ!」

 不意に、姫川さんの身を切るような悲痛の叫びが、聞こえた。

「どうしたの?」

 離しかけていた携帯をもう一度握りしめ、彼女に尋ねる。

「…………」

 だが、返事がこない。

「大丈夫? 何か、あるの?」

 そう呼びかける声に、微かに、声が返ってくる。

「……――――よ」

「っえ? なに?」

 聞こえなかったその言葉が、とても大事な言葉のような気がして、僕は少し大きな声で問いかける。

 そして、再びのやや長い沈黙の後、姫川さんは言った。

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