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01 始まりの予感(四日前)

 ――電話が鳴らない。

 たったそれだけの事なのに、僕はとても困った事態に巻き込まれているような気がしていた。

 例えるなら子供を誘拐された両親が、犯人からの身代金要求の電話がかかってくるのを、電話機の前で今か今かと待っているような気分だろうか。電話がかかってくるだけでも、相手がこちらとコンタクトを取りたいという意志がある分、マシだったのだ。さらわれた子供がまだ生きていることが確認できるかもしれないからだ。

 本当に恐ろしいのは、かかってくると思ってずっと待っているのに、電話が一向に鳴らないことだった。何かあったのではないか? さらなる事件に巻き込まれているのかもしれない。もしかしたら、既に殺されているのかも……。などと、疑惑は際限なく膨らんでいく。

 言ってみれば、今の僕の状態もそんな感じだった。

 それは。

 いつものように大学の講義が終わった後、姫川さんからの充電要求ラブコールがかかってくるのを待つために、彼女の大学近くのカフェで一休みしていた時のことだ。

 自分の大学の近くにはもう少し価格帯の低いカフェがあるのだが、姫川さんから電話がかかってきてからすぐに駆けつけられるようにと、割高であってもこちらのカフェで待っているのは、もはやどうでも良いことだろう。

 それよりも重大な問題は、姫川さんの講義が終わって、僕に電話をかけてきてもいい時間になったのに、何の連絡も入ってこないことだった。彼女の時間割上では水曜日は講義が三限までしかないので、そろそろ電話がかかってきていないとおかしいのだ。それでも既に、二十分以上オーバーしている計算になる。

 とはいえいつだって僕は、姫川さんから連絡がくるまでは何時まででも待つ心づもりである。手が放せず、電話をかけられない状態にいるのかもしれないし、講義が長引いてる可能性もある。姫川さんは真面目だから、講義後に教授の所へ質問に行っていることだってあり得る。

 ただ、いつもなら遅れるときはメールを送ってくるはずなのに、今日はまだメールすら受信していない。そのことが少しだけ気がかりだった。

「遅くなる。校門の前で待つ」

 なんていうメールが来るだけでも、僕は安心できるのに。

 ちなみにこれは、以前姫川さんが送ってきたメールの文面だ。僕に対してはだいぶ饒舌にしゃべるようになってきたが、他の人に対してはやっぱりまだ要点だけを話す彼女は、メールもやはり簡潔だった。そんなギャップも姫川さんのかわいらしいところなのだけど。

 なんてことを考えつつ、来るはずの連絡を待つことさらに二十分。

 僕はすっかり、子供をさらわれた両親の気分を味わっていた。

 いつもと様子が違うことに気が付いた店内の数人が僕の方をちらちらと様子を窺っているのがわかる。いつも何かの儀式のように机の前に携帯を置き、コーヒーの入ったカップを握りしめながらそわそわとしている僕の姿はもうこのカフェでは見慣れた光景になっていたらしい。姫川さんには遠く及ばないしても、笑顔のかわいい店員さんと顔馴染みになった時に、そう教えてもらった。

「彼女さんを待ってるんですか?」

 なんて笑顔で尋ねられてしまったから、僕も笑顔で姫川さんのベストショットを見せて上げた。ちょっとびっくりした様子だったのが気になるところではある。

 他にも毎週このカフェに本を読みに来ているらしいおじさんとも、いつの間にか中身のないアイコンタクトを交わす仲になった。定位置となってるところが割と離れているので、まだ話したことはない。

 彼らは、いつもならばかかってきた電話に素早く応答し、カフェを飛び出すように姫川さんを迎えに行く僕が、時間を大幅にすぎているのにまだ残っていることの異常性に気が付いたようだった。あるいは、電話が来ないことに困惑する僕の表情が想像以上に絶望を浮かべているのかもしれない。

 僕自身、こんな事は初めてだったから、かなり動揺していた。

 あと五分。あと五分待っても電話がかかってこなかったら、こちらから電話をかけてみよう。

 そう心の中で自分に言い聞かせ、穏やかでない気持ちを落ち着けようと、コーヒーを啜る。連絡が来ないことに血の気が引き、冷え切った体に温もりが染み渡るような気がした。

 じりじりと。じりじりと。

 時計の進みがまるでいつもの半分になったように感じられた。腕時計と未だ鳴らない携帯を交互に見比べ、進まぬ時間にいらいらする。

 長い長い五分が過ぎた。

 僕は一瞬で携帯を取り上げ、姫川さんの電話番号を入力した。彼女の番号は電話帳から出さなくても、指が覚えている。画面に姫川さんの名前が浮かんだ。

 だが、数拍の空白の後、聞こえてきたのは発信音などでは見なく、合成音声みたいな女の人の声だった。携帯の電波の届かないところにいるか、電源を入れていないためにかけられなかったのだ。

 僕の背筋をいやな予感が這い上がっていく。

 一瞬、彼女の携帯の電池が切れてしまったことを想像するが、自分でそれを打ち消さざるをえなかった。僕とのハグをしないとすぐに充電の切れてしまう姫川さん本人とは違って、彼女の携帯は僕と連絡を取るとき以外にはほとんど使われないため、電池が切れることは滅多にないのだ。これは僕の妄想なんかじゃなくて、彼女から聞いたれっきとした事実である。

 それに、最近では都会に住んでいて圏外になることなんて数えるほどしかない。大学にいるはずの姫川さんが、そのような数少ない電波の届かない場所にいるとは考えにくかった。それかただ、そんなことは考えたくなかったのかもしれない。それが表すことは即ち、姫川さんが僕に何の連絡もすること無く、他の場所に行ってしまったということを意味しかねないからだ。

 普段の彼女の様子から想像すれば、そんなことはないと否定できそうなものだ。だが、何か予感めいたものが僕に警告を発していた。

 いつもとは違う事が起こっていると。

 とにかく、ここであれこれと想像を巡らしていても話にならないのは明確だった。このカフェから姫川さんの通う大学までは徒歩5分ほどだ。行ってみないことには何も始まらない。僕の心配が杞憂であっても、現実のことであってもその目で確かめない限り、認めることは出来そうになかった。

 コートを羽織る時間さえももどかしいとばかりに慌てて出てきた僕に、すっかり冷たくなった十二月の冷気が容赦なく突き刺さる。

 思わぬ出来事に逆上せた(のぼせた)頭が、すうっと冷えて僕の中の冷静な部分が戻ってくる。連絡の付かない姫川さんの事はもちろん心配だが、少し自分のことや周りの様子を見るだけの余裕が生まれた。ひとまず、風邪を引く前にコートを羽織ることにする。

 姫川さんの大学に向かうまでの道のりも、クリスマスムード一色だった。店頭に飾られた小さなクリスマスツリーやデコレーションが、雰囲気をもり立てている。サンタクロースの格好をして、店の前で呼び込みをしている人の姿も見えた。

 通りに面したコンビニの窓ガラスには、クリスマスまでのカウントダウンが張られていた。そこ書かれた数字は既に「04」になっている。二桁まであったのだろうカウントはもう一桁になっていた。クリスマスまでは、もう数えるほどしかない。

 気がつけば、姫川さんとつきあい始めてから半年が経っていた。答えの見つからない難題を抱え、どうしようも無くなった僕が行き着いたひまわり畑。あの日僕らの新しい旅立ちを祝福してくれた向日葵たちは、もうとっくに枯れてしまったのだろう。

 姫川さんと過ごす日々が楽しすぎて、時が経つのをさっぱり忘れてしまっていた。

 まだ僕はクリスマスの用意をしていなかったし、姫川さんへのプレゼントも何も考えていなかった。毎日が刺激的だったから、先の事など考える必要がなかったのだ。それはきっと姫川さんも同じだろう。僕も彼女も、クリスマスの予定なんて全く話したことがなかったのだから。

 ほとんど毎日会っていたから、クリスマスのための特別な何かを考えている時間もなかった。とりあえずあと四日は猶予があるのだから、予定を立てて、姫川さんへのプレゼントも考えておくべきだろう。

 ちなみに僕は姫川さんとつきあい始めてから、週二日だけだがアルバイトも始めた。現状、食費とか住居の費用には困っていないから、もらった給料は全額彼女のために使う事にして貯金している。なので、お金にも少し余裕があるのだ。せっかくの二人で迎える初めてのクリスマスなのだから、少し奮発するのも良いかもしれない。

 やはりちょっと大人なクリスマスのデートということで、高級なレストランで食事をするのがいいだろうか。それとも、彼女へのプレゼントに高めのものを選ぶ方がいいだろうか。姫川さんはあまりそういうムードとかにこだわりそうな性格ではないが、たまにはちょっと上品な食事をしてみるのも良いかもしれなかった。予定を立て始めるのが遅すぎたせいで、もう高級レストランは予約でいっぱいのような気もするけれど。

 そんな事を考えながら歩いていくと、すぐに姫川さんの大学に着いた。いつもなら、僕が迎えに行くまでの間に姫川さんも校門へと向かって歩いてきている。だいたいいつも落ち合うのは門を入って少し行ったところにある、広場みたいに開けたところだった。

 だが、そこにも今日は姫川さんの姿は見あたらない。大学生に見えないぐらいに小柄な彼女の姿は、人の多いこの広場でも結構目立つはずなのだ。それなのに見つからないということは、まだここに来ていないということなのか。

 正直な話、このときはまだ僕も事態を楽観視していた。カフェにいるときは思わず動揺してしまい、あれこれとよからぬ事ばかり考えてしまったが、おそらく姫川さんは何らかの事情があって、まだ出てこられないだけなのだろうと。何か大切な話があって、携帯の電源を落としているのかもしれないと。

 だから直接迎えに行こうと、僕は彼女が普段、講義を受けている建物の方へと向かった。

 そして、僕はそこで、これからの激動を予感させる一言を聞くことになる。


 ――姫川さんなら、もうとっくに帰ったよ。


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