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6、春の訪れ(1)

間があいてしまってすみません。

この話を読みたいと思ってくださる方がどれだけいるのか大いに疑問ではありますが、守の恋愛話です(笑)

前回の番外編に少し出てきた、七海視点。

6話完結、毎日1話ずつ更新の予定です。

 四月初めの、雨の朝。

 バスを待つ人々はみな、少し肌寒そうに身を縮めている。

 静かに降り続ける雨を傘越しに眺めながら、冷たくなった手に息を吹きかける。

 定刻に五分ほど遅れてバスが到着すると、急いで傘をたたみ、それに乗り込んだ。


 あっ……居た。


 いつもの座席に彼の姿があるのを見て、ほっと胸をなでおろす。

 少し緊張しながら彼より二つほど前の座席横にある手すりに摑まると、さりげなくその寝顔に目を向けた。


 部活で疲れているのかな。今日もぐっすりと眠っているみたいだ。

 窓ガラスに頭を預け、曲がり角に差し掛かるたびに痛そうな音を響かせているけれど、それでも彼が起きる気配は全くない。


 こうしてバスで一緒になれるのは、決まって雨が降っている日の朝だけ。多分、晴れた日には大学までバイクで通っているんだろう。帰りに会うことがないのは、毎日部活で遅くなるから。


 ふっくらとした頬が、ふいにムニャムニャと動く。目元や口元が微かに緩んだみたい。夢の中で何か、おいしいものでも食べているのかな?


 雨の日は好き。

 こうして大好きな人の寝顔を、ずっと見ていることができるから。

 



 * * * * *




 私が彼に出会ったのは――ううん、彼のことを意識するようになったのは、今から一年半ほど前、大学1年の秋に起きたある出来事がきっかけだった。


「向井さん」

 ふいに呼び止められた声に、緊張が走る。

 振り返れば、予想通り。親しげな笑顔を浮かべて歩み寄ってきたのは、高校時代のクラスメイトであり、偶然にも同じS大美術愛好会に入った女の子、松下さんだった。


「久しぶり。最近全然サークルに来ないけど、元気だった?」

「あ、うん……」

「向井さんが急に来なくなっちゃったから、みんな心配していたよ。何かあった? もしかして……もうサークルやめちゃうの?」


 高校時代よりもずっと大人びた綺麗な顔立ち。

 長い睫に縁どられた瞳で心配そうに見つめられ、咄嗟に顔を伏せる。


「……うん、やめる」

 ずり落ちそうになったメガネを戻しながら、小さく頷いた。


「そうなんだ……。残念だけど、新しいサークルに入り直すなら少しでも早い方がいいもんね。わかった、みんなには伝えておくね。また気が代わったらいつでも部室に遊びにおいでよ」


 じゃあ、またね。そう言って優しい笑顔で手を振る彼女を、あいまいな笑みで見送る。


「――残念、だなんて。そんなこと、ちっとも思っていないくせに……」


 なんだか泣きそうになって、学食へ向かう足を早めた。




 人の多い学食内で食べる気がしなかった私は、おにぎりと飲み物を買い、そのまま学食の外へと出てきた。


 広大な敷地を誇るS大には、室内でなくてもお弁当を食べるのに適した憩いの広場が点在している。サークルの部屋に行けなくなった私の今一番の楽しみは、自分だけのお気に入りの場所を見つけることだ。


 人ごみを避けるように、大学の中をひたすら奥へ奥へと歩き続ける。

 やがてたどり着いた場所に、広々としたグラウンドと、綺麗に手入れされた芝生の斜面が広がっていた。


「わぁ、広い……」


 なんて気持ちのいい場所なんだろう。

 お昼の休憩時間にここを使う人はほとんどいないみたいで、体育学部のジャージを着た学生が10人ほど何かの作業をしているだけ。

 ここなら好きなだけ一人でのんびりできるかもしれない。

 そっと芝生に足を踏み入れると、座りやすそうな場所を探し、腰を下ろした。


 私が突然、美術愛好会に行けなくなった理由――それには、さっき会った松島さんが大いにかかわっている。彼女が部室で先輩たちに、高校時代の私のことを面白おかしく話しているのを偶然聞いてしまったからだ。


 当時からいかに地味で目立たない存在だったかということや、どこから聞いたのか、私が憧れていた先輩の話まで。


 確かに今年の新入部員の中で一番可愛いと言われている松島さんから見たら、黒髪に冴えないメガネ、真面目なことだけがとりえの自分なんて、話のネタぐらいにしか使えない、取るに足らない存在だったのだろうけれど。


 言葉は一応柔らかいものだったし、内容的にもそう批判的な話ではなかった。

 それでもそこに含まれていた嘲笑と憐みの気持ちは隠しようがなく、楽しげに相槌を打つ先輩たちの声を聞いていたら、ここにはもう私の居場所などないと思ってしまった。


 ――ただ静かに、大好きな絵を描かせてもらえたらそれだけでよかったのにな……。


 またじわりと涙がにじんでくる。


 どうして自分はこんなに不器用なんだろう。せっかく勇気を出して入ったサークルには最後まで馴染めないまま。入学して半年経っても、一緒に授業を受ける友達すらできていない。


 買ってきたおにぎりを手に取り、パッケージを開く。海苔を巻く手が滑り、それは芝生の上にコロンと転がった。


「貴重なお昼ごはんが……もうやだ」


 本当に嫌だ。何をやってもうまくいかない自分が嫌でしょうがない。

 膝を抱え、突っ伏した。




 出るはずだった授業もさぼり、ただぼんやりとして時を過ごす。するとほとんど人気のなかったグラウンドに、少しずつ人が集まってきた。

 真っ先に準備を始めたのは、ラグビー部にサッカー部、そして一番近くのグラウンドに来たのは……アメフト部? 


 テレビでしか見たことのなかったアメフトの格好をした男の人たちが、少し手狭なグラウンドにどんどん集まってくる。

 やがてひときわ体格のいい男の人が集合をかけると、準備運動ののち、本格的な練習が始まった。


 男らしい低い掛け声。音を立てて激しくぶつかり合う選手たち。そのあまりの迫力に、すっかり圧倒されてしまう。


 なんだか、すごくカッコいいかも……。


 抑えきれない欲求がムラムラと沸き起こり、いつも持ち歩いている小さなスケッチブックに手を伸ばす。

 すぐ近くで見ているわけじゃないし、このままここで絵を描かせてもらっても邪魔にはならないよね? 一人でそう結論付けると、夢中になって書き始めた。




 どのくらいの時間、没頭していたのだろう。


「――すみません、ちょっといいですか? すみません」

「えっ……あっ」


 すでに何度か呼びかけられていたのかもしれない。少し大きな声に気付き慌てて顔を上げると、斜面をわずかに下ったところに、なぜかアメフト部の男の人が立っていた。


 これって、私に話しかけているんだよね?

 周りを見回してみたけれど、やっぱり私のほかには誰もいない。

 男の子のどこか厳しい表情に、スケッチブックをぎゅっと抱きしめる。するとその人はますます険しい顔になり、また口を開いた。


「すみません。何を書いているんですか?」

「えっ?」

「見学はお断りしたいんですけど」


 予期せぬ言葉に、頭の中が一瞬真っ白になる。


 今、書くなって……どこかへ消えろって言われたんだよね?

 ここでも私は邪魔になるの? 一人で絵を描くことすら許してもらえないの?


 松下さんの件をまだひきずっていたからかもしれない。急にぼろぼろと泣き出してしまった私を見て、アメフト部の人が目を丸くした。


「あの、なにも泣かなくても」

「すっ、すみませっ」

「いや、俺の方が……」

「あっれー、今やん、どうしたの?」


 その場の嫌な空気を一掃するような明るい声がかかり、後ろを振り返る。

 ちょうどグラウンドに向かうところだったらしいアメフト部の男の子が、ヘルメットと防具を手に、道路から私たちを見下ろしていた。


 この人、知ってる。

 朝のバスで何度か一緒になったことがあって、確か同じ法学部の……。


「うわっ、今やんが女の子を泣かせてるっ!」

「バカ守、違うって。先輩たちに言われたんだよ、追っ払って来いって」

  

 追っ払う、という乱暴な言葉に、また涙が溢れてくる。


「ごめんなさい、今すぐ帰りますから」

 急いで荷物をまとめはじめた時、守と呼ばれた男の子が私の方へと歩み寄ってきた。


「この真面目そうなメガネっ娘ちゃんが偵察しに来たって? どう見たってアメフトとは無関係そうじゃん。単に絵でも描いていただけなんじゃねぇの? ――ごめん、悪いんだけど、それ見せてもらってもいい?」 


 人懐っこい笑顔で尋ねられ、おずおずとスケッチブックを手渡す。

 その人はぱらぱらとページをめくると納得したように頷き、もう一人の男の子に向き直った。


「やっぱそうだわ。今やん、先輩には美術部の子がスケッチしに来ているだけですって言っといて。それなら見学していても大丈夫だろう?」

「わかった。――あの、驚かせて本当にすみませんでした」

「あっ、いえ」


 最初に話しかけてきた子が律儀に頭を下げ、グラウンドへと走っていく。


「本当にごめんな。今大事なリーグ戦の真っ最中でさ、先輩たちみんなピリピリしてんだよ。俺もまだよくわかんねぇんだけど、他校のアメフト関係者にうちの作戦とか見られたら困るらしくてさ。見学している人がいると、片っ端から『追い払ってこい』って言われるんだ」


 リーグ戦……そうか、そうだったんだ。

 私が絵を描いていたから、何かメモを取っていると思われたんだ、きっと。


「――なぁ、ところでさ。それ食わねぇの?」

「えっ?」

「それ」


 慌てて守君の視線をおい、その言葉が指すものを探す。

 守君がじっと見つめていたのは、ビニール袋の上へ無造作に置かれたおにぎりだった。


「あの、これのこと?」

「うん」

「食べられないの。さっき地面に落としちゃって……」

「マジで? もったいない。それじゃあ俺が食ってもいい?」

「え、でも汚れてて……」

「気にしない気にしない。三秒ルールってよくいうだろ?」


 それって、落として三秒以内なら大丈夫っていう何の根拠もないルールだよね? しかもコレは落として一時間以上経ってるし、さっき見たらちょっとゴミついてたし――

 止めなくちゃと思ったものの、守君が素早くおにぎりを掴んだのを見て躊躇してしまう。


「んじゃ、ありがとな! 絵は描いててもらって大丈夫だから」

「あっ……」


 止める間も、助けてもらったお礼を言う間もなく、守君がグラウンドへと下りる階段目指して走っていく。


「すごい……ヘルメットで顔を隠して、おにぎり食べてる」


 先輩たちがピリピリしてるって言っていたのに、そんなことをして大丈夫なの?

 あっという間に完食した守君が、何事もなかったかのような顔で練習へと混ざる。その素早さと大胆さに、思わず感嘆のため息をついてしまった。


 ――優しい人、だったな。笑顔がとっても素敵だった。

 ふっくらしたとした丸顔はこんがりと日に焼けていて、ツヤツヤしてて……。


 おにぎりを手に『大丈夫だから』と微笑んだ姿が、ふいに正義感溢れる子供たちのヒーロー、顔がアンパンでできた彼と重なる。


「……ちょっと似てるかも?」


 何だかすごくおかしくなって、スケッチブックで顔を隠し、笑ってしまった。




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