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  遠距離恋愛(2)

 球技場2階にあるベンチへ向かうと、練習試合のせいかあまり観客の姿は多くなかった。

 試合が見やすい位置に向かい、古いベンチに腰を下ろす。


 私は社会人リーグのことはよく知らないけれど、司先輩のチームは社会人の2部リーグに在籍していて、ここ数年成績が低迷しているそうだ。その分、新しく加わった貴重な戦力への期待は大きいのかもしれない。

 社会人チームで何年ぐらい現役を続けられるものなのかは分からないけれど、さっき見た感じでは結構年齢のいった人もいたようだし、観客席には子供連れの姿もちらほら見えた。



 ――今のBLACK CATSのメンバーで、新しい社会人のクラブチームを作れたらいいのにな。そうしたら先輩たちが卒業してもいつでも会えるし、家族ぐるみのお付き合いができるのに……。


 就職によって地元を離れる人が多いから実現するのは難しいと分かっているけれど、みんなが結婚して子どもなんかも連れて練習に来る姿を想像すると、それだけで楽しくなってしまう。


 そっか、私だって、そうなる可能性が十分にあるんだよね。具体的にいつって話は出ていないから全く実感がわかないけれど、先輩もお父さんたちも結婚するのを前提に話している時もあるし……。

 主将の松岡さんと奥さんの亜紀さんみたいに、素敵な夫婦になれたらいいな。

 チームの人たちもみないい人そうだったし、2年後本当にマネージャーのお仕事を手伝わせてもらうのもいいかもしれない。

 そしていつか……先輩の赤ちゃんを産むことができたなら、先輩のプレーをたっぷり見せてあげたいな。お父さんはこんなにすごい人なんだよって。


 その姿を勝手に想像し、照れくささと嬉しさからだらしなく緩む顔を両手で隠す。

 火照った顔を冷やそうと買ってきたお茶のペットボトルを顔に当てた時、階段から賑やかな声が聞こえてきて、4人組の女性が観客席に上がってきた。


 ――お洒落な人たちだなぁ。この人たちも、今日試合に出る選手の知り合いとかなんだろうか?

 楽しげな様子で私の数列前、斜め横の席に腰を下ろした4人をぼんやりと眺めていると、その中の一人がフィールドに目を向け、パッと目を輝かせた。


「見て見て! あの21番の子だよ、私のダーリン上原君!」

 

 ――え? 


 年は先輩と同じぐらいだろうか。四人の中でも一番可愛い女の人が、フィールドを指さし嬉しそうに笑っている。

 春らしい淡いピンクのブラウスにプリーツスカート。すらりと伸びた足元には華奢なパンプス。背中まで伸びた綺麗に巻かれた茶色い髪。どう見ても上品なOLさんといった感じだ。


「さっき見たよ。かなりカッコいい子だよね。ヒナの一つ下だっけ?」

「うん、そう」

「松岡さんが褒めてた子でしょ? 今年入った選手の中でも、一番の期待の星だって」

「ふふーん、そうでしょ! 外見がカッコいいだけじゃなくて、アメフトもすっごく上手なんだから」


 誇らしげに、そしてとても親しげに先輩のことを話す女の人を見ていられなくて、咄嗟に目を伏せる。


 あの人、司先輩とはどういう関係なんだろう。

 松岡さんとも親しいようだから、チームの関係者なのかな。……それとも同じ会社の人?

 司先輩は毎日、あんなにお洒落で綺麗な女の人たちと一緒に仕事をしているの?


 悪い方へ、悪い方へと傾きがちな思考を、無理やり引き戻す。


 気にするのはやめておこう。

 もし彼女が先輩のことを好きなんだとしても、私には関係ないよね。

 今までだって司先輩のファンだという女の子はたくさんいたもん。たまたま私はベンチにいたから、こういう会話を耳にすることがなかっただけで……。


 それに、どんなに綺麗な人がそばにいても、好きだって言われたとしても、先輩の気持ちはきっと変わらない。

 お父さんに頭を下げてくれたのも、チームの人たちに前もって私のことを話してくれていたのも、私が少しでも安心していられるようにっていう先輩の気遣いだと思うから……。


 なるべく4人の会話が耳に入らないよう、フィールドに目を戻し意識を傾ける。

 もう彼女たちのことは気にしない――そう決めたはずなのに、なぜだかついさっきまで隣にいてくれた司先輩が少し遠くなったような気がして、悲しくなる。


 もう嫌な会話を聞きたくないから、早く試合が始まってくれたらいいのにな……。

 携帯で時間を確認した時、また彼女たちの声が耳に届いた。


「でもさぁ、上原君ってかなりモテそうだから、すでに彼女がいるんじゃない?」

「うん、いろいろと聞きだしてもらったところによると、地元に付き合って一年半ぐらいの彼女がいるらしいよ。二つ年下の同じ大学の女の子。でも問題ないでしょ、続かないよ絶対」

「どうして?」

「だって遠距離2年って長くない? その間誰も女の子がいないならともかく、こっちにはいくらでも可愛い女の子がそばにいるんだよ? 男なら誰だって心変わりするって。――それにね、実はもう手は打ってあるんだ」

「え、なにそれ!」

「来週の金曜日にチームの歓迎会があるんだけど、そこで上原君を紹介してもらえることになってるの、亜紀さんから」


 ――嘘。

 亜紀さんって……さっき会った亜紀さんのことだよね?

 あんなに優しく笑いかけてくれたのに……応援してる、頑張ってって、言ってくれたのに?


「さっすがヒナ。行動早っ!」

「だってぇ、ぼやぼやしてたら他の女の子に取られちゃうでしょー? 金曜日は上原君の隣で酔って潰れたふりして、お持ち帰りしてもらうんだ。ちょうど彼、ゴールデンウィークは地元に帰らずこっちに残るって言っていたから、すごくいいチャンスだと思わない? さっき松岡さんに次からは毎週練習の手伝いに行きますって伝えたら、下心が見え見えだって笑われちゃったけどね」


 涙がぽとりと手の甲に落ち、慌てて指で拭う。

 やっと試合開始時間になり、両チームの主将、副将がレフリーの元へと向かう。

 主将の松岡さんに、副将の田中さん、山岸さん――。みんな今日初めて会ったばかりだけれど、親しげな笑顔を浮かべ優しく声を掛けてくれた人たちだ。

 だけど本当は……私のことを、一体どう思っていたのかな……。


 あんなに楽しみにしていた試合がやっと始まったというのに、少しも頭に入ってこない。

 ハンカチと荷物を手にすると、端の方の席に移動するため、立ち上がった。








 お昼ごろに試合が終わると、まだ夕方の便まで時間があるため、一度先輩の部屋に戻って荷物を置き、休憩してから空港へ向かうことになった。


 こうして一緒にいられる時間もあと僅か。空港内のカフェに立ち寄り、先輩と向かい合う。


「今日の試合、楽しかったです。観客席から先輩の姿を見るのって、なんだかすごく新鮮でした」

「そうか? やることがなくて暇だっただろ」

「いいえ、そんなことはなかったですよ。普段バタバタしている分、ゆっくり見ることができて良かったです。……来週からのG.Wは、先輩も練習があるんですよね?」

「あぁ」

「あの、普段の練習の時って、マネージャーは亜紀さん一人なんですか?」

「いや。必ず来るのは亜紀さんぐらいで、あとは日によって何人か亜紀さんの知り合いが手伝いに来ることもある」

「そうですか……」


 それじゃあきっと、その中にあのヒナさんって人が加わるんだ。

 連休中だけじゃなくて、これから先ずっと……練習のたびに、あの可愛いヒナさんは司先輩のそばにいることができる。


「どうした?」

「あ、いえ別に……。そういえば、最近守に、とっても仲の良い女友達ができたんですよ」

「守に?」

「はい。何でも、一年生の時に守が彼女を助けてあげたことがあったとかで……それをずっと覚えていた彼女が、この前バスで寝過ごしそうになった守を起こしてくれたらしいんです。たまたま同じ学部の子だったみたいで、今では時々3人で一緒に授業を受けたり、お昼を食べたりもしていて」

「へぇ」

「私の勘ですけど、絶対彼女は守のことが好きなんだと思うんです」


 とっておきのネタを自信たっぷりに披露したのに、司先輩がバカにしたように鼻で笑う。


「お前の勘ほど当てにならないものはないな。それとも、鈍いお前ですら分かるほどに相手の態度があからさまなのか?」

「うっ、酷い……。でも彼女はもともとかなりの恥ずかしがり屋さんなんですけど、守と話すときには特に恥ずかしそうに目を逸らしたりしていて」

「それなら、7月の合宿で会う頃には守にも初めての女ができているかもな。――そろそろ時間だ。行こうか」

「はい」


 7月の合宿、か……。

 次に司先輩と会えるのは、3カ月後に行われる夏合宿の時。

 それまでの間、今回離れていた時間よりもずっと長く、また先輩とは離れ離れになる。


 広い出発ロビーを、先輩の後についてとぼとぼと歩いていく。やがて搭乗ゲートの前で先輩が立ち止まると、最後のお別れをするために向かいあった。


「先輩、いろいろとお世話になりました」

「あぁ」

「次は夏合宿ですね。ちょっと長いけど……楽しみにしています」

「何かあればちゃんと連絡しろよ。一人でため込んだりするな」


 先輩が東京に旅立つときにも言ってくれた、優しい言葉。

 あの時はその優しさがとても嬉しかったのに、今はなんだか切なくなる。


「司先輩……」

 ――金曜日の飲み会には行かないで。

 ――ヒナさんと仲良く話したりしないで。

 とても伝えたくて、そして言ってしまえば必ず後悔するだろうその言葉を、ぐっと飲みこむ。


「……先輩、忙しくてもちゃんとご飯は食べてくださいね?」

「あぁ」

「ゆっくり睡眠もとって、無理はしないで」

「わかってる」

「待ってます。7月、先輩が会いに来てくれるのを……向こうでずっと、待ってますね?」


 一瞬怪訝そうな表情をした先輩に笑いかけ、ゲートへと向かう。

 チェック済みの手荷物を受け取り振り返ると、まだ先輩はそこに立ったままこちらを見つめていた。

 軽く頭を下げ、手を振ってみせる。

 先輩の姿をもう一度目に焼き付けると、もう振り返ることなく歩きだした。



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