3、交際宣言(1)
番外編第三弾。香奈、司視点。
2話完結になります。
――先輩の卒業を間近に控えた、12月中旬。
立ち寄ったコンビニで温かいお茶を2本買うと、駐車場で待つ司先輩のもとへと向かった。
「すみません、お待たせしました」
「大丈夫か? 顔色悪いぞ」
「あんまり大丈夫じゃないです」
お茶を一本手渡し、助手席のシートにぐったりと身を任せる。
司先輩は呆れたような視線を向けると、また車を車道へと滑らせた。
「自分の家に帰るだけなのに、なんで腹を下すほど緊張するんだよ」
「だって、相手は幸子なんですもん。いったいどんなことが待ち受けているか……。司先輩こそ、どうしてそんなにいつも通りでいられるんですか?」
今日は、司先輩がはじめてうちの両親と顔を合わせる日。
『卒業前に一度挨拶しておきたい』と先輩に言われ仕方なく連絡を取ったものの、正直うちの幸子が挨拶程度で先輩を解放するとは思えず、何が起こるやら不安でしょうがない。
とうとう今朝からお腹を壊してしまったほどだ。
「先輩、本当にうちの母親はまともな人間じゃないんです。身の危険を感じたら、遠慮なく攻撃するか避難するかしてくださいね」
「どんな親だよ、一体」
車を走らせるにつれ、車窓の風景が見慣れたものに変わっていく。
自宅横の空き地に車を停めると、覚悟を決めて司先輩とともに玄関の前に立った。
「はーい、ちょっとお待ちください」
インターホンからは、少しかしこまった幸子の声。
またお腹がシクシク痛みだしたとき、ドアが開き完全武装の幸子が顔を覗かせた。
「あら、まぁ……」
司先輩を見た途端、幸子の目が輝きだす。
「いらっしゃい、さぁどうぞ!」
「ちょっとお母さん、何その服! ああっ、お父さんまで!」
小奇麗なワンピース姿の幸子に続き、明らかによそ行きの服を着たお父さんが先輩に笑顔を向ける。
「よく来てくれたね。まずは上がりなさい。香奈、お帰り」
「初めまして、上原といいます。お邪魔します」
先輩が二人に頭を下げ、家に上がった。
この家に司先輩がいるなんてものすごく違和感があったけれど、そう感じているのは私一人だけだったみたいだ。
幸子がお茶を運んでくると、和やかな会話が始まった。
「いや、それにしても上原くん、立派な体だね。アメフトをやっているそうだけど、ポジションはどこなんだい?」
「ランニングバックです」
「あら、それって確か一番花形のポジションだったんじゃない? 高校の頃からアメフトをしていたの?」
「いえ。中学、高校はサッカーをしていました」
「そう。ずっとスポーツを続けてきたから、そんなに体格が立派で礼儀正しいのね」
幸子が恋する乙女のようにうっとりと司先輩を見つめている。
『女の子だったら可憐なお嬢様系、男の子だったら爽やかスポーツマン』
幸子の好みは小さい頃から嫌というほど聞かされてきた。それだけに、司先輩と会わせるのを躊躇していたんだけど……。
「ご実家は近いの?」
「今は大学の近くに部屋を借りていますが、家は西区の片倉というところです」
「じゃあ、もともとこちらの方なのね」
何気ない会話を装いつつ、幸子が着々と情報を収集していく。
何とか無難に今日の顔合わせを終えられますようにと願った時、幸子が「ところで」と改まった声を出した。
「上原君、単刀直入に聞いちゃうけど、今日はどうしてうちに来てくれたの?」
「ちょっと、お母さん!」
「香奈とは部活の先輩後輩の間柄ってことでいいのかしら? この子からは、今日『部活の先輩が家に遊びに来る』としか聞いてなくて……」
隣から冷ややかな視線を感じ、おそるおそる先輩に目を向ける。
「いえあの、あまり構えられても先輩が居心地悪いんじゃないかなーなんて思ってですね。 ――ちょっと、お母さん! 今そんなこと言わなくてもいいじゃん!」
「部活の後輩でもありますが、香奈さんとは一年ほど前からお付き合いをさせてもらっています」
「せっ、先輩!」
「あら、やっぱりそうなのね! ごめんなさいね、この子ったら本当に気が利かなくて……。それで、今日はどういったご用件で?」
「お母さん、もうやめてよ!」
「香奈、お前はしばらく黙ってろ」
「でっ、でも」
「そうよ、今大事な話をしているんだから、あんたは自分の部屋にでも引っ込んでなさい!」
先輩と幸子に叱られ、仕方なく口をつぐむ。
でも部屋に引っ込んでなさいって……私一応、当事者だよね?
ちょっと落ちこみつつ、楽しげに二人を眺めているお父さんに目を向ける。
それに気づいたお父さんが、大丈夫だとでもいうように笑顔で小さく頷いた。
先輩が大人しくなった私を見て幸子たちに向き直り、姿勢を正す。
「今日は、一度きちんとご挨拶しておきたかったのと、ご両親にお願いをしたいことがあって来ました」
――お願い? お願いって……もしかして、一緒に暮らしたいってことを今日いきなり言っちゃうの!?
驚く私の前で、幸子が小首を傾げる。
「まぁ、どんなお願いかしら」
「俺はもうすぐ卒業で、東京での就職が決まっています。そして香奈さんも、卒業後は上京することを希望しています。――2年後、香奈さんが大学を卒業したのちに、向こうで一緒に暮らすことを許していただけませんか」
「東京で、一緒に?」
お父さんが目を丸くした。
「……就職先はどちら?」
「三川電機です」
「まぁ、あんな大手に? すごいわね」
「ありがとうございます」
「うーん、でも東京ねぇ……」
二人がそれぞれ難しい顔をして、黙り込む。
「上原君はしっかりした人のようだし、許してあげたいのはやまやまなんだけど……。ごめんなさい、香奈は私たちにとっても、たった一人きりの大切な娘なの。そう簡単に認めることはできないわ」
「そうだな」
「お母さん、お父さん……」
お父さんはともかく、幸子には「絶対逃がすな、今すぐ嫁に行け!」ぐらい言われるだろうと思っていたのに……。私って、思っていた以上に娘として愛されていたのかな?
感動でジワリと涙がにじんだ時、幸子がまた口を開いた。
「一緒に暮らすというのならなおのこと、恋人なんていう、いつ終わるかもわからない不確かな関係だけで大事な娘を任せることはできないわ。中途半端に返品されてもやり場に困るしね。それくらいの覚悟はあると思ってもいいのかしら?」
――ちょっと待って。返品ってなに? やり場に困るって!
もしかして、ちょっと渋ったフリして無理やり先輩から具体的な約束を取り付けようとしてる!?
文句を言おうと身を乗り出す。その時、司先輩が私の腕を掴み、ぐっと引き戻した。
「もちろんです。そのことも含め、二年後改めてお願いに上がるつもりでいます」
「先輩!?」
「それは、香奈との結婚までちゃんと考えているということ?」
「はい」
きっぱりと応えた先輩に、思わず言葉を失う。
一緒に暮らそうとは話していた。ずっとそばにいていいのだと言われたことも理解していた。
だけど、具体的に先輩から結婚の話がでたことなんてなくて……。
「そう……。そこまで考えているのなら仕方がないのかしらね、あなた」
「――香奈とは、一年前から付き合っていると言ったね」
お父さんの問いかけに、司先輩が「はい」と頷く。
「結婚っていうのはね、この先何十年という長い人生を共にする伴侶を選ぶことだよ。二人は付き合い始めてまだたったの一年だし、とても若い。ほんの一時の熱に浮かされて、そんな一生を左右する重要なことを決めてしまってもいいのかな」
お父さんらしい穏やかだけれどはっきりとした物言いに、司先輩が口をつぐむ。
「香奈の卒業まで、離れている期間は2年もある。その間にどちらかが心変わりするかもしれないとは考えなかったのかい? どうして2年も先の話を今決めておく必要がある?」
お父さんはかすかな笑みを浮かべて、そして司先輩は真剣な表情で、目をそらすことなく互いの顔を正面から見据えている。
ハラハラしながら眺めていたら、司先輩が挑むように口を開いた。
「離れていても、この先何年経っても、自分の気持ちは絶対に変わらないという自信があります。でも今はっきりとした約束を交わしておかないと、香奈さんが余計な不安を抱えて上手くいくものもいかなくなってしまうかもしれない。マイナス要素は可能な限り潰しておきたいんです」
「それって、香奈の心変わりを恐れているようにも聞こえるけど?」
「……その通りです」
「そこまで惚れているんだ、うちの娘に」
「はい」
「もしほかの男にふらっと行ってしまったら?」
「何度でも取り戻します」
涙でぼやけた視界の中、お父さんが嬉しげに笑う。
「いや、こんな会話をできる日が来るとは思わなかったな。――おい香奈……って、あぁ、幸子、ティッシュ取ってやって」
「はいはい」
お母さんが苦笑しながらティッシュを差し出してくる。
しっかり涙を拭いた後、遠慮がちに鼻をかんだ。
「香奈も同じ気持ちなんだな?」
「……うん」
「だったらいい。お前が卒業するまでお互いの気持ちが変わらなかったら、あとはもう好きにしなさい」
「お、お父さんっ!」
「あぁほら、ハナが出てる。――すみませんねぇ、こんな娘で」
「いえ」
お父さんの言葉に、司先輩が表情を緩めた。
「さてと、ちょっと驚いたけれど話はまとまったみたいだし、とてもおめでたいことだし、今日はお祝いしなくっちゃね。実はお寿司を注文してあるのよ。二人とも晩御飯食べて行くでしょう? あ、上原君の分のパジャマも買ってあるから、ぜひ泊まって行ってね」
幸子の言葉に、ふわふわした夢の世界から一気に現実へと引き戻される。
「ちょっと待ってよ、なんで今日が初対面なのにパジャマまで用意してあるの!? やっぱりさっきは渋るふりして、無理やり先輩に結婚とかの約束をとりつけようとしていたんでしょ!」
「やぁねぇ。どうして私がそんなことしなきゃいけないのよ」
「だって司先輩カッコいいし! 幸子の好きなスポーツマンだし!」
「あら司くんっていうの? 素敵な名前……って香奈あんた、また自分の親のことを幸子って呼び捨てにしたわね! ちょっと聞いてちょうだい司くん。この子って昔から気が弱くてパッとしなくてね、中学の反抗期の頃も面と向かって私にはむかう勇気がないからって、机の中から『幸子のバカ』って大量に書かれたノートが出て来たことがあったのよ!」
「やだお母さん! なに勝手に人の引き出し開けてんの!?」
「それはもちろん、好きな男の子の写真でも出てこないかなーと思って探してみたに決まってるでしょ。一昔前の、カンフー映画の俳優のポストカードがこっそり隠されているのを見つけた時には、母さん切なくて涙が出たわ」
「うわーん! そんなことバラさないでぇ!」
「あんたは昔から何をするにしても要領が悪すぎんのよ。小学6年生の頃、休みの日に男の子がお見舞いに来てくれたの覚えてる?」
「お見舞い?」
「香奈が熱を出した時だろ。僕も覚えてるよ」
「そう、緊張した顔で香奈さんいますかって訪ねてきて、すごくかわいい子だったのよ。いざ香奈を前にしても、何か言いたげなのになかなか言いだせなくて、お父さんと二人で物陰に隠れて『頑張れ!言え!言うんだ!』って応援していたら……」
「モジモジした様子をトイレに行きたいんだと勘違いした香奈が、『お母さーん、友達にトイレ貸してもいいー?』って叫んでしまってね。可哀想にその子は逃げ帰ってしまったんだよ」
「あれ、違ったの? 今にも漏れそうな感じだったのに」
「ちょうどその頃から、香奈はどんどん男の子みたいな恰好をするようになっていってね。女の子であることが嫌で仕方ないって感じで、僕が『香奈は可愛いよ』って言うとすごく悲しそうな顔をするようになって……。それが一年前から急に綺麗になってきたと思っていたら、司くんのおかげだったんだね」
「いえ、俺は何も……」
「正直、去年まではこのままだと一生結婚できないんじゃないかと思っていてね。大学4年になったら結婚相談所に無理やりにでも登録させるって幸子が言っていたんだよ」
「なにそれ!」
「鈍い、気が利かない、パッとしないときたら、もう若さで売るしかないでしょ? 香奈が自分で見つけてくるのを待っていたら、孫も抱けないままに死んじゃうわ」
そ、そこまで言う!?
さっきとは違う種類の涙が出そうになったとき、幸子がくすりと笑って付け足した。
「いくら中身が良くってもね、いきなりそこを見てくれる人なんて、そうそういるものじゃないから」
「……お母さん」
「性格もそう悪くないし、料理も家事も仕込んだから結構使える子だと思うのよ。司くんはこの子の手料理を食べたことがある?」
「はい」
「お互い一人暮らしですものね、当然か。部屋は近いの?」
「……偶然、隣の部屋だったんです」
「隣って……香奈の住んでる、あのマンションの!?」
「はい」
お父さんとお母さんが顔を見合わせる。
「同じ部活に入ったのも、隣の部屋だったのも、全くの偶然なのよね?」
「はい、もちろん」
「……香奈、あんた一生分の運を使いきったわね」
――私もそう思います。お母さん。