第9話 拒絶反応
「あーあ、香奈ちゃん可哀想に。いちいち睨むなよ、司」
玄関のドアが音を立てて閉まる。翼先輩が大きくため息をついた。
「お前な、あいつはこれまでのマネージャー候補とは違い、かなり使えるヤツなんだぞ? 貴重な戦力を辞めさせる気か?」
普段女を庇ったりすることのない泰吉先輩までもが文句を言う。
「とにかく座れよ」
「……失礼します」
清田主将に促され、一つだけ空いた席に座る。
たった今まであの女が座っていた場所。食べかけのアイスがそのまま残されていた。
新年度に入り、今年もまた新入部員と共にマネージャー希望者が入ってきた。
名前は確か、平川香奈。
155センチほどの低い身長に、まともに食ってんのかと疑いたくなるがりがりで色気のない身体。
伸びかけのショートカットからのぞく、少し垂れた大きな目。
ニキビの目立つ肌がやけに赤らんで見えるのは、もともとの肌が白いせいなのだろうか。
どうやらこいつが、清田主将の変な趣味のターゲットらしい。
ぱっとしない女を捕まえて、綺麗に変身させるとかいうやつ。
そんな誘いに応じるプライドの低い女はいないだろうと思っていたが、ここに一人いたようだ。
「ほら、食えよ。お前も焼酎でいいか?」
「はい」
清田主将があいつの残して行ったアイスを片付け、同じものを俺の前に置く。
翼先輩に焼酎の入ったグラスを渡され、口をつけた。
「あいつにそう辛く当たってくれるなよ。ほとんど俺に無理やり入れられたようなもんなのに、文句ひとつ言わず働いてくれているんだぞ?」
「俺は別に――」
何もしていない、とは言えないか。
初めてグラウンドであいつに会った時、ただ女がそこにいるというだけで目障りで、つい睨み付けてしまった覚えがある。
その日の夜マンションで再会した時にも、思いがけず部屋が隣で驚いたのと、仮入部初日だというのにすでに名前を憶えられていたことに苛立ち、かなりきつい言い方をしてしまった。
あいつが異様に俺を恐れているのも、きっとそのせいなんだろう。
「面倒できつい仕事も嫌な顔をせず黙々と働く。十分即戦力としてやっていけるだけの体力もある。あんな小さな体して、今までのマネージャーが二人がかりで嫌々運んでいた水のタンクを一人で抱え、階段をダッシュで降りてくるんだぞ? あいつを勧誘した時、面白いヤツだとは思っていたが、ここまで使えるヤツだとは正直期待していなかった」
「不思議とコケそうでコケねぇんだよな。ありゃ猫だな、猫。栄養不良でブサイクな野良猫だ。運動神経良すぎだろ? からかうといつもフーフー言って怒るくせに、ちょっと脅すとすげぇ勢いで逃げるしよ」
「ブサイクなんて言うなよ。香奈ちゃんは本当にいい子だと思うよ。普通、最初にあんな嫌な思いをさせられたら、いくら謝っても続けてなんてくれないって」
「パシリとしても使えるしな。早速また何か買ってこさせるか」
「やめとけ、泰吉。嫌になって逃げられたら困る。それに、あいつは絶対化けるぞ」
「清田、そういうお前もこれ以上香奈ちゃん使って遊ぶのはやめろよ? せっかく主務の仕事が少しは楽になりそうなんだ、今辞められたら本当に困る。――ところで司、新しく入ったランニングバック(RB)志望の1年、どう思う?」
「さぁ。まだよく見てないんで分かりません」
「だろうな。お前、今年は全く1年のアフターに付き合ってないもんな。なぜだ? 香奈ちゃんが一緒に参加しているからか?」
その通りだ。
あいつが普段真面目に仕事をしているのは認めるが、アフターに参加するのだけは納得がいかない。
マネージャー希望のくせして、なぜRBの練習に混ざる必要がある? いくら気楽なアフターの時間とはいえ、ふざけているとしか思えない。
不満が顔に出たのか、清田主将が苦笑する。
「お前、どうせ香奈が男に混ざって遊んでるぐらいにしか思っていないんだろう? 練習中の姿をちゃんと見てやったことがあるか? あいつは結構本気だぞ」
「……本気?」
「あぁ。そもそも、なんであいつがランニングバック(RB)に興味を持ったと思う? あいつな、仮入部の初日、俺と一緒に初めてグラウンドの上まで来た時、偶然お前の走りを見たんだよ。すっげぇ目をキラキラさせて、すごいすごいって言ってたぞ。お前の足の速さにも驚いていたが、カットにも惚れ込んでいたな。動きに無駄がなくてすごく綺麗だって」
仮入部の初日?
もしかして、グラウンドであいつが俺をじっと見ていたのは、そのせいか? ――名前を憶えていたのも。
「あんな風に走れたらどんなに気持ちがいいだろうって、すごく羨ましそうにお前のことを眺めていたから、俺の方からアフターでならRBの練習に参加してもいいと言ったんだ。至って真面目に取り組んでるぞ?」
正直、アフターに参加するあいつの姿が視界に入るのすら不愉快で、まともに見たことなどなかった。
「司、香奈ちゃんをマネージャーの女の子っていうだけで拒絶しちゃだめだ。お前の外見に惹かれ群がって好き勝手していた女の子たちとは違う。司の走りに憧れて試合に出ることもできないのに一生懸命練習しているだなんて、すごく可愛い後輩じゃないか。少しは優しくしてやれよ」
そう言われても、長い間に染み付いた拒絶反応は、すぐには消えそうもない。
チームに女は必要ない。
この考えは今も変わらない。マネージャーもトレーナーも男がすればいいことだ。
もっとも人数の少ないこの部では、一人でも多くの選手を集めることの方が重視されるけれど。
そう考えれば、やっぱりあの女が残るのも仕方のないことなのだろうか。
「――はい」
ため息交じりに答える。翼先輩が笑って俺のグラスに酒を注ぎたした。