もう一つの夏合宿(5)
たっぷり1時間ほども付き合ってもらったあと――。
「あぁ、楽しかった! ありがとう」
コートの横にあるベンチへ腰を下ろすと、小太郎君が買ってきてくれた飲み物をありがたくいただいた。
「おいしい」
火照った体に、冷たいお茶が沁みわたる。
また噴き出してきた汗をぬぐい、隣に座る小太郎君に向き直った。
「ねぇ、小太郎君。どうしてそんなに上手なの? ずっとサッカー部だったんでしょう?」
「高校の頃よく、こんな風に友達とバスケやってたんだ」
「部活が終わった後で?」
サッカー部の練習だって遅くまであるだろうし、結構きついはずなのに。
「うん。夜とか、練習が休みの日とかにね。あまり家にいたくなくて」
さらりと出た言葉。でも深く追及してはいけないような気がして、そう、とだけ小さく答えた。
「咲良ちゃんこそかなり上手いよね。この合宿で俺の持っていた咲良ちゃんのイメージがだいぶ変わったよ」
「……どんなイメージを持っていたの?」
少しドキドキしながら問いかける。
「おとなしくて、お嬢様っぽい子かな」
「あぁ、それはないなぁ」
「実際は結構気が強そうだよね。今日、海でもあいつらのことを睨み付けていただろう?」
「うん。小太郎君が来てくれるのがあと何秒か遅かったら、大事なところを思いっきり蹴って逃げていたと思う」
小太郎君が絶句する。そして苦笑しながら小さく首を振った。
「それ、やらなくてよかったよ。本当に見た感じのイメージと違う」
「……元の方が良かった?」
「いや、そんなことはないよ」
どこまで本音かはわからない。それでも、その優しい笑顔に頬が緩んだ。
「私も、小太郎君のイメージがだいぶ変わったよ」
「俺? どんなイメージだったの?」
「フェミニスト。誰にでも優しいから女の子がほっとかないの。それでちょっと遊んでる。男らしさにはやや欠けると思ってたね」
小太郎君がお茶を吹き出しそうになり、慌てて飲み込む。そして勢いよく笑い出した。
「随分はっきり言うね! それは酷いな」
「ほら、今だってこれだけ悪口を言ったのに爽やかな笑顔でかわしちゃうんだもの。ちょっとその優しさが嘘くさいなって思うでしょう? 女の子を騙していそうって」
「実際、騙しているのかもよ。咲良ちゃんを俺に惚れさせようとして」
「でも違うんだよね。小太郎君は本当に優しかった。そして香奈ちゃんの言うとおり、すごく男らしくて頼りになる人だった」
小太郎君が笑うのをやめて私を見る。
ちゃんと気持ちを伝えたくて、私もそらすことなく見つめ返した。
「走って助けに来てくれて、すごく嬉しかった。人目があるから大丈夫って自分に言い聞かせていたけれど、本当はとても怖かったの。……私を逃がすために、そして部に迷惑をかけないために黙って殴られようとしていたのも、すごく男らしかった」
「……大げさだよ。きっとほかのヤツでも全く同じことをする」
「たとえそうだとしても、私は小太郎君に助けてもらえて嬉しかったよ?」
これが誰にでも向けられる優しさであったとしても、本物の優しさには変わりないと思うから。
「――ねぇ小太郎君。小太郎君って、香奈ちゃんのことをどう思ってる?」
「香奈ちゃん?」
「うん。お兄ちゃんの彼女だとか、部活の仲間としてではなく……一人の女の子として」
この前泊まりに行ったとき、香奈ちゃんは小太郎君のことをとても大切な友達だと言っていた。何度も助けてもらって、本当に感謝してるって。
この合宿で知った二人の絆は私の予想をはるかに超えていて、もしかして小太郎君は香奈ちゃんのことが本気で好きなんじゃないかって思ったぐらい。
他にも何人か、香奈ちゃんのことを好きな子がいるみたいだし。
「香奈ちゃんか……。実はね、少し前に俺も考えてみたことがあるんだ。もしも香奈ちゃんが司先輩と付き合っていなかったら、俺はどうしていただろうって」
それって、やっぱり――?
「俺、恋愛であまりいい思いをしたことがなくてさ。相手が香奈ちゃんだったら、本気で好きになれるかもしれないと最初は思った。でも、少し違うって気付いたんだよね。俺はすでに香奈ちゃんのことが大好きだけど、司先輩のことを一生懸命に想っているところも含めて好きなんだ。だから二人が上手くいっていると嬉しいし、香奈ちゃんを独占したいとは思わない。司先輩を羨ましく思うことはよくあるけどね。――俺も、お兄ちゃんのライバルだと思った?」
小太郎君がいたずらっぽく笑う。
「少し」
「違うよ。香奈ちゃんは俺の大切な女友達、第一号。男と女の友情なんてありえないという考えを、気持ちいいほど完璧に覆してくれた人」
「……すごい、ね」
それ以外に、どう言葉を返したらいいのかわからなかった。
普通に好きだと言われるよりも、ちょっと堪えてしまったかもしれない。
香奈ちゃんと、その他大勢の女の子……その差があまりにも大きい上に恋愛でいい思いをしたことがないとまで言われてしまったら、私は一体どの位置からを目指したらいいんだろう。
「咲良ちゃんもそうだろう?」
「えっ?」
「香奈ちゃんのこと、すごく好きじゃない? それこそ、守を突き飛ばして香奈ちゃんを抱きつぶすぐらい」
「抱きつぶすって……」
否定しようとして、思わず笑ってしまう。
「確かにそれに近かったかも。あのね、香奈ちゃんってすごく照れ屋じゃない? 私がお兄ちゃんと少し似ているせいもあってか、私にじっと見られたりしたら香奈ちゃん緊張しちゃうみたいで」
「本当に?」
「うん。この前泊まりに行った時にもね、ちょっと香奈ちゃんの体に触れてからかうだけで耳まで赤くなっていたの。その上、お兄ちゃんの無愛想な写真をとろけるような笑顔で眺めていたり……もうあまりの可愛さに我慢できなくなって香奈ちゃんを胸にギュッと抱きしめたら――どうなったと思う?」
「うーん、逃げた?」
「正解。ギャーってものすごい声で叫ばれて、今日の守君みたいに力いっぱい突き飛ばされちゃった」
小太郎君がプハッと吹き出した。
「――香奈ちゃんっていいよね。私も本当に大好き」
そうだよ、小太郎君が好きになって当然だ。
「お兄ちゃんと香奈ちゃんを見ていると、私まで幸せな気持ちになれるよ。ずっと上手くいってほしいと思うし、自分もそんな恋愛がしてみたいってすごく思う」
とくに、今。初めての気持ちに、どうしたらいいのか戸惑うばかりだ。
でも考えてばかりじゃ何も始まらない。せっかく『この人だ』って思える人に出会えたのだから、ダメでもともと、怖がらずに一歩踏みだしてみようか。
絶望的かとも思われる状況を覆してお兄ちゃんを惚れさせた、香奈ちゃんのように。
「――小太郎君、私と賭けをしませんか?」
「賭け?」
「うん」
ボールを持って立ち上がり、コートへ向かう。
「そうだな、ちょうどこのあたり。ここから一発でシュートが決まったら、私のお願いを一つ叶えてほしいの。……だめ?」
話の流れからいって、どんなお願いをされるのか、小太郎君ならもう気付いたと思う。
全く見込みがなかったら、告白を避けるために賭け自体を拒絶されてしまうかもしれない。
緊張しながらその返事を待ったけれど、小太郎君はほんの一瞬静かに私を見つめたあと、あっさりと頷いた。
「いいよ」
「えっ、いいの?」
「うん、いいよ」
「本当にいいの? すっごいお願いされちゃうかもよ!?」
「え、そうなの?」
小太郎君がキョトンとしてから笑いだす。
「じゃあ、保険をかけておく。俺にもその賭けやらせてよ。もし俺が同じ条件で決めたら、咲良ちゃんが俺の願いを叶えるってことで」
「じゃあ二人とも入ったら、お互いに願いを叶えあうってこと?」
「そういうこと」
それって……せっかく私がお願いしても、小太郎君のお願いで打ち消されちゃったりしないだろうか。
「どっちからやる?」
小太郎君が余裕の顔で聞いてくる。
「それじゃあ、私から」
なんだか自分ばかり必死なのが悔しくて、先に決めて少しプレッシャーをかけてやろうと思った。
試合のとき以上に緊張しているかもしれない。だけど、ここからのスリーポイントにはちょっと自信がある。
さっきやってみた感じでは、思ったより腕も鈍ってなさそうだったし。
呼吸を整え、ゴールを見つめる。
膝を柔らかく使い、いつものようにシュートを放った。
「あっ!」
弧を描いて飛んだボールが、無情にもリングにあたって跳ね返る。
「うそだぁ! なんで今日に限って!?」
思わず脱力して、その場に座り込んだ。
「惜しかったねー。すごく綺麗なフォームだったけど」
小太郎君の声にも、ショックすぎて反応できない。
「もしかして、かなり落ち込んでる?」
「……うん」
「そんなに叶えて欲しいお願いだったんだ?」
「うん」
切実な思いを込めて頷くと、小太郎君が楽しげに笑い、私の頭をポンとなでた。
「じゃあ次は俺の番ね。入るかな」
小太郎君が何度か肩を回し、リラックスした顔で位置につく。
何のためらいもなく放ったシュートは、嫌味なぐらいあっさりとリングに吸い込まれた。
「あ、入っちゃった」
「……嫌い」
「え?」
「カッコいい上に何でもできちゃう人なんて、大嫌い」
コートのわきに座り込み、みっともなく負け惜しみを言う。
私ってば、本当に救いようがない。
明日――ううん、もう今日のお昼で合宿は終わり、小太郎君にも会えなくなってしまうというのに、こうして八つ当たりすることしかできないなんて……。
私の大人げない言葉にも、やっぱり小太郎君は爽やかに笑うだけ。
ボールを手に、私の前にしゃがみこんだ。
「しょうがない。俺のお願い、咲良ちゃんに譲ってあげるよ」
「……どういう意味?」
「咲良ちゃんの願いを叶えてあげるってこと」
「どうして? せっかく勝ったのに」
「その落ち込みっぷりを見ていたら、咲良ちゃんが俺に何をしてほしかったのか知りたくなったから」
――本当に? 本当に言ってもいいの?
「聞いたあとに、やっぱり取り消すとか言ったりしない?」
「そんなカッコ悪いことはしないって」
カッコ悪いのはどう考えても私の方だと思う。賭けに負けた上に、同情されるほど落ちこんで。
それでもやっぱり、このチャンスを無駄にはしたくないから――。
「教えてよ。咲良ちゃんのお願い」
答えを待つ小太郎君をじっと見つめ、覚悟を決めた。
「小太郎君、あのね……私の初彼になるのを前提に、お友達になってください」
人生初の、男の子への真剣告白。
なぜか小太郎君が、時を止めたかのように動かなくなった。
「あの……やっぱりだめだった?」
「あぁ、いや、そうじゃなくて――え、そこから? っていうか、初彼?」
「うん」
「咲良ちゃん、誰とも付き合ったことないの?」
「うん、ないよ。こんな告白をしたのも、小太郎君が初めて」
何を思ったのか、小太郎君がまた動かなくなる。
返事をもらえないままじっと見つめられ、さすがに居心地が悪くなってきた。
「あの、なにかまずかった?」
「……ちょっと確認してもいい? 付き合うのを前提にわざわざ友達からスタートするのは、咲良ちゃんがもっと俺のことを知ってから付き合うかどうかを決めたいってこと?」
「ううん、違うよ。小太郎君にじっくりと決めてもらうため」
「俺?」
「うん。……小太郎君ってすごく優しいけど、香奈ちゃんとそれ以外の女の子とでは、何となく距離感が違う気がしたの。恋愛でいい思いをしたことがないとも言っていたし」
「……うん」
「だからいきなり『付き合って』って言っても断られそうだから、まずは友達になって私のことを知ってもらえたら少しは可能性が出てくるかなって……。でも小太郎君にとっての女友達って、香奈ちゃんだけなんでしょう? 友達として受け入れてもらうのすら難しそうだから、お願いって形にしたら叶えてもらえるかと思ったの」
「――なるほど。それじゃあ、友達から恋人へ変わるタイミングは、俺が決めてもいいってこと?」
小太郎君の言葉に、思わず息をのむ。
それって、私の願いを叶えてくれるってこと?
そして――その先も、少しは期待していてもいいってこと?
勝手に先走りそうな気持ちを抑えつつ、大きく頷く。
「うん。タイミングを決めるだけじゃなくて、無理だと思ったら途中ではっきり断ってくれてもいいよ。だめになっても怒らないし、しつこく付きまとったりもしないって約束する!」
勢い込んでそう言うと、小太郎君がくすりと微笑んだ。
「俺、多分咲良ちゃんが思っているほど優しいヤツじゃないよ。好きな子には意地悪をするタイプかも」
わざとらしく意地悪げな笑みを浮かべた小太郎君に、それまでの緊張が緩やかにとけていく。
「いいね、それ。だったら、小太郎君が私にだけ意地悪をしてくれるようになったら、『好きになったよ』ってサインなんだ」
いつかはそんな時が来るかもって、期待してもいいのだろうか。
「――小太郎君。私の、初彼前提のお友達になってくれますか?」
改めて、そう尋ねてみる。
「よろしく、咲良ちゃん」
最高に素敵な笑顔とともに差し出された手を、そっと握り返した。
【『もう一つの夏合宿』完】