もう一つの夏合宿(3)
小太郎君と一緒にアメフト部のみんながいる場所へ行くと、そこは少し異様な雰囲気だった。
まるで立ち入り禁止区域にでもなっているかのように、みごとに一般の人がいない。みなこの集団から一定の距離を置き、さりげなくこちらを観察しているみたいだ。
確かに何も知らない人たちから見たら怖く感じるのかも。特に、あのあたり……。
集団のほぼ中央。リクライニングチェアでくつろぐ章吾さん、そしてその足元にひざまずきビールを差し出すいかつい雄大君の姿に、つい笑ってしまった。
「咲良ちゃんがこれを持ってきてくれて助かったよ。あっという間に温くなるからさ」
小太郎君がクーラーボックスをおろし、袋に入れっぱなしだった飲み物を移していく。
少し離れた場所にいた守君が小太郎君に気付き、素早く駆け寄ってきた。
「どこ行ってたんだよ、小太郎」
「ん、ちょっとね」
「さっきせっかく可愛い子を見つけたのに、お前がいないから逃げちゃったじゃん」
「またそれか。自力で落とせよ。ってか、咲良ちゃんがいる前でそんな話をしていいのか? この合宿が終わるまでに、司先輩を『お兄ちゃん』と呼んでみせるんだろ」
「げっ、バカ小太郎、なにバラしてんだよ! ……いいんだよ、咲良ちゃんにはもう振られたし」
守君がふてくされ、小太郎君が驚いた顔で振り返る。
「えっ、もう? それ本当? 咲良ちゃん」
「えっと、昨日の夕方いきなり『僕と付き合ってください』って言われたから、『ごめんなさい』って……あれ、本気だったの?」
まさかいくらなんでも、それはないよね?
この前のお泊りの時、偶然香奈ちゃんお手製の守君用テスト予想問題集を発見し、色々と話を聞きだした私としては、付き合うよりもむしろこの熱い砂の上に正座させて小一時間ほど説教してあげたい気分なんだけど。
「守、お前……本当に救いようがないヤツだな」
小太郎君がとても残念な子を見るような憐みの目を向ける。何を勘違いしたのか、守君が嬉しそうに声を弾ませた。
「だろ? だからかわいそうな俺に、ぜひ協力を!」
「するか、バカ」
こっちの二人は、できのいいお兄ちゃんと手のかかる弟みたい。テンポの良い会話に、つい笑ってしまう。そのとき章吾さんが立ち上がり、みんなに声をかけた。
「おい、集合!」
一人残るのもどうかと思い、とりあえず一緒の輪に入る。
「今からビーチバレー大会をやるぞ。学年対抗で、負けたチームが晩飯のバーベキューの準備と片づけを担当!」
おおーっという楽しげなどよめきの後、章吾さんの指示に従い、みんながてきぱきと準備を始める。
私は何をしていたらいいんだろう。香奈ちゃん早く戻ってきてくれないかな……。
少し居心地の悪さを感じてその姿を探そうとした時、小太郎君がふと足を止めて振り返った。
「よかったら、咲良ちゃんも俺たち2年のところに混ざらない?」
――さすがはフェミニスト。気がききすぎでしょ?
そんな思いとは裏腹に、頬が勝手に緩んでいく。
「うん、ありがとう」
待ってくれていた小太郎君の元へと、駆け寄った。
お兄ちゃんたちの件は、どうやら小太郎君の読みが正解だったみたい。
香奈ちゃんはきっちりTシャツとショートパンツを着込み、まだちょっと不機嫌そうなお兄ちゃんの横で小さくなって戻ってきた。
かなり強く叱られたのか、章吾先輩を恨めしそうに見上げ必死に何かを訴えている。
「おーい2年、今から作戦会議やるぞ! こっち集合!」
守君が大きな声で集合をかける。香奈ちゃんも駆け寄ってきたのを見て、慌てて呼び止めた。
「香奈ちゃん」
「あっ、咲良ちゃん!」
「さっき大丈夫だった? 私、クーラーボックス探すのに手間取ってしまって、合宿所を出た直後にちょうどお兄ちゃんと香奈ちゃんとすれ違って……」
「え、本当に? 全然気付かなかったよ」
「うん、お兄ちゃんの顔があまりにも恐かったから、つい隠れちゃったの。まさかあそこまで怒るとは思ってなくて……。悪ふざけして本当にごめんね?」
両手を合わせて頭を下げる。香奈ちゃんが、しょうがないなぁとでも言うように苦笑した。
「もういいよ。はっきり断れなかった私が一番悪いんだし……。それよりさ、咲良ちゃんも一緒にバレーしようよ! 勝てばバーベキューの準備を免除してもらえるみたいだよ」
「私も? でも、いいの?」
「もちろん。――ねぇみんな、咲良ちゃんも一緒に入っていいよね」
「おう、一緒にやろうぜ! じゃあ、まずはチーム分けからすっか。各学年2チームずつって言ってたよな?」
守くんが仕切り役になりチーム編成を決めていく。みんなで話し合った結果、香奈ちゃんは守君、育太君と同じAチーム、私は小太郎君と同じBチームになった。
「よし、そろそろ始めるぞ! まずは第一試合、2年Aチームと3年Bチーム!」
章吾先輩の太い声を合図に、部員たちが立ち上がる。
「おっし、お前ら、絶対に勝つぞ!」
「おう!」
守くんを中心に円陣を組んだ香奈ちゃんたちが早速コートへ入っていく。そして相手チームに目を向け、「あれ?」と声を上げた。
「なんで泰吉先輩が入っているんですか?」
「人数調整だ」
なるほどと頷いた香奈ちゃんが、めずらしく挑戦的な笑顔を浮かべる。
「泰吉先輩! 先輩にだけは絶対負けませんからね!!」
「ふん」
試合開始。まずは2年チーム、今田君からのサーブだ。
さすがアメフト部、パワーが違う。結構なスピードだったにも関わらず、3年生チームの細身の人が軽々とレシーブする。
「山下!」
ゴツイ人が名前を呼んでトスをあげ、山下さんがアタック。
「はいはいっ! ……痛ったぁ」
素早く反応した香奈ちゃんがレシーブし、痛そうに両手を振った。
「今田!」
育太君が大きな体に似合わず、軽やかで正確なトスを上げる。
今田君のアタックは泰吉さんの横を猛スピードですり抜け、ラインすれすれに見事に決まった。
「おぉー! すごい、今田君!!」
「ナイス、今やん!!」
香奈ちゃんたちが派手に喜び、応援している部員たちも楽しげな歓声を上げる。
一気に不機嫌になってしまった泰吉さんに、香奈ちゃんが得意げな笑顔を見せた。
「おら、いくぞっ!」
「させるかっ!」
「まだまだぁ!」
「くらえっ!」
「育太、ナイスブロック!」
さすが運動部。これって本当にアメフト同好会なの? なんて聞きたくなるほどの迫力でゲームが進んでいく。
女の子の香奈ちゃんがしっかりとそれに付いていっているのが凄すぎる。いや、むしろ特に活躍していると言ってもいいぐらい? ミスを連発している守君とは大違いだ。
「あーくそっ!!」
守君のアタックがまたアウトになる。
「同点かよ、まずいな! おい審判、作戦ターイム!」
守君が真剣な顔つきで大きくタイムアウトのゼスチャーをする。すると私の横で見ていた小太郎君がプッと吹き出し、盛大なヤジを飛ばした。
「おいふざけんな、守! タイムの前にコートに入れろ! お前が全部ミスってんだろーが!」
「そーだそーだ!!」
「ひっこめ、守!」
「ひ、酷い!」
小太郎君とみんなの容赦ない突っ込みに、守君がパチパチと目を瞬く。
「まぁまぁ、ここから挽回していこうよ!」
「香奈ぁー、お前ってやっぱりいいやつ!」
きゅっと香奈ちゃんの手を握りしめた守君に、またたくさんのブーイングが飛んだ。
試合が再開され、アメフトのみんなが楽しそうに声援を送る。一般のお客さんまでもがいつの間にかその輪に加わり、大きな歓声を上げて拍手を送る。
あたりを包む不思議な一体感に感動を覚えつつ、隣でコートを見つめる小太郎君へと、そっと目を向けた。
――小太郎君も、こんな風に容赦なく誰かをからかったり、子供っぽく笑ったりすることがあるんだ……。
まだ小太郎君と会うのは、これでたったの2回目。
だから小太郎君について知っていることなんてごくわずかで、どうやら香奈ちゃんが言う通り、優しくて穏やかで頼りになる人らしい、ということぐらい。
でも、何となく……本当に何となくなんだけど、私に向けられる紳士的な笑顔と、アメフトのみんなに向けるくったくのない笑顔とでは、すごく差があるような気がしてしょうがない。
誰にでも優しく心を開いているようでいて、本当は見えない境界線のようなものが引かれているのかな――?
そんなバカげたことまで考えてしまって、もやもやしたものを吐きだすように、小さくため息をついた。
部活の先輩の妹というだけで大して知らない相手なのに、あんな風に助けてくれたり、気をつかって声をかけてくれたり……。本当ならそれだけでもう十分満足すべきだろうのに、どうしてこんなにも些細なことが気にかかってしまうんだろう。
多分、私は向こう側に行きたいんだ。
優しくお客様扱いされるのではなくて、香奈ちゃんやアメフト部のみんなのように、小太郎君の素直な感情や自然な笑顔まで私にも見せてほしいと思ってる。
でも、それはなぜ――?
急激すぎる心の変化に、自分でも驚いてしまう。
――そっか。これがそうなんだ。
何の前触れもなく、突然に。たった一人の人への特別な想いが、確かな存在感を持って心に芽生える。
『恋に落ちる』という言葉は、今この瞬間のことを言うのかもしれない。
「咲良ちゃん、どうかした? もしかして具合悪い?」
黙ったまま考え込んでいたせいか、小太郎君が心配そうな顔で尋ねてくる。
この人を好きかもしれない――そう意識した途端その気遣いが今まで以上に嬉しく感じて、強張っていた頬が緩んだ。
「ごめんね、ちょっとボーッとしていただけ。……守君ってすごく楽しい人だね。いつもこんな感じ?」
「うん、本物のバカだろ、あいつ。でも守がいるだけでその場が和むんだよね」
安心したらしい小太郎君が、またコートに目を移す。
「おい、みんな! 次やれたらあれ行くぞ!」
「了解!」
もう立ち直ったらしい守君が、サーブに向かいつつ小声で仲間に指示を出す。
「ねぇ小太郎君、『あれ』って何?」
「さぁ。俺も聞いてないけど、何をする気だろうね」
楽しげな笑顔を見せる小太郎君と一緒に、ワクワクしながらその時を待つ。
審判の合図を待って、守くんがサーブを打つ。3年生がレシーブ、トス。
泰吉さんがそれに合わせてアタックをした。
「届けっ!!」
ぎりぎりコートに入りそうだったボールを、香奈ちゃんが見事な回転レシーブで仲間に繋ぐ。
「ナイス香奈!!」
「すげぇ!」
沸き起こる歓声の中、香奈ちゃんが素早く起き上がりコート中央へと走る。
「育太!」
セッターの今田君が育太君へとトスを上げる。
アタックを打つと思った育太君が素早くしゃがみこみ、その背後から香奈ちゃんが勢いよく飛びあがった。
「見えないアターック!!」
「うおっ!!」
「おおーっ……ああっ!?」
一瞬の静寂。
香奈ちゃん渾身のアタックを顔面で受けとめた泰吉さんが、スローモーションのように後ろに倒れた。
「あの、先輩すみません」
「…………」
「本当にごめんなさい」
「…………」
「えっと、まだ痛いですか? いやっ、痛いに決まってますよね!!」
「…………」
揃ってメンバーチェンジされた泰吉さんと香奈ちゃんが、コートの横で休憩している。
泰吉さんはリクライニングチェアの上で不機嫌そうに胡坐をかき、香奈ちゃんは熱い砂の上できっちり正座だ。
「調子に乗りすぎました。ホントすみません」
香奈ちゃんは何度も謝りながら、せっせとティッシュで詰め物を作っている。
「……香奈」
「はいっ!!」
やっと泰吉さんが口を開き、香奈ちゃんが嬉しそうに姿勢を正す。
「――――覚えとけよ」
「……はい」
香奈ちゃんがしゅんと肩を落とした。
「これは小せぇ」
「すっ、すみません」
「これはデカすぎ」
「あうっ!」
せっかく作った詰め物も、泰吉さんは鼻に入れるなり香奈ちゃんに投げつける。
そのたびに香奈ちゃんが新しいティッシュを差し出すので、はたから見るとまるでキャッチボールのようだ。
「香奈ちゃん可愛そうに……あれは当分いじめられるな」
小太郎君が苦笑する。
「こんな時、誰も助けてあげないの?」
使用後のティッシュを女の子の顔に投げつけるのはさすがにどうかと思うんだけど、と付け足すと、小太郎君がまた楽しげに笑った。
「ここでは、香奈ちゃんは一人の部員として扱われているからね。これぐらいのことでは誰も止めたりしないよ」
「部員?」
「うん。マネージャーの女の子としてではなく、一人の新入部員としてみんなと同じように扱ってほしい――入部したばかりの頃、香奈ちゃんがそう言ったんだ。アメフトが大好きであれだけ運動神経がよくて、本当は自分がプレーしたくてたまらないくせに、文句ひとつ言わず俺たちが練習に集中しやすいよういつでも気を配ってくれる。今ではマネージャーとしてだけではなく、トレーナーとしてもチームになくてはならない存在だ。部員たちもそのことをちゃんと理解しているから、司先輩と付き合っていても態度を変えることなく仲間として扱うんだと俺は思うよ」
――絶対の信頼。
小太郎君の話を聞いていて、ふとそんな言葉が頭に浮かんだ。
泰吉先輩が投げた鼻血たっぷりのティッシュを咄嗟に避けてしまった香奈ちゃんが、泰吉先輩から頭にチョップを受けている。
その姿を見て笑う小太郎君の目があまりにも優しくて……なんだか少し、切なくなった。