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1、もう一つの夏合宿(1)

番外編第一弾。咲良視点です。

5話完結になります。

「次はS大正門前、S大正門前です。お降りの方は……」

 バスの車内に、目的地を告げるアナウンスが流れだす。

 手を伸ばす間もなく誰かがボタンを押してくれ、また窓の外へと目を向けた。

 停車したバスから降り、ほっと一息ついて時間を確認する。

「咲良ちゃーん!」

 周囲の人がみな振り返るほどの大きな声。顔を上げれば、香奈ちゃんが大きく手を振りながら駆け寄ってきた。


「ごめんね、咲良ちゃん。待たせちゃった?」

「ううん、大丈夫。まださっき来たばかりだから。……S大ってやっぱり人が多いね」

「そうかな? 今日はテストだったから特に多いのかも。咲良ちゃん、大学の中を見てみたいんだったよね。早速行く?」

「うん」

 笑顔で頷くと、香奈ちゃんも嬉しそうに笑って歩き出す。

 色白の肌に、よく表情を変えるくっきり二重の大きな目。香奈ちゃんが歩くたびに、柔らかそうな髪が風に跳ねる。

 この小動物のように可愛くて元気な女の子は、私の友達であり、お兄ちゃんの大切な彼女でもある。


「えっと、どんなところが見てみたい?」

「ん? この敷地内を適当に散歩させてもらうだけで十分だよ。あ、でも、八か所もあるという噂の学食と、できればアメフト同好会の部室なんかも見てみたいかも」

「部室? それはいいけど、テスト期間中締め切ったままだったから、結構臭いかもしれないよ?」

「どこの部室も多少は臭うものだけど、あんなにゴツイ男の人ばかりだと臭いも強烈そうだよね」


 開放的なキャンパスには緑が多く、ただのんびりと歩いているだけでもとても気持ちがいい。

 建物から出てくる人の流れに逆らうように歩いていくと、どこからかお兄ちゃんの声が聞こえた気がして、二人同時に立ち止まった。


「――香奈」

 振り返った香奈ちゃんが喜びに顔をほころばせる。

「司先輩こんにちは! 泉川先輩もお久しぶりです」

「久しぶり、香奈ちゃん。あれ? もしかしてそっちの子って、司の妹の咲良ちゃんじゃない?」

「こんにちは、泉川さん。ご無沙汰しています」

「本当に久しぶりだね。今日は香奈ちゃんと?」

「はい」

「そっか、仲良しなんだね」

「そうなんですよ。今日は香奈ちゃんの部屋に泊めてもらうんです」

 香奈ちゃんの腕に自分の腕を絡ませる。お兄ちゃんがそれを一瞥し、香奈ちゃんに視線を移した。


「香奈、今日は章吾の部屋で飲んでいるから、何かあれば電話しろ」

「はい」

「二人で遅い時間に出たりするなよ」

「わかりました」


 なんだろう、この会話。

 例えて言うなら、ちょっと怖いお父さんとお留守番の女の子? いくらなんでも過保護すぎる気がするんだけど。

 ほら、お兄ちゃんの隣に立つ泉川さんも苦笑しているし。

「じゃあな」

 妹の私にはたったの一言。お兄ちゃんはあっさりと背を向け、泉川さんと一緒に歩きだした。


「……ねぇ、香奈ちゃん」

「ん?」

「お兄ちゃんってさ、いつも香奈ちゃんに対してあんな感じ?」

「え、うん。そうだけど……」

 それがどうかした? とでも言いたげな顔に、思わず笑いがこみあげてくる。

「よかった。なんか、すごく嬉しい」

 本当に嬉しい。お兄ちゃんがあんなに女の子に対して冷めてしまっていたのは、私のせいでもあったから。


「咲良ちゃん?」

「ふふ。恋バナは今夜たっぷり聞かせてもらうことにして、まずはいろいろと見せてもらおうかな」

 不思議そうな香奈ちゃんの背を押し、また一緒に歩き始めた。



 アメフト部御用達という定食屋で、香奈ちゃん限定の裏メニューを一緒に食べさせてもらったあと。

 香奈ちゃんの部屋に戻ると、お先にどうぞという言葉に甘えてお風呂を借りることにした。


「ありがとね、香奈ちゃん。さっぱりしたぁ」

「あ、いえいえー」

 キッチンに立つ香奈ちゃんにそう声をかけると、香奈ちゃんがあたりまえのように冷たい飲み物を差し出してくれる。

 こういうところ、本当によく気が付く子だと思う。普段からマネージャーの仕事で人のお世話に慣れているせいなのかな? きっとお兄ちゃんにも、毎日こうして入れてあげているんだろう。


「私もお風呂すませてくるね。えっと、部屋にあるものは何でも自由に使って? お茶が足りなかったら冷蔵庫とかも開けちゃってかまわないから」

「うん、ありがとう」

 心なしか落ち着きのない香奈ちゃんがバスルームに消える。一人になった部屋の中を、ぐるりと見回した。


 あまり飾りっ気のない、すっきりと片づいた部屋。この前聞きだしたところによると、香奈ちゃんは普段、隣のお兄ちゃんの部屋の方で一緒に暮らしているらしい。

 なんだか不思議な気分だな。私と同い年で、今は仲の良い友達で、お兄ちゃんの彼女……しかも同棲中。


 周りの女の子に対し、かなり冷たく近寄りがたい空気を発していたお兄ちゃん。

 久しぶりに新しい彼女ができたと知った時はとても驚いたけれど、それが私と同じ二つも年下の、よりによってマネージャーをしている子だと聞いてもっと驚いた。

 『どんな人?』という私の問いに、『変なヤツ』と答えた時のお兄ちゃんの顔には、めったに見られない柔らかな笑顔まで浮かんでいて。

 あの恋愛に冷め切っていたお兄ちゃんをここまで惚れさせた女の子って、一体どんな子なんだろう?

 会ってみたいという私の願いは、香奈ちゃんの大きな勘違いもあって、その日のうちに叶うことになった。


 実際に香奈ちゃんに会ってみて――――うん、納得。

 香奈ちゃんは可愛い。確かにちょっと変わっているところはあるかもしれないけれど、文句なしに可愛い。

 外見がどうこうじゃなくて、あの常に全身で『大好きです!』と叫んでいそうな一生懸命さがたまらない。

 同性の私ですら、思いっきりからかって恥ずかしがらせてぎゅっと抱きしめたい……なんて思っちゃうぐらいなんだから、いつも間近に見ているお兄ちゃんが束縛魔に変身しちゃったのもしょうがないことなんだろう。


 香奈ちゃんと初めて出会った、あの夜。

 グラウンドの中心で行われた熱い告白は、すでに恋に落ちていたお兄ちゃんだけでなく、私の心まで撃ち抜いちゃったのかもしれない。



「ごめんね、お待たせしましたー」

 香奈ちゃんが濡れた髪をタオルで無造作に拭きながら戻ってくる。

「ねぇねぇ、香奈ちゃん。ドライヤーしてあげる」

「えっ、いいよそんなの。ほっとけばそのうち乾くし」

「させて欲しいなぁ。香奈ちゃんの髪、柔らかくってふわふわで気持ちいいんだもん。お願い。どうしても、だめ?」

 香奈ちゃんの髪に触れ、その大きな瞳をじっと見つめながら問いかける。香奈ちゃんがわずかに後ずさり、つーっと目をそらした。


「え、えっと……じゃあ、お願いします」

 小声で答え、私の前に体育座りのように膝を抱えて小さくなる。髪の毛からのぞく耳が、ほんのり赤い。

 香奈ちゃんはかなりの恥ずかしがり屋だ。女子校育ちの私に比べ、女同士のスキンシップにも慣れていない。人から強くお願いされるとイヤとは言えない、お人よし。

 そして多分――お兄ちゃんに似ていると言われるこの顔に、とても弱いんだと思う。


 必要以上に縮こまっている香奈ちゃんの髪に、温かな風をあてる。

「ねぇ、香奈ちゃん。もしかしてさ、お兄ちゃんにもこんなふうに乾かしてもらったことなんてある?」

「えっ? ううん、ないよ」

 一瞬上ずった声。あまりの分かりやすさに、つい笑ってしまう。

 本当に素直な人。嘘をつくのが下手すぎる。

 喜怒哀楽の表情が豊かで、お兄ちゃんと足して2で割ったらちょうどいいぐらいかも。


「あ、そういえば……。この前ね、部活のみんなで写真を撮ったんだけど、咲良ちゃんも見る?」

 使い終わったドライヤーを片づけてきた香奈ちゃんが、今思いだしたといった感じで聞いてくる。

「うん、見たい!」

「ほんと? ちょっと待っててね」

 香奈ちゃんは本棚にあったアルバムを手に取ると、私の隣に腰を下ろした。


「この前の飲み会の写真なの。あ、あとね、去年の新歓コンパの写真とかもあるよ。卒業した先輩がみんなに配らずほったらかしにしてあったから、まとめて印刷してみんなに配ったんだ。今年の写真と比べてみると、たった一年しか経ってないのにみんな結構体格が変わっているんだよ」

「へぇ……」

「みてみて、こっちが一年前の写真。そしてこっちが今年の分。ねっ、結構違うと思わない?」

「本当だ。だいぶ変わったね」

 一番変わったのは何といっても香奈ちゃんなんだけど、確かににみんな一回り身体が大きくなっているみたい。

 その中に見覚えのある顔を見つけ、目をとめた。


「これ小太郎君? 一年前は今よりもさらに細かったんだね」

「あれ? 咲良ちゃん小太郎のことを知っていたっけ」

「うん、知ってるよ。香奈ちゃんと初めて会った日、小太郎君と一緒に香奈ちゃん捜索したし。あと確か、途中で合流した育太君って子も同じ学年だったよね」

「うん、そう。――そっかぁ、やだなぁ。自分の記憶がないからすぐに忘れちゃうけれど、咲良ちゃんにはすごく恥ずかしいところを見られちゃってたんだよね?」


 司先輩への告白とか……という呟きを、笑顔でさりげなく聞き流す。

 本当は告白どころか、二人の濃厚なキスシーンまでしっかりちゃっかり見学させてもらったんだけど……。さすがに自分の兄のそういう姿は衝撃的だったし、ほとんど記憶のない香奈ちゃんに今更知らせるのも酷だから、黙っておこう。


「あの時さ、小太郎君、お兄ちゃんが香奈ちゃん以外の女の子を家に連れ込んだと思ったみたいでね、私を見る目がちょっと冷たかったのよ。誤解が解けてからは普通に話してくれたけど」

「うーっ、ごめんね。もとはと言えば私が勝手に勘違いして落ち込んだあげく、一人で飛び出しちゃったから……。小太郎は優しいから、私の代わりに先輩に対して怒ってくれていただけだよ」


 確かに、あの時の小太郎君はものすごく香奈ちゃんのことを心配していたっけ。

 章吾さんや清田さんたちはどこか楽しげに香奈ちゃんのことを探していたけれど、お兄ちゃんと小太郎君は最初から心配でたまらないって感じで探していた。こんなに想ってくれる仲間がいるっていいなぁ、なんて思ったぐらい。


「香奈ちゃんの代わりに、かぁ……」

 あらためて、アルバムの中の爽やかな笑顔に目を向ける。

 程良い色合いに染められた茶色い髪。スーツのよく似合う、いかにも女の子受けのよさそうな整った顔立ち。

 でもアメフトをやっている人にしては細身だし、スポーツマンというよりはお洒落な今時の男の子って感じがする。


「……小太郎君ってすごく優しそうなんだけどさ、なんとなく男らしさが物足りない気がしない?」

「えっ? いやいや、そんなことないよ」

 香奈ちゃんがめずらしくきっぱりと否定する。


「小太郎ってああ見えてね、とっても男らしくて頼りになる人だよ」

「そうなの?」

「うん。いつも穏やかだから、そうは見えないかもしれないけれど」

「ふぅん……」

 そういえば、今日部室に飾ってあった『野生の王国』でも、小太郎君はチーターに例えられていたっけ。この前会った感じじゃ、どう見ても草食系だと思うんだけどな。


「ねぇねぇ、咲良ちゃんから見たら誰が好み?」

「この中で? うーん……外見だけじゃわからないなぁ」

「咲良ちゃんぐらい可愛くて性格よかったら、どんな人とでも付き合えそうなのに。まだ誰とも付き合ったことがないなんて、どうしても信じられないよ」

「そう?」

「うん。咲良ちゃんは彼氏欲しくないの?」

「ううん、欲しいよ。ただ、付き合いたいと思える人が見つからないっていうだけで」

 もう大学生なんだし、部活がなくなったぶん時間もたっぷりあるのだから、私だって男の子とデートの一つもしてみたい。


「もしかして、理想がめちゃくちゃ高かったりする?」

「どうかな。自分ではそうは思わないけど……。まぁ、もともと出会いが少ないしね」

「あ、そっか。咲良ちゃんって中学高校と部活やってたし、ずっと女子校だもんね」

 納得、といった感じで香奈ちゃんが頷く。


「でも女子大って、コンパとかいっぱい誘われたりしないの?」

「誘われるけど、コンパじゃ相手の本当の性格まではわからないし……ガツガツ来られると引いちゃって、付き合ってみたいという気持ちになれないの。もっとよく知りたいとか、ここで終わらせたくないって思える人にすら、まだ出会ったことがないんだよね」

「そっかぁ……ん? 誰か前に、それと似たようなことを言ってなかったっけ」

 香奈ちゃんが首をかしげる。


「よく、そんなに深く考えずにまずは軽い気持ちで付き合ってみれば? なんて言われるんだけど、どうせ付き合うなら心から好きだと思える人がいいじゃない? 一応、初めての彼氏になるわけだし」

「それはもちろんそうだよね」


 香奈ちゃんと出会って、彼氏が欲しいという気持ちは前より確実に強くなった。

 泣いて笑って、たまに暴走したりもしながら全力で恋をしている香奈ちゃん。そしてこれまでの彼女の時とは明らかに違う束縛っぷりを見せるお兄ちゃん。この二人と一緒にいると、自分もこんな恋がしてみたいなってすごく思う。


 とりあえず今まで避けていたコンパにも行くようにしてみたけれど、出会うのはどこか物足りない男の子ばかり。調子がよすぎたり、ペチャクチャうるさかったり、変に自分に自信を持ちすぎていたり……。


 あと意外と気になるのが、相手の体格。

 お兄ちゃんを見慣れているせいなのか自分もスポーツをしてきたからなのか、やけにみんな軟弱そうに見えちゃうんだよね。

 男の子はもっと逞しくないと。性格的にも頼りがいがあって、普段はちょっとそっけないぐらいなのに実は優しくて――――あれ? これってなんか、お兄ちゃんに当てはまっちゃう? 

 私、意外とブラコンだったのかも……。




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