第42話 ずっと二人で
可愛い金魚二匹を受け取り、のんびりとお店を覗きながら参道の入り口を目指す。
人目につかない薄暗い場所でひっそりと膝を抱え座り込んでいた守を回収すると、みんなで一緒に大学近くまで帰ってきた。
「私、金魚鉢の準備をしてきますね」
司先輩の部屋につくと、早速途中のホームセンターで買ってきた荷物を手に、洗面所へ向かう。
水槽に砂利を敷き、水とカルキ抜き、水草を入れると、金魚を袋のままそっと浮かべた。
「まずは水慣れさせないとね」
部屋に戻ってテーブルの上に置き、小さな袋のなか居心地悪そうに泳ぐ金魚をのんびりと眺める。
その鮮やかな色彩に楽しすぎたお祭りの余韻を感じ、頬が緩んだ。
「やけに嬉しそうだな」
「はい、何か生き物を飼いたいなってずっと思っていたところだったんです。春からはもう、私一人になっちゃうし……」
つい余計なことを口走りそうになり、話を変える。
「先輩、この子たちの名前は何がいいと思いますか? あれ、そういえばこの子たちって、オスとメスどっちですかね?」
「さぁな」
本当にどっちだろう。全然想像もつかないけれど、ここはまぁ都合よく決めさせてもらおうか。
「それじゃあ、小さいほうがメス、大きいほうがオスということで。先輩、名前を願いします!!」
これから先輩の代わりにそばにいてくれる大切な仲間だもん。素敵な名前を付けてあげなくちゃ。
「赤と白」
「そっ、それはちょっと単純すぎませんか? 色、微妙に混ざってますし」
「大と小」
「う……できれば何かもうひとひねり、こんな風に育って欲しいなーなんて願いを込めて!」
「お前、金魚に何の願いを託す気だ? 名前ぐらい自分で考えろ」
いつもと何ら変わらない、そっけない言葉。
それなのに、どうして今日はこんなにきつく感じてしまうんだろう。
「……それもそうですよね。あとで自分で考えてみます」
何とか笑って、話を終わらせる。
やっぱり今日の自分はどこかがおかしい。やけにはしゃいでしまったり、落ち込んだり。
「あの、私お風呂の用意をしてきますね」
「香奈? ――おい、ちょっと待て」
立ち上がろうとしたところを、先輩に腕を掴まれ引き戻される。
「お前、今日はなんか変……なに泣いてんだよ」
「あ……」
「……俺の言葉がきつすぎたか?」
「違います」
「じゃあなぜだ、答えろ」
腕をつかんだまま、先輩が真っ直ぐに見下ろしてくる。
その険しい表情に、また涙がポロリと一粒こぼれ落ちた。
「…………寂しいんです」
司先輩がわずかに目を見開く。
「もう、あとちょっとで……先輩が、いなくなっちゃうから……」
最終戦が終われば引退で。
春になれば、先輩は遠くへ行ってしまう。
「今が楽しければ楽しい分だけ、一人になるのが怖いんです」
一人で寝て、一人で起きて、一人でご飯を食べて。
当たり前の生活に、ただ戻るだけなのに。
「香奈……」
ため息をついた先輩に抱きしめられる。
「泣くほどため込む前に、ちゃんと言えよ」
「……っ、ごめんなさい」
「電話する。会いにもくる。お前も時間ができれば来い。――お前が卒業するまでの二年間だ。それ以上は待たせないし、待つつもりもない」
きっぱりと言い切られ、思わず先輩の腕の中から体を起こす。
「――必ず迎えに来る。お前が嫌だと言っても、連れて行く」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
呆然と、先輩の綺麗な瞳を見つめ返す。
「そ、そんなこと……いま約束してしまってもいいんですか?」
「……どういう意味だ?」
「向こうの女の人は、こっちとは比べ物にならないぐらい綺麗な人ばかりなんですよ?」
司先輩の眉間にしわが寄る。
「露出度の高い服とナイスバディを巧みに使い、どんな男の人でも陥落させるって」
「誰の情報だ、それ」
「泰吉先輩です」
「お前な……そんなもん、こっちも向こうも変わるわけないだろうが。どんなド田舎なんだよ、ここは」
「でも……離れちゃったら、分からないですよ?」
朝から晩まで、ほとんど一緒にいられた今までとは違う。
「気の迷いだったって、先輩気付いちゃうかも。二年間ってすごく長いから……やっぱり、そばにいてくれるもっと綺麗な女の人の方がいいって、思っちゃうかも」
「……お前も、そばにいてくれる男の方がいいと思うのか?」
静かに問いかけられ、大きく首を横に振る。
司先輩が小さく息をついた。
「俺も同じだ。そんな簡単に変わる程度の気持ちなら、最初からこんなことは言ってない。卒業までに一度お前の親にも会って、付き合いを認めてもらおうと思ってる。お前が2年後、確実に向こうに来られるように」
「本気ですか? うちの母親、相当しつこいですよ!? 今だって毎週のように彼氏いるだろう、早く会わせろって電話がかかってくるぐらいで……もし会ったりしたら、先輩もう逃げられなくなっちゃいますよ!?」
後悔してほしくなくて、思わず先輩の腕に触れ引きとめる。
次の瞬間、逆に先輩から腕を取られ、勢いよく床に押し倒されていた。
「……っ!」
「――お前の方こそ、もういい加減、覚悟決めろよ」
司先輩が苛立ちもあらわに見下ろしてくる。
「何があっても連れて行くって言ってんだろ?」
「……せ、先輩?」
「逃げられないのは俺じゃない――お前の方だ」
呼吸が、止まる。
「絶対に離さない。俺から逃げるなんて、一生許さない」
司先輩の唇が重なる。気持ちを全部注ぎ込むような、深く荒々しいキス。
それが痛いほど胸にしみて、一気に涙が溢れだす。
大好きで大好きでたまらなくて。
いつの間にか、ほんの一日でも離れたくないぐらい、そばにいるのが当たり前になっていて。
行かないでって泣きわめきたいほどのこの想いは、先輩に伝わっているんだろうか。
もう顔はぐちゃぐちゃで、呼吸すらままならない。
気づいた先輩が小さく笑い、唇を離した。
「――寂しくなんかない。お前には小太郎たちもいるだろう?」
大きな手が頬に触れ、涙を拭う。
「都合のいいことに、しょうもないことで悩む時間もないほどコキ使われる部活もある」
泣き笑いで、頷いた。
「二年なんてあっという間だ。俺とお前が出会ってからの時間も、そうだっただろう?」
本当に、あっという間だった。
最初はとことん嫌われて……でもちょっとずつ認めてもらえて、好きになってくれて。
「浮気はするなよ。無理をしすぎて体を壊したりもするな。お前が大学を卒業したら――また、一緒に暮らそう」
きっと、その日はすぐにやってくる。
だからそれまでは、毎日楽しく頑張っていこう。
私の大好きな、仲間とともに。